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今夜、テレビのニュース番組で「東京大空襲」を語り継ぐ、88歳の女性を取り上げていて
何気に見ていた画面に釘付けになった。
3月10日の「東京大空襲」はちょうど卒業を控えていた子供達も一時、疎開先から帰京
していた為、たくさんの学童達も犠牲になったと聞いてはいたが・・・
その女性の話しを聞きながら、怒りと悲しみで身体が熱くなった。
つい先日の土曜、久しぶりに会った知人と夕食をとりながら、「東京大空襲」の時の話しを
聞いたばかりだった。
知人はその年の1月生まれなので、生後3ヶ月の乳飲み子だから、全く記憶はない。
浅草の近くが実家なので、この空襲で家は全焼したけれど、家族は全員無事だったそう。
父親が必死で彼女のオムツを持ち出しで逃げたという話しを、何回も聞かされたと言う。
「もしあの時、もう少し遅かったら、父も死んでいたかも知れないの」
「私のオムツを取りに行った為にね~~」と、彼女は笑っていた。
でも、命がけでオムツを取りに行った、父親の愛情を感じたのは確かだろう。
彼女は父親が大好きだったと、いつも言っている。
ふと、ピカソの大作「ゲルニカ」を観た日の事が思い出された。
あれは、まだNYの「モダンアート」に展示されていた頃だった。
もう少しで「ゲルニカ」はピカソの祖国のスペインに帰ることになっていると聞いていたので
急いで、観に行ったのだが・・・
あの時も今夜のように、目が釘付けになって、身体が熱くなったのを憶えている。
祖国スペインの内乱戦争で、ゲルニカの町がヒットラーのドイツ軍から空爆され、沢山の
市民が犠牲になった。(空爆を要請したのは、あのスペインのフランコ将軍!--;)
逃げまどう人々、恐怖で目をむく牛、叫び狂う馬、、、、
灰色と黒だけの無彩色の大作「ゲルニカ」。
そこには、一般市民を巻き込んだ理不尽な空爆に対する、ピカソの怒りと悲しみが深く
刻まれていた。
東京大空襲、あの日を語り継ぐ「ゲルニカ」のような絵はないのだろうか・・・
8月6日広島、8月9日長崎、そして3月10日東京、、、、
人間はたくさんの戦争をしてきた。
今でもしている。これからもしていくだろう。
戦いは人間の本能なのかも知れない。
でもささやかな幸福を求める本能もある。
あの3月10日の夜、東京のたくさんの人々の、ささやかな幸福が奪われた事実。
そのことをしっかり記憶にとどめて、伝えていきたいと思う。