家が顔
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奇跡のように恵まれた10月の日曜日の天候は晴れ。洗濯機を5回廻し、洗車して古新聞をまとめる。靴の手入れをし終わったら午後二時だ。グループホームの母の所に位牌と”チーン”と鳴るやつを持って訪問。こんな気持ちのよい午後にベッドで横になっているのさ。入居者から、いろんな衣料をもらうらしくてワードローブはなんの問題もないようだ。タンスは衣類ではちきれないばかりだし、入りきらない衣料が紙袋で転がっている。椅子が無いので、ベッドに腰掛けている母とは目線がかみあわないな。茶を淹れて、噛み合わない話を、適当に相槌とささいな訂正を加えながら話す。プラスチックのミフィーのカップで飲む緑茶はマズい。次回は瀬戸物を少し持ち込んであげよう。母親というのは、いくつになっても自分の子供が心配なものらしい。ステーションで最近のようすや事務手続きをして30分で退去する。久しぶりに庭に出て石彫用ノミを手入れして、すこし石を削ってみる。気持ちのいい音だね。石と鋼がぶつかる音。道路向かいの男の子が興味深そうに、塀の隙間からそれを見ている。自分が小学生の時、となりの家には今では名を成した彫刻家が庭で水粘土を使って牛のエスキースをモデリングしていたのを黙って見ていた、あのころの自分とかぶる。木彫に市販のパテで修正したカタチというのは時間と光に耐えられなくて分離してしまう。たぶん漆と木粉と布の組み合わせのほうがなじむはずだ。ただ、漆というのは古代でも高価だったのだが、現代でも、とても高価なものだ。ザックザックと自在に使うというような量はあがなえない。せいぜいアミュレット程度のおおきさのものになってしまうのではないか? 先週、散歩の途中で拾ったふたつの石を組み合わせてあそぶ。いうまでもないことだが二つとして同じ石が存在しないことが、とても不思議だ。いつかこどもたちと小石を使って遊ぶワークショップのプログラム内容を検討してみよう。できたら絵の具を使いたくないのだ。金曜日の未明に聞いた、もんでん奈津代の語ったツバルの離島での生活というものを考えさせられる。おそらく、わたしたちの心のダイナミックレンジはおそろしく矮小なものなのだろうと思う。
2011.10.16
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