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私 :「 ポケモンGO 」は、ゲームの記録を次々と塗り替えたが、 野村達也氏はその生みの親のひとり 、 シニア・プロダクトマネジャー だ。
しかし、 彼の人生は波乱万丈 だね。
A 氏 : 野村氏(30歳) は、 いまは 日本国籍 だが、 中国・黒竜江省の寒村 に生まれ、 父方の祖母は日本人 で、 戦時中に 旧満州 に渡ったが戦後取り残され、中国人の祖父と結婚 し、 母方は中国人 だが、 物心ついたときには、母について早朝から豆腐を売り歩いていた 。
村に娯楽はなく 、 4人の姉と野山で遊び 、冬は板からそりを作り、 9歳のとき、一家は豊かな生活を求めて親類を頼り日本の長野市に渡った 。
私 : 移住した一家 はほとんど、 日本語が話せず、苦しい生活を送り、父親は工事現場などで働き、母親は豆腐工場で働いて家計を支えた 。
野村氏は小学校6年生から新聞配達 を始め、 同級生がまだ寝ている薄暗い時間に起き出し、雪の中を自転車で約200軒回った 。
野村 氏は「 つらいと思ったことはなかった。普通の家のレべルよりずっと下から出発して、がんばればどんどん生活が良くなることが実感できたから 」という。
A 氏 :もう、 この頃からゲーム好きで月に3万6千円のアルバイト代をためてパソコンやゲームを買い、独学でプログラミングを学んだ 。
大学は地元の信州大学工学部(おそらく電子工学科 )に進み、 コンピューターのCPUを設計 し、 苦学 して、次 にスーパーコンピューターの研究を東工大大学院 で行い、 多くの外国留学生とも友だちになり、英語を身につけた 。
私 : 2009年にグーグルでインターンをしたのをキッカケで11年にグーグルに入社。
グーグルでの仕事は刺激的で好きなことをやれた という。
「 ポケモンGO 」の アイデア が芽生えたのは 13年末 で、 グーグルは毎年エイプリルフールにちなみ仕掛け をするので、 野村 氏は、 次回のネタを考えながら出張できた都内で、「ポケモンセンター」の前を通りかかった時 、 幼い頃、夢中になったゲームの記憶がよみがえり、「これだ!」となった。
A 氏 : 作ったのはグーグルマップに隠したポケモンを集める「ポケモンチャレンジ」で大いに評価され「ポケモンGO」のコンセプトが生まれた 。
私 : 野村 氏は、 14年にベチャー企業のナイアンティック社 に移るが、 CEO が、「 ポケモンGO」の開発 を 「ポケモン」社長の石原氏に打診 をする。
石原社長 は「 野村君がプロダクトマネージャーをやってくれるなら引き受ける 」と 条件 を出した。
プロダクトマネージャーは、ゲーム全体を決める重責 。で、 カメラマン をいきなり 映画監督 に するような提案 だ。
石原社長は野村氏と食事をしながらの5分ほどの会話 で「 生い立ちからこれまでの大変な道のりを、笑いながら軽やかに語ってくれた。人を引きつける力をすごく感じた 」という。
A 氏 : 野村氏の人柄を石原社長は見抜いたんだ ね。
それが「 ポケモンGO」の開発成功の推進力 となった。
私 :「 ポケモンGO」の熱狂 は落ち着きつつあるが、 野村 氏は「 ただのゲームで終わらせたくない 」として、今年も 次なる仕掛けに挑戦する という。