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時の終わりまで(Till the End of Time)ペリー・コモ(Perry Como) (バディ・ケイ詞、テッド・モスマン曲) 「ペリー・コモ」は、ビング・クロスビー、フランク・シナトラと同系統のクルーナーで、TVショウにおいて圧倒的な人気を誇った名歌手!! 「時の終わりまで」が初めてのミリオン・セラーです・・・1945年録音のこの^大ヒットのレコード^によって一躍スターの座を獲得・~~~このレコードの売り上げは百万枚を突破し^最初の名誉ある「ゴールデン・レコード」^を授けられました!! 1936年に歌手としてデビューした^当時は「歌う床屋さん」と呼ばれて親しまれた(理髪店の見習いをしていた頃に町の歌声コンクールで優勝したことがきっかけで、1936年に歌手としてデビューしたペリー・コモ(Perry Como)・・・1912年5月ペンシルべナ州キャノンズバーグでイタリア系アメリカ人の家庭に生まれました!! 「時の終わりまで」の他に、「パパはマンボがお好き」「イッツ・インポッシブル」「アンド・アイ・ラブ・ユー・ソー」などのスタンダード・ヒット曲を持ち、全米ナンバー・ワンとなった歌は14曲)・・・1953年には16年の長寿番組となる「ペリー・コモ・ショー」がスタート(このテレビ番組は日本でも放送され人気を呼び、76年に初めての来日公演を果たしました)~~~2001年5月12日(88歳)フロリダの自宅で亡くなりました!!
2011.09.27
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2012年10月2日 10-2 茹で豚とキュウリのガーリックソース(4人分) 【豚バラ肉の塊400g、キュウリ1本、酒大さじ2杯、葱(葉緑の部分)、生姜(皮つき)1片、 タレ=(醤油大さじ1杯と1/2杯、砂糖小さじ1/2杯、ラー油大さじ1杯、おろし大蒜小さじ1杯、ガラスープ(顆粒をお湯で溶いたもの)大さじ1杯と1/2杯、)、】 1 豚肉は二つに切ります・・・肉が漬かる量の水に酒、葱の葉の部分、皮ごと潰した生姜を入れて煮立たせ、豚肉を入れて弱火で30分位茹でます~~~取り出してザルに上げ粗熱を取ります。 2 肉がまた温かいうちに脂肪の方からなるべく薄く切って皿に並べます(良く切れる包丁を使うこと)。 3 キュウリは両端を切り落とし二つに切り、更にスライサーで薄切りにします・・・水に放してシャキッとさせザルに上げて水気を切ります~~~肉に盛り添えます。 4 タレの材料を合わせ豚肉にまんべんなくかけます・・・好みでタレに少し酢やレモン汁を加えて酸味をだします。 出来上がりですo(*⌒―⌒*)oにこっ♪ !!
2012.10.02
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ペーパー・チェイス(I WANT TO SPEND MY WITH YOU) 1974年公開のアメリカ映画「ペーパー・チェイス(THE PAPER CHASE)」主題曲) 監督:ジェームズ・ブリッジス 音楽:ジョン・ウィリアムズ 出演者:ティモシー・ボトムズ(ハート)、リンゼイ・ワグナー(スーザン)、ジョン・ハウスマン(キングスフィールド)、グラハム・ベッケル(フォード)、ジェームズ・モートン(ケビン)、など!! 音楽担当のジョン・ウィリアムズ・・・ヘンリー・マンシーニオーケストラで「ピアノ」を弾いていたから^マンシーニの影響はある^と言われ、この映画では主人公たちの感情を静かに盛上げています~~~歌っているのは“ジョン・デイビッドスン”です!! 名門「ハーバード大学」の法学部で^厳格なキングスフィールド教授のもと^エリート学生たちが必死の猛勉強を続けています・・・その一人であるハートは^ミネソタ出身のナイーブで理想主義的な若者!! ある夜、彼は町からの帰りに年上の美女“スーザン”と知り合い、彼女と結ばれて^本気で愛し合うようになります!! 彼女はというと^実は“教授の娘”と知って愕然とします、しかも彼女は^父の教え子だが脱落した夫と離婚訴訟中!! 二人の愛に^冷厳な“教授の影”が大きくのしかかり’ます・・・‘恋と学業の狭間に苦しむ“ハート”・・・その学業の厳しさに耐えかねて^彼のグループからもノイローゼ自殺を図ったあげく「学園」を去って行く落伍者も現れます!! これほどまでに苦労して^いい点数を取るのは何のためなのか・・・社会へ出て、いい地位を得るための^それがライセンスなのです!! ひたすら“教授”を恐れ^ガリ勉につぐガリ勉に青春のときを費やして〉・・・だが^最高点を獲得した自分の名前さえ^ついに“教授”が覚えていなかった‘非人間性’に接した時、ハートは^大学生活の厳しさを痛感します!! 「ラストシーン」・・・「海岸」で^彼女と共に彼は届いた成績通知表を開けもしないで^紙ヒコーキを作って飛ばします!! その空と海に、真に自由な^青春の息吹き^が爽やかに広がります!!
2009.09.26
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ヤング・ワン(The Young Ones) / クリフ・リチャード(Cliff Richard ) シド・テッパーとロイ・C・ベネットの作で、1961年公開のクリフ・リチャード出演の映画「若さでぶつかれ(The Young Ones)」の主題歌・・・シングルレコードの発売が1962年1月、カップリングされた曲はイギリスでは「We Say Yeah」、日本では「When The Girl In Your Arms Is The Girl In Your Heart」でした~~~ラジオのヒット・パレート番組やアメリカのヒット・チャートでも人気を集めた曲で、イギリスでは勿論1位、日本でも大ヒットしたポップス黄金時代の名曲!! 当時日本でヒットしたシングル盤「ヤング・ワン」はノー・ストリング・ヴァージョンでしたが、イギリスではバックに弦楽器演奏が加えられていました・・・1959年の夏に発売の(Living Doll)がゴールド・レコードを記録しましたが、1962年発売の、この「ヤング・ワン」もゴールド・レコードを記録~~~ビートルズ登場以前のイギリス・ポピュラー音楽界のアイドルのクリフは中心アーティストとして人気を集め、今でもコンスタントなレコーディング活動やステージに活躍しています!! 本名がハリー・ロジャー・ウェッブのクリフ・リチャードといい、1940年10月14日インドのラック・ノウの生まれ・・・7歳の時に一家はイギリスに移住、14歳~15歳の頃からロックン・ロールに影響され、心秘かに歌手を志すようになったのだそうで~~~友達と学生ローカル・バンド「クィントーンズ」を結成、その後に、ディック・ティーギュ・スキッフル・バンドの一員に迎えられ、このバンドでドラマーのテリー・スマートと出会い、これが後にドリフターズ(=シャドウズ)結成となり、レコード・デビューと連なっていきました!! クリフはこのバンドに数年間在籍しましたが、短期間ですが音楽活動を中断し、エンフィールドの工場で事務の仕事に就き(父の意見・忠告に基づく行動だったといわれますが)ますが、音楽活動・歌手への夢は諦めきれず、1958年春にはテリー達とミュー・グループを結成し、再び動き出します!! クリフ・リチャードとドリフターズのスタート・・・オリジナル・メンバーはテリー、イアン・サムウェル、ケン・パヴェイで、イレギュラーとしてノーマン・ミッサムが時々活動を共にしていました!! バンドはロンドンのクラブで演奏活動をしながらレコード・デビューのチャンスを狙っていた時、クリフは自費でプライヴェート録音の「Lawdy Miss Clawdy / Great Balls Of Fire」を製作、これが英コロンビア・レコードのプロデューサー、ノリー・パラマーの耳にとまります・・・ノリーはクリフとドリフターズに早速自社のレコーディング・テスを受けるように指示~~~結果はめでたしで専属契約が結ばれ、1958年夏にデビュー・レコード「Move It / Schoolboy Crush」を発表~~~クリフとドリフターズのデビュー・レコードは全英国2位を記録、このヒットに追いうちをけるように秋からカリン・トゥインズと一緒に「ナショナル・ワイド・ツアー」が実施されました!! ドリフターズはジェット・ハリスの提案と言われますが、1959年秋にバンド名を「シャドウズ」と改め、メンバーも、テリーを除いてハンク・マーヴィン、ブルース・ウェルチ、ジェット、と一新・・・その間にも、クリフとドリフターズは「High Class Baby」、「Mean Streak」など4曲を発表して着々とトップ・スターの階段を昇ります~~~人気を決定的にした初めての全英1位のゴールド・デスク・ヒット「Living Doll」が1959年の夏に発売されました!! 1959年はクリフとドリフターズにとっての音楽活動の分岐点になります・・・ドリフターズはクリフと行動を共にする一方、1959年1月からは単独でレコーディング活動を始めていますし、クリフも彼らと一緒に活動をしながら、そのカラーは「ソロ歌手」の様相を一段と強めていきます!! 「Move It」に始まったヒットは、その後も、「Travellin’ Light(1959年全英1位)」、「Please Don’t Tease(1960年全英1位)」、「The Next Time / Bachelor Boy1958年全英1位」」、「The Minute You’re Gone(1965年全英1位)」、「Congratulations(1965年全英1位)」、など続々と、1969年迄に60曲近いです!! 1959年から66年まで、イギリス国内の最優秀男性歌手のトップ・ポジション(イギリスのニュー・ミュージカル・エクスプレス紙の人気等票)を維持していました!!映画でも、1959年「若き非行の群れ(Serious Charge)」とか、1960年「女体入門(Expresso Bongo)」などに出演していました。
2011.10.15
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