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通りすがりの皆さまは、「雄大」と聞いたって「?」だろう。
お盆だから、雄大のこと、知って頂けたら・・・。
我が家の一人息子の雄大は、2008年3月24日に天国へと旅立った。
14歳だった。
人生の半分のことは、 ボクはSSY
という本になっている。
図書館に行く機会があったら、探してみてくださいね。
私の顔出しですしね
後半の人生は、HPの日記に書き綴っていたけれど、訳あってすべて削除した。
今は、暑さのために学校に行けなくなってからの、生存をお知らせするためだけの簡単なブログと、亡くなってから載せた、亡くなった時からお葬式の様子を書いたものしか載せていない。
ところで、昨日は、やっぱりご僧侶は来られなかった。
去年は、お経無しのお盆になってしまったことが雄大に申し訳無くて、号泣した私だけど、今年は「ゆうくん、今年もこういう事になっちゃったけど、もうお経はいいよね?」程度
ただ、雄大のことを不憫だと思うのは、生きている時から、無償の愛を注いでくれる祖父母・親族の存在が無かったこと。
でも、その分、血のつながっていない皆様から、たくさんの励ましや愛を頂いてきた子だから、決して不幸ではなかったんだけど。
雄大の後半の人生を本にせよとのお声を多々頂くけれど、前半の人生と違って後半は・・・・闘いの日々だったため、私が書くことで人を傷つけることにもなりかねない。
書けないだろうな、多分。
雄大のHP 「SSYのページ」
は、ずっと更新していなかった。
亡くなってから葬儀の様子を書いたページは、読み返すことも怖くてできないから。
でも、書き足しておかねばならないことがあって・・・・。
先日、頑張って書きたした。
何を書きたかったかというと、お骨のお話。
東日本と西日本では、持って帰るお骨の量が違うということ
皆さんはご存知でした?
東日本は、全部残さず持って帰る。
西日本は、部分拾骨といって、わずかしか持って帰れない。
それが慣習・・・。
西日本でも前もって希望したら、全骨が可能なことなのかもしれないけれど、そんな準備万端にはできないものよ・・・・。
私は、雄大のお骨を全部持って帰るつもりでいたけれど、それが叶えられず、半狂乱になった。
しかし、今は、改善されたのだ。
斎場での申込書に、全部か一部かを書く欄を設けてもらえたのだ。
そのことをたくさんの皆さんに知って頂きたくて、頑張って書き足した。
辛い話しなので、そんな話を読みたくない方はスルーしてください。
でも、血のつながった人間で雄大のことを想うのは私と旦那だけなので、もしよろしければ雄大のことを知ってくださると、雄大も嬉しいと思います・・・。
SSYのページ
雄大の最期の様子は こちら
(お骨件の書き足した部分は下の方の太字の部分)
【飯の為なら】が本に(^O^)/ 2011.10.25
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