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【送料無料】バンコク燃ゆ
私
:俺は、 1980年代
に バンコク
を2度、用事で訪問している。
当時の中国は、 2重物価
で、外国人と現地人では、物価が違っていた。
しかし、タイはそういう区別がないので非常に安く過ごすことができた記憶がある。
しかも、 仏教国
なので、人が優しいと思っていたね。
ところが、 2000年代
に入って、 バンコク
で民衆のデモがさかんになり、 デモ隊
が空港を占拠したり、 アセアン
の会議をできなくしたりするという過激な活動が行なわれるようになったね。
観光もストップになった。
タイに対する俺のイメージ
は変わらざるを得なかったね。
2010年
のデモのときは、警官隊と衝突し、 25人死亡
。
A氏 :たしか、その死亡者の中に ロイター通信局のカメラマン 村本博之 氏 がいたんだね。
私
:この温和なタイというイメージが裏切られた感じだね。
この本の著者は、 朝日新聞記者
としてタイに行くが、この 2000年代のタイの政治
の動きを詳しく説明していて、 タイの政治構造
がよく理解できたね。
タイを知るには必読書だと思ったね。
著者は、新聞記者としてではなく、1個人としてこの本を書いたという。
それだけ、タイの政治を書くというのはかなり リスク
が高いようだね。
この 2000年代
に タイの政治
に 大きな変化
を与えたのが タックシン・チンナワット
で 19世紀後半
、 中国・広東から移住した 客家
の 4代目
だという。
実業家
として成功してから政界に進出するね。
1949
年生まれ。
タイの憲政史
上、 最強の政治家
であり、この本を読むと歴代首相の中でもきわめて 特異な存在
だということがわかるね。
A氏 : タイ経済 は、 1990年代 には 高い成長 を続けていたが、 96 年の 貿易赤字 で 97年5月 欧米のファンド が一斉に バーツ を売り浴びせ、それから 連鎖的 に起きた アジア通貨危機 の発端となるね。
私
: タックシン
は 98年7月
、 タイ愛国党
を旗揚げし、 2001年
の 総選挙
で 定数500
のところ、 248議席
を獲得し、 23代の首相
となる。
4年の任期
を終えた 2005年
の選挙では 377議席
を獲得している。
この背景に、 1997年
の憲法改正
で、選挙制度が 中選挙区から小選挙区比例代表並立制に改訂
したとが影響しているね。
タックシン政権
という 怪物
を生み出した 親
はこの 選挙制度
だということになる。
A氏 :日本の選挙でも 小泉政権の郵政選挙の圧勝 、 民主党の「政権交代の風」による勝利 も 小選挙区制 の影響だね。
私
:しかし、 タックシン
は民主党と違い、 公約を次から次に実現する
。
タイ
は、 東北の農村部とバンコックなどの都会との格差
が大きい国家だが、 タックシン
は 地方・貧困対策
を通じて、「 初めて公約を実現した政治家
」「 票を入れればその見返りがあることを庶民に理解させた首相
」などと評されたという。
だから、海外に逃亡した現在も タイに大きな影響力
を持ち、 ここ1,2年のデモの原因
になっているんだね。
A氏: その彼がなぜ、追い出されるのかね。
私
:実業家あがりだけあって、 強引すぎる政治手法
、 麻薬やテロ
(タイ南部はイスラーム圏) などに対する多少人権無視があった治安対策、金権体質
などから、 既得権を侵された層(上層階級)からの反発
を招くね。
そして、 タイ
と言えば 軍のクーデター
で有名だが、 15年間
それはなく、もう クーデターの時代
ではないと思われていた。
A氏 :それが 2006年9月19日 に ソンティ 陸軍司令官 による 軍事クーデター が起きるね。
私
: タックシン
首相が国連総会に出席のために ニューヨークに滞在中
に起きた。
19日
、政府系放送局は「 国王を元首とする民主改革評議会が権力を掌握した
」と放送。
憲法を停止し、戒厳令を敷き、憲法裁判所、全閣僚、国会議員を解任した。
その夜中に、 ブレーム
枢密院議長
に付き添われ ソンティ
は 国王と面会
して、 クーデターのお墨付きを得る。
決起の理由
は「 国の分裂を解消する必要があった
」ことに付け加え「 政権の腐敗
」「 タックシンの権力乱用
」「 不敬
」があった。
A氏 : 議会政治体制 で 王政 ではないのに、 国王 が出るのはおかしいね。
私
:そこがタイ政治の分かりにくい点だね。
それは明日、ふれよう。