ところが、比較的最近、それを覆す発見がもたらされ、若冲研究者を驚かせました。滋賀大学の経済学者・ 宇佐美英樹
氏が1989年に 「京都錦高倉青物市場の公認を巡って」
という論文を書きました。 「京都錦小路青物市場記録」
(京都大学蔵)(右図)に記された、明和6年(1771)から安永3年(1774)にかけての錦高倉青物市場の動向について研究したものです。若冲がこの論文に登場するのですが、長らくこの論文は美術史研究者に知られることはなく、ようやく2008年になって大阪大学・ 奥平俊六
この騒動のさなか、若冲は安永3年(1773)の夏、58歳のとき、 萬福寺
住持の 伯珣照浩
(はくじゅんしょうこう)に会いにいっています。萬福寺は黄檗宗の大本山です。若冲と交流のあった重要人物の一人として後述する 売茶翁
も元黄檗宗の僧で、臨済宗の僧、 大典顕常
と交流がありました。黄檗宗も臨済宗も禅宗です。その禅宗繋がりがあって、若冲は伯珣照浩にまみえることができたのかもしれません。そのときの様子が. 伯珣照浩の 「革叟偈頌(かくそうげじゅ)」
(右図)の中に書かれています。次のような意味の文です。


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