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6月20日のOH氏の死亡の記
事
には、もう、一つの 貴重な体験談
が抜けている。
記憶が消えないうちに書いておく。
19日のOH氏のお通夜
に出るために、 東海の地方都市の新幹線駅
に降りたとき、 K君
が車で迎えに来てくれたが、 その助手席にある人が同乗
していた。
この人は、 OH氏
が勤めていた 東海地方の大企業の元社長 KH氏
であった。
OH氏
はその社長の秘書のような役割をしていたことがある。
だから、 OH氏
の通夜に来たのである。
元社長のKH氏の父親
は、一代で企業を大きくし、「 天皇
」と言われた人であった。
ウィキペディアにも載っている。
そして、 社長の座を当時、42歳という若い長男の KH氏
に譲った。
しかし、次第に業績が低下して、9年ほどして、 KH氏
は社長の座を追われるように退陣した。
K君 は、その 社長とOH氏の関係 を知っていたので、死亡の連絡をしたのだが、ついでに、通夜の席に K君 の車で送ることになったらしい。
18日
の OH氏
の死亡の連絡直後、また、K君から電話が入り、 元社長のKH氏がお通夜の後、私に会いたいという
。
K君の電話では、 元社長の自宅で夕食
でもという話になったらしい。
私はそんな 雲の上の人
は知らないので、おかしいなと思った。
19日
になって、実は 元社長の思い違い
であることが分かった。
私とおなじ苗字で、ある高名な技術者がいて、大学の総長までやった人
がいる。
その人と間違えていたことが分かった。
しかし、K君は今更、夕食のキャンセルも出来ないでしょうと元社長に言って、 結局
、 私は、お通夜出席の後、K君の車にKH氏と同乗して、 KH氏
の家まで車で向かった。
KH氏
は、助手席、私は後部座席であった。
OH氏
のお通夜があった家は、市内にあったが、そこから、車は郊外に向かった。
20分ほどして、 丘になったような森の入口
に門があった。
連絡がしてあったのか門は開いていた。
これが、 KH氏
の邸宅の入口であるようだ。
驚いたことに、 1車線くらいの木におおわれた柔らかい土の道
を緩やかに左右に曲がりながら、車が走ったことである。
よく、映画で見る ヨーロッパにある大邸宅
は、 門から家の玄関までかなり長い道
があるが、そんな感じである。
しかし、この道は頭上も林に囲まれ、道幅はせまく、一直線でなく、緩やかなカーブが右左にあり、道の端は、膝ほどの生垣が連続していた。
日本的に凝っている
。
2、3分して、邸宅が見え、その大きな玄関に着いた。
犬の大きな鳴き声が聞こえた。
KH氏
の奥さんも出てきた。
玄関でスリッパに履き替え、すぐに 20畳くらいあると思われる応接間の椅子
に座った。
KH氏
は、 軽い脳梗塞
になったことがあるということで、会話は滑らかでなかったが、K君とともに雑談を交わした。
奥さんも会話に加わった。
KH氏
のお年を聞いたら、 66歳
ということであった。
この人もウィキペディアにも載っている。
この大邸宅に、 夫婦二人
で住んでいるので、 犬二匹が家族同様の存在
であるようだ。
同時に、犬はセキュリティの面でも必要だと言っていた。
警備保障会社が駆けつけるといっても、この大邸宅では時間がかかる。
K君が犬を飼っているので、犬の話が多かった。
まわりは森なので静かで、シーンとして 森の精気
を感ずる。
KH氏
は、今は、 悠々自適の生活
のようで、この2,3日前に司馬遼太郎の「 翔ぶが如く
」を読んで、明治の裏切り、処罰の厳しさを話した。
自分の社長生活のときに重なったのであろうか。
夕食
は 出前
の「 蒲重
」であった。
2時間ほどして退出した。
2度とこういう邸宅に来ることはないだろうと、 K君
に感謝の意を表した。
K君
は、私がその夜、泊まる ビジネスホテル
近くの駅まで送ってくれた。
私はそこで彼と別れ、JRでビジネスホテルのある駅に向かった。
ホテルは 駅から歩いて5分
のところにあり、部屋に入ったら、10時を過ぎていた。
何か、異常な体験をした1日であった。