全181件 (181件中 1-50件目)
下の少年の「 中型二輪挑戦 」の報 から、どうにも 心配で、 鬱々と ローテンション。豪雨の影響 か、 採れ過ぎて困る我が家のゴーヤやいつもあっという間に巨大化しちゃうオクラさんたちも元気がなくて、惨敗の夏。 けれども 義母の畑の ゴーヤ や オクラさんたちは めっちゃ元気で、売りに行きたいやうな立派なゴーヤが 毎日ヤって来る。毎朝、バナナと豆乳で ゴーヤジュースにし、昼夜と チャンプルーに、生でサラダに、と頑張っても食べ切れず、刻んでは塩揉みして冷凍するも、冷凍庫もゴーヤでいっぱぃ。最後の手段は、ゴーヤ茶にしちゃう? と 干してみる。さすがスーパー猛暑、立秋を迎えたことなど何処吹く風な勢いで、たった半日で、8本分のゴーヤが からからに。そういへば、ゴーヤ茶を好む 実家の母が、干したゴーヤを「 らっきょう酢 」 に漬けてもイケる、と言ってたことを思い出し、とはいへ、もう何年も らっきょうを漬けてないし、あれって 結構 お砂糖を入れるし、う"~ん、、と「 らっきょう酢 」 の 配合レシピを ネットでググると、フツーに 『 生ゴーヤの酢漬け 』 とか、『 生ゴーヤの梅酢漬け 』 などもヒットしたため、やっぱり、干ゴーヤは お茶にして、明日から 『 生ゴーヤの酢漬け 』 に トライしてみやう
2010.08.10
コメント(7)
祈。 祈。 > 世界の恒久平和。 希。 > 核廃絶。 8月が近付くにつれ、こころが重たく つらくなる。 広島 が ヒロシマ と なった日を迎えなくては ならないから。 夏の訪れとともに そこかしこが 慟哭渦巻く磁場に変わっていくのを肌で感じ、 子どもの頃は、夏休みになるのが、本当に辛かった。 自分の踏みしめる大地が、幾多のひとびとの血と骨と灰であることに 否応なく向き合わされ、突きつけられ、 ただただ 俯いて 震えながら 手を合わせることしかできず。 当時は まだまだ「 鎮魂 」といった空気よりは、 生々しい 悲しみ、怒り、怨みの念、 そして独り生き残った母の背負う、 どうして自分が生かされたのか、 自分独りが生きて在ることへの 重み、申し訳なさ、後ろめたさ。 どろどろどろ と そんなようなもので溢れ、 四方から放たれる灼熱の慟哭を 肌いっぱいに浴びて 私は育った。 戦後も65年を経過し、菅直人首相の私的諮問機関に 『 新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会 』があるという。 そこでは、 非核三原則見直し提言 がなされ、 武器輸出三原則も見直す よう提言された由。 『 新たな時代 』――。 なんと こころ踊る、未来に向かう 輝かしい言の葉であるか。 そう、私たちは「 同じところ 」に在り続けてはならない。 前に向かって 歩を進めねばならぬ。 しかし、 それが、【 非核三原則の見直し 】。 少なくとも 核を持ち込ませることはOKにせねば。 とか、 【 武器輸出 三原則の見直し 】。 「 国益のため 」 なら 何でもあり、と。 そっちの方向へ歩を進めるのであれば 話は別である。 世界の核大国に 核を捨てよと 先頭を切って言うことのできる、 そう行動を起こすべきであるはずの 世界唯一の被爆國は、 大量の犠牲者の御霊に 何を学ぶこともなく、 「 新たな時代 」を迎えることができるのか。 65年経過した現在の核爆弾の威力たるや。 ビキニ環礁が世界遺産となるらしいが、 そこで行われた水爆実験では ヒロシマ原爆の940倍。 かつてのソ連の実験の最大級は、ヒロシマ原爆の3,600倍。 放射能の撒き散らす生物への被害は、けた違いのものばかり。 で、それを( 核抑止力として )「 使用するために 」搭載されたものを 基地配備されることを許す、と? で、国益のため、経費節減のため、 諸外国と武器を共同開発し、輸出も自由化しちゃう、と?? 何処へ行こうとしているのだ。 原発のための 日本の分離プルトニウム保有量は 既に 核爆弾5000発以上に相当し、 とうに「 隠れた核大国 」だとも言われている被爆國は。 65年も経過し、実体験を語り継ぐ方々が減って来られている今だからこそ。 6月23日 沖縄「 慰霊の日 」、2つの原爆忌、終戦の日。 この4つの日くらいは、 全国民が服喪する、鎮魂の日でありたい、と こころから想う。 それは、鎮魂の想いとともに、2度と過ちを繰り返さないために。 あの戦争を経て、今、自分たちが生きて在れることに感謝するために。 強制ではなく、皆が自然にこころからそう思える。 手を合わせる想い。 頭を垂れる想い。 そんな國であるためには、何をどうして、どう在ればいいのだろう。今年も、平和を祈念し、職場の7人全員で千羽鶴を折る。折鶴は 祈鶴。鶴を折ったから、といって、何がどう変わる訳でもない。けれど、戦没者を悼み、平和を願う、民草の祈りのこころが込められた折鶴のひとつひとつに。それを折っていく過程において。それを形として目にする、その瞬間において。祈りのこころは共有され、ひとは想いを新たにし、また、一歩、前に踏み出して歩いていけるのではないか。形にせずにはいられなかった想いを等しくするひとびとの 祈りのこころに 背中をおされて。、、、鶴を折るだけで、昨年、一昨年の想いがたち返る。それは 日々、流されていく自分にとって、とても 大切なことではなかろうか、と気付く。鶴を折りながら、鶴を折る自分、その自分の足元、自分の生きて在る場所。しっかり見つめ 考える時間を重ねること。 オキナワ、ヒロシマ、ナガサキが、 遠い過去の歴史物語として風化し、 忘れ去れられて行くことの恐ろしさをこころから憂う。 あの戦争で、失われたいのちは、全て等しく同じ。 戦地で落とされたいのちも、空襲の被害にあわれたいのちも、 飢えて落とされたいのちも、 操を守れと教えられ、自死されたいのちも。。。! しかし、被爆者の染色体にまで異常を起こさせる核の被害は、 一過性のものではない、ということで確かに特別なものであり、 核開発そのものが、決して許してはならない、人類の過ちである。 ひとつのいのちについて考えることは、 多くのいのちについて考えることにつながる。 風化させない! まるで、「 なかったこと 」 のように 戦争被害を忘れ、 輝かしい【 新しい時代 】 に 入ることは許されない。 それぞれのひとびとが、それぞれの立場で。 さまざまな観方をし、とらえつつ、 それぞれの平和について、考え続けられるように。 にんげん、として考え、思惟を重ね。 できること を できる形 で。 声をあげなきゃならんときは、声が出るように。 ヤらなきゃならん ときは ヤることができるように。 いつだって、この足を。 前に。 前に。。。!今年は 米国から駐日大使を迎え、国連総長もお迎えすることができ。核傘下に在らねば 安穏と生きていけない全世界の在り方を少しは変える 変えていける 一陣の風になり得るか。 ● 『 夕凪の街 桜の国 』 ● 『 ヒロシマ前夜に想うこと 』 ● 『 夕凪の街 桜の国 ふたたび 』 ● 『 ナガサキの日に 』 ( 『 生ましめんかな 』 ) ● 「 みたび『 夕凪の街 桜の国 』」
2010.08.06
コメント(5)
仏教において、ご法要の意義とは 各宗派でそれぞれに異なってはいるものの、 ( それはもう、恐ろしく異なる! ) 私自身は、( いつ )何処で手を合わせても同じ。 問題は 己が手を合わせる そこに、 己の真が在るか否か だと 思っている。 それでも ひとつの「 区切り 」として わざわざ 故人の忌日に「 法要 」を営む意義は 以下のようなところのものではないか、と。 現代を生きる私たちで、 本気で 神や佛の存在を信じ、日々敬虔な「 信仰 」生活を送っているひとは、 数少ないのではないか、と思う。 そんな私たちでも、これまで生きて来たなかで 近しいひとびとの逝去に遭い、結果、法要に招かれたり、営んだりしている。 前提のやうに「 確固たる信仰を持たない 」私たちが、ご法事に臨むにあたり、 まずは、故人の忌日に、故人と縁在ったもの、として集まるのだから、 改めて この日に故人を偲ぶこと、だったり、 故人によって結び付けられている、参集したひとびとと自分とのご縁を想ったり、 さらには 日常に追われ、日々流されている自分を見つめ直したり、 様々なご縁で「 生かされて在る 」ことを再認識したり。 たくさんのいのちの繋がりのうえに 生かされて在ることに感謝のこころを持ち、 己のこれからの日々の在り方を想い、 「 精進すること 」を それぞれにこころに誓うこと――。 。。。そんなようなことが、 各宗派を超えて 言えることなのではないか、と愚考する。 加えて、法要に お子たちが出席することは、 そのことで 「 仏縁 」 というものやら、 冠婚葬祭でしか出逢わない親族 というものとの 「 繋がり 」やら、今日までの縁 ( えにし ) を肌で識る、 よい機会なのではなかろうか、、、とも思ったり。 参集したひとびとが、それぞれ故人に縁( ゆかり )あるものとして、 共に食事をし、互いの近況を伝え合うことも、また 改めて故人を偲ぶ縁( よすが ) になるのだ、とも思う。 なんにせよ、60代になっても未だに分家の義叔母から、 熨斗袋の中身まで指導される面倒さには、共感するものの、 法要に招待されて「 迷惑 」とか 包んだ金額に見合わぬフィードバックなら「 損 」であるとか、 んな身も蓋もないことは、 お願いだから、思ってても口には出さないでいて欲しい。。。 ご法事に 御佛前や御供として供えられた熨斗袋を お帰りの際に、 「 お気持ちだけいただきました 」 と 茶の子と共に 丁重にそのままお返しする風習は、 広島市中央部だけなのだろうか。 、、とはいへ、広島市でも、 内々の法事だったり、本当に「 略式 」の場合だけ、である。 それは、いただいた額の 【 半返し 】 という風習があるため、 ご法事で いただく熨斗袋の中身に合わせ それぞれ異なる茶の子を手配し、後日送付や持参しなくてはならず、 その手間を厭ったことから 始まったのではないかと思うのだが。。。 だもんで、わざわざこの日に参集していただいたことだけで有難い、と、 熨斗袋の中身は頂戴せずにお返しし、 一緒に、その日にお渡ししてしまう茶の子は 一律同額のものである。 お料理代、茶の子代 ( 会場代 )と 多人数になればなるほど 施主側は大変であるが、現代的で合理的。 善哉、善哉、だと 私などは感じて来た。 けれど、ここ数年来、ご葬儀のときに、 もう 『 満中陰の茶の子 』 を渡されるようになって来たのは ヤり過ぎだと思うし、ついて行けないものを感じているです。 今回の事件で、改めて。 日頃より、「 想いを形に 」 と思っている私であるけれど、 「 こころ 」 を 物品 という具体的な形として包むことは なんて難しいことなのだろう、と思ったことである。 モノやお金で ひとのこころは はかれない。 けれど、佛事など、 モノやお金で 己のこころを包まなくてはいけなくなった場合、 何処に 自分自身の判断基準を置くか。 そこに、己の立場、とか 世間体 とかが 反映されてはいないか。 己は、世間相場、というものから、全く 自由であれるのか。 等々。 迷惑至極に思えた、今回の義母の爆発、憤懣から端を発し、 いろいろいろいろ 考えさせられたことである――。
2010.07.27
コメント(4)
夏の花火には 本当にたくさんの想い出がある。 幼き頃、恐ろしかった 蛇花火、ネズミ花火。 青春時代の線香花火。 そして打ち上げ花火――。 なかでも1番感動したのは、最初の職場で、課内の皆で船釣りすることになり、 上司の山口県のご実家へ 一泊させていただくことになり。 女性陣は、上司のご実家。 男性陣は、上司の婚家へと分かれて泊めていただいたのであった。 山口県郡部の小さな町であったが、上司のお宅のすぐ前を川が流れており、 20mもない、そのすぐ川向で、町主催の打ち上げ花火会がある、という。 日が暮れて、まだ、川向が見えるのに、そろそろ始まるよ、と言われ、 お宅の玄関のまん前の小さな堤防に腰掛ける。 まだ昼間の熱が堤防に残っており、風も生ぬるく、 たちまち汗が吹き出た私たちに、おかあさまが団扇を貸して下さり、 蚊取り線香と一緒に持って来られたのは、冷え冷えの西瓜が山ほど載ったお盆。 西瓜に かぶりついていると、徐々に風が夜の涼風に変わって行き、 打ち上げ師の方々の背中が見えづらくなったとき、最初の一発、を観る。 シュっ と 音を立てて 小さな煙とともに、火の粉が真上に翔け上がり めいっぱぃ首を真上に伸ばした途端、 ど~ん! という 腹に響く音と同時に大輪の花が咲く。 をををを~!! ぱちぱちぱち。 思わず 拍手をすると、川向の打ち上げ師さんが、 「 ありがと~! 今日は うまいこと、行きそうぢゃ! 」。 小さな町であるため、花火大会、とは言えぬほどの、 花火の数も おそらく花火の号数も、小規模なもので、 花火を打ち上げる筒も、2つか3つであったように思う。 んだから、殆どの花火が単打であり、 早打と対打が1、2度あった位であったのだが、 けれど、その分、私たちは、その1つ1つを堪能した。 私たちのやうに堤防に腰掛け、 川に向けて脚をぶらぶらさせながら観ているのは、10人にも満たず、 殆ど、私たちと数人の近隣の方々のためだけに 花火が打ち上げられている錯覚をもてるほど、ふれんどりぃで 真っ暗になった川向では、花火師さんたちは見えないけれど、 打ち上げ師さんたちの息遣いや 点火される音まで聞こえてくる。 お蔭で、緊張感ありありの 大迫力の、 美しくも贅沢な贅沢な花火であり、感動ものの花火であった。 その後、花火について学ぶ機会もあり、何度か花火師さんのドキュメントも観た。 近年では、NHKの『 プロフェッショナル 仕事の流儀 』で、 過去に 何度も「 日本一 」の称号を得た花火師さんが 全国の花火師さんたちのなかで「 日本一 」を競う大会のために、 花火を仕込んでいく1年間を追ったドキュメントも観て。 ほんとに、花火って、凄い! 花火って素晴らしい! と こころから 思うものなのだけれど。 加えて、花火をいちから作っていかれる様子を観れば、 花火の相場が、120m上空で60mの花の咲く3号玉で約3400円、 190m上空で170mのお花の5号玉が約1万円。 10号玉は直径30cmの尺玉で、330mも上昇し320mもの大輪、約6万円。 500mもの花が咲き、都内で打ち上げられるのは まずムリ、と言われる、 二尺玉( 20号玉 )は、1発でも打ち上げられると話題になるという凄物で、 約55万円、、というのは、十分納得できるし、 寧ろそれだけの価格でも、合わないのでは、と思えるくらいであり、 花火大会で遣われる花火玉の費用が平均4000~5000万円位だと聞いても、 そうなんだろうなぁ、、、と思う。 思うんだけれど、これが、民草の税金から出されている、となれば、 少々、もやもや気分も湧いてくる。 ( DLなど、観る側が対価を払っているものは別 ) 皆が皆、当日 花火を観ることができる訳ぢゃないし、 皆が皆、当日の経済効果の恩恵に与れる訳でもなく。 4000万円?? 一夜の一瞬で消えるものに?? それ、半分にしちゃダメなの? ( 花火師さんたちのご努力や活計、、ということはちょっと横において ) それ、半分だったら、私たちは満足できないの? などと、 この辛い苦しい時代に、ちょっと、思っちゃう。 半分の2000万、本当に必要なところにまわせたら。 事故、災害、有事の際のためにプールできたら。 なんて思っちゃう。 私があれだけ感動した山口県の小さな町の、 あの小さな花火大会では、いったぃ幾ら掛かったのだろう。 小規模だったからこそ、というのはあるけれど、 でも私たちは、一発一発を大切に観、美を堪能したのだったが。 とはいへ、皆が夏の夜空を見上げ、一瞬の美しきものを観、 感動を共にすることは、とても素敵なことだと思うし、 殊に お子たちに及ぼす影響は 計り知れないものだと思うし、 夏に 打ち上げ花火がなくなっちゃう世の中、というものには、 寒々しいものも感じてしまう。。。。 んでは、いったぃ だうしたらいいんだらう。。。 6月に入り、夫が、 「 大竹のひとたちは凄い。 大竹のひとたちは凄い 」 と 連発するので、いったぃ何が凄いのかを訊ねたところ、 広島県大竹市では、大正時代の終わりから始まった伝統行事、 『 大竹・和木 川まつり花火大会 』を 大竹観光協会( 大竹商工会議所 )が毎年開催していたのだったが、 昨年、不況のあおりを受けて ついに中止。 しかし、中止になる前年には 約18000人が詰めかけており、 市民から残念がる声が殺到したために、協会が復活を決める。 だが、正直、協会としてはもっと以前から資金難でヤめたく思っており、 存続には市民の協力が不可欠、と、 1口1000円のたる募金で寄付を呼び掛けたところ、 市民はもとより、大竹市の地元企業が頑張り、総額600余万集まったらしい。 で、花火大会当日。 協会主催で、ライオンズクラブの方々も団扇を配られたり、と、 奔走され、市民も大勢詰め掛けて、おおいに盛り上がったらしい。 600万円といへば、全国の花火大会の平均の7分の1程度の予算である。 けれども、市民の方々は、自分たちで復活させ、 自分たちで寄付した花火、だと。 花火の一発一発がいとおしく、美しく、 瞳にしっかりと焼き付けられたのではないだろうか。 実際には、またこれが毎年、、、続いて行く訳で、 来年も600万、集まるかどうかは定かではないし、 お世話をする方々も大変だけれど。 んでも、これが、大竹市としてのイイ街づくりの一環として 高位に位置づけられるやうなエピソードになる、と思えて、 なんだか、頬が緩む。 広島では、1時間で約1万発、来場者数が常に40万人越えの 『 広島みなと夢花火大会 』の花火桟敷のチケットが 近年、売り出されるようになり、即完売の人気。 資金難解決策に 1番近いのは、やっぱり、「 対価 」方式なのかなぁ。。。 後は、一口1000円とか決めないで少額募金も受け付けたり、 回覧板みたく自治会通して、 ちょっとお洒落な花火大会の団扇をつくって買って貰うとか??にほんブログ村
2010.07.23
コメント(3)
今年度のミュージカル出演をどうするか。 7月10日が 主宰者の御方にお返事するタイムリミットで。 それまで さんざんさんざん 悩んだけれど。 公演日の翌々日から倒れ込んで4ヶ月になんなんとするのに、 未だ体調が本調子ではなく、脚周りの湿疹も退かぬまま。 認めたくはないけれど、 もう私には無理なのだろうと 結論付けざるを得ず。 寝込んでいた間の、職場や夫、義母へ掛けた多大なる迷惑。 自分自身へのダメージ。 それでも 万に一つを期し、今年もまた 頑張ってみて、 公演直前に倒れちゃったりした場合の メンバーへの迷惑。 どう考えてみても、これは、無理だ。 だもんで、「 スタッフ希望 」という欄に丸をつけ、 主宰者の御方への謝辞を付け加え、封をして提出する。 提出までは どきどき したけれど、 帰り道は、ちょっとした喪失感を上回る、 もう、どうしやうか、哀しい想いで迷わなくても良いのだという、 ささやかな安堵の想い―― 安堵する、ということは、 この選択が正しかった ということなのか。 そうか、少なくとも、 また、いつ倒れて皆に迷惑を掛けるかもしれない、という そんな不安からは解放されたのだ。 提出期限までに、2度、お話をしていたせいか、 なんとなく 予期していた 主宰者の御方からの電話はなく、 初顔合わせ、初回練習日日程が印刷された葉書が届く。 ――泣かずに済んだ。 言い訳がましいことを述べ立てずに済んだ。 ほっとしながらの寂寥感。 …… 勝手な奴 > ぢぶん
2010.07.13
コメント(14)
職場に お取引先さまご関係者として、 SOFTBANKの御方が多数来社され、 手土産?? として? おとうさんグッズをあれこれ持参された。 で、私は、期せずして 『 おとうさんストラップ2 』 を いただいちゃぃました。 お口は「 へ 」の字のくせして、 前足をおねだりのやうに合わせてるのが なんか、可愛い。 この前足は、クリップ式になっていて オーストラリア土産のコアラのやうに ものをはさむことができる。 で、肩部分を押すと おとうさんが ランダムに 5種類喋る(笑)。 「 姿勢が悪い! 」 「 ちょっと待った! 」 「 意志が弱い! 」 「 お前、ついてくるな 」 「 青春は待ってくれないぞ! 」 5種類が5種類とも、あの いつもの不機嫌口調なのは 少し残念。 しかもこれ、電池がなくなったら、それでお仕舞いみたい。 そして、後から じゎじゎっと もやもや感。 私たちがいただいたのは、おとうさんグッズたち。 スリッパなんて、とてもしっかりした可愛いものだった。 このグッズたちが欲しくて SOFTBANKに変えたり、 機種変したり、「 ただとも 」 プログラムに 加入したひとだって、いるハズで。 メーカーさんのちょっとした「 ご挨拶がわり 」の、 メーカーさんならではの、話題のグッズ。 何処でもよくある光景、よくある話、なのであろうが、 お金を出して買うものではないだけに、 役得~というよりは、申し訳なさ感が わいて来る。 可愛いものを頂戴して、最初は にっこりしたけれど、 後から、じゎじゎ こんな罪悪感を覚えるのは、ちょっとイヤ。
2010.07.09
コメント(4)
往く蛍 吾が眼の前に 誘い来ぬ 手を伸ばしつも 淡き幻―― いつかは この日を迎えてしまうだらうと 覚悟していたとはいへ、 想像以上の衝撃と動揺とで 混乱を極めた日から 1年経ちました。 私は 3ヶ月ぶりの出社を果たし、 少々後戻りしてしまった 全身の状態に 顔をしかめつつも 生きて在る――。 1日中、ひっくり返って 貴女を偲びました。 1年経った今も とても平静でいられない 自分のこころに 狼狽えながら。 ―― それでも こころより 哀悼の真を捧げます。
2010.05.26
コメント(4)
お向かいのお宅のイルミネーション。 毎年1つずつ種類が増えて、今年はこんな^o^;。 我が家の2階の唯一の和室の障子越しに イルミネーションが付いたり消えたりするのを観て、 新婚時代を思い出し、ちょっと笑う。 私たちの新居は、平和公園の川向を少し下ったところで、 互いの職場のアクセスに もってこいの場所で、 当時の市民球場からも徒歩圏に在ることが夫のお気に入りだった。 当時の会社は専門学校を持っており、採用人事教育を受け持つ私たちの部署が この新設専門学校の事務局も任されたのだったが、 私は これまでの仕事に加え、事務局兼クラス担任( 中高教職免許あり )、 夫は、これまでの仕事に加え、基礎科目の授業担当( 中高教職免許あり )と この専門学校に入学する高校新卒の子どもたちの入居する、 物件探しに走り回ることになる。 新しい業務で すっかり旧市内の不動産屋さんと物件に詳しくなった夫が、 結婚後の新居用に見つけてきた「 掘り出しもの 」の物件は、 川沿いに立つマンションと超豪邸に挟まれた、 3階建の鉄筋コンクリートのでっかぃ一軒家のそのまた屋上。 大家さんが、ご長男夫婦に、近しい将来に同居してくれるのでは、と 期待されて自宅の屋上にお建てになった2DKの新築一軒家、だった。 巨大なお宅であったので、屋上の川沿いに面して建てられた小さな家の周りは、 その2DKがあと4軒も建つ程の巨大なテラス。 夏の照り返しが怖かったが、その実、川沿いの有難さで、 窓を開け放つだけで、熱帯夜以外は結構涼しく、扇風機ひとつで充分。 その分、冬の川風は厳しく、タオルやその後、上の少年のオムツなど、 洗濯して乾す端から凍っていった。 炊事手袋越しでも指が凍る心地がする冷たさで、洗面器にお湯を用意し、 1枚乾す度に、お湯で指を温めなくてはならなかった。 市内のどまんなかというアクセスに恵まれ、 新築ぴかぴかの一軒家、という願ってもない好条件なのに、 私たちが入居できるほどの格安家賃であったのは。 偏に、あちらこちらの不動産屋さんに気に入られている夫に、 好条件の掘り出し物情報が集まって来ていたからだし、 大家さん宅の屋上である、ということから、 入居者が大家さんに気に入られなければダメ、ということがあったのと、 平和公園川沿いには、ラヴホテル ( 今でもこういう名称? )が 林立していたから、である^o^;。 実際、我が家の3軒川下から2軒続いたし、 川向には、3軒続き、またちょっと川下に2軒。 新しいホテルが多くて、昼間はファッショナブルに目を惹いたが、 夜になると、それはそれは趣向を凝らしたネオンの花がそれぞれに咲く。 新居の2部屋の和室はどちらも川側に面し、障子であったため、 夜、電気を消すと、障子の向こうが 赤青緑紫、、、 色とりどりに付いたり消えたりの賑やかさ。 音こそしないものの、私も夫も、揃って 就寝時は豆電球もイヤ、 真っ暗でないと眠れない、というタイプだったため、 最初の晩はぎょっとし、慣れるまでは なかなか寝付けなかった。 ここまでは、気がつかなかったね、毎晩がクリスマスだね。 笑い合うしかなく、実際、いつしかそれに慣れて行った(懐)。 で、或る日 私たちは気付く。 金曜日、土曜日と、ホテルとしては書き入れ時であろうときに、 ネオンが灯らないホテルがちょこちょこ在ることに。 いつもまばゆいばかりの障子の向こうが真っ暗、なのである。 これはこれで落ち着かず(笑)、 「 いったい何事なんだろう 」 「 何か起きたのだらうか 」 夫とふたり、障子を開け、観るともなく、夜の川をぼぼぼ~と眺めていると。 真正面のホテルから、1台のタクシーが出て行ったなぁ、と思うまもなく、 そのホテルにネオンが灯ったのである。 夫と顔を見合わせ 「 わかった!!! 」 ラヴホテル、というものは、 満室だとネオンが消える のだ!!! とっくに ご存知でした?? え、ジョーシキ?? @@ この 実体験による知識は、 後々、私たちを助けることになる(後日記・笑)。 私たちはこの新居をとても愛したが、 唯一 閉口したのは、 特に月曜日、夫と並んで出勤していたら、 道行くひとびとが、とてもイヤな顔をして。 或いは興味津々な表情で、 私たち、殊に私を覗き込んで 行くことである。 最初は いったい何故なのか 判らなかった。 そして気付く。 「 ラヴホテルからの同伴出勤 」 だと思われてることにヽ(`Д´)ノ「 夫婦です 」 な ゼッケン作る? と笑った昔日。
2009.12.24
コメント(12)
考えるべきは するか しないか じゃない する と決めたことを いかにして成すか それのみだ それでこそ 犠牲も 少なくなる 常に 自分に問え 迷いはないか 最善を尽くしたかby 朱理田村由美 『 BASARA 』2巻 P.35
2009.12.22
コメント(8)
この地では、秋冬中、『 しいさん 』を拾い集めては 家で炒って食べるのが楽しみのひとつ、と 夫から聞いており。 『 しいさん 』 って 何? と尋ねれば、 『 しいさん は しいさんよ 』 という答えが返る。 (o_ _)oポテッ 結婚後、初めてのお正月帰省でその実態を識る。 『 しいさん 』とは、椎の実への愛情あふれる呼称だったのである^^。 この地には椎木林がそこかしこにあり、 皆、散歩がてら 椎の実を拾っては 焙烙で炒って食して来たらしい。 「 え~~~。 どんぐりを食べるなんて信じられん!@@ 」 「 どんぐりぢゃないよっ! 君も慣れたらすぐに見分けがつくよ? 」 言われてよく観ると、 確かにどんぐりとは ちょっと違う、黒っぽい小さな小さな実である。 でも、生栗には賞味期限があるはず。 どんぐりのようなもので、秋に熟して枝から離れて土の上に落ちたものを、 お正月に拾って食べても大丈夫なものなのか??? おっかなびっくり口にすると、素晴らしく香ばしくて美味しい。 すっかり気に入って、秋冬にこの地へ帰省する度に大量に拾っては 大切に持って帰り、皆に炒ってお裾分けしては 驚かれたり、喜ばれたり、 楽しく過ごしていたのだったが。 結婚時には予想だにしていなかった、この地への転居が決まり、 心中で泣き喚きながら、嘆き悲しむばかりの人生にしたくないばかりに、 何が何でも「 良かったみつけ 」をしていこうとするなかで、 「 しいさん 」は 良かったみつけ の結構上位に入る(笑)。 ところが私たちがこの地に転居したかというように、 あれだけ大量にあった『 しいさん 』 は 一斉に姿を消す。 (-_-) 義父曰く、頻繁に猪たちが里に降りて来るように、 山に食べ物がなくなって、山のものたちが全部食べに来ているのだと。 それは大変! 小さな少年たちを連れて、しいさん拾いをすることを とても楽しみにしていたけれど。 私たちの楽しみは、山の動物たちの余りものでいい。 またいつか、しいさん拾いを楽しめる日が来たら、 お山は少し元気になった、ということだろうか。 お山の動物たちも元気でいる、ということだろうか。 早くお山が元気になりますように。 いつか 少年たちと しいさん拾いができますように。 そう願いつつ秋を過ごすうちに、少年たちは巣立ってしまった。 この日、散歩に出掛けた夫が、嬉しそうに走って帰ってくる。 「 みて? みて? 」 息を弾ませる夫のジャンバーのポケットから しいさんがこぼれ出る。 落ちてまだ間もないようで、 お正月のしいさんよりそんなに黒くないことに気付く。 でも、クヌギやナラ、カシ、カシの実などのどんぐりの茶色とは 明らかに茶の系統が違うことにも気付く。「 まだまだ あったんよ!今度はビニル袋を持って行く~~\(^o^)/☆ 」少年のやうに嬉しそうな君。うちの少年たちに 拾わせてあげたかったな。。。(゚゜)\バキ☆
2009.11.26
コメント(10)
出社日。 3日の 『 大感謝祭 』 に 引き続き、 この日は、週に1日しか出社しない私にお合わせ下さり、 長年、お付き合いいただいたお取引先さまの営業の御方が 定年退職のご挨拶においで下さる由にて、 私は私用で上京する予定だったのを取り止めたのだった。 この御方との初対面は、16年前に遡る。 ボスの中学時代の先輩でいらした由にて、 うちの会社の設立当初、試行錯誤しながら四面楚歌にも立たされたとき、 常にこの御方が寄り添うように傍にいらして、 蔭に日向に、うちの会社の広告関係を支えて下さったそうである。 私より10歳近く年上でいらっしゃるのにもかかわらず、 大変腰の低い、穏やかな御方で、決して出過ぎず、 ボスから引き継いだ仕事で七転八倒する私を、辛抱強く傍で見守り、 笊で水を掬うような 私の至らぬところ、見過ごしているところ、を さり気にフォローして下さり続けて今日に至る。 うちの会社の歩みと共に、その御方は一緒に歩んで下さり、 いつも振り向けば、斜め後方に控えていて下さるような御方で、 今から思えば「 営業ノルマ 」もおありになられたであろうに、 そんなことはおくびにも出さず、決して「 営業 」をせず、 かといえば、こちらから依頼をすれば、 間髪を入れず【 完璧 】な仕事内容でお応え下さる、 もの凄い御方であった。 フツーであれば、キャリアを重ねられれば早々と一線を退き、 管理部門、役員待遇、と出世なさっていかれるのであろうに、 生涯現役、とばかりに、ご定年のその日まで、 ずっとうちの会社担当で在り続けて下さったのである。 その御方が、今月限りで退職なさる――。 昨年あたりから、ちらっとそれを思っては不安になり、 ぃゃぃゃ きっと「 顧問 」な形で残られるだろう、などと虫の良いことを願い。 3月に入って、この御方より、 慰留の話はあったものの、自分はきっぱり引退する旨を伺って衝撃を受ける。 「 暫く、数字や時間に追われる日々から距離を置きたいのです 」。 「 この歳まで大病せず、定年の年に 末っ子の大学卒業式に出られ、 息子から『 行かせて貰ってありがとう 』というメールを貰い、 もう想い遺すことは、ないのです。 長らくおつきあいいただき、本当に有難うございました 」。 私の方が涙目になってしまうような言の葉をいただき、 それでもいよいよほんとに最後の月、となっても もうひとつ実感を持てず、 ぴんと来ないでいたのだったが、ついに この日を迎える。 その日には、格別お世話になった有志メンバーでお花を贈ろう、と 話していたため、実際にお花が届いて目にした途端、 急に現実だと認識してしまい、どきどきしてしまう。 お花は、花束だとご帰宅まで大変だったり、 重なるとご自宅でも大変、ということから、鉢植えを勧められ、 数ある鉢植えのなかから先輩が選んだのは、 淡いピンクの胡蝶蘭 『 ハルガスミ 』だった。 え、胡蝶蘭?? と 実は 一瞬思ったけれど、 これが実に優しく 可愛らしく、観てて飽きない。 さすが先輩。 good job(//▽//)☆ 後任の御方は、お取引先さまの切り札エースでいらっしゃる由。 転勤・異動の多い他社さんのご挨拶回りと、まるで同様な手順で、 名刺を交わし、ご挨拶を交わし、 未だ信じたくない私のこころだけ残して、 淡々と着々と引継ぎの儀が終わって行く。 どうしやうどうしやう。 今更ながらに、大切な場面場面で この御方に助けられて来たことを 思い知らされる。 自分が退くときは、どうぞこんな想いを誰もしないやう。 、、顔はにっこり笑いつつも 頭のなかが 訳の判らないことでとっちらかる。 視界の隅に、ハルガスミを抱え スタンバイしている先輩が目に映る。 あぁ、もぉ、しっかり! > ぢぶん。 伝えきれない感謝のこころを しっかり伝えるのだ。 ふぁいと、ふぁいと > ぢぶん。
2009.04.07
コメント(6)
ミュージカル本番3日前。 大勢のスタッフがスタンバイされるゲネプロを翌日に控え、 照明位置、マイク位置を頭に入れながらの通し稽古。 主役級は、ピンマイクをつけるが、 私などは舞台4箇所にセッティングされる置きマイクの位置を叩き込み、 効率よくマイクを利用できるよう、それが自然に振舞えるよう、動きを調整する。 いつもと変わりない先生の怒声を浴びながら、 もう、後はないのだと、さすがに皆の顔も引き締まっている。 出番が ほんのぽっちりの私でさえ、これだけ不安で緊張してしまうのだから、 長台詞が多々あり、泣かせる場面を請け負う主役なメンバーさんたちの緊張は 如何ばかりか、、、、と思うのだが。 少なくとも これまで何度も舞台を踏んできた子どもたちは、 早く衣装を身に着けて、早く舞台化粧を施されたい。 口々にそう言っては、目を輝かせ、 期待ではちきれんばかりに 本番までの時間をカウントダウンしている。 頼もしいこと! と 思いたいけれど、 正直、素人の私の目から観ても、まだまだ「 完璧 」な仕上がりには程遠く、 これって、「 浮き足立っている状態 」 だとは言わないか? こんな仕上がり状態で 平気で、舞台を踏める、と思っていることが不思議で、 この根拠のない自信、は 何処から来るのかが不思議で、 異様なほどの盛り上がりの空気に溶け込めず、 独り、輪の外でおたおたしている。 スタッフの御方がそれに気付かれたか、 「 りうりうさん、この子たち、皆本番に異常に強いんです。 本人たちが、その魔力を必要以上に過信しているところが 困りものですけど。 大丈夫! 本番では ヤりますよ! 」 ぅぅぅ 。 これだけ瞳を輝かせているお子たちだもの。 当日、彼らがこの輝きで元気いっぱぃに 語り、歌い、踊るだけで、 伝えたいことは伝わるのかもしれない。。。。 ひとを 心配している場合ぢゃない > ぢぶん そんな暇があるのなら、その分、自分の役を仕上げるのだ! ふぁいと、ふぁいと > ぢぶん この日は 生憎の大雨。 でもでも、金曜で幸い。 この金曜土曜にしっかり降って貰い、 どうぞ本番の日曜日は、皆さんが足をお運びいただけるよう、 是非是非 晴れて欲しいと 祈るような想い。 、、、自他共に認める「 絶対晴れ女 」 の 私。 本領発揮するのは今こそ! (笑)。 生憎の土砂降りでも構わないやう、 今回 練習用に買ったポリエステルの和服のなかで、 思ったより似合わず、すっきりとも見えず、気に入っていない、 買ったのをちょっと後悔している和服(汗)を着て来たことが、 何気に自分のテンションに影響を及ぼしていることを感じる。 この日に来られた、本番にお世話になるスタッフの御方に、 「 りうりうさん、まさか、そのお着物、本番用ではないですよね? 」 と訊ねられたことも、 和服込みで自分自身がダメ出しされたやうで ヘコむ気持ちに拍車をかける。 今更のやうに。 着るもの、って大事なんだなぁ、と痛感する。 そのTPOは大前提だけれど、 何より「 自分 」のポリシー通りの。 自分が好きで、似合っていて。 その場にそれを着ることを選んだ自分が 胸を張って纏っている、ということ。 大事なんだなぁ、、、と。 嗚呼、でもでも。 和服に目が肥えちゃうと、 余りの奥の深さ、高価さに。 観るだけ なら イイけど、 不幸の元だわ^o^; > ぢぶん んなことよりも、本番、本番っ!
2009.03.13
コメント(1)
ミュージカル本番まで1週間となり、 行き詰ってる私は、 自らの恐怖心と、落ち込む日々から ひたすら 現実逃避をする(滝汗)。 この2ヶ月で、すっかり和装に目覚めてしまい、 限られた手持ちの和服と帯のなかで、 思いもかけぬ発見をするのは、異なる帯揚げ 帯締め の組み合わせ。 そこに もひとつ、半衿、伊達衿の組み合わせ。 足袋も最近は、こはぜが無く、伸縮の効く、簡単な化繊の足袋が出ていたり、 足袋ソックスのように、足袋に大胆な刺繍を施したものや柄物も出回っている。 物珍しさに、きゃはきゃは喜んだけれど、 足袋については、すぐにやはり昔ながらの「 白無地 」が 1番お洒落で、1番素敵だと気付く。 だって、汚れればすぐに目立つからこそ、真っ白は美しいし、 1番和服を引き立てるし、1番色っぽぃもの。。。 柄足袋は、草履や鼻緒の美しさだって、殺しちゃうし。 私は、せめて 色無地の足袋ぢゃないと、ダメな気がする。。。 足袋はさておき、和服、帯、帯揚げ、帯締め、半衿の関係って、 男性のスーツとカッター、ネクタイ、ネクタイピン、ソックス、靴、 といった関係に ちょうど良く似てるなぁあと思う。 で、和服や帯は、そうそう枚数、本数を持てないので、 勢い、帯揚げや帯締めで遊ぶ、、ということになるのだけれど、 今回の私は、半幅帯で、殆ど帯締めを使用しないため、 勢い、視線は、半衿に向く。 長襦袢の衿に、重ねて縫い付けるだけで、 どんなに全体の印象が変わることか。 想像するだけでわくわくするし、実際取り付けて袖を通すときの期待感てば。 今回、私は帯揚げをしないけれど、 半衿と帯揚げ、帯締めの色を合わせると、 とっても粋に仕上がることに気付いて、にっこりする。 で、それも、帯や和服のなかに遣われている色だと、ほんとに素敵(//▽//)☆ 私がこの度の本番で着る和服は、実家の母が縫ってくれた、 淡紅藤 ( #e6cde3 ) の色無地、一つ紋である。 それと練習用に着ている黒の和服と、葡萄色 ( #640125 )の和服と。 どれにどう組み合わせやうかな。。。。同じような色合いでも、ちらっと覗く模様の有無で、また全然表情が違ってくる…… で、とっかえひっかえして、楽しく良い子して遊んだのだけれど、 本番を1週間後に控えたここへ来て、また気付いてしまう。 衿は 真っ白が やっぱり素敵。 (゚゜)\バキ☆ ( 理由は足袋と一緒(笑) )。あ、でもでも、淡いお色の色無地には、刺繍半衿など、凄く素敵だったりする☆☆
2009.03.08
コメント(6)
最初の会社で同期であった男性と、また現在の会社で一緒なのであるが、 彼は、以前の会社ではコンピュータ関係業務であったので、 そこから技術系転職をし、その後、うちの会社で営業職についている。 元々の彼は、彫りの深いハンサム系の容姿で、 「 技術職 」ななかにあっては、 陽気でひと懐こく、皆から可愛がられるタイプであった。 が、2度目の会社で 彼はすっかり自信を失って退職。 昔のご縁で、うちの会社に入社して来た時は、 姿勢も前屈み気味の ぼそぼそっとした喋り方しかできず、 お客さまはおろか、同僚とも視線を合わせられない。 「 営業職 」では とてもとても(-_-)、、、なオーラ を 出すようになってしまっていた。 実際、お客さまからも「( 彼のせいで )お店が暗い 」 「 元気がない 」 「 お店が 爺くさい 」 等々、ますます彼を萎縮させてしまうようなクレーム、 名指しのご意見、感想メールが舞い込むようになり、 本部としても頭を抱えるようになって行く。 何とか彼自身やお店のモチベーションを上げようと、ここ何年も、 「 人事交流 」「 勉強会 」等々の名目で、配属先を変えてみたり、 食事会などを試みたり、店舗ディスプレイ変更、リニューアル、等々、 考えられうる限りのあの手この手で工夫し、努めて来たが、効果がなく。 近年は、ハンサムさんであった彼の頭髪の生え際もぐっと後退し、 ますます彼の姿が精彩を欠いたように見え、その鬱々とした元気のなさは、 このままでは近々に自主退職の話が出るのではないか。 最悪の事態を懸念しつつも、だが、もしかしたら、その方が、 彼の再出発にも うちの会社にも 良いのかも知れない、と。 そんな風な淋しい空気まで流れ始めており、 元・同期の夫も私も、ただただ やきもきするばかりであったのだった。 ところが。 昨年の、全国から全社員が一堂に会する会社忘年会を機に、 彼が 一気にハジけた。 思わず 「 だいぢゃぶか?? 」 と思ってしまうほど彼は元気になり、 お店も明るくなって、お客さまからのお店への評価、彼への評価も数段とアップ。 相乗効果で勢い付いている。 ことは、お店の清掃中に、マネキンの頭に乗っているカツラを ふざけて 彼がかぶってみたら大好評だった由にて、 忘年会でウケを狙い、彼自ら それを持参し、かぶってみせたことだった。 マネキンのカツラだから、すっぽりかぶるタイプで、 如何にも、な、茶髪のゴワゴワ剛毛の、そんな立派なものではないのに、 これが、皆が感嘆した程、彼によく似合い、意外なことにカツラと思えない。 それが誰か、気付かなかったひと多数、 驚いて声も出ないひと多数、 「 あのイケメンは誰だ! 」と ケータイでシャッターを切る女子社員多数、 私たち古参社員は、腹を抱えて大爆笑。 押し合いへしあいして、彼の周りに人垣ができ、忘年会随一の人気者となる。 以来、彼は しっかり元気になって、 自前で8000円程度のカツラを買い、かぶったり かぶらなかったり。 お店のお客さまが、毎日、今日は彼がかぶってるのか、かぶってないのか、と チェックにおいで下さるようになる程の話題を醸し、ファンもでき、 笑いの絶えない、元気で弾んだお店になる。 先日、帰宅する電車で彼と一緒になった夫は、 下車するまで、笑顔いっぱいで喋り通した彼に目を細めて帰って来た。 この日の話題は、彼が自前でカツラを買おうとしたときに、 訝しげに眉を顰めて奥さまがおっしゃった「 目的は何なん? 」というひとことと、 その後、行きつけの床屋さんにカツラ持参で散髪に行き、 理容師さんにこれまでの話をしたら、理容師さんにもバカ受けし、カツラをみせたこと。 そのカツラが少々長髪だったため、 「 これも貴方の髪だから 」と、無料でそのカツラを調髪して下さったこと。 皆に笑いと元気をもたらしてくれた彼の、 本当のこころのなかは 判らない。 ふざけてマネキンのカツラをかぶるまでに至った彼の想いも判らない。 現状打破に向け、どんなに彼自身が足掻いて来たことだろう、と思う。 今だって、そんなに高いカツラではないから、 長時間すっぽりかぶっていたりすれば、 地肌への負担も厳しいのではないか、とも心配したり。 でも何より、しょぼくれて、くすんだ感じであった彼が、 今や輝かんばかりの笑顔で接客ができ、 昔のように皆に好かれ、 多くのお客さまに可愛がっていただけるようになれたこと。 昔の仲間に、笑顔いっぱいでお喋りができるようになれたこと。 それだけで 凄いことだ、と まずは とても嬉しい。
2009.01.25
コメント(8)
ここのところ、車内ではミュージカルのカラオケCDをエンドレスで流し、 ずっと歌い込んでいる(笑)のだけど、さすがにちょっと気分転換したく、 何故かしら拓郎の『 唇をかみしめて 』を聴きたくなって、CDをチェンジする。 うろ覚えだったトラック数は間違っていて、流れ出たのは違う曲。 これまで、あまり真面目に聴いたことのなかった曲で、んんん? と 思わず歌詞に聴き入ってたら、涙が流れてしまった(滝汗)。 メロディはシンプルで、1度聴けば誰でも歌えるような曲であるが、 歌詞が秀逸である。 やっぱり だだもんぢゃない > 拓郎。 勿論、皆さんはご存知なのでしょうけれど、深く感銘を受けてしまったので。 新潟県西蒲原郡吉田町(約2万4000人)に、 有志による『 若者共和国 』がつくられ、 全国の『 吉田町 』の代表者を呼ぶ『 吉田町サミット 』が提案され、 そのテーマソングを同じ吉田である拓郎に依頼し、91年春にできた曲。 この吉田町は、06年3月に、燕市、分水町と合併して新・燕市となって消滅。 。。このエピソードは識っていたのに、ちゃんと聴いてなかった。。。 * 広島県にも吉田町があったが、やはり合併して消滅。 サンフレッチェのマザータウンである。吉田町の唄 作詞・作曲 吉田拓郎昔 その人は 赤子を抱いていつか故郷を拓けと願い「 父を越えて行け 」と 名前をさずけた母は影のように たたずみながらすこやかであれと 涙を流すのびやかに しなやかに 育てよ子供やがて大地 踏みしめ 太陽になれ祖母に手をひかれ 海辺を歩くはるか遠い国へ 胸をおどらせ風はほほを過ぎて 7才の夏の日姉の唄う声は 小鳥のようで心ときめいて 足をはやめるのびやかに しなやかに 育てよ子供やがて大地 踏みしめ 太陽になれ兄の進む道は たくましそうであこがれのように まぶしく写る「 強くなれたらいい 」 12才の秋の日友と汗をふき 山に登ればたぎる想いゆれて 命とおとし時は川の流れ 19才の冬の日あの日 その人は やさしく笑い母の手をにぎり 旅に出かけたのびやかに しなやかに 眠れと祈るやがて雪を とかして せせらぎになれいくど春がきて あの日をたどるこの名も故郷も 静かに生きる雲が空に浮かび 人の顔になる昔 その人が 愛した場所に若い緑たちが 芽をふきはじめのびやかに しなやかに 育てよ子供やがて大地 踏みしめ 太陽になれのびやかに しなやかに 育てよ子供やがて大地 踏みしめ 太陽になれ
2008.12.16
コメント(4)
「 何か できること、ない? 」 そうメールをしたい。 きっと震えているだろう 彼女の 傍に在りたい。 一晩中、そう願いながらも、 それさえも、「 今 」は 彼女の負担になるだけかもしれない、と 逡巡しながら朝を迎える。 朝刊を取りに出ると、件の家は、固くシャッターが下ろされており。 意を決してメールを送信するも 返事なく、 ケータイが鳴ったのは 夜になってから。 まずは彼女が無事であったことに胸を撫で下ろす。 ぽつり ぽつりと 語る 彼女に とことん付き合い、 相手方の 独りよがりな 自分勝手な 愛 という名の 自己愛と 結婚し、子をもうけても 親離れ、子離れできない 親子の 罪、愛憎 に 震える。 弁護士を探さなくては、という彼女に、従弟の事務所を伝え。 倖せ、とは なんだろう、 誓い、とは なんだろう、 家庭、とは なんだろう、 今更ながら 途方にくれる。 ひと それぞれ。 それぞれの愛の形があり、 それぞれの想い、それぞれの倖せ、 それぞれの家庭の形、が在って当たり前。 でも 夫婦として共に暮らす当人同士が なにか 想いや こころを 何処かで共有してなければ。 どんなに 好き でも。 どんなに 執着 してても。 少なくとも 片方が倖せぢゃなかったら。 お互いを尊重し合えてない、それは。 それは 倖せ って いえるんだろうか。 「 みてるだけで 倖せ 」? それは 恋 ではあっても、 夫婦 じゃないよね。 そして、子の倖せを願う 親の気持ち。 同じはずでも、 嫁した娘の倖せを願う 母の気持ち。 嫁取りした息子の倖せを願う 母の気持ち。 すれ違う悲劇は、何処から来るものなのか。 孫が鎹とならず、むしろ拍車を掛ける悲劇。 いずれ、姑として、私も往く道なのか? 否。 断じて 否、で ありたい、のだけれど。
2008.11.01
コメント(4)
15日早朝、セレモニーホールから出勤する夫を送り出し、 11時からの 葬儀に備え、少々ドタバタする。 亡くなる直前に 唇が切れてしまった伯母の口元が鬱血しているのが 気になったため、ラストメイクをして下さったスタッフの方にお願いし、 綺麗に直していただく。 とてもナチュラルに、少女のように初々しい口元に直していただき、 従弟はほっとした表情をし、母は思わず 涙をこぼす。 。。。葬儀を終え、1番辛い灰葬へ。 広島市の隣の火葬場は、本当に高い高い山の上にあり、 眺望の良い、天にも昇れるような場所である。 広島市の火葬場は 美しい巨大施設ながら、 人口が違うので、常に大混雑しており、 火屋勤行など到底できるスペースはない。 順番に追われるように そそくさと最後のお別れをするのだったが、 こちらはきちんと最後のお別れのお部屋があり、 どっしりと落ち着いてお送りできる施設であった。 若いお坊さまも一緒におあがり下さって、火屋勤行をして下さる。 伯母は 変わらず 美しいままで眠っており、 この後、お骨を拾うことになるのが信じられない。 なのに。 かさこそと音のする 白い、軽い お骨を拾いながら、 遺されたものは、こうして諦めさせられて行くのだ、と、 本当に引導を渡されたこころ持ちになる。 従弟が伯母のために用意したお骨壷は、 これもまた、お花がいっぱいのもの。 初めて観る お花いっぱいの陶器に思わず目を丸くする。 還骨勤行のため、そのまま私たちを乗せたバスは お寺さんへ直行し、お参りし、お坊さまの言の葉をいただく。 この頃になると、従弟も母も疲労の色濃くなっていたが、 お寺さんでは、まず熱いお茶をいただき、 「 ようこそ ようこそ お疲れでしょう。 まずはゆっくり。 ゆっくり 」 しばし、休憩のときをいただく。 このお坊さまは、従弟の高校時代の漢文の先生であった。 それを識っている私たちは、ことさら、お坊さまの言の葉がやさしく、 従弟を包んでくださるように感じてしまう。 「 誰も 死から 逃れられない。 判ってはいても、 この事実を想い識らされる、近しいひとのご葬儀ほど いのち に対して謙虚になれる日はない 」 「 厳しい 哀しい 現実に 気付かせていただき 想い 惑い、迷う 自分のこころに気付かせていただく、 そんなご縁をいただかれたのです 」 「 まずは、ゆっくり おやすみなさい。 しっかりやすんで、こころ 鎮め、 亡くなられた御方にいただいたご縁を 尊びましょう 」 最後に、伯母の四十九日が 12月1日になることから、 三十五日をもって忌明けとする取越法要を行わなくてはならないのでは、 と、迷う必要のないことを 説かれる。 あなたが生まれた日は大安吉日でしたか? そう、誰も覚えていない。 誰も識らない。 識らなくていいから。 識らなくて済むから、です。 友引だから、葬儀は行えない。 荼毘にふせられない。 亡くなられた御方が友を引く、そんなナンセンスなことはない。 友引であろうがなんであろうが、 息が切れたその瞬間から、肉体は滅んでいく。 いつまでも傍に在り、お顔をずっと観ていたくても 厳しい現実の惨さに気付いて、早く荼毘にふし、 お送りしてさしあげねばならないはず。 友引だから。 大安だから。 このことは、いつもそのように思い惑う私たちの弱さに 気付かせていただくご縁なのです。 迷信を廃する。 ありとあらゆる雑念を廃し、裸の自分のこころに向き合う。 感謝のこころで 佛 と 向き合う。 唯一おすがりできるのは、 佛 と識る。 その 佛 とは、息が切れた瞬間から、万人が往く道。 善人なおもて往生を遂ぐ いわんや悪人をや 改めて、真宗というものは、親鸞の革命的な思想に基づく、 ひとりひとりのこころを 大事にする 宗教であることが とても嬉しく とても恋しい。 初七日、二七日、三七日、、、、 これから七日ごとの法要は、月曜日にあたるのだが、 お坊さまは、従弟に合わせて下さり、夜、お参りいただけることになる。 こうしたことも、お坊さまがかつての従弟の恩師であればこそ、と有難く思い、 そして、本当に従弟が独りきりになったのだなぁ、と実感する。 私は だいぢゃぶ か。 今、元気で在ってくれる母が いつまでも元気で在ってくれるとは限らず、 伯母が逝き、母の1番上の姉、すぐ下の妹もまた、 共に病み、いつ、何があってもおかしくない。 無礼極まりない言い方ながら「 外堀 」を埋められていく感があり。 。。そしてやっと。 このひとが居なくなれば、私はとても正気で生きていけない。 このひとだけが、今の私のこころの支え。 母を手本に、母を目標に、母を頼りに生きて来た私が、 この歳になるまで、その母が元気で在ってくれていることこそが 何よりの僥倖であることに気付く。 ――― 想い悩み、惑わされず、 日、1日を大事に、まず 自らが生きて在る。 それしかないことに気付かされる。 ひとの 親 である自分。 ひとの 娘 である自分。 ひとの 妻 であり、 嫁 である自分。 、、まず、自らが生きて在れ。 懸命に、精一杯。
2008.10.15
コメント(12)
かねてより療養中であった伯母が急変し、帰らぬひととなりました。実家の母のすぐ上の姉で、この伯母夫婦に私は大層可愛がって貰ったものである。1人息子である従弟は弁護士で、東京の大学から長く東京で活動していたのだったが、つい数年前に、歳を重ねた両親を案じて広島に戻って来た途端に、伯父が急逝し、伯母もまた、4年前に乳癌を手術。予後がとても良かったのに、術後2年目に肝癌発覚。それからは1ヶ月ごとに、10日入院しての抗癌剤治療。お洒落な伯母なので、ウィッグもまた楽しみながら息子のお嫁さんを観るまでは、と、ここまで元気に過ごして来たけれど。肝癌が発覚してからというもの、3年間、1ヶ月ごとの入院時に つきっきりで伯母の看護をして来た私の母も 余りの急変にがっくり肩を落とし。未だ独身の従弟は、本当に独りきりになって。仕事柄、片時もケータイの鳴り止まぬときがなく。複数の仕事を進めながらの哀しみの席。その喪主席に 独りぽつんと座る従弟の姿に胸が痛み、彼と私の母と私と私の夫と。4人で伯母の棺の前で、夜伽を務めることに決め。一晩中、あれこれと想い出話をしながらも、幾度となく伯母の顔を眺めに 棺に近寄る従弟の背中が悲しい。お花の大好きだった伯母なので、お花いっぱいで送りたいと、従弟はお花の祭壇をお願いし。美しい祭壇を観るだけで 涙があふれる。従弟の背中が見えなく、なる。親は、せめて子に人生の伴侶のできるまで、歯を喰いしばり、元気で生きて在らねばならない、と 思う。そして。私を りうちゃん、と呼び、愛し、守ってくれたひとたちが、どんどんと居なく なる。その分、私は否応なく おとな になり、その分、私が若いひとたち、お子たちを愛し、慈しんで行く番なのだ、と 思いながらも。誰もが往く道、辿る道、と 識っているのだけれど。哀しい、淋しい、厳しい道、だと 思う。伯母ちゃん。 これまで有難う。大好きなお花に囲まれて、良かったね。伯父ちゃんと一緒に待っててね。
2008.10.14
コメント(30)
25日。 扇風機の風を最強にしても熱風が来るだけで、あまりに暑く、 右腕肘裏を中心にどんどん肌も悪くなっていき、 胸、首周りに汗疹も出始める。 土日は仕事も佳境に入る予定のため、 たまらず今夏、お初のクーラーを入れる。 その前に、4台分のフィルターと中の掃除で、消耗する。(;;)☆ これがイヤさにこれまで我慢したようなもので、 もっと早くからヤっておけば良かった、、と毎年反省する(゚゜)\バキ☆ しかも今回は、不調を言い訳にズルをして、こんなのを使ってしまった。アース エアコン洗浄スプレー【森林の香り】 1台に1本。 スプレーすると、しゅわしゅわとエアコン内部で頼もしい音がして、 ファンから配管内から、あちらこちらに塗布され、 汚れを落としてくれているような気がする。 手軽で助かったが、『 森林の香り 』というのに一抹の危惧を感じた通り、 めちゃくちゃ人工的な感じの香りで、1本使うだけでくらくらする。 2本目からは、呼吸困難になるため大嫌いなマスクを嫌々掛けて4台終了。 この「 森林の香り 」には閉口したが、香りは運転後30分程度で消え、 例年のエアコンの使い始めの なんともいえない風も空気も全くなく、 エアコン内部がすっかり清浄になった感はとても嬉しい。 が、スプレー中のくらくら感。 我が家ではご法度の合成洗剤。 界面活性剤に抗菌剤。 ( ↑ 0・3%ポリオキシエチレン、ポリオキシプロピレングリコール ) この排水は、我が家の敷地内に染み込む、ということ。 この地には下水道もない、ということ。 そして、空いたスプレー缶4本。 この地では穴を開けて、「有害」「危険」ゴミに出すのである。 う"~む。。。。 ぃぃのか。。>ぢぶん ぃゃ、よくない。。。(o_ _)oポテッ んでも、エアコン 内部 だから、 我が家の万能洗剤『 アルカリウォッシュ 』や、重曹やクエン酸では めちゃくちゃ不安だし、 石鹸類では、濯ぎの問題がクリアできない。 これまでは、掃除機の吸引でお茶を濁したり、 先輩からいただいた 『 アルカリイオン洗浄水 』を遣ってたのだけれど。 ↓ 界面活性剤は使用されているけれど、後は純石鹸のみ、という こんなのも見つけてたんだけれど。。。。高い(;;)☆ 合成洗剤ものの5倍のお値段。( ┬_┬) エスケー石鹸 エアコンせっけんクリーナー はぅぅ。 。。。。んでも業者さんに頼めば、1台に1万円は掛かるし、 もっと強力なる合成洗剤だと思うし。 来年からは、これかなぁ。。。。(;;)。
2008.07.25
コメント(10)
夫の定休日。 前夜に、先週の 20数年ぶり のカラオケ大会(笑) に懲りない夫から、 「 今夜はどーする? どーする?? 終電より早く帰れるよーん 」 暗に カラオケBOXへ また行こう!と誘ってる、 おそらく 目をキラキラ させてるだろうメールが届くが、 あっさりと却下のメールを返す。 (-_-) なんで、そんなに元気なの > 夫 その分、夜は録画してた映画を二人で観てゆっくり過ごし、 夫は翌朝6時から休耕田の耕運機で田鋤き、午後からは免許更新へ。 夫もめでたく、ゴールドに返り咲く。 夜、訃報が入る。 ここのところ、酷暑のせいか、社員のご両親や祖父母の訃報が続き、 社内は、それぞれの哀しみに包まれ、 また、その分、お店は人手不足にて てんてこまいなのであるが、 すゎ、また人員調整を!! と身構える。 ところが今回の訃報は、私たちの最初の会社の後輩だった。 社内結婚した細君の方が逝去された由。 私より2歳年下である。 夫君の方は夫が、細君の方は私が。 採用・教育を担当したとはいえ、縁が切れて、もう20年余。 痛ましく感ずれど、さて、私たちはどうしよう、、、と頭を抱える。 識らせてくれた同僚は、私たちは既に縁が切れているのだから、 来なくていいし、香典も出さなくていい、出さない方がいい。 ただ、識らせたかったのだ、と言う。 。。。で、識ってしまった私たちは。 こころより悼み、こちらで手を合わせる。 が、わざわざ識らせて貰った以上、先方に向けては、どうしたらいいのだ。 夫の出した結論は、「 弔電を打とう 」というものだった。 私も同意し、ネットで調べ、弔電の台紙の種類に唸る。 台紙にお金を掛けるくらいなら、その分、お香典を包んだ方が良いし、 包めば、新しいご縁をつくることになり、 「 お返しをしなくては 」的気遣いをあちらに掛けることになるし。 ここで夫の出した結論は、台紙代不要のもの。 これに こころ込めて電文を考える。 それが弔電の本来の意味だよね、と。 お祝い電報なら、幾らでも楽しい台紙や様式を選択し、 こちらのお祝いの気持ち、嬉しい気持ちを贈ることができる。 でも、悼むこころ、お悔やみを申し上げるこころは、難しい。 先方への距離も、余りに遠い。 もしかしたら弔電も不要なのかもしれない。 識ってしまい、でも、行動を起こせない自分たちの免罪符。 何もしないではいられなかった、自己満足の形を送ることでしかないのかも。 そんな風に迷いながらも、そう決定し、 夫は、ネットで済ませるのではなく、電話で115をプッシュする。 滞りなく必要事項と電文を述べた後、最後の台紙を選ぶ段になり、 夫が、「 ベーシックでお願いします 」 と伝えた途端、 何やら「 ? 」なやり取りがあった後に終了。 「 よろしくお願い致します 」と、あくまで夫はにこやかに頭を下げたが、 切った途端に渋面となり 「 失礼な! 」と呟く。 何を言われたのだ、と訊ねると、下記の如く。 「 ベーシックでお願いします 」 「 は? 」 「 ベーシックでお願いしたいのですが 」 「 今どき、ベーシックを遣われるなんて(苦笑)。 余程、親しくない間柄でいらっしゃるんですか? 」 ヽ(`Д´)ノ なまじ、当たってるだけに、こころを抉られたような気がする。 オペレーターさんは、そこまで踏み込んで訊ねますか? 、、、形だけでも、値を張った方が良いとでも? 私たちが、遠い日に共に歩んだ後輩の早すぎる逝去を悼み、 残されたご家族に寄せたこころは本物だった。 でも、冠婚葬祭は、想いをお金で贖われるもの、だと、 思い知らされたような気がする。 (-_-)
2008.07.24
コメント(18)
もうすぐ、カウンターが40万を刻もうとしており、 途轍もない数字を前になんだか、ぼわわ~として落ち着かない。 、、、こんなときは自分語りだなぁと(゚゜)\バキ☆ そそそ。 以前からカミングアウトしなくては、と思っていたこと。 nifty時代からの友人には、今更ですが、 何を隠そう、私は筋金入りのゲーマー、なのでした。 ( てへ ) 実家が厳しかったため、独身時代には、コンピュータゲームは未経験。 当時大流行のインベーダーゲームでさえ1度もなく。 ボードゲームやトランプは、大晦日~お正月だけ、と決まっており、 日頃、母のお手製おやつしか食べられない私は、 年に1度の駄菓子食べ放題であるお正月を二重の楽しみにしていた。 小学校時代は、バレー部( 冬はサッカー部になる )に入るまでは、 男の子たちと野原を駆け回り、あとは本の山に囲まれて倖せだった。 中学時代は、バレー一色+本。 高校時代は、バレーと生徒会+本。 トランプが大流行し、休憩時間に皆でページワンをしたり、 大貧民をしたり、2人対戦のブラックジャック。 なかでも『 SPEED 』では、私に敵うひとなく、 クラスで女王となる(笑)。 大学時代。 バレーと合唱と、本と、、、、、闘争に明け暮れ。 社会学は卒論評定が厳しく、例え就職が内定しようと、 卒論が通らねば卒業できない。 5年生、6年生がゴロゴロといるなかで、 2年次からテーマを決め、演習、ゼミとしごかれ、 髪を振り乱して鬼のように勉学した。 そんな 清く正しく美しい?ゲーム無菌状態だった私なのに。 上の少年を授かり、7ヶ月のおなかを抱えたお正月。 12月29日から、三男嫁稼業の覚悟をして夫の実家に帰省したとき、 長義兄んちの少年( 当時小学生 )が、 ファミコンとスーパーマリオブラザーズを持って帰省し、 そのマリオの余りの可愛らしさに、一目で堕ちる(笑)。 「 りうおばちゃんもどうぞ 」 甥の可愛い声がコントローラーを差し出し、おっかなびっくり触ってみる。 初めてのTVゲーム。 コントローラーの通りにマリオが動くことが、信じられず、楽しい。 歩く。 走る。 ジャンプする。 をををを!! 何の意味もないのに、しゃがませたり ファイヤーボールを投げて土管に当て、その音に爆笑する。 皆で観て楽しめ、皆で笑えて。 音も可愛くて。 普段は、近寄り難いオーラの長義兄も、長義兄嫁さんもやさしい。 楽しい。 一緒に笑い合えることが嬉しい。 お正月は、朝から晩まで おさんどんで、座る時間もなく、 どうかすると嫁たちは、台所で立ったまま食べられるものをつまむ。 7ヶ月だろうと何だろうと関係なし。 いつもは辛いばかりのお正月なのに、 この年は、TVの部屋で、ずっとマリオの音がしており、 その間中、一瞬だけど触らせて貰った、可愛くて楽しかったマリオの様子が 頭に浮かびっ放しで、にこにこしながら嫁稼業をこなす。 6日間の苦行が終わり、よれよれになって広島へ帰る電車のなかで、 夫にねだって、ファミコンとマリオのゲットを勝ち取る。 だが、当時は、ファミコンが今のDSのように品薄で、 何処もかしこも売り切れ。 製造中なので予約不可。 現在のようにネット情報もなく、 これでは、出産までに入手できないのではないかと絶望し、 欲しい気持ちに油が注がれ、こころは猛火の如く燃え。 ところが或る日、市内のデパートに、 ファミコン限定20台がマリオと抱き合わせで入る、と 蛇の道は蛇の極秘情報が入って来る。 これはもう、並ぶしかない。 自分が育てられた如く、子どもたちにゲームは与えない。 たった一瞬で、大人である私があれだけ魅せられたのだ。 幼い少年時代に巡りあってしまえば、自制心など何するものぞ。 どんなに夢中になり、どんなに、脳とこころを育てるのに必要な、 大切な時間を吸い上げられてしまうだろう。 子どもたちには、できるだけ長く、 一緒に外を駆けずり回る、たくさんの友と、 山ほどの本に埋もれて、自身の想像の翼を広げる倖せのなかにいて欲しい。。。 これまで全く興味の範疇外だったファミコンを買うことを決めた時点で、 そんな風な「 育児方針 」を決めたため、 私がマリオと遊べる時間は、後、ほんの僅か。 この機を逃すと、もう、私は生涯、ファミコンを手にすることはないのではないか、 みたく悲壮な決意で、8ヶ月に入ったおなかで、より確実を期すため 夫まで連れて、当該デパートに早朝から並ぶ^o^;☆ 開店時には、100人を超す人、人、人が、開店とともに一斉に走る。 私も走る。 走って、走って。 学生時にこのデパートでバイトをしていたため、 最短距離の割り出しはお手のもの。 ピっと指示を出し、二手に分かれ、 夫には階段で上がってもらい、自分はエレベータに飛び乗る。 大きなおなかの妊婦が血相を変えて走ったため、無敵だったか? おもちゃ売り場7階にて、整理券20番中、12番をゲット~~!!! 以来、私のゲーマー人生が始まる(滝汗)。 今、思えば、まさに「 いい大人が、、 」状態で、我ながら呆れる。 ずっとマリオと『 上海 』だけで大人しく遊んでいたのに。 つい、世間の評判が耳に入り、中古の箱・説明書なしの 『 ドラゴン・クエスト II 』を買ってしまったのが運の尽き。 DQ史上でも、最も難度が高い、と言われていたらしい、それを 識らずに、「 やくそう 」や「 せいすい 」の意味も知らず、 「 じゅもん 」を何度も入力し損ね、苦労に苦労を重ね、 100%自力でクリアしたとき。 。。。。 泣いて、おりました、私。 ^o^;。 大感動で。 ^o^;。 そして、夫三兄弟のうち、長義兄んちの甥、次義兄嫁、私、と 3人の間に強いゲーマー絆が誕生し(笑)、互いにソフトを交換しては、 『 DQ 』、『 FF 』を始め、数々のRPGを制覇して行くのである。 凝り性で極め型の私の情報は、甥からの尊崇の念をゲットし、 歳下となる次義兄嫁とも話題が尽きず、 はからずも、TVゲームは一族の友情(笑)に、大いなる貢献をする。 我が家の少年たちには、 家にファミコン( 後スーファミ )があることをずっと隠していた。 最初の「 育児方針 」を頑なに通していたため、である。 が、或る日、ついに少年たちの前に出すことになる。 ひとつには、クラスの男子の殆どがしていること、 自分の従兄弟たちまで、していること(汗)から、 少年たちがなけなしのお年玉を出し合い、貯め、 買おうとしていることを識ったこと。 もうひとつには、PTAの本部となり、 夜出かけることが多くなり、少年たちだけで過ごす夜が増えたこと。 やはり大流行していたカードや バトル鉛筆(笑) も買わずに、 我慢していた彼らなら、きっと大丈夫、だと思ったから。 時間を厳守すること。 友人宅に上がり込んで遊ばないこと。 それらを条件に、我が家に、ファミコンがあったことを識った少年たち。 しかも ドラクエやらファイナルファンタジーやら、 今をときめくソフトが何本もあることを識った少年たちは、ひっくり返り、 当分、「 おかあさんってば、自分だけ。 めっちゃズルい!! ヽ(`Д´)ノ 」 の大合唱。 。。。よくぞ、大人不信、に陥らないでくれたものである(滝汗)。 それでも、嬉々として、彼らが始めたゲームの 「 先輩 」として、同じ「 ゲーマー 」として。 彼らの称賛の念を勝ち取り、攻略の相談やらを受け、 ゲームひとつひとつ、情景ひとつひとつに、 少年たちの感想、少年たちの感動、を共に味わうことができ、 そのなかで、彼らのこころの成長も、ありありと感じることができ、 私は、とても 倖せだった、と思う。 字数オーバーのためコメント欄へ(汗)。
2008.06.28
コメント(33)
今日は出社日なのに、『 昭和の日 』で、本部はお休み。 だもんで、明日、水曜日に繰り下げ出社をしようと思いつつ。 最近、TVはクイズ番組流行り。 この1億総クイズ熱はいったいどーしたことだろう、、と思いながらも、 余りに、物識らずな自分たちに今更ながら愕然とし、 このままでは、この國はいったいどーなる、といった危機感が バックボーンに在るなら、それもまた善哉。 そのクイズ番組で、たまたま3人の解答者全てが、 「 4月29日は昭和の日 」と答えられなかったことに一瞬ギョっとするが、 確かに、業界の方々には、お仕事と日祝祭日、関係ないもんね? 私だって、ハッピーマンデー制度は未だに馴染めないし、 『 海の日 』は、よく判らん(゚゜)\バキ☆ し、 成人の日も、敬老の日も、体育の日も、 1月15日、9月15日、10月10日という日付が身体にしみ込んでいる(笑)。 けれど、 天皇誕生日 → みどりの日 → 昭和の日 という流れは、 国会でかなりの激論が繰り広げられたし、 結局、昨年、一部改正施行された「 祝日法 」にて、 「 激動の日々を経て、 復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす 」 日として、 定着しつつあった『 みどりの日 』を変えてでも 『 昭和の日 』 と定めたことは、結構私には衝撃的だったんだけど。 ( 『 文化の日 』は、明治天皇誕生日 ) 実際、「 政府や関係機関が実施するであろう諸行事を民間の側から支える 」ため、 「 議員立法という法律制定の経緯にかんがみ、民間の側から、 そのお祝いの諸行事を主導し、幅広く『 昭和の日 』の意義につき啓蒙してゆく 」ため、 に設立された、という、 「 特定非営利活動法人『 昭和の日 』 ネットワーク なぞを覗くと、 あからさまな昭和天皇賛美、 「 天皇を中心に国民がこころを1つにする大切さ 」 のとことん啓蒙に、 ふぇええええ!! とのけぞってしまう。 これを思えば、神社本庁系「 昭和の日普及委員会 」による、 「 昭和の日 オフィシャルサイト 」 などは、まだ、比較的受容できそうなのであるが。 歴史があって、今の私たちが 在る。 昭和の激動があって、平成が 在る。 なかでもあの痛ましい戦争が在り、あまたの方々の尊い犠牲によって、 今の私たちが 在る。 それを決して忘れない。 忘れてはならない。 感謝とともに、温故知新。 悲劇に学び、悲劇を二度と繰り返さない。 それが「 歴史に学ぶ 」、ということではないのか。 次代を担うものの務め、ではないのか。 わざわざ「 昭和の日 」と名づけたんだもの。 「 憲法記念日 」をすぐ後に控えて、 ひとりひとりが何か考えるきっかけになる日に。 意義深い日になれればいいよね。 って、国会はそれどころぢゃないようですが。 私もガソリン満タンにしに行かなくっちゃ!!! ヽ(`Д´)ノ
2008.04.29
コメント(6)
最近、黒柳徹子氏の『 ジェネリックぅ 』なCMをよく目にするようになった。 私も、5種の薬剤をずっと服用することになった身で、 「 中身で勝負! 」、ノンブランド派なポリシーではあり、 ずっとジェネリックにしたい、と思っていたが、言い出せないでいた。 申し出よう、と思ってはいても、いざとなると、 「 先発医薬品と ほぼ 同じ主成分 」という「 ほぼ 」が気になる。 「 ほぼ同じ 」ということは、「 全く同じ 」とは異なる。 主成分は同じであっても、副成分は異なる、ということであるからである。 薬に対してアレルギーはおそらく持ってはいないハズの私でも、 何がどう作用するかは不明であるし、 今飲んでいる薬剤に対し、非常に安定した状態であるのに、 万一、何らかの不快感やら何やらが生じるかもしれないリスクは、 できるだけ負いたくはない。 しかし、お値段がぐっと安くなるであろうことは、非常に魅力。 ぅぅむ。 どーしたものか。。。。 義母が遠くの総合病院へ通院するのは、 優しい主治医の先生を大好きであることも大きいが、 その総合病院で処方される薬剤が、義母に合うから、である。 一度、その病院で処方された処方箋を持って、町内の医院へ行き、 別メーカーの同様な薬剤をいただいたときには、 胃痛、腹痛を起こした後、当分の間、食欲不振に陥った。 義母が1年の殆ど(汗)手放せない「 風邪薬 」も、 総合病院の薬剤なら、義母にぴったりで落ち着くのであるが、 町内の医院だと、すぐに胃の具合がおかしくなる。 ひと一倍神経質な義母のこと、多分に精神的なものではないか、と 実は私は疑っていたのだが、いざ自分がジェネリックにしてみよう、と 思い立つ度に、少しだけ不安になるのである。。。。 そんなこんなでこれまで来ていたのだが、 木曜日の定期通院後、院外の調剤薬局にて、 「 りうりうさま、よろしければ、ジェネリックにしてみられませんか? 」 薬剤師さんの方から申し出られて驚く。 ふぅん。。。 薬局の方からそう持ちかけられるものなんだ、と 意外だったので、咄嗟に「 是 」の声が出ない私に、 「 不具合があってはいけませんから、 最初1週間分だけとか2週間分だけジェネリックにすることもできます 様子を見て、続けるか元に戻すかを決められます 」 「 有難うございます。 それも面倒ですから全部ジェネリックにしてみて下さい 」。 そう答えた自分自身に驚き、 「 よろしいのですか? それではそのように致しますね 」 踵を返していく薬剤師さんを目で追いながら 『 をぃをぃ>ぢぶん。 ぢぶんの様子見しなくていいの? 合わないかもしれないのが怖かったから、 これまでジェネリックにしなかったんぢゃないの? 』 自分に突っ込みを入れながら後悔滝汗気分で、ぐらぐらと調剤を待つ。 暫くして、うち萎れた様子の薬剤師さんが私の傍に来られて曰く、 「 りうりうさま、誠に申し訳ございません。 りうりうさまのお薬と同じものが揃っておりませんでした。 次回までに揃えておきますので、今回はお許し下さい 」 (o_ _)oポテッ 後悔滝汗気分だったので、半ばほっとしつつ、 「 そうでしたか~。 んぢゃ次回、よろしくお願い致しますね( にっこり ) 」 、、、しかし、現金なもので、ジェネリックがない、となると、 ちょっぴり不快に思う自分がいる(゚゜)\バキ☆ 何故、あるかどうかをちゃんと調べてから、患者へ申し出ないの?、と。 患者は院外処方箋を何処に出してもイイ訳だから、 常連患者だって、もう来なくなるかも判らない。 それなのに、当該薬品とジェネリック薬品との在庫を抱えることは、 調剤薬局にとっては、多大なリスクが出てくるに違いない。 だから、置いていない、揃っていないケースは、ままあると思う。 だからこそ、薬局の方から申し出て来るなら、 「 あるかどうかを調べてから 」にするべきだ、と思うのは間違ってる? 自分の意図していない時期に、ジェネリックへの切り替えを意識させられ、 1週間分の方が良かったか、否か、と、どきどきさせられちゃった分、 少々八つ当たり気味な想いを抱えてしまった、面倒くさい私を何処かに埋めて来よう。 ジェネリックにしたくても、主治医に言い出せない患者さんにとっては、 調剤薬局からの申し出は、とっても有難いはずのものだから。
2008.04.19
コメント(11)
9日午後、義母の運転手を務め、桜の木の下で車を停めて待っていた。 義母がお世話になっていた歯科医さんが急逝された由にて、 今、聞いた。 全然 知らなかった、お通夜に行けなかった、もう葬儀も終わってる頃だ、 どうしよう、どうしよう、 、、、もぉ、えぇか、おとうさんのときの香典返しはきちんとしたんだし、 私のような一患者から香典貰っても、ご家族は困ってよのぅ。 どうしよう、どうしたらえぇんかのぅ。 野良着姿で、生憎降り出した雨に濡れながら、 半狂乱になって我が家へ駆け込んで来た義母を宥め、 とにもかくにも、とってもお世話になった先生だから、 行かないと、お義母さんは、きっとずっとこころが重たいですよ。 今、聞いた、知らなくてごめんなさい、とそのまま言いましょう。 雨も降り出しましたし、お義母さんは帰って作業着だけ着替えて下さい。 私が先生のところまでお連れしますから。 、、、というようなことで、葬儀会場となった料亭の別館へ義母を連れて行き、 満杯状態の駐車場の、唯一空いていた桜の下で待っていたのである。 我が家の1階から目に出来る桜は、1本しかなく、 我が家の南側の川向、小さな鎮守さまの境内のもの。 リビングから、独占気分で「 また逢えたね 」と会話ができるのであるが、 この桜は開花がとても遅いため、この桜が咲き始めると、非常にヤバい。 それがもう、4日前から咲き始めていたため、 そこここでは、既に盛りを過ぎているだろう、と気になりながらも、 桜を愛でに出掛ける余裕もなく、いらいらする毎日であったので、 思いがけなく義母に貰った時間を楽しむ。 桜の下が空いていたのは、花びらが車に掛かってしまうから。 雨のなか、雨と一緒にはらはらと桜も降る。 フロントに積もる花びらの様子では、屋根の上は雪の如く、だろう。 車のなかから、ひとひらひとひらを見つめることのできる倖せ。 ずっとこうしていたい、と思う。 義母は、大満足の様子で戻って来る。 お骨上げが終わり、ちょうどお経も終わって、 これから精進落としを振舞われるという、絶好のタイミングであった、と。 数分違ってたら、お経の最中であったり、 精進落としの最中であったりで、ご迷惑を掛けるところだったと。 帰路では、その先生に如何にお世話になったか、特別扱いをされたか。 もう何度も聞いた話を、頬を紅潮させて語り続ける義母に、 少々強引でも、義母を連れ出して本当に良かったと思いつつ。 もう少し、散り逝く桜を目に留めたいと 義母を乗せたまま、近くの桜の名所へ行ってみる。 夕暮れ近い雨のなか、ここまで来るのは私たちだけで、 しんと並ぶ桜の木々に、さすがに義母の口が閉じる。 そう、どうぞこのまま。 静かに眺めていたい。 けれど、桜は、義母の倖せだった日々を思い起こさせたらしく、 桜と義父のこと、義母の三人の少年たちのこと、 そして、桜と我が家の少年たちのこと。 溢れるように紡がれる義母の言の葉を目を閉じて聞きながら、 義母には 義母の桜物語があるのだと。 80余の齢を数え、桜の花と対峙するこころ持ちとは、 どんな感慨 と どんな覚悟 を伴うものなのか、私の想像を超える。 、、、義母を家に送って、また来よう。
2008.04.09
コメント(6)
27日。 前々から予定されていた義母宅でのお餅搗き。 2升搗き × 7臼。 7臼の内訳は、神饌、白、白餡、豆3、蓬と蓬餡。 こちらのお餅は角切りではなく、1つ1つ手で丸める丸餅で、 なまこ餅にして後から切る豆餅も、数年前から丸餅としたため、 2升1臼で平均82~3個できる。 機械搗きとはいえ、1斗4升を義母と2人でつくり、丸めるのは私ひとり。 1臼80個として、560個(汗)。 私としては、餅づくり云々より、 丸1日の義母との作業がこころ重い(゚゜)\バキ☆ 前夜、義母に備え、かなりの気合を入れ、 深夜まで6合分の小豆で深鍋いっぱいとなった餡の仕上げをする。 ところが未明に、義母より電話。 かねてより、癌で患っていた義母の弟の伴侶が逝去した、と。 宣告を受けてより9年。 大きな手術を2度され、入退院を繰り返されながらの療養中で、 4年前は里帰りをかねて、この地にも来られ、 私が運転手を務めたこともあり、お元気そうな姿に喜んだものだったが。 今年になって容態が悪くなられ、自宅で寝たり起きたりの毎日。 1ヶ月前に、もうこれが最後の入院となるだろうから、と、 苦しい息の下で、毎日少しずつ料理され、 冷凍庫いっぱいに夫君用のおかずを作って入院された、と聞く。 夫は勿論、私もこの叔父には随分可愛がっていただき、 義父母の入院時には、関東の地から駆けつけていただいている。 この叔父の大事に、何はさておいても、と思うが、 義母にはきょうだいが多く、親戚も多い。 通夜が28日、葬儀が29日になる由にて、 飛行機はもとより、新幹線も乗れるかどうか不明。 行きはよくとも帰りは難しいだろうと、小型バスを親族で雇い、 隣町に皆が集まって行くことになった。 片道11時間強の距離である。 義母は、長義兄に代表としてひとりで行って貰うことに決め、 出勤中の長義兄との連絡は、私が進めることになる。 葬儀に関する一連のスケジュール、その他連絡事項が次々と決まり、 他家のバスに乗るメンバー決めのごたごたに巻き込まれつつ、 バスの発車時刻は、28日午前6時半と決まる。 お餅の作業と共に、長義兄と何度も連絡を取り続け、 長義兄には、今夜この地に入って貰い、 翌朝、隣町へ行っていただくことに。 私は、長義兄の今夜のお迎えと、 翌朝6時に、長義兄を乗せ、隣町の義母の義姉を乗せ、 バス乗り場への運転手を務めることになった。 早朝から始めた餅搗きは、 多大なる義母の心配とお喋りと、熨斗袋などの用意と、 ひっきりなしに義母のきょうだいから掛かってくる電話の応対に追われ、 ドタバタの極致のなかで全てのお餅を作り終え、 後片付けを済ませたのが、午後6時過ぎ。 それから、このお餅を4軒分に分け、 明日、長義兄宅と次義兄宅へ義母の野菜と共に発送して終わる! ぜぃぜぃ。 足、膝、腰、肩、腕、何処もかしこもバリバリに強張り、こころも萎え果てる。 だがまだまだ、長義兄のお迎えが夜に待っている。 長義兄には、バスで往復24時間に近いところへ 私たちの代表で行っていただくんだもんね。 1度しかお逢いすることはなかったけれど、 笑顔の素敵なひとだった叔母の冥福を祈りつつ。 ふぁいと、ふぁいと!>ぢぶん
2007.12.27
コメント(8)
11月22日に危篤に陥った「 姉 」の夫 が 遂に逝く。 あれから意識も回復し、上向いて来たところだった。 午前4時に急変の連絡を受け、総合病院へ詰めていた母から、 7時過ぎに「 たったいま… 」という訃報を受け取る。 11月いっぱいは、電話がなる度に胸が騒いでいたけれど、 ここのところ、すっかり油断していたために、仰天して 下の少年を送り出すのもそこそこに、 大急ぎで洗濯だけを済ませ、母が押さえた葬儀会場へ車を飛ばす。 土曜日なので、何処もかしこも渋滞で、なかなか車が進まない。 イライラしながら、前日、よれよれの夫が車で出勤しないでくれたのは、 結果的に、これに備えてくれていたのだと、感謝しつつ、 ネットで調べた地図を思い浮かべて、無事到着。 3Fの駐車場へ車を入れて、まずは1Fの受付へ。 納棺までは2Fの安置室にいらっしゃいます、と言われて、2Fへ行く。 まだ新しい葬儀場のようで、納棺までの安置室から、 1Fの「 セレモニーホール 」と銘打たれた式場、 その横の大きな控え室の施設、夜伽のための棺の安置場所。 それぞれが無駄なく、空間を効率的に計算された工夫と豪華さ。 病院からの遺体搬送から葬儀、そして還骨から初七日(取越)までの 流れが完全にシステム化されており、 丁重なる葬儀場スタッフの物腰と、流れるようなフォーメーションに、 「 葬 」というものにちっとも現実味を感じられず、 唖然と目を見張るばかり。 完全に「 おのぼりさん 」と化す。 ひと ひとりが 逝去した、その生々しさが ちっとも感じられない――。 これは、逝くものにとって 遺されたものにとって、 参列するものにとって、良いことなのか、悪いことなのか。 唸りながら、驚きながら、感心しながら。 想いよぎること、多々あるのは、 ずっと この地での 「 全て手づくり 」的濃い法要に どっぷり浸かっていた反動で、殊更そう感じてしまうからなのか。 喪主は、「 姉 」であるが、その姉の身内は、私の母と私と弟、 そして姉の母方の方の身内が2名のみ。 あとは全てあちらのきょうだい6人の家族と親戚縁者でごったがえし、 「 姉 」は、完全にあちらの言うなりに駆けずり、気を遣い。 私は私で、大勢のあちらの方々のお顔と続柄を覚えては、お相手し、 姉は、ともすれば噴き出る涙を拭い拭い、あれこれと言いつけられては 母と駆けずり回る。 それもこれもあんなこともこんなことまで。 「 儀式 」の手筈はオートメ化されても、 オートメ化できないものの、なんと面倒で大きく重たいこと。。。。 「 大丈夫ですよ。 これは私たちの方で 」。 あたふたドタバタする私たちの斜め後ろで、葬儀場スタッフが耳打ちする。 本来は、何もかも。 全てをスタッフにお任せするのが良いのだろう。 寧ろ、判る限りの情報を全てお渡しして後は全て委ねる、方が きっと間違いがないはずなのだ。 でもそこが、そうできない、そうならない、のが、 「 葬 」 なのであるなぁ、、、と まるでひとごとのように あれこれ物思う私自身もまた、恐ろしい。 そう、申し訳なくも、逝去されたひとへの悼む気持ちがまだ全く湧いて来ない――。 彼は、本当に眠っているようだった。 長い長い病であったのに、 日頃から姉が如何にこころを込めて介護していたかがよく判る。 床ずれが全然できていなかったのに、 入院してたった3日で床ずれができた、と嘆いていた姉。 あの横にも縦にも大きいひとを、よくひとりでケアして来たと思う。。。。 通夜、通夜ぶるまいを終え、夜伽はあちらの方々がされる、ということで、 帰ろうとしたら、目に涙をいっぱい溜めた姉が縋るように見つめてくる。 20人ものあちらの方々に対し、姉は独りきり。 傍に居てあげたいけれど、どうにもならない。 明日また、明けてすぐに来るから。 後ろ髪を引かれるようにして式場を出て、母と弟と別れ、 復路の有料道路の手前で携帯をチェックすると、 体調不良で寮でダウンしていたハズの夫が、仕事を終え、 式場の方へ向かっているというメールが30分も前に入っていた。 慌ててUターンし、葬儀場へ戻る。 あちらの方々にはきちんと挨拶して辞したために、 どう言ったものか、まずは2人で揃って入ろう、と、玄関周りでうろうろ。 ところが、夫の方が早かったようで、ちゃんと独りで(汗)。 夫にとっても初対面の、全く識らない方々のなかで挨拶できて、 焼香を済ませたらしく。 姉の湿った声に送られて出て来る。 「 大丈夫なの? 」 「 ぅん、多分、ノロぢゃないよ。 午後から、2時間ほど仕事もできたもん 」 今夜は自宅に帰ると言うので、そのまま車で一緒に帰る。 何もせずに自宅を飛び出して来たし、夫の夕食にも少し困ったが、 夫は幸い?? まだ不調で食欲がない、と言う。 疲れてもいたため、素直に感謝し、せめて林檎でも。 柿もあるよ?と林檎と柿の皮を剥き、 それらを口にして貰って、薬を呑んで貰う間ももたず、私は炬燵で撃沈。 翌日曜は葬儀、還骨、初七日法要を合わせ、精進落としまで。 葬儀は13時半からなので、全て終了するのは19時を回るだろう。 ふぁいと!>ぢぶん
2007.12.15
コメント(12)
他者に厳しく、自分には甘い私たち。 『 1億総評論家 』、なんて言われて久しいけれど、 小学生のブロガーも増えてきており、 そのうち『 1億総ブロガー 』と言われるようになっちゃうかも知れない。 ブログには、いろんな形があるけれど、 元来は『 Webログ( Web上の記録 ) 』のことを言うのであって、 『 日記 』という意味ではなかったはずだ。 Webログ――各人が、Web上にそれぞれ自分の記録として 残しておきたいできごとや気付き、問題点等を書き留めておくこと、そのもの。 無責任な私的電脳覚書、メモ、、そんなようなもの。 他者に読んで貰いたいから、他者に伝えたいから、 他者に利用して貰いたいから、書き残すのではなく、 あくまで、目的は自分のための覚書であり、 んだから、読み手は、公開されているのだから、好きに利用すればよく、 必要なければ読み捨て、嫌なら読まねばよく、 個人的な私的メモに、わざわざ批判的な文章を送りつけることもない、と言える。 その頃は『 ブログ 【 を 】 書く 』のではなく、 『 ブログ 【 に 】 書く 』のだ、と何処かで聞いた覚えがある。 ブログ、とは、【 内容 】ではなく、単なる【 コンテンツ 】であったのだ、と。 けれども、ブログ = Web日記 となってから、 個人ブログがあちらこちらで炎上したり、 ブログ主が個人情報の問題で悩んだり、折々に様々に問題を醸し出している。 んで、それらのことはいったい何故だろう、と思うとき、 結局は、Webログであろうが Web日記であろうが、 不特定多数のひとが自由に読めるネット上の公の場で、 私的文章が私的感覚で書かれていることに尽きることに気付く。 公の場で、己れの自由意志で何かを書いている以上、 書かれた文章の責は、全て「書き手」にある。 それを「書き手」は、決して忘れてはならないのだ、と改めて思う。 ブログを書く自由、そして責任、ということを考えると、 今更の如く、恐ろしくて、何も書けなくなってしまうのだが。 先日、PTA関係でご縁をいただいた、大事な友人がブログを閉じた。 そのひとのブログ内で、PTAのことが書かれていたことが そのひとのPTAで問題となったため、である。 これは、とても大きな衝撃だった。 そしてまた、私同様に衝撃を受けた、中学PTAの本部に身を置くひとが、 自身のブログをどうしようかと悩んでいる。 そのひとのブログには、そのひとを心配する多くの友人たちが コメントを寄せておられたが、そのなかでも 「 隠すべき所は隠して、出直し 」する。 もしくは、個人特定化されそうな写真だけ削除し、 個人特定化されそうな記事だけ「 秘密日記 」に移動させる。 という提案をされた御方があった。 で、私はその案に賛成である。 かく言う私も、ブログを始めたきっかけは、 中学PTAでどうしようもなく煮詰まっていたところから始まった。 ボソボソと恨みつらみの愚痴やら決意やらを書き残していうちに、 思いもかけぬほど多くの方々から共感をいただいたり、 ご意見をいただいたりしたところから、たくさんの情報交換ができて、 大きくこころ励まされ、なんとかここまで歩いて来ることができた。 けれど、一時期、とても揺れたことがある。 ネット歴は十分長いくせして、ブログ経験はなく、ここを立ち上げたときに、 つい、楽天ブログに、この地周辺のひとは出入りしてはいないだろう、と 根拠のない甘い考えのもと、県名をプロフに載せてしまっており、 地理的なこと、政治的なこと、この地の様相を詳しく書いてしまっていたため。 うちの町役場関係からのアクセスログが目立って増え始めたとき、 これは ヤバいと。( 遅 ) 私自身は、「 りうりう 」が誰なのか、特定されても全然構わない。 がしかし、当時の小中学校の会長や副会長、自治会長等、 「 りうりう 」のブログに登場するひとびとが誰々である、と、 特定されてはならない。 ( 既に時効でありますように(祈)) そのひとびとは、自分の知らないところで、 私の一方的な観方で大々的にあれこれ書かれてしまってる訳で、 また、それを読まれた方々は、あくまで私の観方を通して、 大半が私サイドの観方をされ、コメントをされる訳で。 特定されてしまったひとびとからしてみれば、 良くも悪くも、知らないうちに自分のことがネット上で話題となって 好き勝手言われ、当然、それについての反論もできない。 後から、識る機会があったとき、どんなにそれは噴飯ものであることか。 或いは、そのひとと近しい方々が読み、そのひとのことだと判ってしまったら、 そのひとの利害関係にも関わってくるかもしれず。 『 日記 』 として、自己の内面のこととか、書籍や映画、TVなどの感想とか、 そんなような自分ひとりで済むものなら、当たり障りもないだろうが、 こと、話題に他者が絡んでいる場合はどうだろうか。 例えば、企業人なら、無意識に自身の企業内のあれこれを書くことは自制する。 しかし、私人の日記として、自分の家族や親戚縁者、友人、知人、 そして自治会、PTA等のことは、ついついガードが甘く、 ぽろりと書いてしまいがちなのは、私だけではないだろう。 私がそうであったように、こと、営利目的でないPTAのことに関しては、 会長や副会長、各委員長、などという立場に在ると、 自校のなかでは、同じ立場のひとがいないために、 とかく孤独であることが多かったり、 なかなか他校の同じ立場のひとたちと親しく情報交換できる機会がなかったり、 常に山ほどの問題を抱え、ひとつひとつ、なんとか解決への糸口を 模索している状態である役員が殆どであるように思う。 毎日毎日、こころ砕いて自校を思っても、空回りすること多く、 そんな自校を客観的に見直すためにも、何か打開策のヒントを、と、 他校や全国的な傾向、例を1つでも多く識りたい、 ケーススタディしたい、と思っているものだし。 日々のそんな切なる願いには、PTAの一般論など、何の役にも立たない。 具体的事例や具体的状況が互いに判りあえて、初めて議論が出来たりする。 でも、自身と他者の個人情報を守るためには、 常に神経を尖らせ、内容をできるだけ一般化させるか、 ディテールを少し変えるなど、特定化につながる情報を工夫するか、 メーリングリストや、パスワード式の閉鎖空間にてやりとりをする、等、 上手に渡って行かねばならないのだと思う。 後は、とにかく他者への負の感情、他者の負の情報、を流さない(汗)。 ↑ 「 日記 」形式だと、なんとこれが難しいことか!(゚゜)\バキ☆ けれど、公の場所に、何かを私的に書く、ということは、 そういうことなのだ、と思う。 何かを発すれば、必ず反作用で、何かが起こる。 個人の特定化を恐れずに「 全てをさらけ出す 」か、 或いは、自他に厳しい一線を画して「 匿名を貫き通す 」か。 或いは、上手に使い分けて泳ぎきる、か。 忘れてはならないことは、 自身のブログにおいて「 匿名 」である、ということは、 自身を守る卑劣な手段、ではなく、 自身の周りの他者を守る必要な手段、であるということなのかも。 いずれにしろ、「書く」以上は覚悟して腹をくくるしかなく、 これはもう、自身で結論を出すしかない。 と思う。 ふぁいと~☆ 私は誰にバレても構わないけど 長義兄たちだけにはバレないで欲しい。。(゚゜)\バキ☆
2007.12.03
コメント(22)
私には「 姉 」と呼べるひとがいる。 私の父を 「 おにいさん 」と呼び、母を 「 おねえさん 」と呼ぶこのひとは、 本当は父の従妹なのだけれど、私と12歳しか違わない。 何より、父が母と結婚するまでの間、 乳児だった私は、この父の従妹の家で育てて貰っていた。 当時6年生だった彼女は、乳児の私に慣れぬ手つきでミルクをくれたり、 オムツを替えたりもしてくれたのではなかっただろうか。 顔も激似のとても近しい、優しい 姉代わりのひとである。 我儘言って日本に独り残った高2高3時代 の私を引き受けてくれて、一緒に暮らし、 その間、自分は会社に勤務しながらも、 当たり前のように二人分の炊事洗濯を一手に引き受け、私を甘やかしてくれた。 本当に本当にお世話になったひと。 誰よりも倖せになって、と願っていたひと。 東国の旧家に嫁ぎ、身を粉にしてイエに仕え、尽くしたのに、 体面第一、血縁第一、あくまで嫁は余所者、お女中代わり。 これでもか、これでもか、と繰り出される姑、小姑の攻勢に負け、 ぼろぼろになって帰って来て。 リスタートした職場でめぐり逢い、苦しい恋の末に結ばれた相手とは、 もう、結婚はこりごりと、事実婚の形を取り。 けれど、共に暮してみれば、やはり郡部の大きなイエの本家の長男の故か、 相手の余りの唯我独尊性、幼児性、男尊女卑思考が露呈する。 男性を観る目のなさを嘆く暇もなく、 またまたイエの姑・小姑に絡め取られて、うまくこき使われ。 そのひとに仕え、四季折々に姑、小姑に仕え。 仕事も辞めず、そのなかで、自分の伯母、父、母を看取り。 もう限界、と、姉が別れを切り出すと、この超絶甘えんぼの相手は自殺を図り、 優しい姉は、突き放せなくなり。 そしてこの彼は12年前に体調を崩したことから鬱になり、 3年前に肺気腫となり、酸素ボンベが手放せなくなるが、 決まった投薬と酸素吸入以外にできる治療はないので、 入院もできず、月1で往診を受けるだけの在宅酸素療法のみ。 認知症も出始め、ほぼ寝たきりとなり、在宅で全介護になって2年。 姑も小姑も、この3年、1度も訪ねてくることもない。 姉はたった独りで、1歩も外に出られず、彼を介護する毎日。 姉は多彩なひとで、なかでも書では 全国でもトップレベルを走ることのできるひとなのに。 それでも姉は、彼が3日間一睡もせず、2日間丸々眠るサイクルのため、 5日間のうち2日間も自分が好きに使える時間ができて、 とても助かっているのだ、と泣きながら笑う。 月1で往診される先生に、 床ずれが1つもできておらず、こんなに清潔で、快適な状態に 保たれている患者さんを診たことがない、と毎回感嘆して褒められること、 が、今の姉の唯一の頑張る支えなのだ、と笑う。 もう意地なのだ、と。 彼を見送るときに、ほんの僅かのこころの染みも持ちたくないのだ、と。 そんなこんなで、このふたりはもうすぐ30年を迎えるのだったが。 水曜朝。 その姉の彼が意識不明になって、救急車で運ばれた、と母から連絡が入る。 もう意識がないので、ここ数日が勝負だろうから 貴女も心積もりをしておくように、と。 咄嗟に 良かったね!!! 長かったもんね? おねえさん、やっと、やっと楽になれるのね? そんな声が出てしまいそうになって、口と目を固く固く瞑る。 喪われていくいのちに対し、 そんな想いを抱かされる生とは――― そんな想いを抱く、自分、とは――― 言いようがない寒々しい想いを抱え込む。 これから姉の元へすぐ駆けつける と言ってくれる母。 姉を想い、常に彼の不甲斐なさに憤っていた母だったけれど。 私の「 姉 」の 最後の頑張りどきに、 私の「 母 」が ただ黙って寄り添ってくれることに、熱い厚い感謝を。
2007.11.22
コメント(16)
火曜日。 月末が下の少年の誕生日なので、プレゼントを渡したいから、 出社日を利用して、寄ってもらえないか、と、実家の母よりメールあり。 無理だったら送るから、無理はしないでね。 そう書かれてたら、行くしかないぢゃ~んんんん。(//▽//) 夫は寮だし、下の少年も午後11時半まで帰って来ない。 チャ~ンス!! 往路では、ゆっくり話もできないので、復路に寄ることにし、 「 帰りに寄るので、軽~く夕食をお振る舞い下さいませ 」。 そうメールしたら、でぎっしりの返事が(笑)。 で、実家につくと、珍しく弟もいて、 食卓いっぱいに、お正月ですかぃ?、という位に母の御馳走が並び。 「 軽くって言ったぢゃん? 」 「 聞こえな~ぃ 」 にこにこにっこりな母の笑顔と、母の味を堪能する。 倖せいっぱいに、ま~ったりと食後のお茶をいただいていたら、 姉弟揃ったときに話しておきたかったから、いい機会だ、と、 改まった風の前置きがあり、用意してあった一式をぱらぱらっと見せられる。 それは 母の エンディングノート。 母が それ を 早くから用意していることは知っていた。 葬儀場と契約し、自分の葬儀代を支払ったことも知っていた。 母に倣い、私も自分のエンディングノートを準備しているのだから。 でも、きちんと見せられたのは 初めてだった。 普通のノートに、母の達筆が並ぶ。 ● 自分の死を知らせて欲しいひとたちのリスト。 選び抜いたんだね。。 10人もいなかった。。。 ● 後日、知らせて欲しいひとたちのリスト。 やはり、10人もいなかった。 ここには、遠方に在る、母の2人の妹まで含まれていた。 このひとたちはきっと怒るだろうから、と、 ひとりひとりに宛てた封書まで用意していた。 ● 葬儀契約書。 契約した通りの内容で、他に何も足さないように、との由。 ● お坊さまについて。 家族葬にして欲しいので、 お世話になっており、大好きないつものお坊さまには 来ていただきたいけれど、お経は不要。 院号も勿論不要。 ただただ父の隣に眠りたい。 ● そして、尊厳死の宣言書。 ( これは父も記していた ) ● あとは、財産管理等についての覚書。 これをいつも最新の状態にして、お仏壇のなかの左側の戸棚に入れて置くから、と。 弟と2人で、しん、と背筋を正して聴く。 聴きたくないけど、母の見事な覚悟として聴く。帰り際に弟から貰ったビーズ細工。最近、この下駄づくりにハマったんだそうである。「 おねえさん、これ、500円だったら売れるかのぅ? 」売れる、と思う(笑)。 ← 姉バカ
2007.11.20
コメント(12)
義父の祥月命日は11月13日であるが、 6月に入ってすぐに、義母曰く、 11月はお寺さんに大きな行事があるから、と遠慮し、 10月は、長義兄が海外へ行くから、と遠慮し、 9月に三回忌法要をしたい、と。 私は仰天し、9月ではお盆を終えてすぐだし、時候もまだまだ暑いし、 どうしても9月にされたいなら、1番最後の29、30日はどうか、と提案すると、 「 それもそうじゃのぅ 」 ということになり、 長義兄に連絡、確認をとって、随分早い三回忌の法要を行うことに決まる。 お寺さんへ出向いての法事となるし、 三回忌だから、もう何かと面倒な本家筋を外し、親戚筋も外し、 内々で行いたいとの義母の意向で、集まるのは、三兄弟夫婦のみ。 ( 子どもたちは、それぞれ皆都合つかず ) それでも仕出しを頼み、お土産物も準備し、お寺さんの手配、 お墓の草刈、掃除、寝具類の準備、、、 お盆からそう日も経っていないので、 ちょこちょこっとの準備で済むかなぁと期待していたのだったが、 義母と一緒の準備では、やはり何かと大変だった。 、、、、けれど、恙無く、無事、終了\(^o^)/☆ お彼岸中との由にて、壁面いっぱいの巨大な當麻曼陀羅をお見せいただき、 それが何より眼福、眼福。 何時間でも見飽きそうにない立派なもので、後ろ髪を引かれる想い。お寺さんから お茶と共に振舞われた『 鳳梨萬頭 』。持ち帰って、自宅でいただく。初めてみるお菓子で、呉市のお菓子屋さんのもの。個別に包んであるビニルが袋を折ってあるだけ、なのが珍しい。バニラの良い香り。 餡は、パイナップルと冬瓜@@。 冬瓜?これがまた不思議なお味で美味しかった!! この日を決めた7月下旬から、何かしらプレッシャーだったため、 1泊した義兄たちを見送った後は、なんともいえない解放感に包まれる。 月曜日は、1日ゴロゴロ、、、、できるといいなぁ。 * この地では、法要の度に、何種類かの少なくない額の金封と、 人数分のお賽銭とお供え菓子と1升のお米を奉納する。 先月、お坊さまは、 「 新米かそうでないかを明記するように 」と 檀家総代に言われた由。 炊飯するときの水加減のためか、と思いきや、 「 最近は新米じゃないと不味くて食べられん 」。 な ん で す と ?? お米は、お鉢米として持参するものであり、 仏さまに「 お仏供 」としてお供えしていただきたいため。 そのお下がりをお坊さまはいただかれるのだと思うけれど。 新米の時期を迎えれば、米農家であれば、 わざわざ古米を持って行く檀家はいないであろうし、 米農家でなくても、そのために新米を買ってお持ちする 檀家さんが殆どではないか、と思う。 けれど、お寺さんから、そんな風に言われるのはどうか?? なにか、何処か、違う、と思うんですけど。 境内に、輝くBMWがで~んと在るのもなんかイヤ。 このお寺さんといい、例の大神社といい。 おごれるもの、久しからず。 いまどき、宗教に危機感を覚えていらっしゃらないとは。 この古い古い町も、代替わりしたら、、、知りませんよ~~~。
2007.09.29
コメント(8)
尼崎JR脱線事故から丸2年。 京都へと上の少年を手放した直後で、 この電車に乗るはずはない、と思いながらも、 それでも万一、乗っていたらどうしよう、と肝を冷やした。 この日の恐怖を忘れない。 とても直視できなかったあの惨状、 痛ましくて胸が潰れそうな想いをした日々。 忘れない。 今なお、癒えぬ心身の傷跡に立ち向かっている方々がいらっしゃること。 とりあえず無事である自分が、どんな日々を過ごさねばならないか、 こころしたこと。
2007.04.25
コメント(4)
久々に実家の母と電話で話をした。 「 元気だった? 桜を楽しめた? 」 「 、、、大変だった。。。 」 「 ? 」 現在、母は、母の2人の姉が病に倒れ、 上の姉は、娘がフルタイムで勤務、下の姉は息子が独身、なため、 介護するものがいなくて、毎日交互に姉たちの病院へ出かけ、 洗濯その他の世話をしてあげている。 母も幾ら元気だとはいえ、74歳になったのだし、 それは余りにハードではないのかと、 気軽に母を使ってくれる従姉弟たちに、少々私は立腹しているのだが、 肝心の母が「 姉が私がいい と言うのだから 」と気にしていない。 「 妹として、叔母として、 元気な自分が、気が付くことは全部してあげたい 」 、、、そういうひとです、貴女は。。。orz.... 何がなくとも【 大変 】な日々ではあろう、とは思いつつ、 気丈な母をして「 大変だった 」と言わせる日々とは、一体何があったのか。 実家の近くにアパートがあり、そこに住んでいる母と同世代の一人暮らしのご婦人。 朝、母が庭に水撒きをしていると 「 綺麗に咲きましたね~ 」と声を掛けて来られたことで、 ばったり出逢うと、口をきく程度の知人、になっていたそうなのであるが。 何年も経てば、段々とそのひとの事情が判ってくる。 隣県に遠い親戚があるが、天涯孤独。 心臓に病があり、時折短期入院をする。 生活保護を受けている。 自分に何かあったときは、全て 市 が処理してくれるようになっている。 以前住んでいたアパートの近くの美容院の先生と仲良しで、 入院中の面倒は彼女が看てくれている。 近々に、また入院をする。 そんなようなことを、いつのまにか母は識っていた。 そして、先月の6日にそのひとを見掛けて以来、 短期入院だと聞いていたのに、随分そのひとを見掛けないことに気付き、心配し、 母はいても立ってもおれなくなる。 民生委員さんに訊ねると、民生委員さんもそのひとの動向が掴めてない由。 母は、自分の姉が入院している病院を中心に、 心臓を扱う大きな病院をそのひとを訊ねて歩く。 どの病院も個人情報を楯に最初は教えてくれない。 でも、短期入院のはずなのに見掛けないので案じている。 そのひとが入院しているかどうかだけでも教えて欲しいと 母の必死の形相が功を奏したのか、1つの病院が判明する。 しかしそれは、先月の上旬、 母がそのひとを最後に見掛けた日から1週間後の退院記録だった。 母は嫌な胸騒ぎがし、 そのひとのアパートの大家さんを識っていたことから、 きっとそのひとの保証人はそのひとと親しい「美容院の先生」だと予測し、 大家さんの家を訊ね、「美容院の先生」を教えて貰う。 ビンゴ! 美容院の先生は、自分の代理に娘をそのひとの退院日に、迎えに行かさせ、 そのまま3日間、自分の家で面倒を看たが、 4日目の朝、そのひとはアパートへと帰宅した、という。 母は、大家さんと民生委員さんに声を掛け、共にそのひとのアパートへ向かう。 そして、母は、そのひとのご遺体の第一発見者、となる。。。。 警察に通報し、第一発見者となったために連日の取り調べ、調書の作成。 ご遺体は解剖に回され、問題なくば、身寄りがないひとのため、 直接葬儀会社に渡され、荼毘に付される。 お葬式は執り行われない。 大家さんから「隣県の遠い親戚」へ連絡をして貰う。 荼毘に付される翌日に、来広される、とのこと。 荼毘に付される日取りが決まり、母は高天原へ行く。 そこには、葬儀会社の御方と棺に入ったそのひとのご遺体と 美容院の先生とその娘さん。 読経も何もないなか、先生と娘さんと母の3人で見送り、お骨を拾い。 骨壷は、隣県の遠い親戚のひとが取りに来られるまで、 葬儀会社が預かる、ということだった。 母が第一発見者となったとき、 そのひとは死後3週間は経過している、とのことであった。 母は、もっと早く自分が気付き、 ぐずぐずしないで動けば良かった、と悔やんで悔やんでいるのだが、 そのひとの外出時に出逢う度、庭の花を共に愛でてくれた、というだけの ご縁であったそのひとに、母がいったいこれ以上の何ができただろう。 母だから、そこまで駆けずり回り、そこまでしてあげられたのだ、と私は思う。 母は言う。 なんとも言えない想いで登る、高天原への道々の桜が 恐ろしいほど、凄かった、と。 この桜を、一生忘れないだろう、と。 広島の火葬場への山道が脳裡に浮かぶ。 道路も、火葬場内も桜でいっぱいだった。 確かに満開時は、凄い桜で埋まると思う。 悲しい想いを抱いて集うひとびとしか観ることのできない桜。 ひとりで逝く、ということはこういうことなんだ、と思う。 それでもそのひとは、唯一の友人とその娘さんと母に見送られた。 遺骨を引き取って下さる親戚もいらっしゃった。 家財道具等々は、この親戚の方々が業者に依頼し、処分された由。 「ひとりになりたい病」によく罹患する私は、気をひきしめる。 。。。今は疲弊し、ヘコみきってる母を慰労してあげたい。 『 かたくりの里 』 へ連れて行ってあげたいのに。。。。 手首が治らな~ぃ ヽ(`Д´)ノ
2007.04.15
コメント(22)
うちのお店で、液晶テレビをPCに繋げ、店内から外へ向けて情報発信するため、 新しく、大型の液晶テレビを購入することになった。 機種は殆ど絞り込んだが、問題は価格。 お店にとっては大きな買い物であるから、休日を遣って、ネットでの価格比較は勿論、 地元のデオデオから、ベスト電器、ヤマダ電機、コジマと実際に足を運んで それぞれ比較検討をした。 ダントツに安かったのは、ヤマダ電機である。 担当の御方が、名札とは別に 『親切係』 という 大きな丸いプレートをつけておられ、 実際に懇切丁寧で、押し付けがましくないよう、 上手に商品についてのあれこれの説明をされながら、 1円でも安く購入したいこちらの気持ちを良くつかまれ、決算時期も相まってか、 10万円台の商品が、ネット最安値の価格より、3万円近く安い値段になる。@@ この価格差はとても大きく、有難いことであったが、 夫や私の性格上、 会社の備品を購入するためだから、頑張って価格交渉ができたのであって、 これが自宅のためであったら、果たしてここまでできたかというと、 甚だ疑わしい。 ぃゃ、絶対できない(汗)。 実際、誰もがこうして常に商品研究、販売店比較をして、 シビアに価格交渉できる訳ではないと思うし、 いつもは、売り場に掲げられたお店価格でそのまま支払っている私としては、 最大限のご努力をして下さったヤマダ電機の親切係さんには申し訳ないが、 今回の3万円近く安くなったことに対して、有難いと思いながらも、 私的な部分での自分が、正直、余り嬉しくない気分を味わった。 交渉しなければ、この3万円は支払っているのである。 また、この3万円分の皺寄せは、いったい誰が被るのか? 、、、普段の私。 価格交渉できないお客さま、である。 (o_ _)oポテッ 現在、大型家電店において、大画面の液晶・プラズマは、 韓国製どころか、中国製まで入り乱れての大激戦で、 各社とも極端な値引きで1台でも多く、という特別な状況下にあるとしても、 どーにも釈然としない。。。 で、後日。 結局、このヤマダ電機がやはり最安値であったために、 現金を用意して、購入のためにヤマダ電機へ行く。 TV売り場で、「『親切係』のプレートをつけられた○○さんを」と言うと、 ○○さんはお休みで、やはり同じ『親切係』のプレートをつけておられる御方が、 「 私たちは、全員がつけているのですよ 」 とにっこり。 んんん~? と一瞬、違和感。 社員皆が、親切プレートをつけるのなら、意味ないぢゃん、と感じたのである。 それは、私が、勝手に、 「 親切係 」と銘打つのだから、何らかの社内基準があるのでは、 と思い込んでいたからであることに気付く。 例えば、「売り場の責任者」。 例えば、「1番の笑顔」という自他推薦。 例えば、「クレーム担当者」 等々。 ヤマダ電機の場合、全員が胸につけるのなら、 これは、社員全員が親切係なんですよ、というアピールと、 全社的なスローガンのようなもの、ということになる。 確かにあんなに大きな『親切係』というプレートが胸に在れば、 いつどんなときでも、きっとお客さまに対して、誠心誠意。 全身全霊で親切で在ろう、という意識付けにはなるであろう、と思った。 でもでも。 基本は、そんなプレートがなくても、親切であること、ではないか、とやはり思う。 全社員が「親切係」という、そんな全社的なスローガンは、 社内のこととして、内々にポスターのように張り出しておくものであり、 表で公言するようなことでもないように、感じる。 そんなプレートがなくとも、 数多くの同業他社のなかから我が社を選んで、わざわざ足をお運び下さったお客さまへ、 まずは感謝の想いで在れるかどうかが問題になるのだと思う。 そういう姿勢を持つ、会社で在るかどうか。 ネットで、店舗がなくともぼんぼん家電が売れて行く時代に、 既存店は、どう、闘っていくのか? face to face の 強み のみ。 。。。これしかないのではないだろうか? 会社そのものは勿論、社員ひとりひとりに、お客さまが貴重な時間を割いて、 わざわざ当社をお選び下さり、足を運んで下さった、という意識があれば、 自然に感謝の想いが溢れ、声も笑顔も弾み、きちんとした挨拶ができ、 お客さまの立場に立った接客ができるはずである。 お客さまの立場に立てば、生半可な商品知識で店頭に立つことを、 自分に許せないはずであるし、 お客さまの差別化も、お得意さま、上得意さま、等々に留まり、 必要以上の区別、差別を行なわず、やたら不公平な価格設定もできないはずである。 幸い、私たちはこのヤマダ電機で、「さすが親切係さん!」と思う接客を受け、 親切にしていただいたのであったが、 ネットでググってみると、果たして 「『 親切係 』のくせに!」 といった、 批判、苦情、不満満載のブログや掲示板が多数ヒットした。 なかでも、「親切係」さんに、ぞんざいな扱いを受けたひとの、 「 会社は、お金をかけてこんなプレートをつくるより、 もっと前にすることがあるのではないか 」 という痛烈な意見には、思わず拍手。 こうした批判記事ばかりであると、 ヤマダ電機にとっては、『親切係』のプレートが仇になっているようにみえるが、 逆に、プレートの存在でもって、 そのプレート通りでなくば、どうなるか、と ストレートに社員を育てようとしての試みであるのか?? 獅子が我が子を千尋の谷につきおとす如く? 、、、リスク、高過ぎ。 ともあれ、『 親切係 』のプレートには、思わぬ刺激をいただいた。 他山の石、他山の石>ぢぶん。
2007.03.26
コメント(9)
うちの会社は全国に120数店舗ある小売店である。 創業以来、22年目を迎えるのだが、 たった1店舗からここまで成長できたのは、 徹底的に人事破壊を進めてきた先輩たちの経営手腕と、 薄利多売を旨とする私たちにとって、偏に、お客さまが私たちの在り方にご理解下さり、 蔭に日向にご支援下さり、ご愛顧下さったからである。 創業以来、うちのお店では、お客さまに必ず珈琲かお茶、 小さなお子さまや学生さんには、ジュースや麦茶等をお出しして来た。 お客さまの状況、要望にお合わせし、 そのお客さまにとって、よりベターなもの、できればベストなものを お客さまと一緒にお選びし、つくりあげていく私たちの業種は、 単なる物品販売業と違って、膨大な専門知識とスキルが求められる。 少しでもお客さまにこころを開いていただき、 お客さまのライフスタイルを把握して、ご満足いただけるものをおつくりするには、 1組のお客さまに対し、30分から1時間を要すことが殆どであり、 なかには2時間近くも掛かってしまうことがある。 そのときに、社員がこころ込めて選んだカップやお湯飲みでの 香り高い珈琲や日本茶は、 お客さまの緊張されたこころをほぐしてくれ、 よりベターな、ベストなものをおつくりできる一助になってくれる、のだが。 ときには、この珈琲やジュースが、お客さまのクレームにも、なる。 とにもかくにも、お店が忙しいとき。 有難くも、うちの店はどこも混んでおり、 どうかすると1人で2組、3組も掛け持ちでドタドタする。 とりあえずカウンター席へご案内し、珈琲をお出しし、 お待ちしていただくケースも多く、 小さなお店では、座るところが全部塞がり、立って待っていらっしゃることも多い。 待っておられる時間を有効に使われるために、 立ち上がって、あれこれとあちらこちらと歩いて商品をご覧になられるお客さまもあり、 社員には、どのお客さまにお飲み物をお出ししたか判らなくなってしまったり、 長時間お待ちいただいて、いざ、お客さまとお話、というときには、 珈琲はなく、2度目のお茶をお出しするかどうか迷うケース。 長時間となったために、一息入れていただきたく、2度目をお持ちしたら、 隣のブースのお客さまが「 差別だ! 」と立腹されたり。 飲み終わられたので、カップをお下げしたら、 まだお出ししてないお客さまと、お下げしたお客さまとが判らなくなり、 最後までお出しせずに終わったお客さまがあられたり。 それを避けるために、カップをお下げしないでいたら、 空のカップがいつまでも机にあるのは不快である、と叱られたり。 暑いなかを走って来たのだから、冷たい麦茶が欲しい、とおっしゃり、 たまたま麦茶を切らしていて、怒鳴られるケース。 お客さまがお連れの3~4歳のお子さまにジュースをお出しし、 食育の問題でクレームとなるケース。 いつも絶対に日本茶しか飲まないのに、来店の度に珈琲が出てくるのは、 客の嗜好を覚えない怠慢社員たちだ、と叱られるケース。 健康に気をつけており、アルカリイオン水しか口にしないため、 出されるお茶や珈琲をその都度断るのがこころの負担だ、と嘆かれるケース。。。。。 その度にこころ優しい社員たちは、こころを痛め、右往左往する。 つい先日も、 「 自分は外では飲み物を摂取しない。 御社で出されるであろうお茶や珈琲をお断りするのが、 こころの負担になっている 」というメールをいただいたばかり。 普段は、「 お茶か珈琲をお出ししたいのですが、どちらがよろしゅうございますか 」 と必ずお訊ねするのである。 しかし、忙しいときにはそんな余裕がとてもない。 お声をお掛けしていないお客さまがいらっしゃらないよう、こころ砕き、 少しでも素早く自分たちが動いて、 できるだけお客さまをお待たせしないように心掛けることで精一杯であるのだが、 そんなときに、クレームが生じ易い、のもまた事実、である。 各店でも様々な工夫をこらしてはいる。 1度でもご来店いただいたお客さまには、カルテ(販売記録)が残っているため、 そこに「このお客さまには日本茶を」等々、気付いたことは書き記しておいたり、 お客さまのお顔とお名前そのものをしっかり覚えようと努力し、そのために工夫する。 新しく大規模なお店をつくったとき、 学生さんが多い商圏でもあったため、セルフ式の珈琲メーカーを導入しよう、 ということになって、社内でその是非が盛んに議論されたり、 やはり学生さんの多いお店では、顆粒のレモンティが好評であるという情報に、 逆にそれを手抜きではないか、最初から加工され、 砂糖が強制的に入っているのは好ましくないのでは、という意見も出たり。 喫茶店ではないのだから、お茶や珈琲でクレームを受けるようでは本末転倒。 いっそ、やめてしまえば、という意見も時には出てくる。 んでも。 「 ここのお店のお茶は、いつも美味しいねぇ。。。やっぱり来て良かった! 」 「 会社で、珈琲飲まずに我慢して、ここまで来たよ~ 」 「 病院帰りにこちらに寄って、調整して貰いながら、 皆さんの活き活きした顔を見て、 美味しい珈琲をいただくのが、今の私の楽しみなの 」 こういって微笑んで下さるお客さまのお声に励まされながら、 きっと私たちは、お茶や珈琲をお出しするのをやめないだろう。 (本部では、自家焙煎のお店まで豆を買いに行き、挽いて貰って冷凍している) うちの社員には、「夏に来店したときに、冷たくて美味しいジュースを戴いて感動したから」 という入社志望動機を持つものもいるのだから。 暑いなかを走って来られて、麦茶がなくて怒鳴られ、 「 水でいい! 」と言われて、本当にお水をお出しし、 汗がひかれた後も珈琲やお茶をお出ししなかったために激怒されたお客さまの 「 本来、不必要である飲み物を客に出すなら、それなりの覚悟を持て! 」 とおっしゃられた言の葉を胸に刻みつつ。
2007.02.03
コメント(18)
さすがにどの田んぼも稲刈りが終了し、 ついに、月1回の『 溝掃除 』 の季節に突入した。 ↑ 昨年の日記で「ざっと400m」と書いたが、 あれから、きちんと測る機会があり、 私たちの掃除距離は「700m」と判明した。 orz.... この間、ずっと中腰になって、力を入れて竹箒で底をこさげていく。 道路が高いところなどは、膝のあたりまで屈まなくてはならない。 700mという距離は、大変さを実感しすぎて、ちょっとヘコむ(笑)。 半年ぶりの溝掃除は、半年分の溝周りの雑草や苔の除去、 流れが悪いところのヘドロや土砂の除去作業もあるため、かなり汗をかく作業となる。 来年、田植えが始まるまでの溝掃除のなかで、1番人手が必要なときであるが、 毎年、「 今月からとは思わなかった 」 「 つい忘れてた 」という世帯が多く、 1番人手が少ない。 かく言う私も、ころっと忘れており、 溝掃除の始まる1時直前に携帯がなり、はっと気付いて、 日焼け止めもそこそこに飛び出した。(どうぞ、これが後々祟りませんように) この日も、例年の如く、班の半数もいらっしゃらず。 夏のような陽射しのなかで、大汗をかく。 あいも変わらず、50代のおふたりは、竹箒の先で音をさせるだけ。 溝に下りて草や雑草を採ることもなく、ずっとお喋り、それも、ひとの噂話。 耳を塞ぎたくても、否応なしに耳に入って来る。 私にできることは、ただ口を閉ざし、聞こえていないふりをするだけ。 また、月1回、イヤな想いをするのか~と憂鬱になりかけたが、 それでも、出てきていらっしゃるだけでも有難いのだ、と思おう>ぢぶん。 この溝掃除の責任者??は、うちの班の長老格のおひとり。 掃除が終わると、缶ジュースが1本、その御方から配られる。 どうして、この御方が取り纏めて?いらっしゃるのか、 この缶ジュースのお金は何処から出てくるのか。 全くもって謎である。(班費からは出ていない) 持ち回り「 班長 」も、あと2ヶ月となった。 \(^o^)/☆ 全くもって、名前だけの「 班長 」なり。 私がこの班のことを識りつくす日が、いつか、ヤって来るんだろうか?? (……来なくてイイ、ぃゃ来ないで欲しい、と限りなく思ふ(゚゜)\バキ☆)
2006.11.06
コメント(6)
やんまーさん から ご指摘を受けました。 > ネット使って「世界中に井戸端会議をばらまく」のはやめませんか? > 次は声を出している人が悪者にされるかもしれませんよ。 ご忠告、有難う、なんでしょうか。 それともこれは恫喝を受けた、ってことなんでしょうか? ここでの「 声を出しているひと 」とは、いったい誰のことなんでしょう? 私ですか? 一介の主婦が、HNのブログ内で何をどう叫ぼうと、どうボヤこうと、 どう愚痴ろうと、ゴマメの歯軋りにもならない。 それはやんまーさんも重々ご承知なのではないですか? それとも、どこやらの「 声を出している 」政治家さんですか? 私は全くの無所属で、何処のどなたとも関わりがありませんが。 いったい、やんまーさんは、何を懼れていらっしゃいますか? 或いは、何があなたを不快にさせましたですか? その前にいただいたメッセージはこちら。(高校必修不履修問題に関して) > 先生は…悪くないといったら嘘になります。 > 校長は…無責任でないといったら嘘になります。 > 教育委員会は?大学制度は?文部科学省は? > > 誰が悪いか?何のせいか?問題点は何か? > …ということが一番気になっている皆さん > > 悪者さがしはやめましょう。何の解決にもつながりません。 > 返って「管理」が強まるだけです。 > > > それが明らかになれば問題は解決につながりますか? > わからない人は世界史を学びましょう。 > 歴史は人智の結晶、巨大な知恵袋なのです。 > 私たちの取るべき態度、行動は明らかにされています。 > > > 私は > まず真っ先に高校3年生の諸君達に問いたい。 > その高校は『何かを学びたくて』入ったのではないのか? > そしてその『何を学びたいか』をはっきり伝えたのですか? > そして『あなたは自分で何をしましたか』ということです。 > そこらへんがぐらついている未熟者に物言わせること自体がおかしいのだと思います。 > > 高校教育は「学費」という対価を支払って「購入する」サービス商品である。 > なんて考えてる人がいるんじゃないかと思うとゾッとします。 (2006/10/31 12:15:25 AM) あ~。。。こちらにコピペしてたら、一気に脱力して、悲しさがわいて来ました。 やんまーさん、「 悪者探しはヤめよう 」 と、おやさしいのか、と思ったら、 なにものかの『管理』を懼れておられるだけ、なんですもん。 なんだか、先日の「違憲判決」を勝ち取られた 先生方が おそらく世間から言われていらっしゃるのでは、と思える、 ぃゃぃゃ、実は私自身が覚えた危機感のようなことをおっしゃるのですね。 温故知新、歴史に学べ、とは、私のとても大切にしていることです。 けれど、今回の未履修問題という具体的な事件についても、 「 問題点を明らかにするのは、 管理がキツくなるから、みんな世界史に学ぼうね 」 とおっしゃられると、凄~~く反発したくなります。 それに、そんなに大事な『世界史』(の、とっかかり)を学ぶ権利を 識らない間に奪われていた高3生は、尚更かわいそう、ですよね? 加えて、犯人探し、問題点探しをヤめようとおっしゃるあなたは、 > 私は > まず真っ先に高校3年生の諸君達に問いたい。 > その高校は『何かを学びたくて』入ったのではないのか? > そしてその『何を学びたいか』をはっきり伝えたのですか? > そして『あなたは自分で何をしましたか』ということです。 > そこらへんがぐらついている未熟者に > 物言わせること自体がおかしいのだと思います。 真っ先に高3生を問い詰めるのですね? そして、高3生を「 そこらへんがぐらついている未熟者 」と断じる。 そういう高3生を輩出してきたのは、誰なんです。 そういう高校にせざるを得なかったのは、何故、なんです? 非建設的で非生産的な犯人探しは、不健康でもあり、無意味です。 誰もが疲弊し、傷つくだけです。 けれど、このブログの流れは、非建設的でしたか? 不健康でしたか? もうひとつ。 > 高校教育は「学費」という対価を支払って「購入する」サービス商品である。 > なんて考えてる人がいるんじゃないかと思うとゾッとします。 残念ながら。 義務教育内の『学校給食』でも、 対価を払っているのだから、 「 いただきます 」と子どもたちに言わせるのはヤめろ、という論議が盛んです。 『学校給食未払い』の件でも 義務教育なんだから、学校給食は「 当たり前 」のサービスである、という 得手勝手な論理がまかり通され、未払い者が増えて行きました。 『高校』ではありませんが、 『大学』のサービス、ということについては、 先頃、私のブログ内でも論議がありました。 世の中、推して識るべし、ではないでしょうか? そして、「 ゾッとする世の中 」にしていったのは、 あなたも私も含めたおとなたち、ですよね。 これらのことは、 そのおとなたちが、黙して個々に世界史を学べば解決につながることなんですか? 黙している間に、どんどんと「 ゾっとする世の中 」は 拡大再生産されていきます。 せめて、 「 NO! 」 と感じることは、「 NO! 」と声を出そう。 そのために、思惟を重ね、学び続けるんですよ、少なくとも、私は。 それで潰されるなら、私は本望ですが、何か?
2006.10.30
コメント(22)
恥ずかしながら。 昨年、修繕しなくてはならないワイシャツの衿 を 紙袋いっぱいに溜めてしまって、だうしやう。。。という日記を書いて。 で、そのまま1年が経過した。 (゚゜)\バキ☆ 今や紙袋は2袋目に突入し、視界に入るといらいらするので、 押入れのなかに隠していたのだが、そろそろヤバい。 最近の夫の大のお気に入りのワイシャツがそろそろ紙袋行きとなりそうなので、 意を決して、そのワイシャツと他に2枚、計3枚の衿を外して裏返した。 3年ぶり位だったが、我ながら上々の出来! んふふ~。 ざっと7500円位、得しちゃったかな(笑)。 、、、それにしたって、 今回のパンクやパンクもどき費用の1割にもならないけど orz....高校の世界史等の履修不足に関しては、珍しくちょっとまとまらない。凄く腹が立ったけれど、色々と思うところもあり。
2006.10.25
コメント(2)
だぁぁあああ!!! ヽ(`Д´)ノ 昨日は夫の定休日。 寮から戻って来たが、早朝から私は病院で不在だし、 夫も午後からの講習会に出ないといけない、と言う。 で、来週がコンペだから、朝、打ちっ放しで練習したい、と。 私は父親譲りのゴルフ嫌い。 だもんで、夫にはゴルフを始めるなら離婚、と言い続けてきた。(鬼) けれど、時代と夫の立場がそれを許さなくなって早や15年。 夫曰く、ゴルフはスポーツなのだ、と。 夜、薄暗い酒席で仕事上の交渉ごと、etc.をくだくだたらたら進めるより、 お天道さまのもとプチ自然に囲まれ、皆で歩き、汗をかき、 和気藹々と健康的に雑談を交わし、プレーにひととなりも垣間見え、 プレー後のシャワー、お風呂、会食。 どんなに有意義な濃ゆいときを皆で共にし、 以降の商談、交渉事がスムーズにすすむことか、と力説する。 それは私も認める。 夫の立場も認めよう。 当時、私までも、部署柄、会社から強く始めることを勧められたが、 頑として私は首を縦に振らなかった。 だもんで、「あくまで渋々と」、夫がひとりでゴルフを始め、 滅多にない休みをゴルフに費やすことを黙認して来た。 「ゴルフ」に対する昔のような嫌悪感や偏見は私に既になかったが、 私の性格上、ヤり始めたら、きっと徹底的にノメり込み、 極めようとするであろう自分自身を警戒したから、である。 【 君子、危うきに近寄らず 】 夫は、スタートするのがひとよりかなり遅かったため? メンバーの足を引っ張りがちで、いつもヘコんで帰宅するのを 気の毒にも思ったし、打ちっ放しに行き始めたのも黙認した。 貧乏な私たちには道具を買えるはずもなく、打ちっ放しに月1回行くのがやっと。 車もなかったから、自転車で遠くまで行く。 靴から手袋から、先輩方に譲っていただいたり、 中古ショップで適当なのを揃えていたが、 夫の立場が段々それを許さなくなって行った。 メンバーにプロ級の方々が大勢いるなかで、 「 よいスコアはよい道具から 」、とショップへ連れて行かれ、 ドライバーを見立ててもらったところ、それが10数万のもので、 血の気が引いたことをつい先日のように思い出す。 取引先の御方も含め、3人もの大先輩に連れて行かれ、 見立てていただいたのだから、とても支払えない、とは言えず。。。。 しかし、そのドライバーは、やはり素晴らしかったようで、 夫のスコアは飛躍的に良くなり、今でも夫の宝物のようである。 昨日、打ちっ放しに行きたい、という夫の希望を了承し、車を譲り、 私は、久々に電車で病院へ行った。 お昼前、病院で待ち合わせた私たちは、運転を交代し、夫はそこから電車で出社。 私は車で帰宅し、夜、駅まで夫を迎えに行く。 帰宅した途端、脱兎の如く2階に駆け上がった夫は、またもやゴルフスタイルとなり、 「 午前中は、時間が気になって納得行かなかったから、 今から最終まで打ちっ放しに行ってくるねー 」 はぁぁ? それなら、もっと遅い下の少年の帰宅時間に合わせてつくったのに、 君の帰宅時間に合わせて、夕食をつくった私ってバカみたいぢゃん。 何故、一言メールでもして来んか~! と思ったけれど、 ま、これも仕事だもんね、と言の葉を飲み込み、にっこりと送り出す。 ……我ながら、ぬぁんて、よくできた奥さんだこと。 ほっほっほーーー そして、2時間半後。 見るも無残にヘコみ切った夫が帰宅する。 「 なん? 」 「 ……… 家の前でパンクした 」 右前タイヤが見事にパンク。 しかし外は真っ暗で、懐中電灯を並べ、ふたりであれこれ努力してみたが、 どうにもならない。 明朝5時起きでスペアタイヤに替えようと作業を諦める。 天誅だね、と思うこころを露ほども見せず、こころ優しい私は、にぃっこり☆ ここまでヘコんでる夫に、追い討ちかけてどーする、とつい思っちゃうもん。 、、、んぢゃが、ほんとーは腹ふくるる想いなりよ。 朝に夜に打ちっ放しって、どゆこと? どちらかの時間を、我が子の顔を観るのを待ち侘びてる義母のために遣わんか~ぃ。 明日、タイヤ修理に行かなくちゃなんないのは、私だし。 再来週が車検なのに。 上水道布設工事のお金も用意しなくちゃならないのに。 つい黙り込む私に、 「 まだ家の前でパンクだったから、助かったよね☆ ラッキーって思わなくちゃね 」。 をーぃ。 それはヘコんでる君に、私【が】掛けてあげる言の葉であって、 君が自分で喜んで言う言の葉ぢゃないぞ! 下の少年が明朝5時スタートと聞いて、ぼそっと 「 おかーさん、かわいそー 」 にんまり。 大拍手ぅぅぅ!! いつもは、母の横暴さに「 おとーさん、かわいそー 」と 下の少年の同情心は、父親が独占してたのに。 つい にたにたしてたら、もう一声。 「 割れ鍋に綴じ蓋? 」 違~~~ぅ!!!! ヽ(`Д´)ノ
2006.10.12
コメント(16)
ありのみさん のリクエストにお応えして、 今、私のお気に入りの眼鏡たち(除くサングラス)と、 ネガネの「ちょこっとお洒落」の形のご紹介。 左上。。。金色メタルに、レンズはブラウンのハーフ。 控えめなクリスタルカット。 テンプルはパープルブラウンのグラデーション。 左下。。。銀色メタルに、レンズはパープル15%。 テンプルはミルキーパープルに、筒型の七宝ビーズ。 メタルは跳ね上げ式。 (メガネを掛けたまま、辞書をひいたりなどするときに 近視で花眼が始まったひとには便利)跳ね上がってます(笑) 右上。。。今年、衝撃の右目視野欠損から、慌ててつくった累進。 現在も掛けています。 もぉ手放せない。 シャープ&クールなイメージを出したくて、 銀色メタルに、レンズは六角形を基本に、ブルーグレイ20%。 この小さなメガネで、遠距離、近距離、中間距離、バッチリ 。 テンプルは、黒に銀のビーズと銀飾り金具でシャープに。 チタン。 右中。。。右上のメガネに取って替わられるまで、 3年間愛用していたニコンのクラシオ。 銀色メタルに、レンズはグレイ30%。 テンプルは黒。 余りのお気に入りのため、全く同じものをもう1本つくる。 もうひとつ、同じ形でサングラスもあり。 右下。。。デスクトップPC用、中近距離用メガネで跳ね上げ式。 銀色メタルに、レンズは、ブルーグレイ10%。 テンプルは、黒に銀と透明ビーズ。 銀金具の4つ葉のクローバー。↑ 左上のメガネの横側部分。 控えめクリスタルカットが綺麗です。クリスタルカットは、全て手作業。積み重ねたスキルと勘だけがものを言います。それでも左右を合わせるのはなかなか大変。 レンズとテンプルのジョイント部分に小さなリングが。ここにお好みで、ポイント飾りをつけることができる。小さなキティちゃんをぶらさげてる女子学生多し(笑)。お手製のビーズの飾りとか、小粒のペンダントトップとか、皆さんあれこれ工夫されています。でも私は、目の横でぶらぶらしてるのは、気になるので ↓ テンプルの後ろに、先輩があれこれつくって下さったメガネピアスを。 (先輩と逢うときだけつける(゚゜)\バキ☆) これ、前から観ると、長いぶらぶらイヤリングをしてるみたいで綺麗です。 んでも、先日つくった、隣の元班長の彼女の花眼鏡 の方が数段素敵! とても似合ってたなぁ。。。。 彼女もとても気に入って、初めての累進にも驚異的な早さで慣れ、 当日の夜には、既に掛けて運転してました@@。 30日には、仲良しお友だちのパーティで散々自慢したとか。 うちの広告塔にスカウトしようかしら(笑)。 。。彼女とお揃いの感じのメガネ、また欲しくなってしまひました。 えーん。
2006.10.02
コメント(6)
明日から10月1日。 いよいよ、超悪法の 障害者自立支援法が本格施行となり(怒)、 vodafone は softbank になり、 今月も、楽天ポイントが消滅するとメールが来た。 先日の日記 『 楽天ポイント 』 で、 失効となるポイントは、所持ポイントの全部を使用しなくても、 失効日までに幾らかポイントを消費すれば、 その暫定ポイントから先に消費してくれる、とのご教示をいただいたのであったが。 今回は「 80ポイントが失効する 」とのこと。 たまたま楽天イーグルスが勝利した、とか、 今月は2度とないであろうプラチナランクであったための、 ポイント10倍とか、そんな棚ボタのポイントたちながら、やはり少々動揺。 んでも、80円分なんだし、 > 【 教訓 】 目先の損得に囚われず、本当に欲しいものを必要なときに。 > 価格、機能は、必ずじっくり比較検討して購入すべし。 と、恥ずかしながら、誰もがされていることを再確認したばかり。 なのに、 ん? 80円? 楽天ダウンロードって、まだ利用したことないけど、 もしかして、1曲ダウンロードって、いい考えかも、、、 と、まだまだ悟れず、セコい自分である。 orz.... で、その前に一応、と、『 楽天スーパーポイント 』のページへ初めて飛んでみた。 したらば、「 ポイント獲得・利用履歴 」というページがある。 凄~ぃ@@。 私は、ググる度に『Infoseekラッキーサーチ当選』してるらしく、 毎日のようにそれがずらりと並び、獲得した日時まで表になっている。 ふみみ~と眺めていると、 ● 2006/08/14 00:00 楽天イーグルスが試合に勝った翌日は全ショップポイント2倍 (2006/6/19~6/20) 52 失効 (52ポイント) ● 2006/08/12 00:00 楽天イーグルスが試合に勝った翌日は全ショップポイント2倍 (2006/6/16~6/17) 105 失効(105ポイント) ● 2006/08/08 00:00 楽天イーグルスが試合に勝った翌日は全ショップポイント2倍 (2006/6/8~6/9) 118 失効(118ポイント) 。。。。合計、275ポイント失効 。 (o_ _)oポテッ 。。。世の中(というか楽天が)、 そんなに優しく、温かなハズない、って思ってたんですよ、私。 やっぱり、期間限定ポイントが在る場合、 持ってるポイントは全部使い切らねばダメ のようです> 皆さま ということで、先日確認した教訓の通り、 今月は覚悟をもって80ポイントに別れを告げ、 来月もまた、新たな失効ポイントが出るようだけれど、それも見送り、 ポイントに振り回されず、有意義なお買い物をしやう。> ぢぶん。 ( とほほ )
2006.09.30
コメント(12)
わーーぃ!本物・鳩サブレー と 鳩三郎 だぴょん☆ だぁあああヽ(`Д´)ノ!! またしても 極悪凶悪_AZ_さん にヤられちまいました。ヽ(`Д´)ノ 。。。。私は、彼女に完全におちょくられとるぞ? ぷんぷん。 んと、■ 漢字バトン ■ だって。 1. バトンを回してくれた人に対して持つイメージの漢字は? 【 悪 】 ヽ(`Д´)ノ だって、いぢわるだもん。 おかしいなぁ、大地のいろのひとなのに。 って、ぅそぅそ。 ほんとは【 梓 】。 まんまで申し訳ないのですが、HNの響きから。(だから和名は気にしないで) それに、響きから「アズキ」の色もイメージしてしまいます。 覚えておいででしょうか、 以前、_AZ_さんのイメージ色に、クラレット(#941f57)をお選びしたこと。 HNは「梓」というお名前からか、と思い込んでました。 まさか、書き込みやチャット等で、AとZが打ち込み易かったから、とは。 orz.... 2. 前の人が質問6で答えた漢字に対して、自分が持つイメージは? 『知』: 【知識】の『ち』。 知性 → 英知とか知恵とか。 温故知新しながら身につけていくもの。 ひとがひとたる所以のような。 凛とした美しさも感じます。 『安』: 【安心】 → 安寧。 こころが安んじてて、穏やかで平らかで静かな感じ。 赤ちゃんがおかあさんの胸のなかで眠ってる風景が脳裡に浮かびます。 『一』: 【唯一無二】 かけがえのない、オンリーワンのもの(ひと)。 これをこころに持つひとは、勁く在れるような、 ↑ でも逆に、自分に都合の良い思い込みも増すような(゚゜)\バキ☆。 3. 大切にしたい漢字三つ 『 真 』、『 仁 』、『 心 』。 4. 漢字のことをどう思う? 愛しています(笑)。 幼少の頃から「漢字のなりたち」に親しんで来ました。 象形・指事・会意・形声・仮借・転注、、、 どれをとっても素晴らしいと思っています。 現在も、ひとつひとつの漢字が単独で持つ意味に唸ること多し。 彼の國から伝来してきたこの「漢字」を使いこなし、 より発展させ、自国語として完成させたニッポンのひとって凄い。 5. 最後に貴方の好きな四字熟語を三つ教えて下さい。 温故知新 …… 私自身への戒めとして。 ふるきに学ぶんですぞ>ぢぶん 外柔内剛 …… 中1のときの担任の先生から贈られました。 これも戒めとして。 明眸皓歯 (゚゜)\バキ☆ 則天去私 …… 私自身への戒めとして。 6. 次の人に回す漢字を三つ 『 理 』 ことわり 『 羅 』 『 遊 』 7. バトンを回す五人とその人をイメージする漢字を にょほほほ~。 金のぞうさんつながりで、あそびすとさん へ。 実のところ、上の3つの漢字は、あそびすとさんをイメージして選びました。 _AZ_さんのあそびすとさんへのイメージは【 武 】。 なるほどね。 (PTAの)もののふ って感じだよね^^*☆ ふぁいと! もうおひとかた、 ありのみさん へ。 私のありのみさんのイメージも 『理』、『遊』、そして【 濃 】。 ありのみさんにはHDクラッシュ中とか( ┬_┬)。 落ち着かれましてから、ごゆるりと。 お時間あられるときに、どうぞよろしくお願い致しますm(__)m。 んでもって、持って帰って下さる御方を募集中\(^o^)/☆ 追 記 ) ↓ コメント欄にて、同じく『 理 』のひと、ゆうやけぐもさんにもお願い致しました。 追っかけお願いで、ごめんなさいm(__)m。 ゆうやけぐもさんには、『 理 』と『 焔 』を感じる私です。 * 1番大好きな『 一期一会 』を書き落としてたことにヘコんでる私。 『外柔内剛』と差替えたい。 orz.... ↑ どーせ私は、外剛内柔よ!って、むくれたんだ、中2になる春。 今もちっとも進歩してない orz....
2006.09.29
コメント(19)
敬老会の記念品配りが、あと2軒分となり、 ようよう、ほっとしながら帰路につく私。 その私の姿を見かけて、わざわざ家から飛び出してきた副班長さんに、 「 町民運動会の件だけど」 と大声で呼び止められ、 思わず、意識を手放してしまいたい、と思ったのであったが。 うちの町では、2年に1度、小学校区対抗の町民運動会が 中学校のグランドで開催されて来た。 小学校区対抗とはいえ、うちの小学校区は広くて人数も多いために JRの線路を境に、北と南に分かれるし、 過疎化の進む山側の小学校区は、2つの学区が統合されて参加。 13000人規模(この10年で2000人減)の町政が行われていた町であるから、 それなりの規模の大運動会となる。 昔から伝統的に仲の悪い小学校区もあり、 日頃の鬱憤を競技で晴らそうと?? 競技は熱いし、大声援もあがれば、そこかしこで臨時の即席應援団ができ、 それはそれは盛り上がる。 長年、町のPTAで役員をしていると、 町内全域の主だったご活躍をされる方々とは既に顔見知りであるし、 いつもは中学PTAで1枚岩のようなメンバーが、 学区毎に敵味方に分かれて争うため、 互いに牽制しあったり、軽口も飛び交って、なかなかに楽しい。 日にちのヤリクリには辛いものもあるけれども、 拝み倒して、嫌々参加して下さるひとたちも、 ひとたび、ピストルの音が鳴れば、たちまち熱く燃え上がる。 参加賞も各小学校区でそれぞれ工夫して出され、 子どもたちの通う小学校区への帰属感が、それなりに心地良い。 中学校PTAとして、各学区の温度や熱気を肌で感じて、 日頃の疑問符が腑に落ちることも多々ある。 そして、過疎化に喘ぎながらも、 「 てんでに それなりに 元気な町 」 といったものを感じられたときには、嬉しくもなる。 が、しかし、ご多分に漏れず、役員さんは大変である。 毎回毎回、出場者の確保に駆けずり回り、 参加賞やお弁当の手配やら、漏れないよう神経を遣いまくる。 若者たちより、ご年配者が多いために、かけっこだけでは持たないし、 競技に工夫を凝らすために、その準備や説明には時間が掛かり、 競技の度に順位決定で、トラブル続出。 「大人の運動会」の様相で、お酒が入って、荒れるひとは荒れるし、 町のお偉いさんや、地域のうるさ型おじいさん、おばあさんの 容赦ない叱責が飛び交う。 義父母の「役」の代理で出てきた「若い嫁」が蔭で涙をふくのを どれだけ見かけて来たことか。 見回せば、役員さんも出場者も、毎回毎回、同じひとたち。 そして、確実に年老いていく。 1つ出場を承諾すれば、2つ3つ4つ5つ。 出ずっぱりの運動会となる。 これまで、班長としての役は未経験であるが、 体協さん繋がりで、ひとつ外からのお手伝いをして来た。 何よりまず、参加者がいない。 その確保に駆けずり回ることが辛い。 PTA行事ですら、なかなか集まらないのに、 「町民」としての縛りに応えて、秋の1日を町民運動会に当てて下さる方々は 驚くほど少ないのである。 主催者側のPR不足、努力不足、と思いもするが、なかなかに厳しいものを感じる。 昨春、町政の幕を閉じ、うちの町は隣の市と合併した。 町にはもう、お金がない。 自動的にそれなりのお金が動く「町民運動会」はなくなるもの、と私は思い込んでいた。 小学校区対抗のPTAのバレーボール大会やソフトボール大会を死守しただけで、 もう、充分だと、思ってしまっていた。 しかし、これまでの伝統、繋がりを消してしまうのは惜しい、と 町民運動会存続の話が持ち上がっているそうである。 2年に1度がやっとの運動会であったのだから、 今、「やっぱりヤろう」と決めたとしても、 資金面から何から、今年度は無理ではなかろうか、と思いつつ、 近日中に、会議がある、というので、こころの準備をしておこう。 その会議に、班長レベルまで呼んでいただけることはとても有難い、と思うし。 本当は辛いばっかりの「役」だけど、 意識を失ってしまいたい、と思ってしまう「役」だけど、 それでも「町民運動会の火を消すな!」な動きは嬉しい、と思う。 魅力のある運動会にして、たくさんご参加いただけるような、 老いも若きも楽しめる、こころ弾む、運動会になれたらいい、と思う。 そう、廃止することは容易い。 だが、廃止すれば、2度と立ち上げはかなうまい。 役員泣かせの運動会。 1種目につき、参加賞が台所用品だったり、タオルだった年もあったが、 1種目につき500円、という実弾だった年もある。 お祭り同様、現金を出さねばひとが集まらない、という運動会ってどーよ、 と、しっかり反省しながら、 それでも、より素敵な地域の運動会を模索し、生まれ変われたらいいな。この地の台風の影響はなかったが、JR線は全てストップ。なのに、下の少年は昨日も今日もクラブでK市のアリーナまで車を出した。 ヽ(`Д´)ノ
2006.09.18
コメント(15)
朝1番に、義母から電話。 敬老会が近付いてきたが、手伝いに行くのか。 記念品は配ったのか。 ぐずぐずせずにさっさと配れ、とのこと。 orz.... 義母の班では、敬老会は「女性会(私にはよく判らない組織)」の方々が 毎年決まってお世話を下さっており、昨日記念品を受け取った、との由。 義母は少々、気分を害していた。 それは、記念品とともに渡された、敬老会への案内文書から、である。 「 敬老者各位 」と記されたこの文書は、 町地区社協の会長名と町敬老会事業推進部の部長名で出されており、 18日の敬老会への出席を呼びかける案内文書だった。 ● アトラクションの内容が充実 しており、おおいに楽しんでいただける。 ● 誘い合わせて是非ご参加いただきたい。 と書かれたうえ、わざわざ ● 自治会を通じてご案内した申込書に、 欠席と書いていても、当日出席いただいて結構です。 と結んであった。 一体全体、本当のところはどうなんだ、と義母が言う。 義母の出欠を確認しに来られた女性会の方々は、口々に 「 今年はアトラクションもめぼしいものがなく、面白くないから出席しない方がいい 」 と言われたそうで、元々行く気もなかった義母は、当然「行かない」と答えた。 だが、文書には「楽しいから是非来い」と書いてある。 いったい、どーして欲しいのか、と。 アトラクションがつまらない云々ではなく、 出席者が増えれば、お手伝いの女性会、班長の負担が増える。 お手伝いをするひとたちへ出すお弁当代もかさむ。 だから、出席するな、と言うことだったのではないか、と。 ひぇぇ。 そこまで考えるのか?と背筋を凍らせつつ、 「 この文書に書かれてあることは、 案内文書の決まり文句のようなものですから、 余り気にされなくてもいいのではありませんか? 」 と答えておいた。 義母と我が家は、スープの冷めない距離ではあるが、班も区も異なっている。 義母の区ではどうだか知らないが、 うちの班を入れて4つの班からなる、うちの区(100世帯を超える)では、 敬老会出席者は、僅か1名とのことだった。 だから、私たち班長の当日のお手伝いが免除になったのだが、確かに少ない、と思う。 なんだかなぁ、、、と思いつつ、記念品を急いで配って回った。 ご不在の家もあり、 水道工事のまっただなかで、それらの問い合わせ、愚痴話にも引き止められ、 業者さんにも引き止められ、立ち話。 急ぎの仕事も入ったため、いらいらしながら、午後6時。 残り2軒。 この2軒は、夜に持って行こう、と帰りかけたら、副班長さんから呼び止められる。 りうりうさーん、町民運動会のことだけど。 、、、、、、なんですと???
2006.09.15
コメント(12)
昨日、敬老会の記念品を取りに来いと言われて取りに行き、 まだ準備ができてない と言われたのであったが、 本日、新・区長さんが、我が家までわざわざ届けて下さる。 わ~ぃ☆ ここ数年、記念品はドロップスだったけれど、 今年はちょっとだけ格上げ? 包装もシックでお洒落な、神戸・風月堂の『 レスポワール 』だった。(500円也) そこで記念品にまつわる逸話を耳にする。(初耳!) 20年近く前、町地区社協は、折角だから、敬老会の記念品を 町内の和菓子屋さんの紅白上用饅頭にしよう、と決めた。 しかし、発注量が多いことと、町内の和菓子屋さんを1軒に絞れず、 複数の町内和菓子屋さんへ発注したところ、質の違いが歴然とし、 記念品を受け取ったひとたちから苦情が出て、 大騒動、大問題になったそうである。 それに懲りて、市販のお菓子になった、ということだったが、なんとなく残念。 地産地消の素敵な機会だったのに。 その話に気を取られて、いつまでに(何日頃)配ればいいのかを 確認することを忘れてしまった。 敬老会当日に合わせて配るべきなのか、少しでも早く配るべきなのか。 「 遅い! 」 というお叱りよりは 「 早い! 」 というお叱りの方がいいよね。 明日、配ろう。 ( 日焼け止めを忘れないように>ぢぶん ) 午後から銀行へ行き、お祭りの寄附金を 班費の口座から1軒あたり 3500円×(全世帯-1軒)分をおろす。 今年度のお祭り当番になられたお宅 へ夕刻、持参する。 とっつかまって1時間強、愚痴を聞かされた。 当番は、毎年2年目の家があるようにズレながら、 2軒が2年というなら判るが、1軒が2年務める、という意味が判らない。 大注連縄は、氏子さんたちで綯うが、 お祭りの子ども行列、子ども神輿が通る道々に張られる細い注連縄は、 当番が集まって綯い、紙垂も半端でない量をつくる。 それがとても負担だし、餅まきをするお餅もつくらねばならない。 カラオケに出てくれるひとも居ない。 寄附とは別に、1枚500円の御札も売らないとならない。 自分は当番だから、買うけれど、買った家は名簿にして提出するため、 来年からずっと、「御札を買う家」として登録されてしまうのは嫌だ。 子ども行列のための衣装や小道具の点検、破れたりしているものの修復、 当日、子どもたちに着せて、また回収し、洗ったり、干したりして、納め。。。 その度に仕事を休まなくてはならない。 自分の当番の次は、宗教上の理由で寄附を拒否されるお宅だけれど、 当番を渡していいものか、渡してもおそらく拒否されるし、 拒否されたら、その次のお宅へ、自分の判断で飛ばしていいものかどうか、 考えるだけで憂鬱になる。 etc.etc. ふぇぇ。 彼女の愚痴のなかに、 確かにこれは、氏子さんたちでするのでは?と疑問に思うことがらがたくさん在った。 特に「御札を売る」ってどーなん? と思う。 私は、独身時代、実家の地元の青年団で、 ずっと祭りや盆踊りのお世話をしていたから、 祭りの段取りについては、それなりに識っているつもりであるが、 「 郷に入りては郷に従え 」 とは言うものの、 これら全てのことが、嫌で嫌でたまらない、と思われていますよ、神社さん。 もっとも、彼女は、元々こうしたお世話が嫌いなひとで、 お子たちは子ども会に入れなかったし、 PTAも嫌い、との由で、お子たちの中学は私立を選択されたひとだけど。 玄関の外で、蚊にヤられながら、真っ暗になるまで愚痴をきかされ、 すっかり疲れてしまった。 というか、なんだか悲しくなってしまった。
2006.09.14
コメント(14)
18日に元・町民センターホールにて町の敬老会が行われる。 例年、市長代理のお祝い挨拶や、永年功労者の表彰、 金婚式を迎えられたご夫婦へのお祝い等々のあと、 各種有名・無名団体による演技、発表等アトラクションがあり、 班長は、前日から準備、当日の受付・誘導案内、後片付け・掃除まで丸1日奔走する。 先日は、うちの班での該当者を探し、参加者名簿を作成・提出した。 敬老会対象者は、本年9月をもって満75歳以上となられる方々であったが、 うちの班では、半数のお宅に対象者がいらっしゃった。@@ が、結局、出席者はゼロ。 → 敬老会 当日のお手伝いが免除になった\(^o^)/☆ 喜んでいいのかどうかは判らないけど。 その代わりに、敬老会記念品を取りに行き、該当者へ配布する。 取りに来い、と言われたので行くと、 まだ準備できてないから、また後日、と言われてがっくり。 結局、市社協と町地区社協とのかねあいは理解できないまま。 準備できてないのに呼びつけるな~! ヽ(`Д´)ノ 、、、んでもこの方々もボランティア? 、、、、だったら、お疲れさまですm(__)m・(汗)。
2006.09.13
コメント(10)
たまたま期間限定5倍とか、たまたま楽天イーグルスが勝ってたとか、 HDを購入したのもあって、 知らない間に楽天ポイントが5000点を上回っていた。@@ 9月は【 プラチナ 】ランクになるんだそうである。 ↑ 今まで自分が何ランクで、それがどう関わるのか、知らなんだ~。 で、楽天からのメールによると、 8月31日に消滅するポイントが270ポイントもあるそうなのだった。 。。。。欲なもので、ポッチしたその日が たまたま楽天イーグルスが勝っていたから、という棚ボタでしかないのに、 その270ポイントが消滅する、となると とんでもなく惜しく感じる。 ( 楽天の思う壺 ) だもんで、8月31日、夜にはポイント消滅しちゃうという、 当日の朝から、何を貰おうかなと散々迷った揚句、 これまで、何人もの御方に勧められていた、 『 のだめカンタービレ 』 を大人買いすることに決めた。 ドラマ化も決まったらしく、人気コミックスなので、古本屋さんにはなかなか無い。 既に15巻まで出ているものを、新刊大人買いはなかなかできないけれど、 ポイントでごっそり貰えちゃうなんて、凄いラッキーぢゃ~ん、と るんたったで楽天ブックスにジャンプしたら。 なんとね、『 のだめ 』 全巻品切れだって。 orz.... 書店で平積みしてあるようなコミックスが、品切れて。 使えないぢゃん>楽天ブックス。 ヽ(`Д´)ノ 『 のだめ 』か、何かDVDを奮発してみようか、と思っていたけれど、 一気に楽天ブックスから興味が失せてしまう。 そのまま楽天市場をふわふわ漂っていると、1GBのフラッシュメモリが目に入る。 スリムで可愛いし、14800円の定価に比してオークションの一撃価格は9800円。 なのに、ボーナス企画中で、送料無料で、税込4462円。 ん~~~。 ポイントで貰えちゃう。 いいんぢゃない? 衝動的にシルバーを選び、ポッチする。 届いたフラッシュメモリは、小さくて軽くて可愛くて、嬉しかった。 スライド使用できる、というプラスチックのケースをつければ、 携帯のストラップにつけても、互いに傷もつかない。 「 いいもの貰っちゃったぁ 」と、ちょっと嬉しかったのに。 。。。。よ~~くよ~~く考えてみたら。 ▼ フラッシュメモリは、1GB容量ぢゃないけれど、 何本も持っていて、どうしても今必要だった訳ぢゃない。 ▼ まさに日進月歩。 たった今、念のために楽天検索してみたら、 送料は525円で、キャップはないものの、120倍速で 1GB 税込2379円、2GB 税込4477円というのを見つけてしまった。 1GB 2GB ▼ そして、私は、ポイントを全部使い切らなかったので、結局270ポイントは消滅。 むぅ。。。 フラッシュメモリを無料で貰っておきながらも、 なんだか、ビミョーに損した気分なのは何故? 『 のだめ 』を待つか、270ポイント(=270円)はなかったものとし、 どうしてもどうしても欲しいけれど、手が出ない、といったようなものに、 5000ポイントを足して遣った方が良かったんでは? 【 教訓 】 目先の損得に囚われず、本当に欲しいものを必要なときに。 価格、機能は、必ずじっくり比較検討して購入すべし。 ひとには、当たり前のことなのに、なんでできん?>ぢぶん
2006.09.12
コメント(22)
でぇえええヽ(`Д´)ノ 私を指名したのは 「 悩ませたかったから 」 と しれっとおっしゃる極悪非道の _AZ_さん からのバトンです。 「 好き 」 とか 「 かく在りたい 」ぢゃなくて 「 例える 」んだから、難しいよね。 1.自分を色に例えると? うぁ? ハナから難しい。 #ff0000~#f70000?? のあたりの赤? 闇に落つる直前の 透明感ある深~~ぃ濃青、鉄紺、漆黒、で在りたいんだけど無理。 黒檀色ってのも憧れてたけど。 んでも自分は、 かつては大嫌いであった赤、それも紅の色ではないか、と思われます。 何故? いつも轟々と瞑く燃え盛ってるから(笑)。 和色で言えば、猩々緋? (#e2041b) * _AZ_さんによると私は【 山吹色 】のイメージなんだって。 #f8b500ですね。 蜜柑色でも、橙色でもない、山吹色。 それって、大判小判ざっくざくの色? それともうん○? ( ┬_┬) 2.自分を動物に例えると? はぃ? それはもう、 金のぞうさん 、、、違っ んーーーー、ハムスター?(爆) 忘れっぽい。 芸できない。 食べるの大好き。 まるい(笑)。 でも、毒吐くし、獰猛だとも思うから違うかなぁ。 ハムスターが齧るだけでなくて、毒持ってたら可愛くないよね。 ハリネズミってとこかなぁ。 3.自分を好きなキャラに例えると? 好きなキャラって。。。。(汗)。 『 天空の城 ラピュタ 』の ドーラ ?(爆) 『 となりのトトロ 』 の おばあちゃんとか。 ほんとは、シータとか、ナウシカとか、サンとか、 温かで、毅然颯爽としたヒロインでありたいけどさ。 4.自分を食べ物に例えると? う"~ん。。。。 豚まん? orz.... 山椒のようなものでありたいんだけどなぁ。。。 5.バトンを回す人を色に例えると? 金のぞうさんつながりで、あそびすとさんに。 あそびすとさんは、、、、常磐色、かなぁ。。。(#007b43) 春の若草色、萌黄色を内包し、 野原の動植物を優しく包み、守り、育てる色。 ということで、あそびすとさん、よろしく~~m(__)m。 あ、_AZ_さんのイメージ色ねーーー。 どうしてもアンバー系統の色がちらつきます。 母なる色、大地の色。 なんでかなぁ、って考えるに、 やはり次女ちゃんを愛情いっぱいで見守り育むお姿だと思う。 長女さんに対しても。 うろたえず、イライラせず、 しっかり長い眼でど~~んと構えていらっしゃるように お見受けするところから、かなぁ。。。。 面白がって一緒に何処までも歩いていこう、とされてる感じも あったかだし、 でもまだお若いし、茶色、ぢゃあんまり? 茶系に一気に個性的な華やかさを足した、 クラレット(#941f57)って如何でしょう?? 今回のバトンほど、自分が「 えいやっ 」と決められない性格であることを 自覚させられたのは、他にないかも。 「 私? そりゃ、○○よ! 」って、即座に言えないんだもん。 それでもぅだぅだ説明しようとしてるもんなぁ。。。>ぢぶん
2006.09.08
コメント(9)
日頃のサボリが祟り、包丁たちが全然切れなくなった。 いつもは、ちょちょぃとスティック型の簡易包丁研ぎでお茶を濁しているのだが、 やはり、きちんと時間を掛けて砥石で研がなければ、切れ味がいまひとつ。 で、私ってば、つい、冷凍のものの解凍が待ちきれず、 研いだばかりの包丁を使ってしまって、刃を欠けさせたりする。 orz.... 今日は雨で肌寒い位だったので、包丁研ぎ日和かも??? と、 無理矢理、えいやっと気合を入れて、包丁を研ぐことにする。 砥石を水に浸して、湿らせている間に、どれだけ研がねばならないか、 ずらりと包丁たちを出してみる。 う"~ん。。。。 全部研いだほうがいいかも。。。。( ┬_┬) 私が結婚した頃、何のデータだったか、 各家庭の包丁の平均本数は3本だと聞いていた。 私も、出刃包丁、刺身包丁、万能(牛刀)包丁と、 海軍で調理担当だった、包丁にはうるさい、こだわりの父が じっくり吟味して選んでくれたものを3本用意して結婚した。 この3本は未だに現役で、特に万能包丁は余りに使い勝手がよく、大のお気に入り。 実家の母も同じ包丁を使っており、 昨年、上の少年の独立時に、この包丁と同じものを実家の母が持たせてくれた。 その折、甘えて私も同じ包丁を2本、一緒に買って貰った(゚゜)\バキ☆ 税込4000円程度の包丁であるが、 持ちやすさといい、バランスといい、切れ味といい、素晴らしい。 そして、20数年経っても、同じメーカーが同じ包丁をつくっている、というのが凄い。 写真の上の包丁が新しいもの。 下の包丁が結婚以来使っている包丁。 研ぎに研いだり。 こんなに小さくなってるなんて! 、、、と、お気に入りの包丁を絶賛しつつも、 結婚以来、生協で目に付いて、つい買ってしまったり、 鶏肉などをカットするのに便利なため、小ぶりの出刃包丁を買ったり、 パン屋さんのプレゼントでパン切り包丁を貰ったり、 結婚式の引き出物で、「寿」と入った包丁をいただいたり、 4歳児だった上の少年と料理をしよう、と子ども包丁を買ったり、、、と いつの間にか増えて、現在は ↓ 以下の通り。(果物ナイフなどは除く) これ、殆ど、研がねばなりません。 自業自得とは言いながら、恨むよ?>放っぽいてたぢぶん。 いつも使う包丁は決まってるのになぁ。。。。。 包丁なんて、処分できないし。 考えて買うべし>ぢぶん。 ( でも最近のデータでは、各家庭の平均包丁数は1本。 包丁がない家もあるって。 学生さんち? ちょっと想像つかない。 でも私の友人(独身・会社役員)は、ワンホールケーキを切る時に 「 包丁持ったの、1年ぶりかも 」って言ってたし ) この包丁たち、全部研ぐ、なんて、そんなことヤってる時間ないのに、 やり出すと止まらない。 まるで山姥になったような気分(笑)で、ひたすらシュッシュッシュ。 研ぎながら、 実家では、こだわりの父がいつも研いでたよなぁ。 母はいつも、父に感謝してたよなぁ。 あれこれあれこれ、想いを馳せながら。 腰も背中も首も腕も痛いなり。 んでもって全部できなかったなり。ヽ(`Д´)ノ んでも、明日からは、楽しくお料理できるかな?
2006.09.06
コメント(28)
8月16日。 手指の魔術師・だぁるちゃんが、師匠と仰ぐ pigmacさん の 可愛いペンギンさんのイラストを観て一念発起。 樹脂粘土で 見事な3Dペンギン をつくられたのを観て、 つい、「 可愛ぃーーー。 欲し~ぃーーー ヽ(`Д´)ノ 」と 叫んでしまった。 そしたらね、そしたらね、今日ね、ペンちゃんがぁああ! だぁるちゃんてばね、 この可愛いゲスト石鹸(インドネシア製)が、ネットで話題。 ココナツオイルと自然材料だけでつくってあるよ。 もし、使ってダメだったら、引出しに入れて移り香だけでも楽しんでね。 というようなお手紙で、 脱ステ後で、石鹸を選んでしまう私の肌に配慮下さってるんだけど、 そこには、「ペンちゃんはおまけ」みたいに書いてあるの。 んでもね、私、識ってるんだ~~~。 弥々さんち で、弥々さんが『 以心伝心 』というタイトルで 「 表現者 」に語りかけられたメッセージに応えて、だぁるちゃんてば、 > 生地と毛糸と粘土・・こういう材料でゴソゴソするのは 表現たぁ云わんか? > あたしは コレはダレダレちゃん、って行く先を想定して作業するのが好き。 > 相手への感謝や好意や情を 自分なりに表現してるつもりやったりするけどね、 > 伝わってるかどうかは 不明ダ。 って書いてらしたこと。 このとき、ぐぐぐって キちゃってました。 それが hand made の奥義だし、それが心意気だし、 んだから、hand made って、あったかいんだよね。 こんな可愛いペンちゃんが、「 おまけ 」な訳ない。 思わず「 欲しいぃぃ 」って叫んだ私のために、 だぁるちゃんが貴重な時間を費やして、ペンちゃんをつくって下さったこと。 ほんとにほんとに、有難くて、嬉しいよん。 ありがとーーーーー\(^o^)/☆飾っておきたいけれど、我が家のぐしゃぐしゃ状態ではすぐに見失いそう(゚゜)\バキ☆なので、携帯ストラップに一緒につけちゃおうって思ってるけど、持ち歩いて、欠けちゃったりしないかなぁ。。。(不安)
2006.08.28
コメント(12)
ここのところ、不覚にも毎朝のように涙がこぼれる。 『 めざましテレビ 』が夏休みに入って、 全国から『 めざまし体操・第2 』の生中継を行っているから、である。 朝のニュースはNHK、と決めていた。 朝からバラエティのノリの音楽、アナウンサーの口調、 芸能関係に比重のかかる情報の洪水には、やたらに疲れさせられる。 夜型の私には、朝からそれだけのものを受け止めるパワーがなかった。 淡々と、品よく時事・経済ニュースだけを提供してくれるNHKが心地良かった。 でも、いつのまにか、 フジの『 めざましテレビ 』にチャンネルが固定されるようになった。 なんでかな? と 想いを廻らすと、 私が、なんともいえないあったかなオーラの大塚さんを好きだから。 そして、同じく、前のなっちゃんアナを好きだったから。 そして、音楽情報が多いためか、少年たちも好んで観ていたから。 につきる。 パーソナリティがもう何代も変わった『 ワールドキャラバン 』には 毎回、じん、とさせられるし、 時折、朝の情報番組の1コマとして使い捨てにするには惜しいような、 鋭い切り口と視点、しっかり取材されたものに基づく 10分~15分程度の濃ゆい特集があったときには、 いつも、はっとさせられ、興味深いものばかり。 (以前の『 食用油で車が走る 』も、めざましテレビからである) だが、昨年来から、私が本当にこころ揺すぶられるのは、 この夏休み中の日本縦断『 めざまし体操 』である。 毎日毎日、お天気キャスターの皆藤愛子氏が、キャラバンとともに移動して、 応募で選ばれたグループや組織、団体のもとへ行き、 前日の取材を元にその地域やグループを紹介しながら、 元気いっぱいにめざまし体操のパフォーマンスを映す。 取材も体操も、決して上手でない「愛ちゃん」は、 その分、めいっぱいの誠実さと一生懸命さで、 汗だくで全力投球している姿に、清々しさを感じて好ましい。 そして、毎朝毎朝、紹介されるグループが素晴らしいのである。 地域の青年団あり、地元の漁師さん組合あり、体操チームあり、 手弁当の小さな劇団あり。。。。 ひとりひとりの動機を大切に皆で志を立て、地域のひとびとと共に、 時にはリーダーシップを取り、時にはご年配の方々をサポートし、 子どもたちとしっかりタッグを組んで、 【地域のなかで】それぞれに様々な形で頑張っている。 地域の小さなお子たちも一緒になって、 めざまし体操を、ひとり残らず楽しそうに嬉しそうに 踊っているようにさえ観えるその姿には、 毎朝毎朝、懲りることなく、目頭が熱くなる。 彼らがこんなに眩しく思えるのは、 この中継は、彼らにとっての晴れ舞台でもあり、 一瞬で燃え尽きる一過性のイベントであるから、、、と 少し、いぢわるな観方をしようとしてもなお、 その元気いっぱい、地域の力、生の謳歌の姿が眩しく、熱く、 この國は、まだまだ、大丈夫、だよね? と思えて、胸が痛いほど熱い。 うちの町のラジオ体操とのえらい違いを思う。 彼らのなかには、このイベントが熱くこころの励みとして残り、 また日常のなかで草の根のような活動を続けて行かれるに違いない。 地域のお子たちやご年配の方々をサポートしていこうとする自分たちが、 実は、そのお子たち、ご年配の方々の笑顔にサポートされていることに気付き。。。。 ひとりではなにもできないけれど、 志を共にできる仲間が在れば、こんなにもあたたかで熱い塊となれ、 皆を動かし、なんでも成し遂げられるようなパワーが溢れていくのだ、と 思い知らされる。 子どもたちは、楽しければいつだって笑いハジけ、 こんなにも輝く顔を見せてくれるのだ。 その笑顔を引き出せない地域は、それだけで、失格、のような気がしてくる。 千里の道も一歩から。 。。。その一歩も踏み出せてない、自分自身の姿がとても悔しい。 ぅだぅだ考えてる間に、さっさと動んかぃ>ぢぶん
2006.08.11
コメント(14)
全181件 (181件中 1-50件目)