太田典生の「毎朝1話」良い話のおすそ分け

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2018.04.17
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最後はどこで死にたいか?

これは、私たち先の短い高齢者にとっては、幸せなままに人生の幕を引くためにとても大切なことだと思います。


 「家で死にたい」という人もいれば、「病院できちんと管理してもらって死にたい」という人もいると思います。
 価値観や考え方は人さまざまです。


 病院で管理すべきという院長の信念のもとに、療養病棟40床、一般病棟20床の病院は、医師不足もあり常勤医は院長のみで大忙し。病棟や外来を駆けまわり、胃婁を作り、器官切開をし、人工呼吸器の設定を調整し・・・と、昼も夜も駆け回っている院長は「自分がこの地域を支えている」と自負されている。


 患者や家族も「先生だけが頼りです」と話すが、入院している高齢患者は人工呼吸器や胃婁をつけられ、時には手足をベッド柵に縛られ、大部屋で何の楽しみもなく、寝たきりでただ生かされているだけです。


 「確かに院長は昼夜を問わず超人的に働いている。だが果たして、この院長の仕事はどれだけ地域住民の幸福につながっているのだろうか」と疑問を投げかける医者もいます。


 私は、そんな最後を迎えたくないと常々言っています。


 その答えの一つが、破綻して唯一の市立病院も無くなった夕張市にあります。

死亡者数は変わらず、救急車依頼が減り、癌などの病死が減り、老衰死が増え、市民一人当たり医療費が10万円減った。
 (詳しくは省略 興味があれば調べてください。)

実は、病気の多く?は病院があるから作られていると思います。

高価な検査機器を使って検査漬けにもなり、医療費も膨らみます。

また、個人の尊厳を無視した無駄な延命治療が施され、医療費も膨らんでいます。


 ある医師は、「かつて地域医療を担っていた頃は、私の死亡診断書には老衰という病名が半数以上ありました。
 15年前に総合病院に移ってすぐに『科学的でない、老衰であるという科学的根拠を示せ』と大変に批判されました。
 もう10年以上、老衰という診断書は書いていません」と語る。


 また、逆に総合病院から地域医療に出た医師は次のように語る。

総合病院では先輩から「老衰は病名ではない。しっかりと検査・診断して病名を確定するのが医者の務めである」と言われた。
 当時の私はその言葉に全く疑問を抱かず、検査・診断に精を出し、死亡診断書に1枚も老衰と書いた覚えがない。
 どんなに診断に苦慮しても、何らかの検査異常を見つけては、自分とご家族を納得させ、病名を記載したものです。

 ところが地域医療に出て、高齢の元大工さんを家で看取りをしてから考えが変わりました。

酒好きで気さくな方で、「この家は俺が建てた。だから俺はこの家で死ぬ。病院には行かないよ」と言い、「95超えてるんだから、検査したらなんかあるに決まっている。
 血なんか取らなくてもいい。
 なんだい先生、検査したらピシャッと100メートル走れるようになるのかい」と言って採血もさせてくれない。


 かつてはヘビースモーカーで、肺がボロボロなのは聴診器だけでもよくわかる。
 午前中に伺ってもアルコール臭がするほどの酒好きで、食事も多少は摂っていたそうだが、次第に身体もやせ細っていった。
 そんななか、全身状態の悪化が始まった。


 奥さんや子供たちが「検査の為一度病院に連れていきたい」と申し出たが、本人はあくまでも拒否。
 そこで、通常の訪問介護に加え、頻回の訪問介護、歯科医や歯科衛生士による口腔ケア(高齢者の肺炎防止に大切)も導入し、ケアマネージャーには介護ベッドなどの手配も依頼し、在宅介護の問題はほぼ完了した。

 それでも全身状態の悪化には歯止めがきかず、ある日の夕方奥さんが台所で洗い物をしているとき、彼はその背後で静かに息を引き取った。

まるで微笑んでいるかのような穏やかな死に顔だった。

 その穏やかな死に顔を見て、それまで検査・処置治療にこだわっていた子供たちも大変満足し、感謝の意を医者に述べた。


 (病院にいると点滴などで水膨れのまま、無残な姿で死んでいく。
 施設の介護員も、点滴を拒否して、日に日にやせていくのが可哀そうで見ていられないという。(それこそ問題)


 疾患に対して検査を尽くし、正確な診断を下し、治療するのは医者の使命の第一義であることは疑いようがありません。

しかし、医療は何のためにあるのか。
 患者の幸福という最終目的のために医療があるのだとすれば、診断はそのための手段に過ぎません。
 もし、その診断が患者の幸福に寄与しないのであれば、それは医者の自己満足に過ぎないのではないでしょうか?


 仮に住み慣れた場所での看取りが高齢者にとって満足度の高い医療の姿であるのなら、その推進は市民の幸福に寄与しているといえます。


 最後の問題を考える時、病院か家かの選択はとても大切なことです。

また、どんなことをしてでも1日でも長く生きたいか、心身の自律がなくなれば生きている価値がないと考えるか、それは生き方や死生観の問題ともいえます。

 あなたも、「終わり良ければ総て良し」で、最後を笑いつつ幸せに逝くために一度真剣に考えてみませんか?






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最終更新日  2018.04.17 04:35:38
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Re:番外編 終わり良ければ総て良し(04/17)  
81歳で亡くなった私の父は胃ガンでした。最後の2か月ばかりは家に帰り、家族が隣の部屋で夕食を食べているときに穏やかに生涯を閉じました。
私が「親父の様態を見てくる」と覗くと、穏やかな顔で息を引き取っていました。酒飲みのDNAは父から受け継いでいます。
私は一人住まいなので望みもしないが、一人山に入ってテントの中で五穀絶ちをし、下界を眺めながらお酒を飲みながら逝けたら最高と思っています。 (2018.04.17 08:43:31)

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