ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2021/06/07
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テーマ: 京都。(6436)
カテゴリ: 京都案内
【2021年6月7日(月)】

 両足院の「半夏生の庭」特別公開は、6月1日から始まっていますが、今日は、私の初日でした。一昨日見学に来ましたが( こちら )、そのときよりも半夏生の白い部分が増えたように思います。

 コロナ禍の中の平日ですから、拝観者は多くはなく、ゆっくりお庭を観賞することができます。天気の良い一日で、湿気が高いのに閉口しましたが、一日、心静かに過ごすことができました。


 両足院は建仁寺の塔頭です。

 建仁寺は鎌倉時代の初期、建仁2年(1202年)に将軍源頼家が寺域を寄進し、栄西(ようさい、えいさい)禅師を開山として建立されました。元号を寺号とする寺院で、こういう寺院を元号寺といいます。平安時代以降の元号寺は他に延暦寺、仁和寺、東京の寛永寺などがあります。元号を寺号にするためには、天皇から公認されることが必要だと思うので、それだけで格式の高いお寺といえるのかもしれません。

 創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場でした。その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃しましたが、正嘉元年(1258年)東福寺開山の円爾弁円(えんにべんえん)が入寺して境内を復興し、禅も盛んとなりました。

 正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。

 その後、室町幕府によって京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えました。詩文芸術に秀でた禅僧を輩出し、「五山文学」の中心となり、「建仁寺の学問面」とも呼ばれました。しかし、応仁の乱などの戦乱と幕府の衰退により再び荒廃してしまいます。



 明治に入り、廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納し、境内が半分近く縮小されて現在にいたります。花見小路付近も建仁寺の寺域だったのです。34あった塔頭が現在は14になっています。

 私は阪急河原町駅から両足院にアクセスするので、建仁寺境内にはこの西門から入ります。


建仁寺西門




 その西門近くに公衆トイレがあって、車の一時駐車がしやすいため、よくタクシーの運転手が使っています。以前、改修中だったのですが、完了して、キレイになって、和式だったトイレも洋式替わっています。








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最終更新日  2021/06/08 11:01:44 AM
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Re:【京都案内】両足院 第1日(06/07)  
 そう言えば、建仁寺の塔頭で、禅を体験したことが有りました。
花見小路の花街から入るヒッソリとした建仁寺のたたずまい、京都独特の気配です。
 その昔、建仁寺の敷地の広さを偲ばれます。 (2021/06/08 12:25:28 PM)

Re[1]:【京都案内】両足院 第1日(06/07)  
ケイサン9574さんへ
 座禅をされたのは旅足院だったかもしれませね。今回も我々が朝到着すると、方丈で座禅をれていることがよくあります。 (2021/06/09 11:13:25 AM)

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