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元旦は家族が集う日。
施設でお世話になっている母も久しぶりに帰宅した。
帰る場所は妹のマンション。
長年暮した住まいは、今はない。
独り暮しの妹は、実家からも近い、多摩川を見下ろす、新築の高層マンションに住んでい
て、ここ数年はそこに家族が集まっている。
最上階の部屋からは、冬の富士山がくっきりと見える。
やわらかな陽射しを受けて光る川面。
たった1日の違いなのに、新年の雰囲気になるのは不思議だ。
空も、山も、川も、昨日までと変わらないのに・・・
少し痩せたようだけど、母は元気そう。
笑顔も昔のままだ。
「あら~っ!美味しそうね~」
兄が持参した、中華&フレンチの三段重ねのおせちに声を上げる母。
何も変わらないようだけど、、、
母は私を忘れている。
もう、子供達の名前も思い出せない。
今日が何年の何月何日であるかも知らない。
でも、母は無邪気に笑いながら、ここにいる。
母の記憶にない私の存在。
私の記憶の母は昔も今も変わらない。
過去の記憶を失って、今を生きる母。
明日につながらない今日の記憶。
認識のない家族と過ごす時間。
楽しそうな母の顔。。。
そんな母をみながら、サルトルを思い出した私(どうつながるの?^^;)
過去とか未来でなく、今、この時間、ここ存在する私達。
在ること、そのもの。
そのものこそが、、、全てなのかも知れないと。。。
ありゃ~ちと、違うでしょうか?
私なりの勝手な解釈ですので、間違っているかしら~?(^0^;