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14日、午前中に 短時間で積雪。14:00 に 予約した歯科医院へ行くときには、愛車が 雪に埋もれており、屋根には20cm。バケツを下げて、何度も浴室へ通い、残り湯 全~部を ぶっかける。フロントガラスは、ぶっかけた瞬間から凍って行く。明日の出社は 何時間 掛ろうとも、沿岸部を通って行こうと決める。義母宅の赤瓦は 早速 威力を発揮。善哉 善哉。
2011.02.14
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毎度毎度の 月1回の溝掃除。 この地では、決められた時間より 早め早めに出ることが当たり前で、 13時からの溝掃除では、皆12時半からぼつぼつ集まり、 13時には あらまし終わっていることが多い。 どんなに寒い日でも、汗だくになるハードな作業であるため、 帰宅後は、全身の着替えは勿論、シャワーを浴びることも。 この日は、13時から、ミュージカルの練習があるのもあって、 早めに出て 早めに終わらせていただこうと、 12時にスタンバイし、独りで掃除を始めていたらば、 例の御方 が出てこられて、ぴったりと 私の隣で掃除を始められ。 何食わぬ顔で、会釈したものの 『 う"ぅ、これは まずい。 かなり まずいぞっ 』 背中を悪寒が走った気がして、焦りまくり。 あの日に受けた、 私の こころの傷は 結構深くて、 この1年というもの、この御方と鉢合わせしないやう、避けまくって来たのに。 つひ、うっかりと、単独行動をしてしまったぢぶんに 臍を噛む。 案の定。 「 りうさん、あれから 勉強をされていますか? 」 キター!! 一発目から直球。 「 は? ぃへ、あの、、、 」 「 何か質問はありませんかね? 」 「 は? ぃへ、別に、これといって、、、 」 「 質問がないのは、 何もかも判った気になっている、 傲慢な証拠 ですね 」 だーーーーーーーーーーー!! ヽ(`Д´)ノ なんで私は いつもいつもいつも この御方に 「 傲慢 」 とか 「 傲岸 」 とか 「 不遜 」だと 叱られなくちゃならないんでしょう( ┬_┬)。 質問したら 質問したで 「 識らないから そんな質問が出る。 神の御言葉の前で なんて傲岸不遜なんだ! 」 って 言うくせにぃぃ 幼き頃より、自覚症状、ありありだから、私が1番ひとに言われて 堪える言の葉 >『 傲慢 』
2011.02.06
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暮の29日 夕刻。 『 クアトロン 』 と 『 ベジータ 』 が 2台のトラックで 別々に 無事搬入され、ほっと一息。 嬉々として 10年ぶり?な マリオに向かう上の少年 に 懐かしい とき が 戻った心地で キッチンに立っていたところに ドアチャイムが鳴る。 ドアを開けると 蒼い顔をした 元班長の隣の彼女で。 何かあったかと、彼女に連動して、私まで蒼くなり、 無言で 見つめあった私たちの後ろから、 ぴこぴこ と 能天気なマリオの音。 「 …… 」 「 …… 」 みるみる彼女の頬に血の気が戻り、 「 りうさん! 良かったぁああ 」 と 彼女がへたり込む。 ほぇぇえ。 トラックが 2台も 長時間停まり、出て行った我が家に、 彼女は、すゎ、つひに 私が この地を後にすることにしたのか、と。 トラックに 家電店のマークが入ってれば、 そんな誤解も生まれなかったのだろうけれど 年末の配送ラッシュのせいか、2台が2台とも そういへば ノーマークの、フツーのトラックだった。。。 ふたりだから 踏ん張れる。 だから 互いに この地で 頑張れるだけ頑張ろう。 頑張って頑張って それでも限界を超えたら。 そのときは 一緒に。 一緒に この地を 出て行こうね。 そう 約束したのに。 「 約束したのに 置いてっちゃったのかと~~~ 」 私の数十倍頑張ってる彼女。 やっと1日、やっと また1日。 1分1秒が 気の遠くなるほど長く。 賽の河原で 石を積むやうな毎日に。 なにもかも 全て放り投げてしまいたい こころを 懸命に押し殺して 積み重ねて来た日々が私にもあった。 けれど、 あれが あのときが どん底であった、 あの日々があったからこそ、あれよりはマシ、と 生きていける、 そう 過去形で語れる私に比べ、 これでもか、と 次々に 災難が降りかかる彼女 の トンネルは どんだけ 長く 深いことだろう。。。 「 ○○ちゃんが 毎日 こんなに 頑張ってるのに、 黙って 置いて行ったりしない。 だいぢゃぶだから 」 驚かせてごめん、と 涙目の彼女を 見送り、 今もなお、追い詰められ、苦労続きの彼女に いったぃ 私に 何ができるのだろう と ヘコみながら。 。。。とりあえず、 ケーキでも焼いて、持ってってあげちゃお。
2011.01.08
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南北の緊張関係もさることながら、 義母の班内の緊張関係もなかなかのもので。 先般、やっと義母宅の 瓦葺き替え工事 が終了したのだったが、 すっかり 義母の班内では 瓦の葺き替えが 流行ってしまい 。 立て続けに 3軒、瓦を葺き替えるそうで、 早速、義母宅のすぐ上のお宅が工事に掛かられたのだったが、 業者さんが異なるからか、そのお宅には、10人もの職人さんが入られ、 【 10日間 】 で 終了されたのである。 だもんで、義母宅には、 工期は20日程度と聞かされていたのに、( 10日でできるものを ) 2ヶ月も掛かって迷惑至極だった、お叱りが相次いだり、 ねえさんところから始まって 次々と瓦をヤってぢゃけん、 我が家も葺き替えないと ふうが悪い( 体裁が悪い )。 全く迷惑なことだ、と 遠まわしに 嫌味を言われたり。 10日の仕事と2ヶ月の 仕事の見比べに、方々が殺到されたり。 私だったら、ノイローゼになってしまうであろう状況下、 ひと一倍 負けん気の強い義母は、雄雄しく立ち振る舞っていたのだったが。 意外なところ?で、義母が参ったのは、音と土、である(-_-)。 義母宅の工事は、昔ながら、の 4人の職人さんで、 屋根瓦も1枚1枚丁寧に外し、20枚ずつを結索して丁寧に降ろし、 希望者に100枚ずつ分けて渡せるように 別にして、 残りの瓦は きちんと瓦のリサイクル場に搬入。 1番心配だった土も、極力 土埃を立てないよう、 屋根の上で 静かに袋に詰めてから降ろされていたのが、 そのお宅では、10人中の殆どで屋根に登られ、 一斉に 瓦を下に投げ落とされるんである。 ひょぃひょぃと 瓦をバケツリレー的に降ろされるものとばかり 思っていたのが、1枚1枚、ガッシャーン!!! だったので、 それは驚愕したし、その派手派手しく割れる音は 確かに心臓に悪い。 何千枚という瓦が落とされて割れていく。 その音には 到底 慣れることはできないし、 その度に義母の心臓が跳ね上がり、血圧が上がって行くようで、 顔色が みるみる 悪くなっていく。 また、土もそのまま、2階からでさえ そのまま 巨大なスコップのようなもので 地面へ落とされるため もうもうたる 土埃が それは凄まじく。 義母宅の工事中、畳、廊下は勿論、押入れのなかまで ブルーシートを敷いて土を防いでいたのを外し、 丸2日掛けて 土埃を掃除したのが、また逆戻り、、、 どころか、 義母宅そのものの工事のときより、真っ白になってしまう。 「 あんな やっつけ仕事ぢゃけん、 10日で済むんよ!! 」 方々から、2ヶ月も掛かるなんて!と 非難されたこともあって ( 2ヶ月になったことには 義母や私も 驚き、閉口したのだが ) 義母は すっかり おかんむり、である。 「 あちらは 10日間で済まれましたが、うちは2ヶ月。 多かれ少なかれ、うちも皆さんに 何らかのご迷惑やご不自由を長いこと お掛けしたのですから 」 そう、とりなしてみたところが、すっかり逆効果。 結局、そのお宅の工事が終わるまで 義母の機嫌は最悪であったのだが、 この後、これからまだ 2軒も 工事が続くのだ。 。。。ふぁいとぉ~ > ぢぶん
2010.11.26
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班内の田んぼが全て稲刈りを終え、 ぃょぃょ、月1回( 第一日曜 )の溝掃除 が始まる。 今月は 7日が第一日曜、という、ラッキーさに感謝しつつ、 それでも、昨年のやうに恵の雨が降って、 もう1週間延びないかなぁ、と願う私(゚゜)\バキ☆ この地に来たときは30代だった私も、50代に突入し、 膝には爆弾を抱え、700mもの中腰作業は、本当に辛い。 高低差が厳しいところは、殆ど頭が膝より下。 溝底をこすり、苔を落とす程度ならまだしも、 勾配がゆるく、土砂やヘドロが溜まりがちなところでは、 屈んだままでの全身の力が必要で、 今年3月の溝掃除では、ついに私の竹箒が折れてしまった程(-_-)。 翌日は 腰と膝がヤられて、杖 が必要となるのだけれど。 んでも、同じように、ご長老方もお歳を召されて来ており、 いつまでたっても 私が 「 若いもん 」 なのよね。 班内の下水道工事も始まり、車も通行止になり、 何かと不便で気忙しく、我が家もトイレのやり替えその他、 高額出費となりそうで 頭が痛いのだけれど、 隣の元班長の彼女と、 下水道が完備となったら、入浴剤なども こころ置きなく 使っちゃっていいよね! 何より、きっともう この辛い溝掃除はしなくて良くなるよね? 農業用水路に排水させていただく 感謝のしるしに 溝掃除をしていたんだもんね? そだね、それを楽しみに、乗り切ろうね! そう 言い合って、テンションを上げ、 この溝掃除から解放される日を待ち侘びていた。 だが、この日の長老曰く。 「 下水道が完備されても、 農業用水路は現状の姿で残るのだから、 引き続き、よろしく 」
2010.11.10
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瓦葺き替えが無事に終了した からには、 樋工事はこれからでも、瓦分を1日でも早く、代金を振り込むのだと、 義母が張り切ってこの日を指定。 ついでに風邪気味なので、内科にも連れて行くようにと言われ。 義母の 200万の定期預金証書1枚と 100万の定期預金証書を3枚、 おっかなびっくり預かり、9時ぴったりに 義母と町内の金融機関へ。 500万円分を一気に解約して その殆どを そのまま振り込むことに、 窓口でも驚かれてしまったが(滝汗)、 顔パスなのか、特に 義母や私の身分証明を求められることもなく。 特にお願いした訳でもないのに、 振込先が 同じ金融機関の同じ支店であるため、 この定期預金を解約後に いったん、義母の普通口座に振り込み、 そこから 口座間振込にしますから、 手数料は不要ですよ、と言われて、びっくりする。 ( 私が 大学指定の振込依頼書で、 少年たちの学費を 現金で窓口から払い込むのに、 身分証明やサイン、振込手数料が必要であることとエラい違いである。 その金融機関の通帳を持っている、というのは、これほど強いのか ) 但し、義母が振込証明を求めたため、 その証明書代が525円掛かったのであったが。 だが、この手続きがほぼ 小1時間ほど掛かり、 その間の 声高な 義母のお喋りに 消耗する。 曰く、瓦工事の2ヶ月は 長かったが、 誰も熱中症その他で、倒れることも怪我もなく、良かった。 曰く、4人の職人さんたちがどんなに真面目で善いひとたちであったか。 曰く、丁寧な仕事ぶりで、鼻が高い。。。 そこまでは良かったのだったが。 近隣の皆が、幾ら費用が掛かったかを 聞いてくる。 最初は 誤魔化していたが、 「 息子3人に払って貰うんだから 安気なもんよのぅ 」 と言われたため、余りに失礼だと、つぃ、 「 とんでもない! 」 と 怒鳴った、というのである。 自分が瓦の葺き替えに踏み切ったのは、 自分が死んだ跡に、屋根が崩落するようなことになっては、 おとうさんに申し訳ない。 息子たちも情けない想いをするだろうし、 息子たちがお金を出さないとならなくなるから、 それだけは 避けたいと この歳で、決意したのであって、 「 安気 」とは程遠い想いをしたのである! だから、 息子ら からは ビタ一文 出させやせん!! と (-_-)。 ははぁ。。。 それで、ここのところ、 近隣の方々の視線が 何やら おかしかったのだ(-_-)。 納得。 「 ねぇさん、大いに 女を上げたね 」と 〇〇さんたちが言ってくれた、と 義母はご満悦であるのだが、 逆に、不甲斐ない息子たち、 特に、近くに住む 三男夫婦は なんと冷たいのだらう、と、 思われ、言われているってことで。 はぅぅ。 よそのイエのことは、 どうか、放っておいてくれないだらうか。 また この話を 興奮して 声高に話すものだから、 この金融機関の職員さん、来られていたお客さま方に、 丸聞こえだったと思うし、これでまた 町内に広がるのだ (-_-)。 あげく、義母としては不本意なダークグレイのスレート屋根の我が家に関し、 「 築20年が来たら葺き替えるのだろうから、 今度は、必ず 赤瓦にするように。 うちに来られた職人さんたちは、来年の秋まで いっぱぃだそうだけれど、 その後、りうちゃんの家をヤってくれるよう頼んでおいたから 」。 な、な、なんですとぉおおお 鯱、ぃゃん屋根に 500万 掛けるより、太陽電池パネルを敷き詰めたい!!
2010.11.04
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8月31日からスタートした 義母宅の屋根瓦葺き替え工事。 昔ながらの職人さんが3名。 他、細い坂道を魔法のように義母宅の玄関前まで 軽トラを乗り入れて下さる、運転手 兼 荷役さんが1名。 徹頭徹尾、この4名さんの協同作業による、 懇切丁寧、かつ まるでアートのやうな仕事ぶりで、丸2ヶ月。 長かった瓦葺き替えが完成し、あとは、樋を架け替えて、全て終了!! である。 旧い屋根瓦も1枚1枚丁寧に外され、5枚ずつ結索。 60年経っても 光反射力が健在のため、 鳥追いなどのために 希望される方々に100枚ずつお分けできた。 土も丁寧におろされ、袋詰めされて 必要とされる方々へお分けし、 残りも そういった、すぐにリサイクルされるところへと搬入される。 何から何まで、びっくり、の この工事のお蔭で、 最も格式が高いと言われる入母屋造のなんたるか、を識り(-_-)、 パチンコのもの、としか識らなかった 『 役物 』 のなんたるかを識り、 すっかり屋根に 詳しくなる。 この酷暑に、炎天下の作業は殺人的だと感じていたが、 これもまた、秋が深まると 一気に日没が早くなり、 作業が進まなくなったり、冷えが手足を鈍くしたり、 露や霜でも、色々と支障が出るのだ、ということに、初めて気付く。 ともあれ、この長丁場、毎日毎日、前夜から何リットルも麦茶を沸かし、 氷を作ってはため、お茶出しに お菓子の用意。。。 家中、土埃に塗れながら、高齢の義母は 本当によく頑張ったと思う。 こんな感じで 鯱、載りました(((((^o^;。 ヒきギミな私を感じてか、 鯱の下部分の大棟や降り棟を余り高くせず、 熨斗瓦や雁振瓦に龍を入れたり、 家紋を入れたりしてないだけ、 お金を掛けていない、地味である、 他人さまからは 惜しい! と言われていると。 … ぃゃ、十二分に 私は 派手だと 思うです > お義母さま オーダーがあってから焼く、という、水滴が1滴でもあれば、人も猫も滑り落ちてしまう豪雪地域にはうってつけのぴかぴか てかてか の 油瓦。陽光を浴びると、ステンレスの屋根か! と思うほどぎらぎらに 反射し、遥か遠くからでも 目を射る。 近隣はもとより 見知らぬ方々も義母宅を見上げられては話しかけてこられたり、見学に来られたり。ここ2ヶ月間の心配や苦労が報われたやうに、すっかり上機嫌の義母であるが、残りの樋工事も、あと1週間で終了予定。もう少し、このまま上機嫌で過ごしてくれますよう。
2010.11.02
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7月13日からの集中豪雨のため、 とある区間が不通となっていた JR K線が やうやう復旧し、 11月1日(月)より再開の運びとなる。 そのため、町内では土曜日から、何度も町内放送で復旧のニュースが流れ、 この土日は、試運転のために、不定期で列車を走らせるので、 線路内に立ち入らないよう、注意を促される。 このK線は、そうでなくとも、猪や鹿との衝突が多く、 よく不通になるのであったが、 瀬戸内海沿線もあって、水害、塩害も多い。 また、大小取り混ぜて、多くの踏切があり、 人身事故が大変に多い路線なのである。 ともあれ、今回の豪雨被害による被害は甚大なもので、 完全復旧には 丸3ヶ月を要した。 復旧不能とも思えるやうな惨状のもと、この日に漕ぎ着けた ご関係者各位のご努力には、本当に頭が下がる想いである。 この間、夫を何度 隣市の新幹線駅に送迎したことか。 度重なると新幹線代も辛く、代行バスがこの地まで入らないときは、 遥か隣街まで何度も送迎した。 だが、この地は 途中からぎりぎり列車が通る区域となったため、 まだ恵まれている方で、全くの不通となった地域は 代行バスに頼らざるを得ず、1時間近く早く家を出て、 始発駅から満員状態の電車で通勤、通学をしなくてはならなかったし、 遠方の総合病院へ電車で通院される ご年配者など、 多くの方々のタクシー代がかさみ、不便な想いをされて来た。 夫にしても、午前10時の始業時間のために、 5時台の電車に乗らねばならず、お弁当づくりも1時間早まった我が家も、 この日の復旧を 指折り数えて待ち詫びていたものである。 再開となったこの日、駅前で 利用者に小さなビニル袋が配られた。 なかには、K線再開の挨拶文と、 不通であった期間についてのアンケート、 そして、ポケットティッシュと 救急絆創膏がセットされている。 はぅぅ? K線再開の喜びと、感謝の想いがしぼんで行く。 挨拶文やアンケートの趣旨は 痛いほど判る。 んでも、これまでのこの不便さ、この痛みは、 JRだけでない、利用客だけでない、自然災害を受けた 皆のもの。 今回の被害額は相当なものだと思うのに、 ティッシュや絆創膏のコスト、 ビニル袋詰め、手配り要員の経費、、、。 いいよ、要らないよ。 寧ろ、無駄ぢゃないの? と 思ってしまう私は 素直ぢゃないの? ティッシュや絆創膏の分、次の災害に備えてよ。 不通になったりしないやう、 不通になっても 1日も早く復旧できるやう、 そのときのために、お金を大切にプールしてよ。 ティッシュや絆創膏の分、 日夜 現場で汗水流された作業員の方々に たくさん支払ってあげてよ、と思う。 挨拶文だって、駅構内に張り出せばいい、と思うし、 アンケートだけお願いすればいいんぢゃないの? 模造紙に手書きで挨拶文を書けば、十分気持ちは伝わる、と思うんだけど。 何か おまけをつけないと、アンケートを受け取って貰えないのかな。。。 ティッシュや絆創膏は、 JR西日本さんが、 利用客と 喜びを分かち合おうとされた、 ささやかな、その気持ち。 と、無理矢理思うことにするけれど。
2010.11.01
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義母宅のお寺さんから、毎年恒例の 『 お十夜法要 』 への、 この地一帯への寄附金要請が来た。 義父母の宗派で、最も大切とされる無量寿経のなかに 記されている、 『 この世において十日十夜の間善行を行うことは、 仏の国で千年間善行をすることよりも尊い 』 ことを実践する、 十日十夜に渡る法会であるが、 ( これを本当にお寺で、十日十夜に篭って行うことを 『 お十夜をつく 』 というらしいのだが、 義父は、昔、これを 3度、きちんと行ったらしい ) 誰もが、十日十夜に渡ってお勤めできないために、 「 ( 身を粉にして得た )お金で功徳を積む 」 ↓ 「 お金で勘弁して貰う 」 → 「 毎年恒例の寄附 」 になっていったらしいのであるが、 これがまた、【 ひとりにつき 】3000円以上と決まっているやうで。 一世帯で2人なら6000円、5人なら 15000円。 農家が多いので、お米で納めるのも OKであるが、 これがまた、以前日記でも触れた通り、 お米を入れる袋に 新米・古米の別を記載しなくてはならない 。(-_-) で、今回、お寺さんから渡される、お米を入れる袋が 大きくなっている そうであった。 加えて、今回、義母の班で騒動になったのは、 来年、ご宗祖さまが亡くなられて800年を迎えるということで、 ご本山が国宝である御影堂と重要文化財の集会堂の修理工事をはじめ、 あれこれと事業を始められているのだったが、 各檀家には、【 瓦志納 】の要請をされたらしく。 義父母のお寺さんでは、各家庭 【 3万円を一口 】 とし、 一口以上のノルマが課されたのである。 この地では、 見栄もあって 皆さんが争うように 神社仏閣に高額の寄附をされる、有難い地域ではあるけれど、 こんな風に、【 3万円を一口として一口以上 】 と押し付けられては さすがに 反感を持たれる方々が多いやうで。 ご年配で、年金暮らしでいらっしゃる世帯も多いなか、 どうやって、3万円を出せと?? おそらく、本山からは 末寺へ それぞれ具体的な割当額を提示されたのであろうが、 お寺さんは 檀家に対し、 「 志 」「 喜捨 」をお願いするのであって、 一口3万円以上を 強制集金して回るのは、如何なものか。 檀家さんには、お幾らでも、と 喜捨をお願いし、 足らず分があるなら、それは BMWに乗っておられる お坊さまが出されてはどうか、と思う。 * 先刻、ご本山のサイトにアクセスしてみたらば、 確かに【 瓦志納のお願い 】 ページがあり、 1万円のご志納を一口として、 ご芳名を御影堂屋根瓦に記名いたします。 ご志納を頂いた方には、受領書・記念品をお送りいたします。 とあった。 何故 こちらでは 一口3万? 噂によれば、この地の檀家総代が決定なさったやうであるが 単純に お寺への割当額を檀家数で割ったのか、 それとも 志篤い檀家である、との【 見栄 】なのか。 地方の檀家 一口3万円。 義父母のお寺さんは、檀家さん ひとりひとりの志を しっかりご本山に報告して下さるんだろうか。 ご本山は、3枚分( 、、ぃゃ多分、1枚だろな )の 瓦に 檀家さんの志を刻印して下さるんだろうか。 甚だ こころもとない、というか 疑わしく感じてしまう自分を 「 ちっちゃ 」 と 思いながら、こんな気持ちにさせられる原因が 私自身のさもしさ だけでなく、 現在のお寺さんの在り方にある、と思えてならず、 めちゃくちゃ不快である。 というのも、このお寺さんから、 近年、信じがたい寄付要請があったから、なのだけれど、 それはまた、 後日。 (-_-)。
2010.10.19
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『 役物 』 といへば、パチンコのものしか識らなかったが(滝汗)、 建築用語では、建築材料の一般のものでなく、 『 特定の位置・用途だけに使用される異形の材料 』を 総じて【 役物 ( やくもの ) 】と呼ぶようで、 瓦に関していへば、 軒の端部に使う飾り瓦である 「 鬼瓦 」、 棟の最上部に用いる冠瓦・大棟巴瓦、冠瓦の下の熨斗瓦、などを始め、 軒先に使う 「 隅瓦 」 など、めっちゃ多種類の「 軒瓦 」、 切妻屋根の端部に使う 右左の違いのある「 袖瓦 」等々を、 【 役瓦 】 もしくは 【 役物 】 と 言うらしい。 推測するに、パチンコの 【 役物 】 とは、 きっと、ここから来たんぢゃなかろうか? 単なるお飾り、だけでなく、 役物瓦を使用すると 棟瓦、隅棟瓦、袖瓦等々、 納まりよく、「 乾燥固定 」することができるという利点があるらしい。 なんでも「 乾燥固定 」は モルタルを使用しないため、 施工時間の短縮や、厳しい気候にも対応可能となるらしく、 単に、「 見栄 」 だけではないんだな、と 少しは感じ入ったのだけれど。 オーダーしてから 義母宅用に窯で焼き上げられた瓦たち。 葺き替え工事 は 順調に進み、 ( 油瓦なので、雨が1滴でも降ると、職人さんたちは滑って危険、とのこと。 霧雨でも駄目。 どんだけ 滑りが良いのだ?? 雨天だったりしたら 全くのお手上げになってしまうのだが、 この日までに、中止となったのは半日のみ。 晴天続きに多謝 )。 この日は、ついに 【 役物 】 の瓦がご到着。 実は、義母には言わなかったが、私には 苦手な役物瓦があり、 それだけは 義母宅の屋根に ツいて欲しくないなぁ。。 どうぞ、それだけは 勘弁して欲しいなぁ。。。 などと 内心 ヒジョーに懼れていたのだったが。き、来た~~っ!大切に大切に 毛布に包まれて おいでになられた、この大仰な鯱にも ヒく程 たまげたが。これだけは、絶対イヤ!!と 思っていたのが来た(──┬──__──┬──)。しかも たくさん (──┬──__──┬──)。 ゃ~~~ん 確かにね、 縁起の良い 福の神さんですけど。 んでも、私は怖いんですぅ。 観れば観るほど、苦手ですぅぅぅ他に 宝船まであった。
2010.09.27
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まさかの 全町 『 オロナミンC 』 売り切れ・取り寄せ不可 に、 恐慌状態に陥りながら、町内を駆け回り、 隣街の大型スーパー、ドラッグストア、ホームセンター、 果ては 隣市にまでも オロナミンCを求めて彷徨いながら。 ”WHY???” なにゆえ これほどまでに 方々で オロナミンCが 引っ張りだこなのか、 脳裏が 大小さまざまの疑問符でいっぱぃになる。 これが酷暑のための、ミネラルウォーターやらイオン飲料の 在庫切れ、という話なら まだ理解できるのだけれど。 この地の各家庭に オロナミンCと共に 常備されているUCCの缶コーヒー。 これについては 1つ 理由が思い当たる。 町政時代の1974年、隣町にて、 上島珈琲株式会社と技術提携し、缶コーヒーの製造を開始した企業があり、 大々的にアルバイトを雇用したようで、この地からもたくさん採用され、 夫も、学生時代のひと夏、ここでバイトをしたらしい。 夫は、珈琲が苦手だったのに、香りだけは素晴らしく感じ、 また、帰りには 毎日のように、缶コーヒーや缶ジュースを 貰って帰ったものだ、と言う。 だもんで、この地で UCCの缶コーヒーが常備されているのは、 日本初の ミルク入り缶コーヒーが 隣町でつくられた、という、 かつての親近感であったり、かつての地元贔屓的なものが、 ずっとそのまま生き残っているのではないか、と。 実際、中国地方の喫茶店の大半がUCC珈琲であり、 缶コーヒーのシェアも7割近くが 『 UCCコーヒー ミルク入り 』であったらしい。 同様に、農協の『 みかんつぶつぶ 』もまた、 隣町や近隣島嶼部の広島みかんが 原料となっているからかもしれず、 この憶測は 結構当たってるんぢゃないかと思う。 だが、『 オロナミンC 』 については 依然皆目判らない。 必須アミノ酸やビタミンを含んでいるのに、余り薬剤ぽくなく、 『 嬉しいとメガネが落ちるんですよ 』の大村昆氏のCMや ミルクや卵でも割って飲め、老若男女が美味しく飲める、的 イメージが浸透し切っているから、なのか。 で、オロナミンCを求めて彷徨うなかで、 近隣のホームセンターにて スタッフの御方と話していて気付く。 この地では稲刈りが始まっており、 丁度また、小中学校の運動会シーズンでもあり。 んだから、町内の方々がこぞって、オロナミンCを購入されたのだと。 義母は、 『 ( だからこそ ) 絶対にオロナミンCがないといかん 』。 そうおっしゃられても、ないのだから仕方がありませんよね? おそるおそる 宥めるやうに、 リポビタンDやチオビタなどへの代替を申し出てみたが、 即座に却下される。 そんな薬くさいものを 毎日 職人さんには出せない。 なんとしても オロナミンC を手に入れんにゃぁならん! と言う。 医薬部外品がダメなら、オロナミンと同じ清涼飲料水である 『 リアルゴールド 』はどうだろう、と言うと、 義母の辞書にはなかったらしく、 そんな訳の判らないものは、絶対にダメだ、と言う。 仕方がないので、80分掛けて広島市まで買いに出かけることにし、 その前に、義母の用事を済ませるために 町のスーパーに行く。 「 りうさん、りうさん、たった今、 オロナミンCのトラックが着きましたよ!! 何箱 要ってですか?? 」 顔見知りの店員さんが、トラックまで走り、 トラックから おろしてすぐに 渡して下さる。 (T^T)(T^T)。 ありがとありがとありがと。 気に掛けて下さってたスーパーの御方。 そして、製造が追いつかない状態をクリアして下さった大塚製薬さん。 翌週の出社日に、お取引先さまが、「 一息入れてください 」 と 持って来られたのが、『 オロナミンC 』1箱。 でぇええ? この御方の御実家はもしかしてっ。 椅子からずり落ちそうになる。 午後2時過ぎ。 勤務中にとっても眠たくなり、試しに 冷蔵庫でキンキンに冷えてた『 オロナミンC 』をいただく。 不思議にすっきり爽やか、目が冴え冴え。 医薬部外品の栄養ドリンクのような後味の悪さもなく。 侮れん!! > 『 オロナミンC 』
2010.09.20
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この地では、『 オロナミンC 』 が さまざまな場面で活躍し、 大層 重宝されていることに、結婚直後から 気付いてはいた。 他に、UCCの缶コーヒー と JAひろしま の 『 みかんつぶつぶ 』 が オロナミンCに続く。 常にオロナミンCと、UCCかJAの缶が組み合わされ、 どのお宅にお邪魔しても、お盆の上に丁重に乗せられて、 振舞われたり、帰りに持たされたりするのである。 フツーならば、お茶を出される場面で、 フツーに お盆に乗せられた、これらが コップなしで出てくるので、最初は戸惑い、 私自身はともかく、幼い少年たちには まだ飲ませたくなかったのもあり、 とても閉口したものだ。 ** 炭酸飲料は 敬遠していたし、 『 みかんつぶつぶ 』も、100%果汁なら有難いのに、 果汁20% みかん粒10% というもので、 みかんの缶詰の如く、ものすご~~~く甘い。 自治会活動に参加しても、ご葬儀関連の手伝いに出ても、 この3つのうち 2つは 必ず出される。 何故、 この3つなのか。 結婚以来、ずっと不思議であったところ、 思うに、この3本のソフトドリンクは、 昔から 販売されているもので、発売当初は、珍しく、 朝から晩まで 外で田畑仕事に勤しむ農家では、 客人にお茶をお出しする暇もなく、 自分たちも、薬缶いっぱぃに沸かした麦茶を 薬缶ごと外に持って出て、田畑の傍で休憩を取るときに飲む程度。 そんななか、「 缶ジュース 」や オロナミンCの小瓶は、 ちょっとした「 おもてなし 」 として出すもの、という お茶よりも上、的な 【 格 】を 勝ち取っているのだと 義母を観ていて 気付いたのだった。 で、長引き始めている 義母宅の瓦葺き替え工事 にて、 職人さんたちに 毎日お出しする定番のなかに、 この 『 オロナミンC 』 と 『 ポカリスエット 』があるのだが、 職人さんには、一口できゅっと飲み切れるものが良い、という義母のこだわりで、 ポカリスエットは、ちっちゃなくせに割高な 200ccのペットボトルが良い、缶は缶くさいから良くない、と譲らない。 で、この200ccのペットボトルを 3箱買って準備したものの、 朝昼晩で すぐになくなってしまい、 ついには 町内、隣街、隣市でも見かけなくなり、 捜し歩くのにギブアップした私は、 160gのアクエリアスのミニ缶が大量に売られているのを発見し、 親類筋の酒屋さんからも 義母を説得して貰って、 無事、アクエリアスの缶への代替を果たしたのだったが。 ここへ来て、今度は 『 オロナミンC 』 が 売り切れ。 町内中、果ては、隣街の大型スーパーまで オロナミンCを求めて彷徨い、 隣街も、広大なる隣市でも 薬局でも。 時折、冷却機のなかに 2、3本程度を見つけることができても、 それで売り切れで、ケース買いなど とてもできない。 親類筋の酒屋さんへお願いしても、 問屋さんから貰えない、製造が間に合わないらしい、と言われる。 何故?? なにゆえ、オロナミンCが引っ張りだこなのだ?? 酷暑が続き、ミネラルウォーターやら ポカリ、アクエリアスなどが 入荷した端からすぐに 売り切れてしまうのは まだ判るのだけれど。 義母からは、 リポビタンD、チオビタなどへの代替提案を、全て却下され、 何が何でもオロナミンCを入手せよ、と 厳命される。 ”WHY???” ( 続く )
2010.09.19
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町内で不幸な事故があった。 夜中に お酒に酔って 路上で寝ていた町内のひとを 同じ町内のひとが運転する車がはねてしまい――。 寝ていたひとは なくなられ、 運転者は、自分がそのひとを殺してしまった、というショックで 意識不明の重態でいらっしゃるという――。 なくなられたひとが、次義兄と同級生であったため、 葬儀の連絡が義母に入り、 義母共に 暫し 茫然。 なんとも、どちらも不運であるとしか言えないけれど、 日々ハンドルを握る自分は、 つい、意識不明になられる程のショックを受けられた 不運な御方に 想いが いってしまう。 前方不注意とはいへ、 まさかに 夜中に路上で眠っているひとがいるなんて 思いもされなかっただろうし、 どんなに驚愕され、どんなに悔やまれ、 どんなに自分をお責めになられたことか。 また、いまどき、路上で眠ってしまうほど、 外でお酒を飲まれる、というのも 珍しいのではないだろうか。 余程 楽しいことか、悲しいことが おありになられたのか、、、、 、、とにもかくにも 合掌 ――
2010.09.08
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つひ、先日、豪雨直後の台風4号に脅えたばかり だといふのに、 今度は、9号がヤって来る。 瓦の葺き替え中である義母宅は、母屋の旧瓦と屋根土の撤去を終え、 オーダーメイド同然な 赤瓦がまだ焼き上がらない、ということで、 それを待つ時間が惜しいとの由にて、 母屋の屋根部分を真っ青なビニルシートで覆い、現在、納屋の瓦を撤去中。 職人さんのされることだから、 しっかりとビニルシートで覆っては下さってるんだろうけど、 先日の大豪雨のやうな大雨、大風が来ても、ビクともしない、、、、 とまでは思えず、 ひたすら不安がる義母であり、 ちょっぴり不安な私であり。 夜も眠れないほど不安なのに、 火曜日だからといって、そんななかを出社するのか~~!! と 義母は荒れたけど、 心配することで台風がそれる訳でもなく、 私が居ても居なくても、来るときは来るし~。 しなければならないことは、 ぃざ ヤって来たときへの備えであって~ ほんっとに申し訳ないのですが、 仕事も山積みなので~~~~((((((^o^; 。 そろり、そろり、だだだだだっ!! 逃げるやうに、ごめんなさい、と出社する。 はぅ。 職場について、仕事しながらも気が気でなく、 帰り道も突風に煽られながら ようよう帰宅して ほっと一息。 お蔭で広島は被害なく済んだのだったが、 9号は福井県に上陸し、 東海地方を中心にかなりの雨をもたらしているようで、 災害の危険も出始めている由。 この猛暑で野菜たちの被害は大きく、また、稲の発育は早く、 稲刈りが始まっておられたところなど、大きな被害になりそうです。 どうぞ 各地でこれ以上の被害が出ませんように。 皆さまのご無事をお祈りしておりますです。
2010.09.07
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ガリガリガリと路肩が車底をこすり、 黒煙をあげて 浮き上がった右タイヤが空回り。 左2輪が脱輪し、横転しても可笑しくない程傾いた Fitのなかで。 「 …… ごめん、たっくん。 終わったわ(-_-) 」 「 …… ぅそ 」 間抜けな会話を交わしながら、 脳内が真っ白になっていくのを感じつつ、とりあえず車を降りる。 後部座席の左に居た上の少年のドアは地面で開かず、 よじ登るようにして右側から降りて来る。 ……どうしよう。 わらわらと 近隣で田畑仕事をしていた方々が 集まって来られるのが目に入り、 回らない頭で、とりあえず、元凶のゴミを 上の少年にステーションに持って行ってくれるようお願いする。 助けようと集まって下さった方々が 口々に 「 これは 儂らじゃ、どーにもならんのぅ 」 と 引き取られるのに頭を下げていると、 「 ここの田んぼのひとは、いつもここに草山をつくるけんのぅ。 この草山を気にして 反対側に落ちちゃったんぢゃろうが、 ここは元々、農道なんぢゃけぇ、あの家を悪ぅ思ぅたら、いけん 」 と言われて驚愕する。 「 とんでもありません! そんなこと、思いもしませんでしたです! 」 実際、思いもよらないことだったし、 そんな話があちらこちらで広まったら、もうこの地にいられなくなる!! 義母もまた、どんなに肩身が狭くなってしまうだろう、、、 義母!! そうか、この様子だとあっという間にご注進が飛ぶな。。。等々。 真っ白、茫然状態から、瞬間 恐慌状態に陥ったお蔭で、 逆に 今から、しなくてはならないこと について あれこれと みえてくる。 会費が辛いので、JAFから脱会して久しい。 確か、保険会社で何らかのサポートしてくれるはず、と、 ゴミ出しから戻って来た上の少年に Fitを観てて貰い、 「 初めての体験だ~ 」 と ケータイで撮影しようとする上の少年に 「 私のお蔭で将来勉強になるね^o^; 」 思わず苦笑。 我に返って 「 心配するから おとうさんなんかに送らんでよ! 」 一喝して グローブ・ボックスから保険関係一式を持って自宅に戻る。 脂汗で ぐっしょりのブレザーを脱ぎ捨てて、保険書類に目を走らせ、 レッカー作業は、30kmまで無料 、 但し他の作業が入ると 別途費用が生じる、という項目を確認し、 サポートセンターに連絡。 窓口の女性の御方の 丁重に こちらを気遣われつつながらも てきぱきと あれこれ詳細に質問して行かれる様子が、 レベルの高さを感じさせ、安心して、極力正確に答えて行く。 「 それでは 10分程度でそちらに参ります 」 と言われて こころから ほっとする。 未だ稲刈時期ではないし、時刻的にも 車は殆ど通らないハズだが、 車1台がやっとの農道を、休耕田に半分落ちたFitで塞ぐ時間は 短ければ短いほど有難いもの。。。。 ところが数分して電話が鳴り 「 申し訳ございません。 そちらの地域に対象重機車がおりませず、 到着まで 40分程度掛かります。 ご迷惑をお掛けしますが、今しばらくお待ち下さいませ 」 、、、がっくし。 ん? 対象重機車?。。。 ぅええ。 Fitの陥った状況をあれほど詳細に尋ねられたのは、 フツーのレッカー車で 救助が可能かどうかの 状況判断のためだったのだと納得する。 40分あのまま、なのはとってもイタいけれど どうしようもない。 重機車が来るまでの時間を利用して、天使な先輩に事情をメールする。 あのFitの状況では、おそらくそのまま隣市の Fit購入店へ持ち込みになるだろうから、 大事な取材日に、本当に申し訳ないのだけれど、 午後から出社になるか、最悪 欠勤になる旨を送信。 先輩からは、まず怪我の有無を案じてくれ、 大変だけれど ヘコまないで、ふぁいと!だ と返事が来る。 次いで、こんなときに本当に申し訳ないけれども、と 今朝欲しかったデータを送るように言われ、 通勤バッグからPCを出そうとして、、、、ない??! Fitからバッグを持って来たつもりだったのに、手元にない。 大事なPCや書類、お財布等、何かあっては大変と、 急いでFitまで戻るが バッグはない。 いつ なくなったのか、またもや汗が噴き出る。 社外秘てんこもりな会社のPCを無くしては いかんっ!! 心臓が喉元にせりあがるやうで、倒れるんぢゃないかと思いながら、 自宅まで戻ると、無意識にちゃんと持って戻っていたらしく、 仕事部屋の会社電話の足元に置いてある。 (o_ _)oポテッ 落ち着いたつもりでいたが、やはりかなり動転しているらしい。 深呼吸、深呼吸。 気がつけば、既に9時近く。 外は灼けつくやうな暑さである。 日傘と 『 フェイスonワンピ 』 で重装備はしていたものの、 影ひとつない農道上で待機するのは しんどいので、 自宅の影に入り、「 重機車 」がヤって来るのを待つ。 上の少年もこちらにヤって来て、 ふたり並んで無言のまま、Fitを眺める。 私を責めるでなく、騒ぐでもなく、 不要な慰めを言うでなく、 彼が( 寄り添ってくれるように ) 自然体で無言であることが、ひたすら有難い。 ( 続 )
2010.08.23
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盂蘭盆に 義母宅へ久々に一族が集合することとなり、 その準備に追われつつ、うちの少年たちも帰省するため、 移動中にぶつからないように、と、義母はずっと台風4号を気に掛けていた。 私は、少年たち云々よりも(汗) 7月12日からの豪雨 によって、 深刻な被害を受けた うちの町や、庄原市の更なる打撃や 未だ不通状態のJRローカル線の復旧がますます困難になるのでは、と そちらが かなり心配だった。 台風が近付く時刻は、ちょうど満潮時と重なり、高潮の心配もあり、 町内放送も何度となく、台風が近付いていることを知らせ、 要避難状況にあるお宅は、早めに避難するよう警告する。 なのに こころの何処かでは だいぢゃぶ、だいぢゃぶ、 きっと北へ抜ける、直撃はしない、、、などと思ってる、 性懲りもない自分もまた在ることに 自分で慌てる。 必要以上の心配は不要だけど、 今は まさに、必要なときなのに、ダメぢゃん > ぢぶん 夜になるにつれ、風が強くなるが、既に 日本海側を通ると判っており、 風もシャッターを下ろすほどではなく、 少し気が緩んだところに、雨が 結構激しく降り始め。 ニュース中に、警戒地域として、 庄原市と共に、うちの町が読み上げられ、字幕も出て、 避難勧告が出された町内の地域が連呼され、どきんとする。 もう 後は これ以上の被害が出ないよう 祈るしかなく。 幸い 広島では目立った被害もなく朝を迎え、胸を撫で下ろしたが 12日現在、東北・北海道地方で猛威を振るい、 激しい雨で冠水などの被害が出ているようである。 お蔭で 「 水害 」 という言の葉にはすっかり敏感になり、 豪雨によって、あっという間に 地形によって、何処がどんな状況になってしまうのか 身にしみて判るようになってしまった。 どうぞ 各地でこれ以上の被害が出ませんように。 こころよりお祈りとお見舞いを申し上げます。
2010.08.11
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或る月の町内広報紙を眺めてた夫が、「 すごい~ 」 と 唸り、私を呼ぶ。 確かに。。。明朝体の訃報欄で初めて観た。お悔やみ申しつつ、よくぞ活字を拾ったというか、変換できたな、と担当者の御方のおこころ配りに感じ入る。
2010.08.01
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いつでもどこでも、山のやうな心配事を抱え、 常に 何かしら愚痴と不満と不安でいっぱぃな義母なのだが。 ここのところ 義母を悩ませているのは、 近隣の義母の義妹夫婦( 夫にとっては父方の叔母夫婦 )の 13回忌と17回忌の合同法要について。 どちらも私たちが結婚してからの逝去で、 殊に 義叔父には 私までよく可愛がって貰い、 葬儀の際には、お通夜の準備から 精進落としまでの料理全般を手伝った。 この度の法事は 内輪で営まれる由にて、長義兄や私たちは呼ばれず、 義母が代表で出席するように招待されたのだったが、 義母が悩まされているのは、その折に包む 『 御佛前 』の額。 なんでも義母宅近隣の班や講では、 法事に招待された折には、【 1軒で2万円包む 】というのが いつの頃からか、不文律となっており、 ここ数年来、その2万円入りの熨斗袋を 帰る際に、 施主から 「 お気持ちだけ有難くいただきました 」と それぞれ「 茶の子 」と共に丁重に返される、のが主流である。 また、お線香など御供のものは受け取り、 茶菓子や果物などは、受け取って 参会者が帰られるまでに均等に分け、 茶の子と一緒に持って帰って貰うのである。 お金の額はともかく、法事の際のこの「 形だけ 」な形式は、 私の結婚前から、広島ではそういう風習だったように記憶している。 だが、この地では、数年前まで、 そうやって お金を受け取らずに返すイエがあれば、 「 ひとが折角 包んでいったものを 【 突き返す 】 などと、 なんと 可愛らしゅうないことか 」 と、皆から陰口を叩かれていたものだった。 が、ここ数年で、その慣習が見事にひっくり返り、 帰る際に 熨斗袋を受け取ったまま返さないイエを 「 なんと 常識のない シワい( ケチ、強欲 )イエであることか 」と 皆から叩かれることになっており、 傍から そんな手のひら返しを見聞きさせられる私は、 あきれ返ってものも言えず、 ますますこの地を嫌いになるのである(゚゜)\バキ☆ で、この度。 近隣で、包むのは一律2万、と決まっているらしい額に、 何故 義母が悩まねばならないのか、と思ったら、 義母と本家との間で、諍いとなったのだった。 何10年も、分家として本家第一に仕えて来た義父母であったが、 本家は、既に代替わりして久しく、 現当主は 夫にとって10歳上の従兄夫婦である。 立場上、現在も 義母は 農作業こそ本家の手伝いはしなくてよくなったが、 ことある毎に、常に本家を立てている。 だが、本家御内室は いわゆる「 新人類 」であるため、 その言動に いちいち義母の腹に据えかねること多く、 いつも私があれこれと 愚痴を聞かされてきた。 今回は、近しい縁として、同じ法事の席に招待されるため、 本家より出過ぎては、と、義母が 包む額と持参するものについて 打ち合わせをしたいと思い、本家に連絡をしたことが発端である。 「 うちは 1万しか包まない。 御供も手土産も持って行かない 」 本家御内室にそう言われ、驚いた義母は 迷った挙句、「 近隣では 皆2万包むことになっている 」と言う。 したらば、御内室が 「 もし2万包んで、戻って来なかったら大損である 」 と言われた由にて、先年、本家の法要で「 シワい 」ことをされたため、 あちらこちらで皮肉を言われ、肩身の狭い想いをしていた義母は 「 シワいことをしたお前が言うな 」的に 一気に爆発し、 本家は夫婦で招待されているのだし、 あちらは、義妹夫婦の2人の合同法要である。 なにより そちらは「 本家 」であるのだし、 その本家が、1万円ではあまりに恥ずかしい と言い返し、 売り言葉に買い言葉か、 こちらを夫婦で招待したのは向こうが好きで招待したこと。 法要を2人分合わせてするのも、向こうの勝手でしたこと。 だいたい、亡くなって13年も17年も経つのに、 親類縁者を呼ぶほどの大きな法要をするのは 迷惑極まりない 等々。 本家御内室は激怒された由にて、とりあえず引き下がった、と、 義母の憤懣やる方なしの怒りが私に撒き散らされる。。。。 はぅ。 「 お義母さま。 佛さまは、全部 全部 観ていらっしゃいますから 」 無理矢理 そう宥めつつ。 どっち も どっち 。(゚゜)\バキ☆ 本家・分家が未だに脈々と受け継がれてはいても 本家は 本家としての勤めを損得で量り、全うせず、 分家は 昔の本家の恩に縛られ、或いは恩を忘れ果て。 現在に残るは、互いの不備であったところの恨みつらみのみ。 今回の件の聴く限りにおいては、義母の肩を持たざるを得ないが、 これも義母からの一方的な愚痴であり、 まさかに 如何に 皆から「 新人類 」と称される御方でも、 仮にも法要に招待されて、迷惑だの、 お金が戻って来たら大損だのと、真っ向からおっしゃるハズはないと 思いたいのだが。。。。 むむむむ。 2010年。 平成の世ももうすぐ四半世紀がヤって来ようというのに。 未だに 個を認めず、地縁血縁で雁字搦め。 横並び一線で、それに逸脱することを許さない。 かと思へば、蔭で神社仏閣への寄附金額の多さを競い、 『 赤瓦 』か否か などを こころのよりどころとし、 「 あのイエよりはマシ 」 と 他者を貶めることで安心し、 大事の際には、横車を押す船頭ばかり。 これが 都会とは異なる地域力、の源だというのか?? 断じて 否!! と 私は 叫びたいっ!!!
2010.07.26
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ポストに 県から、7月23日付けで B4の表裏に 急遽PCからそのまま印刷されたかのようなレイアウトにて 『 平成22年7月12日からの大雨により被害を受けられたみなさんへ 』 という文書が入っていた。 片面が 【 事業者のみなさんへ 】 とあり、 ● 農業関係 ● 林業関係 ● 漁業関係 ● 商工関係 4つに分けられ、それぞれ、 被害救済・回復のための、融資、補償、 施設等の復旧のための、助成、融資、 補償の窓口と電話番号。 裏面は 【 住民のみなさんへ 】 とあり、 ● ボランティアの支援を受けたい場合の連絡先 ● 住宅関係 復旧のための融資、住居の確保のための公営住宅入居手続、 危険住宅からの移転のための一部補助、融資。 ● 生活一般 ごみの処分について 各種税金の減免、猶予について 償還条件の緩和について 納付金の減額、免除について 各種保険料、施設入所、利用料、授業料、等。 見舞金の至急について 生活融資について 災害援護資金、緊急生活安定資金貸付、恩給・共済年金担保融資、 高等学校等奨学金等。 その他の生活救済 義務教育児童・生徒の就学援助、教科書の無償給与、生活保護給付、 乳幼児医療、児童扶養手当等。 ● 心のケア相談 保健所、総合精神保健福祉センター等の窓口、連絡先 ● その他の相談 県生活センター、地域県民相談室の連絡先 豪雨により、県があちらこちらで大打撃を受けてから、 この文書が出るまで 正味1週間。 それでも、「 お役所 」が 懸命に動いている、動こうとしている。。。と、 感じられ、通り一遍の冷たいビジネス文書に見えないのは何故だろう。 紙が藁半紙でもなく、広報紙のような光沢ある上質紙でもなく、 コピー用紙に、PCから出力されたような感じで、 かつ、少し目立たせたいところに、少しだけカラーの網掛けがしてあるからか。 実際は、届出に必要な書類やら状況写真やら、 世帯主の収入証明やら、あれこれ、必要であり、 支援や助成いただける金額なんて、しれたもの、なのだろうけれど。 それでも、ボランティア要請窓口や、 各種の細々としたあれこれについて迷ったら、 すぐに電話できる、と思わせてくれる、この文書は心強い。 ここに書かれた電話番号の向こうに、 「 支えよう 」としてくれてるひとたちや組織が待機してくれてる。 そんなような気持ちにさせられる。 なので、文書の下側に印刷された、 いつもの色の「 ヒ 」をデザインした県のマークが なにかしら頼もしく見えてくる。 で、これが配られたうちの町は、 なくなられた御方がいらっしゃるほどの 「 被災地 」なのであり、 たまたま無事だった我が家は、 できることをできる形で、 お手伝いしていかなくては、と 気を引き締める。 私たちひとりひとりの 【 自助 】。 地域力が問われる 【 共助 】。 そして、國や自治体からの 【 公助 】。 順番としては、自助 → 共助 → 公助、なのだろうけれど、 この3つが有機的に連携しあってこそ、 1つ1つが真に打開され、ひいては 次代への備えにもなっていくのだと。 我が家より下流の川向の多くのお宅が、床上浸水となり、 自治会長さんは、自分ちの車庫までの道が水に浸かり、 車庫も半壊して車が出せない状態を2日放ったまま、 自治会内の床上浸水された家々と役場間を飛び回り、 また、家々を消毒して回られてる由にて、 その分、班の皆で、自主的に自治会長さんちの車庫周りの泥をかい出す。 したらば、夜に 自治会長さん宅から、御礼として、 ビール、おつまみ、リポビタンD、ヨーグルトの入った レジ袋が配られる。 受け取れない、お互いさまだから、と固辞しても、 どうしても皆さんに受け取っていただきたい、との由。 …なんだかな、と思うけれども もし我が家だったら、 同じやうに皆さんに気を遣ったと思うし、 お返しに回られるほど、 緊迫してはおられない、ということで、 善哉善哉、ということにする。
2010.07.25
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町の自治連の広報紙で 今回の集中豪雨の被害が報告されており、 たまたま、自宅が免れただけであることを忘れないために 覚書。 被災者 死亡 1名、 軽傷 1名 避難者 避難所開設数 4所 … 37世帯87名 家屋被害 全壊 3戸、 半壊 6戸、 一部損壊 17戸 宅地、崖、山の被害 山崩れ3所、 地滑り1所、 崖崩れ7所、 崩壊13所 浸水被害 床上浸水31戸、 床下浸水 69戸 道路被害 県道6件、 市道46件、 林道4件、 農道4件、 里道30件 河川被害 県河川6件、 市河川59件 農業施設被害 田38件、 畑14件、 溜池4件、 水路48件、 その他34件 単なる数字 の 向こうに、 被災された近隣の方々のお顔が見える(;;)。 くらくらするような 無残な数字。 1ヶ月経過したが、JRローカル線は未だ一部不通で 回復の目途つかず、 私の通勤路である県道は、一部片側通行が続いている。 庄原市に至っては、どんなに大変なことだろう(;;)。 義母宅は、瓦騒動まっただなか。 義母の愚痴をめいっぱぃ浴びながら、 愚痴る義母も、 拝聴しなくてはならない私も なんと贅沢な悩みであることか。酷暑のなか、被災された方々にはどんなに消耗され、どんなにご心痛のことかとこころから お見舞い申し上げます。
2010.07.19
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この界隈の家々は、昔ながらのお宅が多く、 だもんで、殆どが 大仰な 【 入母屋屋根 】である。 だもんで、私は 入母屋屋根が大嫌いになった。 蓮華王院本堂のやうに壮大なる邸宅なら、入母屋屋根も大仰ではないが、 小さな家屋に入母屋屋根だと、どうにもごしゃごしゃとバランス悪く感じるし、 何より それが、入母屋屋根 > 切妻屋根 > 寄棟屋根 として、 【 格が高い 】から、と 猫も杓子も 入母屋屋根であることが、 つい 「 なんぼのもん 」 と思ってしまう私には どうにも 居心地が悪いのである^o^;。 そいでもって、以前にもブログで記したが、 この界隈では、日光を反射してぴかぴか光る、赤瓦が多い。 雪を滑り落とすために、油土を使った『 油瓦 』と 呼ばれる瓦で、 内部に水が染み込みにくく、冷害にも強い仕様になっているのである。 これが豪雪地帯で鳴らす隣市であれば、 盆地特有の気候や豪雪に強い油瓦である意味があるが、 そこまで雪の降らぬこの地ではどうだろう(-_-)。 「 100年持つ、と言われた 」 という義母ご自慢の赤瓦。 この地では、瓦が赤いかどうかは、【 家の格 】に関わる大問題なのである。 分家の義父母が 本家に仕え、本家から土地を貰い、食べるものも食べず、 辛抱して辛抱して、川原から石を運び、山から木を切り出し、 班のひとたちの手を借りつつ、まさに、自分たちの手で建てた家。 夫が生まれた頃は、母屋の2階への階段もなかったという。 ( 縄梯子で上り下りしていた由 ) それでも、【 見下されたくない 】 一心で、瓦には ふんだんにお金を遣い、 赤瓦のなかでも、当時「 最高級 」 と言われるものを選んだらしい。 「 うちは襤褸屋ぢゃけど、瓦は えぇんぢゃけん 」 鼻高々な義母の自慢話は、既に耳タコ100匹である。 この地では、殆どのお宅が、新築されるときも、 入母屋・土壁もしくは木壁 の 昔ながらの家をお建てになる。 だもんで、地元の建設業者を使わず、 全国メーカーの「 ハウス 」を建てた我が家が、 義母にとって、如何に不本意なる恥さらしであったか。 「 せめて、屋根だけは 赤い油瓦の入母屋で 」 という義母の切なる願いを 「 絶対にイヤっ! 」 と拒否した私は、まさに いまどきの鬼嫁 であったに違いない^o^;。 で、先日の豪雨 で 義母宅では雨漏りがした箇所があり、 また、義母宅前の坂の上に位置するお宅から、 上から見ていて、義母宅の母屋と納屋の屋根が交錯する箇所に、 水溜りのやうに水が溜まり、渦が巻いていた、このままだと危険なのでは、と 指摘された由にて、義母は 3日間程 私を巻き込んで悩みに悩み、 とりあえず、樋の点検修理、 ついでに 雨漏り箇所の瓦の修復工事を頼むことにしたのだったが。 この間、義母宅の近隣では義母宅の屋根修理について喧々諤々。 本家からは、もう長義兄が 義母宅へ帰って来る事もないのだから、 このまま直さず、晩年は三男宅( 我が家 )へ同居し、 義母宅は取り壊してしまった方が、後顧の憂いがなくなる、 とか言われたようで、義母の嘆き、ヘコみようは目を覆わんばかり。 屋根の点検をしていただくと、 築60年余の瓦は、さすがに磨耗して割れやすくなっており、 また、昔のことなので、瓦を土で留めているために、 全体にズレての雨漏りと、納屋の屋根との接触とで、 これはもう【 葺き替え 】時期である、との由。 ざっと200~300万掛かるようで、 義母のこだわりの赤瓦にすればもっと掛かる。 「 100年持つと言われたのに! 」 という義母の嘆きと併せ、 義母は、自分がまだ 元気である今、葺き替えをすべきか、 でももう、この家に住むものはいないのだから、この際、取り壊しを選択するか。 ますます大混乱、大苦悩、大困惑、である。 必死の形相で、家自体の存続を 私に相談されても、私も困る。 ただただ、長義兄さまに相談して 決定してくれ、 私は長義兄さまの言われる通りにしますから、と 言うのだが、 頼みの長義兄夫婦は、オーストラリアに旅行中(滝汗)。 「 瓦は、発注してから焼いて貰うんぢゃけん、 そうこうしとったら台風が来る。 わしも いつ、どうなるかわからんし、 帰国するまで待っとれん!! 」 ぃゃぃゃぃゃ。 お義母さまは まだまだ お元気でいらっしゃるし、 今すぐ、屋根が崩落する、という切迫した状況ではないのだから、 義長兄さんを待ちましょうよぉ(滝汗)。 こんな大事なことは、まずもって、 跡継ぎさんである義長兄に1番に相談して欲しい~。 義長兄の帰国まで、なんとか義母を宥め続けやう! > ぢぶん その分、連日、家を取り壊すか、瓦の葺き替えか、 葺き替えるとしたら、どんな瓦にするか、業者は誰を選ぶか。 ひいては、町内の瓦業者さんたち それぞれについてのあれこれ話。 瓦業者さんたちのお連れ合いさんのご実家のお話まで(-_-)。 朝から晩まで 義母のお悩み話、噂話が賽の河原の如く。 。。。義長兄が帰国するまで、あと1週間。 頑張れ!! > わたし。
2010.07.18
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この度の大豪雨で、義母宅も我が家も、たまたま それぞれの休耕田の水没程度で、直接の被害を受けずに済んだ。 だが、義母宅の前の細い坂道を30mも登ると、農業用水用のため池があり、 次回、豪雨となった際には、 ここが決壊するのでは、という恐怖に 義母が囚われてしまった。 心配し始めれば、そこここに不安の種はあり、 キリがないように思ってしまうが、 でも こうした不安は、 或る意味、日常を見直す上で大切なことでもあろうと思い直す。 確かに 古くからある ため池で、 子どもたちの水難事故に対しては 警戒され、対策が講じられているものの、 大水による決壊についての対策は 何もされていない。 今回を機に、地域の方々で、何らかの話し合いを持たれれば、と思う。 内閣府に 『 災害被害を軽減する国民運動のページ 』 というものがあった。 「 国民運動 」( 奨励 ) という 形で、中央から地域に 災害被害を丸投げされてもなぁあ、、と 感じる反面、 地域で起こる可能性のある災害は 当該地域が1番識っており、 日頃から 危機管理がなされていてこそ、とも思う。 これまでの不幸な災害被害に 個々人はもとより、 地域が 大きく学んで行かなければ、 同様な災害で、同様な悲劇を繰り返してしまうことになる――。 このサイトに、『 1日前プロジェクト 』 というページがあり、 さまざまな災害の被災者に 「 1日前に戻れるとしたら、あなたは何をしますか 」 と問いかけた答えを、災害別、地域別、場面別に読むことができる。 思わず、『 風水害 』 のページを読み、 全く同じことを繰り返していることに、 私たちひとりひとりの 【 自助 】。 地域力が問われる 【 共助 】。 そして、國や自治体からの 【 公助 】。 この3つが有機的に連携しあって、 1つ1つ、打開して行かねばならないのだと 強く思わされる。 先人の悲劇に、私たちは何かを学ばねばならないのだと。 「 やっぱり あそこは危なかったのだ 」 と 後から 悔やんでもどうしようもない。 うちの町では、各世帯に B全・カラー版の大きな 『 町内安心安全マップ 』 を 配布したばかり。 そこには、町内の避難所、踏切、交通事故が多い場所、 猪や蝮に要注意な場所が記入されているけれど、 雨期に予測される川の氾濫箇所や、 落石、地滑りしそうな危険場所などは記入されていない。 交通事故や猪、蝮地図なら、各小学校区でも 毎年 夏休み前に全戸配布されており、 町規模で、わざわざB全・カラー版にした意味はないのでは と、 少々勿体無さ過ぎであるように思ったばかりだった。 義母のやうに、不安のタネを見つけてまで慄くのは 困りものだけれど、 普段から 或る程度の危機感、注意力を持ち、声をあげ、 【 自助 】、【 共助 】 を主体に皆で動き、 どうにもならない部分には 【 公助 】 を仰ぐ。 そんな姿勢が必要なのだな、と思う。 いざ、という、有事に機能できる 自治会、でなければ意味がない、 すっと 皆が手を取り合える、そのために。 普段から 面倒な いろいろな行事があるのだと。
2010.07.17
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この地では、水が引き始めている16日夜、広島市や庄原市の凶報と共に、 次々と、あちらこちらから 近隣の情報が入る。 義母宅の山田( 現在、休耕田 )にも多量の土砂が流れ込んだらしいが、 田植え済みである 現役バリバリの本家の山田が全滅。 本家は 田を何丁もお持ちであるし、 休耕田にも、多種多彩の野菜、果物を栽培しておられたので、 大打撃でいらっしゃるここと思う。 世が世なら、分家ものの義母や私に召集が掛かり、缶詰状態で ひたすら、復旧作業をお手伝いせねばならなかったことだろうけれど、 代替わりして、そこまでのご縁はなくなっているため、 できることを できる形で、させていただこうと思う。 遠戚にあたるという、隣町の建具屋さんちは、川沿いであったために、 家屋に水が入って、冷蔵庫やら洗濯機、箪笥などが川に流れ、 倉庫は 倉庫と据付の大型機械のみが残り、 資材や小さな機械、道具などが川に呑まれた由。 保険がどのような補償をしてくれるものか不明だが、 残された機械も泥水を被り、もう使えないそうで。 家業のこれから、は、暗雲に閉ざされ、そこに想いをはせる余裕もなく、 ただ流された箪笥には、おかあさまの形見の和服等、 ゆうに一財産分あられた由にて、 それがとても無念ではなかろうか、と 義母がこころ寄せる。 とりあえず、着る服もない、とのことで、 当座の衣類を持っていく、という義従姉に、 皆で、家々の衣類を託す。 たまたま 難を逃れた私たちに できること。 「 ひとごと 」 ではなかった こと を 識り たまたま被災しなくて済んだ私たちが その分 感謝し、 その分 率先して 『 復旧 』 に あたらねば、と思う。 「 余力 」 の あるもの同士で 手を取り合って進むことで、 できない ことも できる ことに 変えて行ける。 できない ことも、 工夫することで 形を変え、 乗り越えられることだって きっとあるハズで。
2010.07.16
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ご心配いただき、たくさんのお見舞いを有難うございました。 ほんの僅かの高低差で、我が家は難を逃れましたが、川下のお宅は大変。 我が家は、現役だった水田を造成する折に、田の土を何10トンも掘り出し、 そこに また何10トンものガラを敷き詰めたことで、 水はけの良い宅地になっていたことも 幸いしました。 ( 樹木を植えられない庭なので、哀しかったのに ) また、隣接した農道の国道化計画で、班内で、ただ1軒、 我が家だけが、立ち退きに掛かったときは、 なんて不運なんだろう、と嘆いたものでしたが、 山から適度に離れ、川から適度に離れ、 農道に隣接し、側溝が宅地のすぐ横を流れていることで、 今回、とても助かったのでした。 班内では、水没した農道周りのお宅は勿論、 我が家より川上のお宅でも、裏山からの出水に避難が必要だったり、 自宅から車を出せなくなって 身動きがつかなくなっておられたり、 何より、同じ町内からは 犠牲となられた御方も。。。夕刻には、休耕田の水が引き、水没してたゴーヤにお花が。 帰宅に4時間掛け、なおかつ隣街まで迎えに行った夫は 本日定休日。 水没し、消防車が来た箇所の復旧に出て貰い、 出ずっぱりで 土砂除去作業。 市や県にお願いして復旧して貰うには、 書類嘆願が必要であり、その後、職員さんによる視察等々を経ての 復旧作業となるため、待ってられないと、班内作業になったのである。 班内のお宅に造園業をしておられる御方がいらっしゃり、 その御方が 小型のショベルカーを出して下さり、作業を進め。 疲れ果てている夫には申し訳ないけれど、 定休日で在宅してくれてて、本当に良かったと感謝する。 後方支援をしつつ、「 復旧 」とは、こういうことなのだ、と痛感。 これまで災害の度に 「 復旧 」という言の葉を耳にし、 「 早く復旧すればいいのに 」 みたく、何処かひとごとであったと。 「 復旧作業 」とは、そのどれもが、 こうして、人の手で ひとつひとつ、片付けられ、補修されているのだと。 人手には限りがあり、 県内規模で ライフラインが ずたずたになっている今、 何処から何処までが 「 公共事業 」 であり、 何処だったら、何だったら、誰がどう復旧していくのか、 人手やらお金に限りがある以上、 「 優先順位 」 が 存在するであろうし、 それはまた、誰がどんな基準に基づいて判断し、どう動いていくのか。 地震等、大災害時に「 思うほど復旧が進まない 」というのは、 或る意味、当たり前のことだったのだなぁ、と しみじみ思う。 どの水田も土砂で埋まり、皆さんががっくりしておられ、 山田の方では、もっと被害が酷く、田んぼそのものが崩れたり、 大きな岩石で大半が埋まってしまっていたりしているが、 車両は通行止めで、なす術もなく。 自然の猛威には、太刀打ちできない。 けれど、大雨による地滑りの多さには、 この狭い國土の開発し過ぎ、樹木の伐採し過ぎ、という 人災も 多大に加味されているのではないかと 思ったりする――。 カボチャも見た目は元気そう。水没してたのが嘘のやうに、次々とお花が咲き始め、いのちって 凄い、と思う。 義母の班は、この土日に 畦道と川沿いの片付けを 皆が総出でする由にて、 リーダーは 今年当番である、90歳の長老さん。 義母にも要請が来たが、膝の悪い義母にはとても無理だし、 これまでは代理で出てきた私にも、今の状態ではどうしようもないので、 お金で勘弁して貰うことに。 16日現在、この地では 太陽が顔を出しました。 蛍の川水も 随分 減って来ています。 これ以上の被害がなければよいのですが。 豪雨区域が東上しています。 どうぞ どうぞ 皆さまも お気をつけ下さい。
2010.07.15
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昨夜、 豪雨のため、例え自宅に辿り着けても、 翌朝は、きっと出社不能になるだろうから、寮にとどまるように。 そう メールしたにもかかわらず、戻って来た夫は、 案の定、帰宅途中でJRがストップし、隣街まで 夜中に迎えに出る。 駅には 同じ班の御方もいらっしゃったので、同乗していただき、 お宅まで送る。 今朝、案の定、電車は動かず、 「 言わんこっちゃない 」 と ボヤきたいのを抑え抑え、 午前6時に、隣市の新幹線駅まで車で送る。 帰宅してみたら、 自宅前の農道が すっかり小川模様になっており、 お向かいの彼女宅のお庭は 浸水状態(;;)。 我が家の休耕田も、 畑から「 水田 」 と 化し、 結実し始めていた かぼちゃは 水没。 地這いの ゴーヤは全滅。 苺も来春はダメかも。 桔梗が倒れ、コンポストが溺れてる。 手前のオクラさんは、なんとか生き延びるかも。。 。。。。と、 消防車のサイレンが近づいてくる。 驚いて いったぃ何処だと 2階へ駆け上がってみると、 カーブしていて気付かなかった、 我が家のお向かいから3軒目のところより、 農道がずっぽり水没しており、愕然とする。 班内の方々が出ておられたため、私も長靴を履き、手袋をして出る。 我が家より少し川下で、蛍の川が一瞬、堤防を越し、 川下のお宅では、床下浸水となったり、玄関まで水が入って来た由。 男性陣は、あちらこちらの 土砂を除去する作業にかかり、 女性陣は、とりあえずは自宅待機。 無事だった家の私たちは、 なんとはなしに、後ろめたく。 唇寒くも、怪我人が出なかったことが何よりと 皆で言い合いながら。 各地で、豪雨による被害が相次いでいる。 どうぞこれ以上、被害が広がりませんよう。 皆さまも 増水、地すべり、二次災害。 どうぞどうぞ お気をつけ下さいませ。
2010.07.14
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午前9時。 夫が一足早く、定休日に不在者投票を済ませたために、 既に切り取られた葉書を持って、義母宅へ義母を迎えに行き、 いつも投票所となる小学校へ。 個人的に、外出日には、花粉黄砂やら紫外線の心配のない、 晴天よりも雨天が助かるのだが、 雨天では 投票率にも響きそうだと、全国的な晴天を祈る。 午前9時のこの地では、今にも振り出しそうな曇天にて、 私的には、とても有難かった。 雨が降ると、体育館内に敷き詰めたゴム引きビニルシートの 片付けも大変だし、杖が必要な方々にとっては脅威の足元となる。 日頃目にしているスロープも、 雨が降るとまた、違った顔を見せるのだ。 車椅子が必要な方々や 乳幼児を連れたおかあさん方も 外出が辛くなる。 義母のことを思えば、 今後は 晴天の日に、不在者投票しておくのが 安心かも知れぬ。 終わってみれば、投票率 57.92%。 3年前の 58.64%からは 1%近くダウン。 それでも 各地で豪雨被害の出ているなか、 過半数な数字は、僥倖といえるのか。 この地での投票率は、過疎地の常で、宣伝カーもヤって来ないのに、 80%~90%台をキープしているが、 地方都市である広島では、若い世代の投票率が突出して低いため、 ここのところ、全国平均を下回る投票率。 県選管は啓発活動に懸命で、 県ゆかりの 27もの「 ゆるキャラ 」 ( 広島東洋カープ 「 スラィリー 」、 サンフレッチェ広島 「 サンチェ 」と「 フレッチェ 」、 中国新聞社 「 ちゅーピー 」 など )が プラカードを持って 旧広島市民球場を走る15秒のCMをつくり、 『 ローソン 』 ともタイアップし、県内144店舗で、1時間に12回放映。 TVCMより安いネットCMも利用し、 『 Yahoo 』や『 Google 』 に 「 検索連動型広告 」 を掲載。 県内でネットに接続し、両サイトで「 参院選 広島 」などの キーワードを検索すると、検索結果とともに県選管のホームページに リンクする広告が表示されるようにしたらしい。 これらのご努力、んでも 掛かった費用、出所を思うと、 良いことなのか、なんだかなーなのか、 私には分からないヽ(`Д´)ノ。 ただただ、なんか、情けな~ぃ感じの苦味が込み上げる。 家庭で。 学校で。 ひととして生きる 権利 と 義務 について。 もっと もっと 徹底的なる指導を しなくちゃならん のぢゃないの??
2010.07.11
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~ 月へと還るエンディング ~ 主役・かぐや姫の 左斜め後方。 金髪宇宙人が 自作衣装で 踊っとります(滝汗)。もう1つのパンフレットを ぼぼぼ と 眺めながらどうするんだどうするんだどうするんだ > ぢぶん 状態。最終結論 提出日は 7月10日。 前列中央 先生の真後ろ、主役・かぐや姫の前
2010.06.05
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5月の町内広報紙 ( 全戸に配布 )◆ 義母は 私に気付かなかった模様 ◆ 曲りなりにも、少しは外出できるようになったので、 『 フェイスonワンピ 』 と 巨大サンバイザーの 超重装備にて 気になっていた町民センターへ出かける。 目的は、ミュージカルスタッフさんへのご挨拶と、 公演舞台写真の申し込みとDVDの申し込みをすること。 公演2日後から寝込み、4月の打ち上げに参加できなかったため、 主宰者ご夫婦をはじめ、スタッフさんには かなりのご心配をいただいていた。 濃ゆいサングラス姿だけで、後ろ指さされるようなこの地での 超重装備は、とってもとっても勇気が要る(滝汗)。 ( 7月2日現在、超重装備で外出して2ヶ月になろうとしているが、 さすがの私も、未だこの地のスーパーへは行けない ) 隣街の大きな総合病院のやうに 私を識らない方々ばかりなのではなく、 見知った方々ばかりのなかで、何とも 何とも^o^;。 この日は グリーンの『 フェイスonワンピ 』。 ホールには、ご年配の方々の団体さんやら 市職員さんたちで ごった返していたのだったが、 私が入っていくや否や( 巨大サンバイザーは取ったけれど ) 思った通り、皆さまが ざわっとされた後 ぴぴぴ と空気が固まり、 ざざっと潮が引くやうに、私の通る道が できる(-_-)。 固まった方々の視線は痛いし、 野放図に私を指さす御方の顔を 覚えてしまいそうで嫌だし、 ついつい目を伏せる、、んだけれど、 ひそひそ声は聞こえちゃうし、 驚いて駆け寄って来て下さる職員さんもいらっしゃるし、 よく知ってる御方で 悪意なく 笑い転げる御方もいらっしゃるし。 はぅ。 こちらでにっこり 無理して微笑んでも、 『 フェイスonワンピ 』ぢゃ 伝わらないやね^o^;。 せめて 目尻に 微笑皺が出てるのが 伝わってくれればいいんだけど。 さすがにミュージカル関係者の方々は よく デキていらして、 驚きの表情など露とも見せず、 ただただ 【 心配! 】と 書かれたお顔で、駆け寄って来て下さり。 ご挨拶のあと、公演後のあれこれを伺っているなかで、 どうしても 今年度のミュージカルのお話に(滝汗)。 結成10周年目。 この節目に、市の公会堂で記念公演をしよう、と盛り上がったり、 町の伝説から始まったため、ずっと和モノで来ていたが、 今年は洋モノ( 『 ライオンキング 』らしい?? )で行こう!とか とにかく皆、とっても盛り上がっているのだ、、から始まり。 「 りうりうさん、先生は りうりうさんがお化粧をしなくても良いように、 脚本を考えると おっしゃっておられるんですよ 」 ―― そうだった。。。 舞台写真やDVDの申し込み締め切りに間に合うよう、 今年のミュージカルに参加するかしないか は、 避けて通れない話題であったのに、 その覚悟を決めずに 来てしまった。 (-_-)。 練習後は歩けなくなるため、杖を買い。 公演後3ヶ月経っても未だ 足元は包帯ぐるぐる。 行き交う方々が 少なからず皆ヒいちゃう 『 フェイスonワンピ 』姿の私に、すご~~く遠慮されながらも、 「 」 おずおずと、でも、期待いっぱぃ でいらっしゃるお顔が 胸に痛い。 「 ごめんなさい。 私には、、、キャパオーバーかも知れません…。 今回は公演日までは倒れずに済みましたが、 次はそうではないかもしれないと思うと、 皆さんに多大なご迷惑をお掛けすることになるのが恐ろしいのです 」 やっとのことで それだけ紡ぐと、きらきらのお顔が一気に曇り、 「 ご無理は言えません。。 が、 無理を言いたいです! まだ時間はあります。 今、決めてしまわれないで、どうぞ ゆっくりお考えになって下さい 」 考えるも考えないも。。。 気持ち だけなら、今年もお世話になりますとも! 出演は無理でも、 スタッフとして お手伝いだけでも みんなと関われたら 素敵だと思う。 んでも、公演前に倒れちゃったら? そのみんなに 迷惑掛けちゃう。 、、、どーするんだどーするんだどーするんだ > ぢぶん!!
2010.06.04
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3日。 毎度お馴染み第一日曜なので、本年 お初の溝掃除である。 12月の溝掃除時に、長老さんの 「 三が日といっても、 もう3日なんだから、ヤりましょう 」 の一声で決まったのであるが。 今年の年頭の溝掃除は4日だったけど、5人しか居なかったぢゃん ちらり、そう思ったけれど、 その実、 例の 『 傲岸不遜 』 事件 で それどころではなく、 何も言う気力もなくて、そのまま了承したように思うのだが、 このあたり、余り記憶にない(滝汗)。 、、、で、3日。 何処にも行かず、スタンバイして蓋をあけてみたら、 やっぱりやっぱり 参加人数5名、なんだもの(怒)。 昨年も全く同じことを書いたけど、 急用が入られたお宅は 仕方ないとして、 3日はムリ だと その時点で判ってるひとは、 その場でそう言いましょうよ ヽ(`Д´)ノ。 参加者5名は、昨年と同じメンツ。 よって、少なくとも2名は戦力外。 今年も年頭から コルセットと湿布薬漬けですがな。 ヽ(`Д´)ノ 年頭から地域のために元気に 額に汗して働けて、有難いことです!( 棒読み )にほんブログ村
2010.01.03
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ピンポーン。 玄関のチャイムが鳴る。 ぅぅ、この時間はもしかして、、、でもでもまさか。 嫌な予感が走る。 。。。したらば、やっぱり 例の 宗教な方々 だったし。 (o_ _)oポテッ いつもおいでになる、同じ町内の隣の小学校区の御方が、 いつもと変わらない笑顔で、 りうさん、りうさん!! 調べて来ました! 息を弾ませて 嬉しそうにおっしゃる。 先日、りうさんがお訊ねになられたことそのものに対し、 聖書で明言されてる箇所は 確かになかったのですが、 あちらこちらを読み、皆さんにも尋ねて回り、 私のなかで、これはこういうことではないか、と まとまったのです。 それをどうしても年内にりうさんにお伝えしたくて! はぅぅ。 この御方は、今日より5日前に、私と近隣の御方との間で どういうことがあったのか、何もご存知ではないのね(-_-)。 おそらくは、「 勉強会 」にて、 私が疑問に思っていることが この御方のお口から話題にのぼり、 それで、近隣の御方が動かれたのに違いないのに。 もう、よいのです。 どうかもう、こちらにはおいでにならないで下さい。 今まで色々と有難うございました。 と、この御方を切ってしまえない私がいる。 実家の母と同年代位の御方が、こんなに息を弾ませ、 瞳をきらきら輝かせていらっしゃる前で、どうして扉を閉めることができるだろう。 この10数年、月に2回のペースで。 雨の日も風の日も、常に笑顔を絶やさず、我が家の玄関先で。 私たちの話を聞いていただけることが有難いのです。 りうさんとお話することが楽しいのです。 りうさんが何かひとことおっしゃる度、 私は私の信仰と勉学してきた中身を試され、 もっともっと学ばなくては、と思うのです。 いつもとても刺激になり、修行させていただく心地です。 いつもいつもそうおっしゃり、 どうぞまた、来させて下さいね。 と 弾む足取りでお帰りになる10数年であったのだった。 この御方は、笑顔の素敵な、お話していて気持ちの良い御方で、嫌いではなかったし、 この御方といつもお話することで、 同じ宗教団体の別の方々の訪問をお断りすることができてラッキーだったり。 正直、負担に思うことも多々あったし、 めちゃくちゃ忙しいときは、そのように言ってお断りすることもあったけれど、 しょんぼりと肩を落とされて帰って行かれる後姿が辛くて、 おいでになりそうな日時には、わざわざ留守にすることもしたり(゚゜)\バキ☆ この10数年のうちにいただいた小冊子は 100冊はゆうに越え、 様々な宗教についてとても勉強されている りうさんだから、是非これも、と、 上級研究者用?の大判ハードカバーも お断りしきれず、何冊もいただいており。 私が伏せっていたときは こころのこもった自筆のお手紙までいただいたり、 「 お友だち 」 のような感じになっちゃってる歳上の御方を ぴし、と 切り捨てることが 私にはできそうもなく(;;)。 「 りうさんのお顔が見たくなりました☆ 」 「 ひととき お話して下さるだけでいいんです 」 おっしゃる笑顔に ぴし、と 拒絶の言の葉を突きつけるには、 余りにお気の毒な気持ちがし。 はぅ。 八方美人か > ぢぶん この春に 帰敬式を受けたこと は ちゃんとお伝えしたし、 これまでも、そしてこれからも。 入信する見込みの絶対ない私に割く時間を 他に回すことができるのだし、 「 もう二度とおいでにならないで下さい 」と、 ばっすり切っちゃう方が、きっと親切、なんだよね(;;)。近隣の御方の方から、絶縁指令が出ないかなぁ。(゚゜)\バキ☆
2009.12.12
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むぅ。 毎度憂鬱な 月1度の溝掃除中、班内の御方に あなたは 【 勉強不足 】 で 【 知識不足 】、 そのうえ 【 謙虚でない 】 。 そう、非難され、余りのことに立ち竦み、 以来、自覚するところは多々あるために、胸にぐっさり刺さったまま。 嗚呼、でもねでもね この10数年、こちらの迷惑も顧みられず 同じ町内だから、と、足しげく訪問され、 勧誘され続けた宗教団体さん。 きっちりきっぱりお断りして こんな風に言われるなんて (T^T)。
2009.12.06
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8日。 前日まで何かとやたら喧しかった ( 殊に市長選は、うちの町、班を二分する程の大騒動 )県知事選挙、 市長選挙、市議会議員補欠選挙投票日。 いつもの如く、義母と一緒に車で投票所に行き、 いつもの如く、義母を先に、私が後続し、ところどころで介助しつつ投票する。 ところが、この日、 県知事、市長、と投票したところで、私の方が先になってしまい、 最後の市議会議員を投票し終わって、そのまま投票会場内に留まり、義母を待つ。 義母は、市長選の投票を済ませたところで、 この分だと介助は不要のようだ、と安心して待っていたのだったが。 市長選を投票し終わった義母の前方で、 市議会補欠投票用紙を渡そうとする係員さんに、 「 はぁ?? これ何? 私しゃ もぉ 投票しましたが! 」 「 ぃゃぃゃ、これは市議会補欠選挙分で… 」 「 はぁ? そがなこと、私しゃ 聞いとらん! 今初めて聞いたんぢゃけん、できゃぁせんっ!! 」 げ、げ~ん。 まぢですかまぢですかまぢですかっ。 (T^T) 会場内は凍りつき、皆の視線が義母へ集まり。 (;;) 義母は義母で、パニくったらしく、 「 だいたい、なんで こがなことになったんか? 」 任期途中での市議選の顛末の説明を係員さんへ求め始め、 「 それは~、… 」 困っておられる係員さんの姿に いたたまれず、 投票所内を逆走(;;)し、義母の傍へ。 すみませ~ん、と係員さんに頭を下げて 投票用紙を貰い。 「 おかあさん、ご存知なかったのですねー。 私がひとことお伝えしてれば良かったのに、申し訳なかったですぅ 」 ひたすら謝りながら 義母の手をぐぃぐぃ引いて投票ボックスまで行き。 「 全然 知らなんだ~~ヽ(`Д´)ノ 誰を書いていいか、判らーんヽ(`Д´)ノ 」 と拗ね続ける義母に、 それじゃ白紙で出されたら、とも言えず。 これって、選挙違反にならないんだろか(T^T)。。。とビビりつつ、 ボックスの前に貼られた方々の名を指差し、 「 このひとは、元中学校の校長先生で2年前に定年となられ、、、、 このひとは、アパート経営をされてて、、、 」 4人もの方々のおひとりおひとりをざっと説明して行きながら、 会場内の視線が背中に痛い(T^T)。 係員さんたちや投票ボックスにいらっしゃる方々が 何気に耳をそばだてておられるのも、めちゃくちゃ感じる(;;)。 「 、、、という方々で、皆さん 無所属でいらして、 実は私もこの方々の主義主張を詳しくは知りません。 おかあさんが良い、と思われた御方を書いてあげて下さい。 どうしてもいらっしゃらなければ、白紙のままでだいぢゃぶですよ 」 そう締め括り、特定候補者への誘導も教唆もしてません~~ということで、 脱兎の如く義母の傍を離れ、会場出口手前まで 一目散(滝汗)。 大汗をかきつつ。 確かに 県知事選、市長選に埋もれ、市議会補欠選は目立たなかった。 新聞での紹介も、殆どなかった。 主義主張がはっきり判らねば、この方々のひととなり、足跡を識るために、 どうしても「 職業 」が筆頭に来ること。 ひいては、年齢、性別、 果ては「 学歴 」が判断材料になってしまいがちなことを 今更のように、恐ろしく感じ。 毎日毎日。 県知事さんについて、市長さんについて、義母の持論を聞かされて来た。 そこに、市会議員さんについての持論がなかったことを 私が気付くべきだったのだ。。。(-_-)。 でもねでもね、葉書にはしっかり書いてあったし、 新聞だって載ってたし、選挙の立看板だって、 あれだけ ずらずら あったぢゃありませんかぁああ(──┬──__──┬──) 投票を終えた義母を車に乗せた途端、どっとぐったり。 しばらく義母に対して口を開く気力なく、 義母は義母で、人目を引いてしまったことに身悶え、目を閉じて。 無言な車中の居心地悪さ (-_-)。 義母の投票した御方は めでたく当選。得票比率は全く同じで次点の御方との差は僅か百票余。「 わしが入れたけん 」 と ご満悦。善哉、善哉(T^T)。
2009.11.08
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自民大敗の余震のなかで、ぅちの町政時代のお馬鹿町長が、 市長選に出馬するという記事を新聞で読んで ひっくり返る。 この元町長、第○代総理と親しいのが自慢中の自慢。 お酒の席では その○代総理から貰った封書をふりかざし、 自分が如何に重要人物であるか、と勘違いも甚だしく。 小P時代、彼の余りの無礼さに、掴み合いの大喧嘩になり、 見かねた彼の秘書役の弟君に仲裁されたのは、ここだけの内緒(滝汗)。 文科省からの是正指導後は、ますますその居丈高さに拍車がかかり、 P時代、彼とは ことあるごとに対立し、恨みつらみは山ほどある。 なかでも 中学の卒業式の前に、町内の中3生ひとりひとりに宛てて 役場の茶封筒に町長の肩書きで 「 卒業式で 起立して君が代斉唱しないのは非国民である 」 という内容の封書を郵送してきたこと。( 我が家にも来た! ) その卒業式で、町長祝辞として、 田母神氏さながら 「 美しい國・ニッポン 」を称え、 第一次世界大戦、第二次世界大戦での日本の役割を賛美する演説をぶったことを 私は生涯忘れんぞ。 ともあれ、片腕に元国会議員秘書の弟君を従え、常に目線は國政のお偉方。 彼の権威主義さ加減、目立ちたがりぃの度合いは途轍もなかったし、 ハナから 國政を睨んでの町長職であることは明白であったため、 いつか何かヤらかすに違いないが、彼には市政、県政はまず無理だろうから、 衆院出馬ぐらいを狙うんだろうな、と予想はしていたのだったが。 彼のマニフェストが、いまどき ハコモノとは、恐れ入るなり。 この市は、先代市長が、この大学過多な時代に、 「 市の活性化 」を謳って この市に大学を新設することを熱望し、 めでたく 市北部の山中に この市の名を冠した小規模大学ができたものの、 大変な不人気で「 名前を書けば合格する 」と陰口を叩かれ、 ついに昨年、経営難で 大学名が変わったばかり。 。。狸の皮算用によるハコモノ行政の虚しさが これだけ露呈したのに。 つくっただけ、ぢゃ、なんにもならないでしょ。 彼のマニフェストの目玉が サッカースタジアム建設、というハコモノ であり、 ( このひとは 建設会社社長だったりする ) また、自分が町長をしていた町( この地だ! )への市立高校移転、とか、 何だか てんで話しにならないんだけど、 現市長の方針が これまた、元々大赤字の市政に持って来て 平成の大合併で、多くの過疎に喘ぐ郡部、島嶼部を抱えたというのに、 合併町を置き去りに 300億にものぼる新庁舎設立 を目指してる。 ~~~~~~~~!!! どいつもこいつも どないやねん!!
2009.09.02
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18日。 前夜、中学時代のチームメイトから呼び出しを受け、嬉々として出かけた下の少年。 明け方、皆で近くのこの辺で1番高いお山に登り、ご来光を拝んだのだと、 ハイテンションで 出勤する夫と入れ違いに帰宅し、夫に挨拶をし、 「 んぢゃ、お昼まで寝ま~す 」 鼻歌混じりで2階へ。 前日、私の出社日など、ハナから気にもしてない様子で、 「 もう1日滞在する 」と少年たちがいうので、 やむなく19日朝に、少年たち出立、私も出勤、と変更したのだったが、 その最後の日、 上の少年は熱心にレポートをヤっつけてるし、下の少年はひたすら眠ってるし、 私は 出社しても良かったんぢゃないの? ヽ(`Д´)ノ 例えレポート三昧でも、例え眠っていても、 少年たちが広島ではなく、この地に在る、というだけで、 上機嫌な義母の様子に、ま、いっか、、と溜息つきつつ、 その分、夕食をハリこみましょうかね(-_-)。 8月に入ってすぐの晩、夜中に独り、たくさんの消防車のサイレンを聞く。 もしかしたら近くなのかも、と 2階に上がって闇をすかして観たが、 よく判らず、隣町に出動したのだな、と それきり忘れていた。 その2日後の朝刊で、夫がうちの町内であったことを発見し、 それも上の少年の同級生のお宅であり、 その彼女が叔母さまと共に 焼死しておられたことを識る!!! 中学から広島市の私立校へ進学されたので、 上の少年とは小4から3年間だけのクラスメイトであった彼女のお宅は 10年前まで義母がよく通い、 私もよくお供に連れて行かれた鮮魚屋さんであった。 私の実家の母より2歳若い彼女のおばあさまと、 私よりお若い彼女の叔母さまと彼女の3人暮らしのご家庭で、 上の少年と彼女とはクラスメイト、というだけで挨拶ぐらいのものであり、 ご家庭の事情からPTAには全く参加されないし、 私は彼女のお顔をうろ覚え程度(゚゜)\バキ☆という、 我が家とは殆どご縁の薄いお宅であったのだが、 噂話だけは、イヤという程、義母から聞かされていた(-_-)。 扱っておられるお魚は、地魚中心でとても高かったが、イキが良く、 前もって注文すれば、そのお魚を仕入れても下さり、 大変美味で見事なお魚ばかりなので、長年、ここぞ!というときには大枚をはたき、 義母がとても贔屓にしていたお魚屋さんであったのだが、 段々と、買いに行く度、私立校へ進学した孫娘の自慢話や 孫娘の小学校時代の先生方への不満、悪口をめいっぱぃ聞かされることに 業を煮やし始めていた義母が、とあるお正月に買い込んだお刺身代金に、 あれこれ頼んでいないオマケが入れられ、15万円を越したことから立腹し、 以来、その魚屋さんへ行かなくなってしまっていたのである。 新聞には、お歳を取られたおばあさまに代わり、 叔母さんがお店を切り盛りし、学生である彼女が行商に行くこともあり、 ( 若いのに )よくできた女性であったことが書かれてあり。 この火事で、彼女と叔母さんが亡くなり、おばあさまだけが生き遺られた、と。 驚愕し、とりあえずお香典はどうするか、同級生たちで動くのなら代理で動くよ、と すぐさま上の少年にメールしたものの、 ご葬儀は既に終わっており、お宅は焼け落ちて、 独り遺られたおばあさまが 何処にいらっしゃるかも判らず。。。。 ご縁の薄かった私が、何をどうすることもできないのに、 ただただ お気の毒で、胸痛く、 強烈なる衝撃に、おろおろとやきもきとするばかり。 この日、義母から新たな情報が入ってくる。 ヤリ手なおばあさまが 一手に切り盛りされてた魚屋さんを 彼女の叔母さんである 娘さんに譲られたのは、 1度脳梗塞で倒れられ、要リハビリ状態でいらしたためであり、 以来、軽い認知症の症状も出て来ておられたからだった、と言う。 そこへ、この火事で、自宅と娘さんとお孫さんを喪い、 ご葬儀の挨拶その他は、ご本家さんが仕切られたものの、 誰もおばあさまを引き取られなかった由にて、 おばあさまは行き場がなく、寝る場所もない状態でいらしたところ。 町内の、このお魚屋さんの女性のお客さまが、血縁関係も全くないのに、 要介護状態でいらっしゃるこのおばあさまを引き取られた、と(T^T)。 この御方は町内の職場を定年退職され、姉妹で自宅を建てられたばかり。 新築のお宅の2階と1階に姉妹で分かれて住んでおられ、 ご自分のテリトリーである1階の1室に、 このおばあさまを引き取られた由である(;;)。 自分たちのことだけでぎりぎり精一杯である今、この時代に、 「 何をどうすることもできない 」どころか、 このような無私なる美談中の美談のようなこの御方に対し、 町内の介護施設から、 「 いよいよとなったら、うちで おばあさんの面倒をみましょう 」と 申し出られた由にて、 胸を撫で下ろしたい想いと、 そんなことがどうやったら可能なのか、という驚きと、 このおばあさまより私の母の方が2歳も上である、という不安やら。 これもそれも。 私がどうやっても馴染めず、嫌いで、憎んでさえいた、 この地の旧態依然とした「 ムラ 」社会のお蔭であるのか、と 頬を はたかれた想いがし、くらくらと想い惑う。
2009.08.18
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日に日に そこかしこに生い茂る雑草たち。 早朝、ゴミを出しに行く途中、何気に川を覗くと げぇ~ん。 先日の 2mを越す菜の花 は既になく、他の草々が埋め尽くし、 今や、いったい、何処に水が流れてるの? というありさま。 鮎や鮠はどうしちゃった?? これから1ヶ月半後の町内一斉清掃日までには、もっと生い茂って、 背の高い奴は、胸辺りから頭を越すまでになるんだよね(;;)。 なんか、例年より面積が凄いんですけど。 で、平均年齢60代後半、という私たちが20数名で、これを全~部刈り取って、 それからもっと下流域のコンクリしてない土手も全~部刈り取って。 軽トラ何杯分も積んで、搬入して。。。。 はぅぅぅ。 想像するだけで、もぉ倒れそー。 大雨、期待しちゃおうかな(゚゜)\バキ☆
2009.05.08
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ぴんぽ~ん。 連日魔界整理に精を出すも、余りの物の多さに、ちっとも片付かず、 飽き飽きしてたところに 玄関のドアチャイム。 この班に引っ越して来られた御方のご挨拶だった。 100坪を越す大きな邸宅に 独り暮らししておられたご婦人が クモ膜下で急逝され、ずっと空き家になっていたお宅に、 ご婦人の娘さんご夫婦が入られたのであった。 この急逝された御方は、地元の御方ではなく ( 従って何かと面倒な 『 女衆 』 でいらっしゃらない )、 上品で爽やかな、この班で私の1番好きな御方だった。 ちょうど私の実家の母の年代な御方で、雰囲気が母と重なる。 その御方にも、私と同年代な娘さんがいらっしゃる、との由であったが、 決して私を年下扱いなさることなく、 常に「 同等の主婦同士 」という立ち位置で接して下さっていた。 ( この地では 稀有なことである。 この御方もまた、【 よそ者 】でいらしたからかも(;;) ) 愚痴もひとの噂話も一切なさらない御方なので、 電車通勤の帰路で 一緒の電車になると、 何も警戒する必要なく、楽しくお喋りすることができたのだった。 この御方が 唯一 眉をくもらせ、悲しまれたのは。 娘さん夫婦が一緒に住まれることになった! と 目をきらきら輝かされ、 「 どうぞ仲良くしてやって下さいね 」。 その日を指折り数えて待っておられたのに、 娘さんご夫婦が、やはりこの地からは通勤しきれないとの理由で、 ご同居の話が流れてしまったこと――。 このときばかりは、 この地に もっと電車の本数があればいいのに、 終電がもっと遅ければいいのに、と、随分嘆かれたのだった。 それから4年して 突然に逝去され、 驚愕しつつ、隣保である我が家はお通夜にご葬儀にと奔走した。 そのときに初めて 娘さんご夫婦に逢って一通りのご挨拶はしたのだったが。 娘さんは、私より4~5歳はお若いのではないだろうか。 まだ小さなお子さまがふたりいらして。 こんな可愛い盛りのお孫さんと、 なまじご同居のお話が持ち上がっただけに、 どんなにご同居を望んでいらしたことだろう、と切なかった。 以来、大きな邸宅は空き家となり、 年に1~2度、娘さんが家に風を通しに来ておられたようだったが、 普段、主がいなくとも、変わらず咲くお庭の花々や 柑橘類たちが悲しかった。 その娘さんが、おかあさまの3回忌を前に ご両親の遺されたお宅に帰って来られる、、! おかあさまの 想い。 娘さんの 想い。 ご夫君の想い、お孫さんたちの想い。。。。 何ともいえず、胸が痛くなる。 娘さんは この地で1番の新参者となられ、1番お若い御方になられ、 近隣では、うちの少年たち以来の 「 子ども 」たち。 うちの班は、義母の班程 排他性は強くはないが、私の歩いてきた道が走馬灯。 この御方も、この地にお慣れになるまで、大変ではなかろうか。。。 「 どうぞ仲良くしてやって下さいね 」。 あのときの あの御方の輝く笑顔と 言の葉がよみがえる。 娘さんにとって、このお宅にとって、 どうぞ 私が 良き隣人になれますよう。にほんブログ村
2009.05.05
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この辺にこっそり。 過日、市や町の広報紙の束がポストに入っており、 郵便物と一緒に取り入れて、炬燵の上に置いたまま。 優先なる郵便物であれこれしてるうちに、すっかりその存在を忘れていた。 夜、帰宅して来た夫が炬燵でお茶を飲んでいて、突然、お茶を噴く。 「 なん? 」 振り向いた私に、むせながら夫の指差した先には、町内広報紙の表紙。 でぇええ。気付かんかった~(滝汗)。どうぞ 義母が気付きませんよう。皆さんは 気付かれました^o^;??プロフに夜まで置いときます^o^;
2009.04.19
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4日。 第一日曜なので、本年 お初の溝掃除である。 12月の溝掃除時に、 来月は第二週にしたら?、、、みたいな雰囲気であったのだが、 長老さんの 「 三が日ぢゃないんだから、ヤりましょう 」 の一声で決まり。 、、、で、蓋をあけてみたら、参加人数5名、なんだもの(悲)。 4日はムリです、って判ってるひとは、その場でそう言いましょうよヽ(`Д´)ノ。 参加人数5名のうち、少なくとも2名は戦力外。 だもんで? 年頭から 壊れてる腰と膝にキて。 コルセットとシップ薬漬け。(o_ _)oポテッ
2009.01.04
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『 傘物語 』 に たくさんのコメントを有難うございました☆☆ 義母の言の葉に、思わず絶句した後、 きゃらきゃらと 笑い飛ばした私です(笑)。 それは、厳しい農家の分家の嫁稼業をこなしながら、 三兄弟を無事に育て上げ、手元から放した義母の想いを、 散々、散々、聞かされて来たから、でした。 せめて、末っ子の三男は近くに在って欲しいと願いつつ、 その子の望む京都へ 大学進学を許した義母。 ほんの数日しか帰省しない子どもたちを 駅へ見送るときは、いつだって涙なしでは見送れず。 三兄弟は、学生結婚をした長男をはじめ、 次男、三男は、職場結婚をして、それぞれに家庭をもち、 職場に近く、伴侶の実家に近い場所に新居を構え。 連休が取れるときには、必ず帰省して農作業を手伝い、 農繁期、盆、正月、祭りも必ず家族で帰省し、 極力 両親を大事に大事にしてきた三兄弟であっても、 「 三人も立派な息子を持ちながら、誰ひとり戻って来やせん 」 近隣の方々からは謗られ、詰られて来た。 その昔、子どもたちを翔び立たせることを決意した義母ではあっても、 いずれは、この地に三兄弟とも戻って来ることを信じて疑わず。 だからこそ、翔び立たせることができたのであり。 新婚時代から、週末になると必ず義母からの長電話。 安否を問う電話ながら、最後にはいつも、 世も末のように三兄弟がいないことを愚痴られ、悲しまれ、 音をあげ、時間を見つけては帰省して来た。 週末限定だった電話が、不定期に鳴り続けるようになり、 私は、電話の呼び出し音に脅えるようになり。 懐妊したときは、帰省してこの地で出産して欲しいと請われ。 義母の切ない想いに胸が痛んだが、 初産でもあり、私はどうしても広島で私の両親に守られながら そのときを迎えたかった。 結果、その後すぐに逝ってしまった父に対し、 最大の親孝行ができたのだったが。 あれやこれや、紆余曲折の後、 結局、三男夫婦である私たちが、この地へ帰って来ることになる――。 義母は、三兄弟を手放して以来、ずっとずっと淋しくて、悲しんでいる。 三男夫婦である私たちがこの地に帰って来ても、 義兄たちが帰って来なければ、義母のこころは埋まらない。 何より、長義兄が「 同居 」という形で「 跡 」を継がぬことが 不本意で仕方がないのだから。 だもんで、上の少年が巣立ったときから、 「 淋しかろ 」 「 悲しかろ 」 「 泣くようなかろ 」 と、毎日のように私に言うのである。 そしてその後、「 私は―― 」と、 自分の悲しかったこと、淋しかったこと、が 怒涛のように続くので、私は疲労困憊する。 だもんで、私はつい 「 ぃへぃへ。 まだ全く実感がわかないんですよ 」 「 ぃへぃへ。 高校時代から、家には寝に帰るようなものでしたから 」 「 ぃへぃへ。 メールやら電話やら、すぐ近くにいるようです 」 義母のエンドレスな懐古モードへの突入を阻止して来た。 義母の愚痴の聞き役にはなっても、一緒になって嘆かないし、 ひとの噂話、陰口には、それとなーく拒否して来たのも大きいかも。 そのために、義母は私を 「 いまどき 」 の 「 クールな嫁 」。 「 ひとの 情 を解さない、宇宙人嫁 」。 そう思って来た節がある。 んだから、義母は 少年たちの傘を解体できない私に純粋に驚いた。 んだから、義母の 「 あんたでも? 」 な言の葉は、 クールな嫁と想われてきた私の自業自得、なんである。。。(-_-)。 。。。クールだったら、この地に転居して来んわ~ぃ ヽ(`Д´)ノ く~~!!この まるいまるいアーチ! たまりませーん(;;)☆
2008.12.15
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先週、義母が近隣の御方と大喧嘩(滝汗)をしてしまった。 以来、とばっちりのあれやこれやで、うんざりな毎日が続いている。(悲) タイトルのショッキングな言の葉は、 キレた義母が相手に浴びせかけた言の葉。 (o_ _)oポテッ なんともキョーレツなる言の葉で、さすがの相手も暫し沈黙した由。 、、、だが、結局 売り言葉に買い言葉で、 もっとキョーレツなる言の葉が戻って来たようであるが。。。 (-_-) あんたらは 子どもか と思うけれども、 70年近く近隣に住んでいれば、70年分のあれやこれやが一気に噴き出る訳で。 恐ろしいこと、このうえない。 ことの起こりは、同じ近隣のお宅にてご不幸があられ、 お通夜、葬儀が執り行なわれたのであったが、 義母は、膝が不調であることを理由に、 隣家の御方にお香典を頼んで済ませたのだった。 翌日、同じ講のお宅の奥方が、血相を変えて義母に怒鳴り込んで来る。 曰く、義母が講内のご不幸を知ってたのに こちらに知らせなかった。 お蔭で、通夜も葬儀も出られなくて、大きな不義理をしてしまった。 今後、当該宅に脚を向けて眠れない。 どーしてくれる、というもの。 義母は仰天して、平謝りに謝ったらしいのだが、許してくれない。 2時間近く、この70年近くのあれやこれやまで、持ち出されて詰られたそうであった。 しかし、知らせなかった義母にも理由はあって、 50年前(汗)、あるお宅のご不幸を知ったため、近隣に知らせたところ、 それをするのは「 講中頭 」の役目であり、 講中頭でもないお前がするものではない。 講中頭を蔑ろにして何が面白いのか、お前はいったいなにさまか、と 皆からかなり激しく責められた由である。 だもんで、今回も、講中頭の役のひとが皆に知らせるハズ、と義母は動かなかった。 だが不運にも、たまたま講中頭のひとは留守だったらしい。(-_-) 義母は、知った時点で、講中頭に連絡をし、 不在を確認してから、皆に知らせて回らねばならなかったようだ。 翌日もそのひとは義母宅を急襲し、前日同様 ねちねちと あることないこと、義母や亡くなった義父のこと、 ひいては、息子たちのことにまで言及したため、ついに義母はキれて、 ( もしかしたら不出来の嫁 = 私 のこともあったのかも ) これだけ謝っても、まだ言うのなら、もういい。 あんたとはこれまでじゃね。 昨日からあんたが言ったことを、私は一生忘れんよ。 このまま 墓まで、浄土まで持って往くけん! そう のたまったそうで。 翌日より、このお宅と隣接のごきょうだい宅と接している休耕田で、 義兄たちが帰省した際、駐車場代わりに使っている土地が問題とされ、 キレてる義母の決断で、急遽、きちんと造成して駐車場にすることになる。 現役である、ごきょうだい宅の田んぼに影響がないよう、 同じ休耕田であるお宅に影響がないよう、 全て費用はこちらもちで、境をきちんと工事することになり。 もう1軒の隣接しているお宅は、中立でいたいため、右往左往され。 対 そのお宅、件のお宅、ごきょうだい宅、 対 工事をしていただく会社。 あれこれとややこしい交渉ごとに振り回され、 早朝、朝、昼、夕方、晩、、、。 憤懣やるかたなしの義母からの電話責め。 なんという 諍い。 なんという 地域なんだろう。 胃が痛ーぃ。 ヽ(`Д´)ノ
2008.12.08
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水曜日。 腰まで届いた髪をどうするべきか、実はここ数週間、悶々としていた。 翌木曜日は、うちの会社の全店が一堂に会する、 年に1度の忘年会、というか 情報交換会というか、 市内のホテルで4時間の大掛かりなパーティなのである。 部署柄、私がその担当で、会場手配からお料理、イベント内容、 当日のご案内、宿泊手配、受付から司会まで、 一切を取り仕切るお役目であったのも今は昔。 すっかり若い後輩たちにお任せし、お気楽な立場にはなったが、 やはり当日の受付や、遠方からお見えになられる方々へのご挨拶回り等、 きちんとしないではいられない(-_-)。 義父母の介護や私自身の不調から、 この忘年会自体に、もう丸4年も出席しておらず、 久々の出席となれば、なかなかのプレッシャー。 ドレスアップするにも、この髪ではどーにもならない。 ようやく意を決し、前日のこの日に髪をカットし、 パーマをあてることを決定したのだったが。 その前日に ショーゲキのミュージカル衣装打ち合わせ。 お役柄、やっぱり髪はこのままの方がいいか?? う"~ん、う"~ん。。。。 せっかく、カット & パーマという、 私にとっては、一大決心をした、というのに、 またまた、ど~んより悶々と、元の木阿弥になりつつあるのを無理やり制す。 ぃゃぃゃ。 ぶんぶん。 ショートにするんぢゃないんだから。 ぐりんぐりんにかけるんぢゃないんだから。 私の髪はすぐ伸びるんだし。 いけいけいけ~~~(*`◇´*)/♪ 私がここまで逡巡するにも 理由がある。 実は今度こそ、町内ではあるが、 いつもの、義母の班内にある(確か縁戚であるはずの)ご近所さん美容室から、 脱走しよう、と決意したから、なんである。 ( 私にはこの地に来て、美容室を選ぶ自由もなかった。 13年辛抱し、ぃょぃょそれに反旗を翻すのだ!!(笑) )。 そこは、下の少年お気に入りの理美容室で、最近は夫もお世話になっている。 ご主人は、口は悪いが腕は立つという典型的な職人気質の御方らしく。 クラブバレーのメンバーのなかにも4人、こちらのファンがいる。 お店構えは、この地にありがちな住居一体型と異なっているのもお洒落。 だもんで、私自身、大いに興味をそそられて来たのだったし、 男性と一緒の理美容室、というのは初体験でもあり、抵抗もあるが、 平日の日中ならば、男性のなかに私ひとり、、ということもないだろうと、 決めたのだったが。 当日朝も、なんだかどきどきしちゃって、ぐずぐずと腰が重い。 カットは決めたけど、かけるのはヤめようか、などと迷う自分に喝! もう、決めたでしょ!>ぢぶん 8年ぶりだぞ! パーマをかけよう! かけよう! かけよう! んだから、シャンプーをして行こう。 んだから、ついでにお風呂にも入っちゃおう。 義母とは早朝に電話で話したから、 暫くは電話も掛からないだろうし、急襲もないはず。 そうだ、そうだ、そうしよう。 玄関に鍵を掛け、贅沢極まりなく、昨夜のお風呂を沸かしなおし、 否応なく自分を追い込んで行き、テンション高め、午後1番にて件の理美容室へ。 目論見通り、水曜午後1番というお客さまは私ひとり。 お店内装もユニセックスな都会派仕様で、心地よい。 ご主人は想像してたより若々しい御方でびっくりもし、 すっかり嬉しくなって、ご主人とこの髪をどーするか、で盛り上がる。 私の気持ち、明日のこと、日常のライフスタイル、ヘアケアについて。 絶妙なるご主人の合いの手で、掛け合いのようにとんとんと話が進むなかで、 要所要所をしっかり掴んでいただき、結果、30cmカット、 前髪、頭頂部以外を大きなロットで巻き、ゆるくかけていただくことに決定。 カット中に、ご主人から訊ねられる。 「 当店は、どなたからかのご紹介でお越しになられたのですか? 」 思わず笑いが漏れる。 「 うちの坊主や夫が こちらのファンなので 」 驚かれたご主人は、俄然張り切られ、 ご自分の常連さんであるはずのその少年と夫とは、 いったい誰なのか、解明しやうと夢中になられる(笑)。 夫や私に そっくりの上の少年はともかく、 私にも夫にも似ていない下の少年や夫の話からは、 親子関係が ちっともバレていないようなので、 私から、少年や夫を当てるのは、難しいハズなのであるが。 「 ヒント? 私と夫は よくきょうだいに間違われます(-_-)。 下の少年は、私にも夫にも似ていませんが、 額の生え際と、髪質が私にそっくりです ^o^; 」 このヒントで、見事、ご主人は夫も下の少年も当てられ、 ご自身もこの町の中学でバスケ部であったこと、 少年の首周りのアトピーを心配して下さってたことをおっしゃり、 カーラーを巻きに出て来て下さった、スタッフである奥さまと大盛り上がり。 ケータイに入っている少年たちの画像までお見せするハメになり、 でっかくなった少年たちに、これもまたバカウケ(汗)。 30cmカットして貰っても、未だ長さとしては胸元まであるが、 毛先に軽やかな動きが出て、カールも綺麗について、華やか。 アップにまとめるのも楽になりそう。 頭も随分軽くなり、大満足。 、、問題は、今度、帰省した下の少年がこちらにカットに行ったとき。 ( 口の悪い )ご主人は、なんと言って少年を迎えて下さるのだらう。 少年に大目玉を喰らいさふな気がする。。。 ^o^; 後は、義母にどうエクスキューズするか。(-_-)。 覚悟はしてるものの、でかい波紋を呼びそう(-_-)。
2008.11.19
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最後まで残っていた稲も刈り取られ、今シーズンお初の溝掃除。 私たちの班は、下水道のない生活排水がそのまま農業用水に入り込み、 そのまま蛍の息づく小さな川に流れ込むため、 農閑期の間中、月に1度、総出で溝掃除をする。 先頭集団が、排水溝 = 農業用水路 の周りの草や苔を取り除き、 その後ろから、皆が中腰で竹箒やデッキブラシで底をこそげて進む。 軍手に長靴。 700mもの距離を、中腰状態、時には膝頭まで屈んで竹箒で溝底を擦る作業は、 班内で1番若い私でさえ、本気でヤれば、たちまち息が上がり、腰が痛む。 術後の弱い私の膝は、曲がらず、踏ん張れず、 殆ど身体を二つ折りにしなくてはならない深い箇所は、 頭から突っ込みそうになるため、下に降り、 溝に浸かりながら溝底を掃除する。 件の家は、変わらず全窓にシャッターを下ろしたまま。 在か不在か、そのお宅からは 誰も溝掃除に出て来ない。 出て来られないのだろう と 胸が痛む。 常には、おおっぴらに、他家の噂話に興じる方々だから、 私でさえ、一昨夜のパトカー騒動に言及されたら、どうしようと 憂鬱だったのだから。 おとな なのか、 触らぬ神に祟りなし、的信条 からか。 誰ひとり、それ に触れず、 不自然な沈黙を持って 皆の竹箒の音だけがこだまする。 例え、何処でどのように噂されていたとしても。 普段は井戸端会議よろしく、何かと誰彼の噂話が喧しいこの溝掃除の場で、 誰もが沈黙を守る、今は ただ。 今は ただ そのことに 独り 感謝する。
2008.11.02
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夜。 近隣で怒号があがり。 砂利道を複数の足が入り乱れて争う音。 ただならぬ気配に、大事になってはいけないと、 警察を呼ぶことも考えたけれど。 プライバシーの塊のようなやり取りが聞こえ、躊躇する。 聞いてはいけないのではないか。 観てはいけないのではないか。 どれほど固まっていただろう。 ウ~と短くサイレンが鳴り。 自宅のすぐ近くに停まり、窓が赤く点滅し、動悸をうつ。 心配でたまらない。 でも ここで飛び出すことは、 嫌悪すべき「 野次馬 」ではないか? あれやこれや、独り 不安と恐怖で 夜が更ける。
2008.10.31
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なつくさや つわものどもが ゆめのあと 夏草や 兵どもが 夢の跡( 松尾芭蕉 ) ここ数日来、窓の外を観る度、感じる無常の風――。 うちの休耕田の西南隣の田んぼは、 田植えと稲刈りには お子さまたちが帰って来て手伝われるも、 日々の水や雑草の管理に手が回らなくなられ、 5年前には、稲と稲の間から、稲より背の高い雑草が生い茂り、 私は勿論、この地のひとびとも目にしたことがないような状態になる。 お気の毒、、というより、「 この地の恥 」的非難が蔭でなされ、 翌年から、この田んぼは、畑作を希望されるお宅へ貸し出されたのだった。 休耕田を畑としてお借りになった御方は、 農作業をこよなく愛され、朝5時から夕方6時まで。 毎日通って見事な畑とされる。 広い田んぼの隅々まで有効活用され、畦道の横にまで豆が植わる。 土を休ませることもなく、 春夏秋冬、様々な野菜、根菜を次々に栽培されていたが、 昨年より一角に蓮根畑までつくられて、仰天していた。 元々田んぼの土なので、蓮の好む泥田には適していることだろう。 早朝、目線の上に蓮の葉の波が続き、 ぽかり、ぽかりと白い蓮の花が咲いている様は、 何かしら 彼岸の彼方にこころ誘われ、 自分に還る良き時間をいただく心地がする――。 ( あのトンでも、だった田んぼが、、 )なんと熱心な、なんと見事な。 この御方に、この地のひとびとは惜しみない称賛を送っていた。 ところが、この御方のつくられた無農薬、有機栽培の見事な野菜は、 通な方々に高値で取引されるような人気となり、 隣市にまで売られて行くようになる。 励みとなられたか、ますます野菜作りに没頭されるご様子に、 段々と周囲の空気が変わっていく。 曰く、金のために あそこまでせんでも。 曰く、子なしのくせに、そこまで金儲けをせんでも。 曰く、野菜しか相手にして貰えん偏屈ものぢゃけん、できること。 私は、そんな周囲の偏見、悪意がたまらず、 同様なことを口走った義母と喧嘩してしまったりの日々であったが。 半年前、晩酌後に畑をチェックに来られたその御方の軽トラが脱輪。 たまたま夫の定休日であり、義母宅へ出かけようとしていた夫が目撃し、 近隣の方々と力を合わせてお助けしたが、悪しくも外は雨。 ずぶ濡れになりながら、服もドロドロになりながら、 2時間近くかけて、ようやく軽トラを引き出したものの、外は既に夜の闇。 照れもあってか、挨拶もそうそうにその御方は帰宅された由にて、 「 飲酒運転はいかん! 」 夫は少々おかんむりであった。 以後、夫に道でばったり出逢っても、ひとこともなく、 余りに失礼じゃないか、と愚痴る夫に、 酔ってらしたし、暗かったから、 助けて下さった方々のお顔も覚えておられないのでは??と 宥めつつも、これまで好印象しか抱いていなかった御方に対し、 段々、私もおもしろくなくなって行く――。 でも、相変わらず蓮の花は綺麗で、 毎日毎日、早朝から炎天の下、畑作業に勤しまれるお姿や 2階から見える見事な野菜たちには、いつも感嘆する想いだった。 この4年。 目にしない日はなかったこの御方のお姿を見かけなくなり、 不思議に思っていたら、自宅にていきなり倒れられたのだ、と 義母からの情報が入る。 驚くまもなく訃報が入り、畑はそのまま打ち捨てられ、 奥さまと二人暮らしだと聞いていたが、 1,2度、奥さまらしき御方が、収穫に来られたものの、あとはそのまま。 あれだけ見事な野菜たちが権勢を誇り、 隅々までありとあらゆる野菜でびっちりであった肥沃な畑が、 たった2週間で、みるみる夏草が畑を覆い尽くし、 今は、雑草の合間から、蓮の花が見えるだけ、となる――。 芭蕉の句がしみじみ胸を過ぎり、 あれだけ丹精を込めて耕されていたここもまた、 「 耕作放棄地 」になっていくのか、と物悲しい。収穫前のたくさんの夏野菜たち、これだけの畑を置いて、急逝されたご無念を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。
2008.08.10
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町政時に行われていた町内一斉清掃を引き継いでの、 自主的 班内一斉清掃。 町政から市政になり、市からも町からも何の補助金も出なくなったため、 「 別にしなくてもいい 」ことになったのであったが、 殊に川沿い中心に鬱蒼と茂る草々は、 普通車がやっと通行できる細い道に侵入してくるし、蝮などの温床となるため、 「 続けて班の皆でヤりましょう! 」と、続いている。 一昨年は、班長としての重責を背負っての班内清掃。 昨年は、副班長として、お気楽ながらも一応の責任を背負い、ふぁいと ふぁいと。 今年も、午前8時からのスタートなのに、6時過ぎから草刈機の音がこだまする。 昨年、不参加のお宅が、80代後半の一人暮らしの御方のお宅のみ、 であったことを思えば、腰が、捻挫が、肌が~と言っていられない(;_;)☆ 昨年も本調子でないために、助けてくれた下の少年 はもういない(悲)。 腰にコルセットを締め、右膝を医療用サポーターで固定し、 足首と甲を包帯で締めた後、サポーターで固め、 あとは瞼をどう守るか。 んーーーーーー。。。 不可能。 (o_ _)oポテッ 一応、『 エスケアウォーター 』を手のひらにたっぷり出し、 目を閉じてアイホール部分を暫く浸し、 その上から『 サンホワイトP-1 』を塗って防御。 首周りは、タオルでしっかりガードし、 後は日本手ぬぐいで顔を覆えるだけ覆って、麦藁帽子とサングラス。 包帯とサポーターで長靴になかなか足が入らないのを押し込み、 軍手、鎌に石み、熊手。 、、、なんか、家を出るまでに大量の汗なんですけど。 8時から。 だけど7時にスタンバイ。 女性陣のなかでは1番のりで、昨年も刈った場所を陣取れる。 ここは面積は広いし、鋸が必要な低木も生え、足元も危ないのだが、 ずっと腰を曲げてなくて済むため、 腰・膝・今年は足首周りも不安な私には、とても有難い。 班内で、1番若い私が、楽な場所で申し訳ないと思いながらも、 気をつけつつ、川岸に降りてからは一心不乱。 朝方まで降っていた雨で、軍手がすぐにぐっしょり。 その分、埃が立たないため、むしろ有難いと感謝する。 8時を過ぎ、頭上の路肩から生えている草を抜きに来られた方々が、 何かと私に話しかけて来られる。。。。 義母が5人居るような気がする。。(o_ _)oポテッ 8時半を回ると曇天から晴天に変わり、 ギラギラの陽光攻撃に半分気絶しそうになりながら、 心身へろへろで、9時半までには河川敷、路傍ときれいになる。 一刻も早く自宅へ掛け戻り、シャワーで汗を流したい。 右腕の湿疹化してる部分のケアをしたい。 だが、班長さんが皆に配るお茶のペットボトルを買いに行っている、ということで、 陽光を遮る蔭もないところで待つことに。。。( ┬_┬)。 。。。そうか。 自分が班長のときには、お茶を冷やすための冷蔵庫整理から始まった。 お金もないので、1番安いお店を探し、車を飛ばして用意した。 頑張って冷やし、無理矢理夫に休んで貰い、草刈終了に合わせ、 間髪入れず、皆さんにお渡しできるように準備した。 確かに草刈の様子見をし、終了を見計らって買出しに行けば、 自分ちの冷蔵庫いっぱいに冷やさなくていいよね。 でも、スーパーの開店前に、草刈が終わっちゃうことだってあるし、 コンビニで買えば、高いし、 何よりこんな風に間に合わず、 手持ち無沙汰でお茶待ち、というのはしんどいよね。 、、、って、あれこれ思っちゃうのが、前任者のイヤらしさ、だよね。 ダメダメ>ぢぶん んでも、今年の班長さんは、 日頃から「 ○○のくせに 」と かなり他者に厳しい御方で、 班長時代の私も、かなりな物言いをいただいてるので、 今の私には天敵な陽光を浴びつつ、少々イラっとする(゚゜)\バキ☆ 思い思いに散らばり、待って待って、やっとお茶をいただく。 ご挨拶して脱兎の如く帰ろうとしたら、おもむろに班長さんから、 「 午前8時から、というのは遅い。 もっと早くから始めたら、という声があるので考えておいて下さい。 来年からということで、多数決で決めたいと思うのですが、イイですか 」。 思わずガッツポーズ! 私のときには、提案するのもNGだったのだ( 副班長より却下される )。 何年も三々五々に6~7時に出てきてヤっているのだから、 いっそのこと6時半とか7時とかに決めて、一斉に始めた方が早く終わる。 早く終われば、陽光の脅威も少ないし、 終わってからの時間もより有効に使える。 いつもこの日に町P連のバレーボールの試合が重なり、 どんなにしんどい想いをしたことか。 小中P時代までは、班内清掃後、班長さん宅の庭で ビールにパン、おつまみで、恐怖の打ち上げまであったのである。 打ち上げは補助費カットで自然消滅したのだったが、 開始時間のような「 慣習 」的な決まり事も、 こうやって変えること、変わることができるんだなぁ、、、、と なんだか感無量でしみじみしていたら、年配女性陣から一斉にブーイング。 (o_ _)oポテッ 曰く、主婦 は 朝は出にくいものなのだ。 日曜日なんだから、ゆっくりしたい。 これまでの時間で、なんの問題もない。 これまで問題なく来たのに、簡単に変えるべきものでない。 あぅー。 班内清掃は、毎月ぢゃない、毎週ぢゃない。 年に1回のことなのに、ダメなんだろうか。 この日は問題提起だけで終わり、後日多数決のために班長さんがまわられる由。 こんなチャンスはないのだから、 きちんと自分の想いを( 上手に )言うんだぞ>ぢぶん
2008.07.07
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会社からの帰り、閉店前のスーパーで、PTA時代の友人と出遭う。 3年ぶりの彼女は、頬がこけて、驚くほど痩せて目がギラギラしていた。 驚いたが、尋常ではない痩せ方なので口には出さなかった。 が、彼女の方から、まず私の膝の様子と義母の様子を、 お天気話のように訊ねて来ることから始まり。 「 痩せたでしょ? 20kg痩せてね、もう40kgないんよ 」 そして。 実は8年前、自分に乳癌が見つかり、手術をしたが、 余命3ヶ月と言われていた、と言う。 「 それでも絶対生きちゃる、可能性が0.01%でもあるなら、 その0.01%に賭けちゃるけん、先生、見とりんさい! ゆーてね、 もぉ、8年生きとるんよ! 3回、再発したけどね、なんとかここまで来たわ 」 と凄絶な笑いを漏らす。 中学PTAのときは、抗癌剤が酷くてずっと鬘を被って来たそうである。 では貴女は、ずっと大きな病を抱えながら役員生活をして来たのか。 あのときも、あのときも。 PTAの委員長だった彼女を支え、あれこれ動いた年度のこと。 彼女が執行部だった年度のこと。 少し思い返すだけで、彼女絡みで阿鼻叫喚だった諸々がずらずら並ぶ。 けれど、そのときも、貴女は常に爆弾を抱えつつ、全力投球をし、 夫君のご両親に、文字通り 「 仕え 」 ていたのか。 言の葉が一葉も出せない私に、彼女は畳み掛ける。 フツーにスーパーのカートをひいたままで。 「 でも、今回はさすがにダメかも知れん。 骨まで来とる、と言われたし、もう1週間、下痢が続いとるし 」 逢えて良かった、と彼女は言う。 自分は古くて恐ろしい義父母に反抗もできず、黙って仕え続け、 ありとあらゆる役も引き受け、ただただ頑張って来た。 自分は菜食であるし、自分の父母方には、癌に倒れたひとはひとりもいない。 なのに、こうなったのは、偏にストレスからだと確信してる。 りうりうさんは私に似てる。 だから、私のようにならないように、どうしても一言言いたかった。 自分のこころを守るのは、自分しかいない、と。 そして。 もう逢えないかも識れないけど、悲しまんでね。 私は、義父母から解放されて、喜んでいると思ってね。 りうりうさん、識っとるかも識れんけど、 私は貴女が好きだったよ。 、、、自分を見てるみたいで、歯痒かったけどね。 彼女と別れても、暫く動けなかった。 閉店の音楽が聞こえて来て、我に返る。 なんという人生。 なんという凄絶なものを抱えて 彼女は歩いて来たのか。 そして、私は彼女に似てる、、、のか??? 余りに大きな病を抱えた当時の彼女に、 今、自分が生きて在ることの倖せやら感謝のこころが 全くないように思えてならなかったのは、当たり前、だったのだ。 怖いものがなくて、当たり前、だったのだ。 夫君のご両親にはダメだったけれど、 その他の場所では、言いたいひとに言いたいことを言う。 だって、いつ言えなくなるか、判らなかったから。 「 子どもがいたから 」 ただそれだけで頑張って来た。 と言う。 大きな病と闘う力は、周囲の全てを憎み、恨むところから引き出して。 私はただただ驚愕し、 ただただ彼女のこころの平安を祈るしかない、けれど。 彼女の生きる力が、恨みや憎しみからなのなら、 こころが平安であっては、ダメ、なんだろうか。 何重もの衝撃を抱え、私はただただ途方にくれる。 追記) 友人の特定化につながるかもしれない部分を70行、非公開日記へ移行させましたm(__)m。
2008.06.17
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午前10時過ぎ頃か、ブログを書いている最中に救急車のサイレンが、 凄く近くに停まったようなので、思わず手をとめ、窓から外を窺う。 けれど視界に、異変は入って来ず、ブログもあともう少しなので、 書いてしまおうと、またPCに向かう。 そのまま、つい、救急車のことなど忘れて入力していたのだったが、 随分たってから、再び、近くで救急車のサイレンが鳴り、驚く。 もう一度、南側の窓から外を窺うと、救急車のサイレンは遠ざかり、姿は見えず、 川向の道路に、消防車が赤いランプを点滅させて停まっている。 人々がたくさん、道路に出て来て、あちらこちらで消防車を遠巻きに、 額を寄せ合っているのが見える。 消防車? 川向の家々をじっくり見ても、煙らしきものは見えず、 いったい何事だろう、と首を捻っていたら、義母から電話が入る。 今、救急車で運ばれたのは、川向のお宅の、夫の同級生である、と。 私は、その御方とは、会釈をする程度であるが、 奥さまとは、PTA仲間であり、PTAのバレー仲間であるので仰天する。 ここ2日、なんとなく調子が悪いので、会社を休んでいたが、 昨夜から復調し、休暇は取ってしまったために、 田植えの支度をしようと、2階へ着替えに行ったところで、倒れられた由。 このとき、PTA仲間の彼女は仕事で隣市へ出ており、 ご夫君はおかあさまとふたりきり。 なかなか2階から降りて来ない息子さんを心配したおかあさまが、 2階へ上がって倒れている息子さんを見つけ、119番。 既に意識がなかったようで、おかあさまが人工呼吸をされたらしい。 消防車は、この御方が大層大柄な御方であったことと、 2階への階段が狭くて急であったことから、 2階の窓から搬出する場合に備えての出動であった由だった。 結局、意識の戻らぬまま逝去され、もの言わぬ姿でご自宅に戻って来られる。 明日はお通夜、明後日がご葬儀と、日程は早くも決まったのだが、 隣市から急ぎ舞い戻った彼女は、ただただ茫然としているばかり。 同じく、今春、就職した長女さんと、 大学2年の長男さんと、高2の次男さんと。 茫然と佇む姿に、私たちの方が泣いてばかり、いる。 なんとあっけなく、ひとの生が終わってしまうのだろう。 何の予兆も覚悟もなく、突然に絶たれた想いは、いったい何処に、行くのだろう。 ぼんやりした頭で自宅に戻る途中、 小さな橋を渡るとき、ふわっと、舞った 蛍。 今年初めての蛍が、とても 哀しい。
2008.05.23
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ゴミの日に。 ギックリ腰で沈んで以来、初めてのゴミ出し。 我が家からゴミ収集所までは、ゆうに片道300mはあるから、 ゆっくり、ゆっくり、蟻さんよりゆっくり、歩いてゴミを出しに行く。 重たいものは既に夫が出してくれていたので、 ほんの軽いものだけ、ゆっくり、ゆっくり。 この次に出すときは、 有料 なのよねーと思いながら、 橋を渡ろうとして気付く。 例の 河岸工事が終わっている! これについては、班で陳情するだの、嘆願するだの、署名運動するだの、 ついては りうりうに 嘆願書を書いてもらう、だの、 散々こころ乱れさせられたものであったが、 まずは、次期 長老候補な御方が、市議会議員さんと話をする、とのことで、 私たちは、「 待て 」な姿勢を取らされていた。 したらば、いきなり年明けから 工事が始まったので、唖然とする。 ぃゃぃゃぃゃ~~。 その道 の 「 つて 」 というのは、 怖い 凄いものですね。 ポケットにケータイがあるのを確かめて、変わり果てた川岸にカメラを向ける。 ( ┬_┬)。 ここは。。。 ここなんです~~。 秋は彼岸花が生い茂り、早春には、水仙でいっぱいになるところ。 子どもたちが魚やウナギを釣り、 カニ篭を仕掛けて、モクズガニやガザミを採り。 上流からゴロゴロと流されてきた、大きな岩と岩の間をぴょんぴょん飛んで。 数年単位で、大雨に伴う鉄砲水が流れる川だから、 こうした岩々がまた流れて堤防にぶち当たる危険性。 川岸が削られて、家の土台が脅かされる危険性。 日常的に川に遊ぶ子どもたちの万が一の事故の可能性。。。 それでも。 なんだか途轍もないものを喪った気がして、とても淋しい。 川のほとりに住んでいない私の、勝手な言い草なんだろな。彼岸花のお引越しが間に合ってるといいな。
2008.03.27
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2日朝。 目覚めて布団から出る折に、昨日より格段に楽な感じがして、 試しに浴室へ行き、浴槽の縁に脚を上げてみる。 なんとか浴槽を跨げそうだったので、これならOK?? るんたった♪で、お風呂に追い炊きを掛け、 義母の襲来に備えて、玄関とベランダ、勝手口の施錠を確認し(汗)、 思い切って湯舟に浸かる。 先週の火曜日以来の全身浴。 しかも 朝風呂。 自然光のなかで、全身をゆったりと伸ばす。 強張ってぴきぴきの腰、板の入っているような右脚が 伸びていく。 耳を澄ませば、雀のお喋りも聞こえてくる。 なんと贅沢で 心地良い 幸福感。 、、、でも、そのなかにも、 今、義母から電話が掛かって来たらヤだなぁ、とか、 今、直接義母の襲来を受けたらだうしやう、とか、 そんな不安が拭えない。 暫く、どきどきしたけれど、えーぃ、そうなればそうなったときのこと! 無理やり開き直って、おっかなびっくり風呂椅子に座り、洗髪も試みる。 余り屈まなければ、なんとか、だいぢゃぶ。 洗面器にお湯を汲む作業がダメなので、流すのは反エコながらシャワーを使う。 用心しながら洗い終わり、上がりたくないお湯から無理やり上がって、 心身すっきりした気分で時計を見れば、8時前。 なんだか、久々に「 人間 」に戻れたような気がする。 この分だと、洗濯機のなかの洗濯物にも手が届くかも、と思い、 洗濯機を回しながら、少年の朝食を簡単に用意して、炬燵で一息。 寝ぼけまなこの少年に、 午後1時からの『 班内溝掃除 』 に代わりに出てくれるよう頼むと、 ヒューン ε=ε=┏( ・_・)┛ 脱兎の如く、塾へ。 (o_ _)oポテッ 約束があったらしく、早めに彼に頼まなかった私のミス。 となると、本日、出られないことを、誰にどう伝えるか?? ぎっくり腰、というのがまた、この班内ではビミョー。 大仰に尾鰭も背鰭も胸鰭も付いて吹聴されまくるのは、とても嫌。 でも、ウソはいかん。 恥じることのない事実。 で、誰に伝える? お隣の元班長さんの彼女は、ここのところ不在だし。 う"~ん。。。 う"~ん。。。 ↑ 私はまだ、炬燵で座れない。 当然、横になって悩んでいる。 直前、久々の全身浴で、 気持ち良~~く体力と気力を使い果たしている。 。。。。。。。 。。。。。。。 。。。。。。。 気付いたら、午後3時だったりして (o_ _)oポテッ 、、当然の帰結? orz.....
2008.03.02
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早朝、同じ班の御方から電話が入る。 昨日の溝掃除で、親しく?お話をした御方だったので、 いったい何だろう、と訝しく思っていたら、 班の長老格の御方のご逝去の知らせだった。 義父より3歳年下であるこの御方は、 雨天の日でも、朝晩、愛犬と散歩しておられ、いつもお元気そうであった。 ところが昨秋、通院日に、院内で車椅子に乗って、 ご家族と共に在られるお姿を垣間見てしまい、少々心配していたところだった。 この地に転居して、途方にくれていたとき、 わざわざおいで下さって、ゴミの収集場所は班外にあること、 班内の方々がどのように出しておられるか等を詳しく教えて下さり、大変助かった。 穏やかに話されるも、明るく快活な御方で、以来、この班のご年配者のなかでは 私にとって1番親しく、毎日のようにご挨拶させていただく御方であった。 うちの少年たちにも、毎朝必ず声を掛けていただき、 少年たちも1番早く慣れて、親しんだ御方である。 私が日常に、班内で出遭うと立ち止まって何かしら言の葉を交わす、 唯一の御方、であったりしたのだったが。 例の隣の元班長だった彼女は、 班長時代にこの御方に随分キツく当たられ、1度ならず、泣いていた。 ひとには色んな顔がある。 それを識ってはいても、その御方の彼女への接し方と私への接し方と、 当然、その御方に対する彼女の観方と、私の観方と。 余りの違いに愕然とした記憶は、未だに生々しい。 義父が亡くなったとき、この御方からいただいたお悔やみの言の葉。 「 まぁ、エエ加減、長ぅ生きんさったけんのぅ 」。 長く生きたんだから、もうえーじゃないか、と、 慰めて下さったのであろう、この言の葉も忘れられない。 貴方より、3歳多いだけだ。 それなのに、もう十分だろう、と貴方が言うのか。 そんな風に、つい、思ってしまった自分を忘れられない。 あれから2年で、この御方も逝って しまわれる。 あのとき、私もこの御方も、たった2年でこんなことになるとは思いもしなかった。 それとも、この御方は何か想うところを抱えていらしただろうか。 そのうえでの、あの言の葉であっただろうか。 一昨年、私より若い息子さんの方が脳梗塞で倒れられたのだったが、 無事退院され、リハビリの末、職場にも戻られ、良かった良かったと 皆で安堵したものだった。 つい先日の班内のご葬儀で、この息子さんが帳場に立たれており、 すっかり良くなられて何よりだと、思ったばかり。 ついでのように何気なく、お父上のお加減をお訊ねしたかったけれど、 帳場ではそれも憚られ、きっと大丈夫、そうよ大丈夫、と思ったばかり。 お通夜、ご葬儀はご自宅にて。 すぐにお悔やみ、お手伝いに行かせていただくことにするが、 ご葬儀は出社日と重なるため、想い迷う。 引き続き、隣の元班長の彼女へ訃報を伝え、 あれこれと物想いながら、ご冥福をお祈り申し上げる。
2008.02.04
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