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私
: 彼の父
はニューヨークに来たときは英語が話せなかったが、 30歳を過ぎる頃には事業にも成功し、英語もすばらしく上手に話せるようになる
。
独学で 歴史書
を読みあさり、芸術好きで、週末に時間があると ニューヨークの美術館
を巡って過ごしたという。
その 美術館
巡りで 美人の若いユダヤ系の女流画家エラ
と知り合う。
彼女はすでに一人前の画家として生徒を教え、ニューヨークのアパートの最上階に自分のアトリエを持っていた。
二人は結婚
する。
翌年、オッペンハイマーが生まれるが 、
家はエラが選んだ美術品で飾られていた
という。
A氏 : 母親の影響 が強いのかね。
私
:ドイツにいる祖父とは4回会いに行っているそうだ。
オッペンハイマー
は祖父を記憶しており「 おじいさんの一番の楽しみは本を読むことだった。しかし、おじいさんはほどんど学校に行っていないのだ
」と言っていたという。
ある日、幼年のオッペンハイマーが木のブロックで遊ぶのを見た 祖父
は、 建築の百科事典と鉱石標本のセットを彼に与えた。
7歳から12歳までのオッペンハイマー
は孤独だが、全霊を打ち込める 3つの趣味
、すなわち、 鉱物標本集め
、 詩を書いたり読んだりすること
、 ブロックの組立
があった。
A氏 :孫の好きなことを見出し、それを伸ばそうという おじいさんの目 があるね。
私
: オッペンハイマー
が学んだ学校も、ユダヤ教の選民意識に基づくものでなく、もっと オープンな個性尊重の学校
であった。
それに 資産家となった父
は、オッペンハイマーが欲しいものを買って与えた。
後に オッペンハイマー
は「 子供の頃の私の生活は、世の中にいっぱいある残酷なことや苦しいことに対して備えることを教えてくれなかった
」という。
運動は不得意だったが、 乗馬と帆船でのセーリングが次に趣味となった。
彼の才能は、あらゆる面で発揮されるね。
A氏
:偶然かもしれないが、彼の周囲の 教育はフィンランド式
だね。
創造的な知性が育つ環境
になっているね。
「 ゆとり教育
」だね。![]()
そして 彼の才能は一芸に達する者は、万芸に通ずるタイプ
だね。
なにか底にあるものをすぐに把握
できるんだね。
私
:物を扱う 実験物理が不得意
で、 オックスフォード大学
で教えてくれる教授の机に 毒リンゴを置いたという事件
があったという。
結局、 生まれたばかりの理論物理学
に向かうために、 ドイツの ゲッティンゲン大学
に学び
博士号
を取得する。
A氏
: その大学は当時の理論物理学のメッカ
だね。
後に、ここに残った学者が ヒットラー
のために 原爆
を作ろうとするね。
逆に、 オッペンハイマーはドイツに負けるなと原爆の開発を急ぐ。
しかし、 ヒットラー
は、 理論物理学はユダヤ人の学問
だとしてあまり重視していなかったようだね。
ところで、 オッペンハイマー
は 共産党員
だったの?
私
:証拠はないが、 戦前から知識人として政治にも知的興味を示していたので、付き合いも多かったようだね。
結婚後も付き合っていた女性は 共産党員
で、 自殺
しているね。
妻も党員
で、最初、党員と結婚していたが、 その党員がスペインの戦争に反政府軍に参加して戦死する。
だから妻は再婚だね。
弟も党員だね。
オッペンハイマー
はすごい読書家だから、「 資本論
」も一挙に読んだというね。
FBI
が オッペンハイマーを盗聴
し出すのは、ある共産主義シンパの会合をかぎつけ、駐車場の車のナンバーを記録して検索したら、その中から オッペンハイマーの車のナンバー
が出てきてからだという。
A氏:
こういう情報が、 戦後
、 冷戦
になり、 マッカーシズム
の嵐にさらされる ネタ
になったのか。
私
:しかし、 オッペンハイマー
は アメリカのために原子爆弾を開発
したのであって、ソ連のためでないことは明らかだね。
一時、アメリカを去ってヨーロッパのどこかの大学か研究所に行ってはどうかという話があったが、 オッペンハイマー
は「 私はアメリカが好きになってしまった
」と言って断ったという。
しかし、共産主義を含めた彼のその幅広い知識や知的好奇心が、 アメリカの原子爆弾開発のプロジェクトの科学的なリーダーとしての能力
を培ったのだろうね。
A氏 : アメリカのプロメーテウスを記念する墓 はないのだろうかね。
私 :わからない。「ポスト戦後社会」吉見俊哉著・シリーズ… 2009.09.01
「イスラムの怒り」内藤正典著・集英社新… 2009.08.24