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もう連載を休んで一か月近くがたつのに、いまだに毎朝私のページを開いてくださる方が40名前後もみえます。本当に感謝の限りです。 この間も、フェイスブックの写真にこんなコメントを書きましたが、私の日々の喜びや楽しみ、幸せ感はこんなものです。 これは、その気になれば誰でもがお金もかけずに味わえます。 皆さんも、カメラを片手に朝の散歩をしてみませんか? 毎朝トイレで本を読むのが習慣だが(今読んでいる小説は、名前に凝っていて、なかなか読めず、記憶できないのが難だが)、今朝は私の朝の散歩そのものの情景描写に出会った。 光の剣が、闇の空を切り裂いてゆく・・・ 世界は白み始める。雨は上がっている。滴が、葉を伝って地面へと滴り落ち、母なる大地に接吻したかと思うと吸収される。地面に染み込む水滴を見ながら、風紋寺は北西の中庭を流れていた。 昨日の雨が嘘のような、穏やかな空気が流れている。心地よい水の匂い、肌を優しくなでる、冷たい早朝の微風。空を見上げると藍色の天空が、次第に明るくなっていくのがわかる。薄くたなびいている雲が、くっきりと浮かび上がる。鳥たちのさえずりが耳に快い。空は藍色から水色へ、やがて鮮やかな白色に包まれる。 世界が光に染められる早朝は神々しい瞬間。だから風紋寺はこの時間帯が好きだ。 この風紋寺を私に置き換えていただけばそのものです。 ちなみに5月11日の朝の写真投稿です。
2018.05.11
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『生きる』とは、ある意味では時間の消費にほかなりません。 誰にも、一日は二四時間で同じです。これは量としての時間です。 ところが、生活の中での時間は、あるときは長く、ある時は短く、ある時は緊張し、ある時は弛緩しといったように、同じ時間はありません。これは質としての時間です。 人生三部作を通しての共通テーマである「明るく、楽しく、逞しく(自分らしく)、命輝いて生きる」人生は、質としての時間を高めることから生まれます。 この本は、質としての時間の生き方を私なりに考察したものです。 質としての時間は、「美味しい、楽しい、気分がいい、気が休まる」などという言葉で表現される豊かな時間を演出する中で生まれてきます。 私たちの生活は、空間と時間とが切り離しがたく結びつき、物質と情報と関係という三大要素から成り立っています。 これらにどう対処するかが、私たちが心豊かに生きていく上で大切なことだと思います。 特に、質としての時間を高めるには、物質オンリーではなく、情報とか関係(人間関係だけでなく自然との関係も含めて)を大切にした生活を送ることではないでしょうか? 本書では、そのための幾つかの視点を私なりに整理してみました。 私は、宗教者でも心理学者でも教育者でもなく、失敗と挫折を繰り返してきた極ありふれた老爺です。 だがそのお陰で、幸せや人生について深く考えることもできました。 私は、サラリーマン時代には新規事業を企画提案したが失敗して、三十代に早くも窓際を経験して自主退職しました。 当時は終身雇用が当たり前の時代で転職市場もなく、仕方なく最初に興したマーケティング会社では、仕事欲しさに受けた仕事で取り込み詐欺的な被害にも遭って(制作物の支払いなし)、長女の幼稚園代にも困る有様でした。 何気なく潜り込んだコンサルティング会社から四八歳で独立した後も、部下や社員を管理する煩わしさに疲れて一人会社に事業縮小も行いました。 その間には夫婦問題や、中二から小児糖尿病を患って悲観し人生を捨ててしまった息子の問題など、自らの愚かさから苦しみと悩み多い半生でした。 何度も頭をぶちつけてきたおかげで、「生き甲斐とは」、「働き甲斐とは」、「幸せとは」ということをずっと考え続けてきました。 そして本も読み、自分なりに実践も重ね、晩年になってやっといつも笑みを浮かべ、心穏やかな日々を送れるようになりました。 山のあなたの空遠く、「幸」住むと人のいふ。 ああ、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。 山のあなたになほ遠く、「幸」住むと人のいふ。 カール・ブッセの「山のあなた」の詩ではないが、私も幸せは自分の外にあるものと思って求め続けてきました。 でもある時、「幸せは外に求めるものではなく、自分の心の中に棲んでいるもので、自分の心の持ち方さえ変えれば、今のままでも幸せは感じられるのではないか」と気づかされ、先見の方々の教えを実践した結果、「何時も笑顔が素適ですね。貴方を見るとホッとします」とまで言われるようにもなりました。 そこで、今まで本を読んだりお話しをお伺いしたりして自分なりに実践し、「うん、そうだ」と納得したことを取りまとめ、皆様にもおすそ分け(「おすそわけ」は、自分自身のゼロからの発想がない私が本を書き始めて以来のコンセプトです。)させて頂きます。 なお、お知恵を賜った先哲の方々には、この紙面をお借りして厚くお礼申し上げます。 何事も、実践しなければ何の成果は得られません。 「知行同一」を説いた王陽明が、「知っていても行わなければ知らないのと同じで、行うことによって初めて知ることが完成する」と言っているように、『知る』とは実践することによって『変わる』ことです。 一つでも『なるほど』という内容がございましたら、ぜひ「今日只今」から実践してみてください。 本文にもご紹介させていただいた長野県の奥さまのように、きっと何らかの素晴らしい効果があるはずです。 自称 京都嵯峨野の夢前案内人 太田典生 合掌 なお、今までお付き合いいただきありがとうございました。 できれば最後の出版もできればと思っていますので、よりよくするために忌憚のないコメントを頂ければ嬉しく思います。 なお、ブログ自体もこれをもって休止いたします。
2018.04.21
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ご感想はいかがでしたか? この章は、親族や知人たちのために自費出版した「笑いつつ逝くために」の抜粋です。 人生の終い方はとっても大切なことなのだが、あまり正面切って真剣に考える人も少ないように思います。 いや、目をそらして逃げているのかな? その結果、それまでも人の手に委ね、管につながれて水膨れになって終わる人がほとんどではないでしょうか? それでは寂しいし哀しい限りです。 私は、自分の人生の終り方くらい、自分の思うように終わりたいと思っています。 後期高齢者ともなると、食って、飲んで、何かをしたり見たりして今日を楽しみ、ただ時間つぶしをしながら日を数えるだけの人生が当たり前で、日記には「日々是好日」と書くしかない日がほとんどです。 だが私は、外部に刺激を求めるよりも(若いころは別として)、心の内部に刺激を求めるたちで、新聞や本などを読んで心に引っかかった課題を見つけては調べ、自分なりに表現し、発信することで自分自身に刺激を与えるのが大好きです。 無報酬で講演やセミナーを喜んで引き受けるのも、テーマをいただいて、その準備で(パワーポイントを2,300枚は作る)何日も自分を刺激でき楽しめるからです。 時には、持ち出しになることも多いが、それでいいのです。 横浜での講演の時(高齢化が進んでいる団地での高齢者向け生き甲斐論)などは、交通費は出るというので喜んで出かけたら、戴くときに市の規定で上限が2万円と言われ(関東圏のひとならそれでもいいが、京都からではね)新幹線代にも不足の有様でした。 でも、講演依頼を好機と、夜行バスで信州周りで行って小諸の親友に会い、上高地や松本を歩き、高峰高原の温泉宿や浅間温泉に泊まって、松本から新宿までバスで出ました。 夜には、新橋で学生時代にわが家に来ていた若者たちと宴会を楽しみましたが、24時過ぎに先行予約をしてあった横浜のホテルに着いたら、特別室しか空き室がなく、ハーバーランドの夜景を見下ろす豪華な部屋に6千円で泊めていただきました。 講演当日は金沢八景にいる兄宅に泊り、翌日は東京にいる次女と昼食。私の旅話を聞いて、「私が昼食おごるから、帰りくらい新幹線で帰りなさいよ」と言われてしまいました。 90分の講演のために1週間かかったが、なんとも楽しい旅でした。 旅はのんびりするもので、目的地一直線の新幹線や飛行機の旅は味気ないですね。 こんな私だから、お一人様で何日も人と会話をしなくても寂しいと思うこともなく(多くの男ヤモメは別として、お一人様は寂しいというのは嘘で、私の知っているお一人様の女性方も「こんな気楽で楽しいことはないと実にイキイキと過ごしてみえます。)、気持ちお乱されることもないのでストレスもなく、至って穏やかで柔和な顔で笑いながら毎日を過ごしています。 難点は、何日か長く話すことがないと、会話始めに暫く声が掠れるくらいです。 65歳までは362日(年末年始だけ3日断食)祇園近辺で飲んでいたが、嵯峨野に隠棲してからは仙人見習い的な生活を楽しんでいます。 そういいつつもお酒は手離せず、1日1升は飲まないように(できれば三日で2升)注意しています。 できるなら、最後は五穀断ちをして生き仏になるのもいいかなと思ったりもしています。 でも、やがては、知人の介護士さんに聞くような、酸素マスクをされて、点滴を受け、ただ生かされているだけの終末人生がやってくると思うと、「何のために生きているのか」「生きる意味は」ということを自問自答することも多くなりました。 「そんな状態になる前に自ら始末をしたい。終の場所をいくつか用意してある」というと、「命は大切」などと誰も正面切って反対できない観念でお叱りを受け、思いのたけどころか、小さなためらいをすら口に出させない雰囲気があり、命の機微と揺らぎを一つ一つ潰されていくような気持ちになりがちです。 価値観は人それぞれだが、死ぬときくらいは自分の自由にしたいものです。 でも、周りの人に迷惑だけはかけないようにしようとは思っています。 私がよく徘徊する愛宕山周辺でも、時々行方不明探しのポスターが貼ってあったりするが、こうならないようだけはしたいものです。 「尊厳死宣言書」を保険証に挟んでいつも持ち歩いているが、法的に安楽死が許されるのであれば一番に手を上げます。 私自身は、ただ生きるだけの人生は願い下げで、65歳位までに西行の歌のように死んで逝けたらいいなと言い続けてきました。 私の大学からの友人(ワンゲル主将と主務の関係で結婚式の司会も仰せつかったし、死ぬときに奥さんのフォローも託され、奥さんからは「2個1」と言われたほどの仲だった)などは、春3月末に癌で亡くなって丸10年になり、うらやましくもあります。 私も早く、花の下にて春に逝きたいな! ジェットコースターに乗っているような山あり谷ありの人生で色々あったけれども、だからこそ退屈しない面白い人生でした。 終わり善ければ総て善し。我が人生に悔いなし」 さあ、笑いつつ出かける三途の川の船旅にむけて、ワクワクしながら旅準備をしよう! 楽しい人生を送り、笑いつつ旅立ちたいものです。
2018.04.20
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さらりと去っていかん 兼好法師は「長生きすれば恥多し」と書いているが、私には長生き願望もなく、65歳位に春桜の花の下で逝くのが願望でした。 だから、宵越しの金は持たないという江戸っ子的な生き方をしてきたので、余分のお金もなく相続争いの心配もありません。 最後も、死を待つだけの老人ホームや虐待される恐れさえもある介護施設などに入居するのも嫌だし、病院での延命措置も拒否してそっと笑って旅立って逝ければ幸いです。 歳をとるのは当たり前。 「時よ止まれ」と無駄なあがきをするのはやめ、いつまでも生きようとも思わず、なるだけそっと自然に消えていくのが理想です。 それまで、自力で楽しく生活できる時間(健康年齢)をどれだけ保たせるかです。 そのために心がけているのは、頭と体を使うこととそれを維持する食事に注意することくらいかな? 酒も健康の素。 その点、料理をするのは最適です。 今日は何を作るかを考え、レシピを工夫して食材などの買い物に行けば、自然と頭も体も使うことになります。 ありきたりのレシピに頼らず、食材や切り方、調理の仕方や盛り付け一つにも工夫してみるのも楽しい限りです。 歳をとれば、あちこちにガタが来るのは当たり前。 文句は言わず、心配し過ぎず、日増しに鈍くなる血の巡りを何とか良くするように気を付けるだけ。 何事も諦めが肝心です。 それと、沢村さんが次のようなことを書いて見えたが、全くその通りで気を付けよう。 「暮らしの中で気を付けなければならないのは、齢に甘えないこと。 散々苦労を重ねてやっと今日まで生きてきた自分を、若い人が尊敬するのは当然のこととなどと思い込み、はては良いことは自分のせい、悪いことは他人のせい、などとご機嫌になっていると、いつか周りのことは何一つみえなくなり、あげくの果ては若い人たちから疎外され、ただ古いだけの安物になってしまうのは哀しい。 『歳がよると二度おぼこ』という諺がある。 老いて童心に返り、なんとも無邪気に可愛くなるのは嬉しいけれど、聞き分けのない子供の我儘さに年寄りの頑固さが重なったら、周りの人は手が付けられない」・・・ さあ、皆さんも老後を徒然なるがままに、自分なりに思いっきり楽しんでください。 私は、桜の下で独り、花のようにサラリと散っていくのが理想です。 サラリと 流れてゆかん 水のごとく サラリと 忘れてゆかん 風のごとく サラリと 去ってゆかん 雲のごとく また、あの世で好きなお酒を酌み交わすことができれば幸いです。 嵯峨野の隠居 太田典生
2018.04.19
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~親愛なる子供たちへ~ (樋口了一詩/手紙) 年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい。 私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい。 あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい。 あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた 悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと 励ましの まなざしを 向けてほしい。 楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい。 あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを 悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい。 いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない。 足も衰えて 立ち上がる事すら出来なくなったなら あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい。 私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい。 あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど 私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい。 きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです。 あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように 私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい。 あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと あなたに対する変らぬ愛を持って 笑顔で答えたい。
2018.04.18
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最後はどこで死にたいか? これは、私たち先の短い高齢者にとっては、幸せなままに人生の幕を引くためにとても大切なことだと思います。 「家で死にたい」という人もいれば、「病院できちんと管理してもらって死にたい」という人もいると思います。 価値観や考え方は人さまざまです。 病院で管理すべきという院長の信念のもとに、療養病棟40床、一般病棟20床の病院は、医師不足もあり常勤医は院長のみで大忙し。病棟や外来を駆けまわり、胃婁を作り、器官切開をし、人工呼吸器の設定を調整し・・・と、昼も夜も駆け回っている院長は「自分がこの地域を支えている」と自負されている。 患者や家族も「先生だけが頼りです」と話すが、入院している高齢患者は人工呼吸器や胃婁をつけられ、時には手足をベッド柵に縛られ、大部屋で何の楽しみもなく、寝たきりでただ生かされているだけです。 「確かに院長は昼夜を問わず超人的に働いている。だが果たして、この院長の仕事はどれだけ地域住民の幸福につながっているのだろうか」と疑問を投げかける医者もいます。 私は、そんな最後を迎えたくないと常々言っています。 その答えの一つが、破綻して唯一の市立病院も無くなった夕張市にあります。 死亡者数は変わらず、救急車依頼が減り、癌などの病死が減り、老衰死が増え、市民一人当たり医療費が10万円減った。 (詳しくは省略 興味があれば調べてください。) 実は、病気の多く?は病院があるから作られていると思います。 高価な検査機器を使って検査漬けにもなり、医療費も膨らみます。 また、個人の尊厳を無視した無駄な延命治療が施され、医療費も膨らんでいます。 ある医師は、「かつて地域医療を担っていた頃は、私の死亡診断書には老衰という病名が半数以上ありました。 15年前に総合病院に移ってすぐに『科学的でない、老衰であるという科学的根拠を示せ』と大変に批判されました。 もう10年以上、老衰という診断書は書いていません」と語る。 また、逆に総合病院から地域医療に出た医師は次のように語る。 総合病院では先輩から「老衰は病名ではない。しっかりと検査・診断して病名を確定するのが医者の務めである」と言われた。 当時の私はその言葉に全く疑問を抱かず、検査・診断に精を出し、死亡診断書に1枚も老衰と書いた覚えがない。 どんなに診断に苦慮しても、何らかの検査異常を見つけては、自分とご家族を納得させ、病名を記載したものです。 ところが地域医療に出て、高齢の元大工さんを家で看取りをしてから考えが変わりました。 酒好きで気さくな方で、「この家は俺が建てた。だから俺はこの家で死ぬ。病院には行かないよ」と言い、「95超えてるんだから、検査したらなんかあるに決まっている。 血なんか取らなくてもいい。 なんだい先生、検査したらピシャッと100メートル走れるようになるのかい」と言って採血もさせてくれない。 かつてはヘビースモーカーで、肺がボロボロなのは聴診器だけでもよくわかる。 午前中に伺ってもアルコール臭がするほどの酒好きで、食事も多少は摂っていたそうだが、次第に身体もやせ細っていった。 そんななか、全身状態の悪化が始まった。 奥さんや子供たちが「検査の為一度病院に連れていきたい」と申し出たが、本人はあくまでも拒否。 そこで、通常の訪問介護に加え、頻回の訪問介護、歯科医や歯科衛生士による口腔ケア(高齢者の肺炎防止に大切)も導入し、ケアマネージャーには介護ベッドなどの手配も依頼し、在宅介護の問題はほぼ完了した。 それでも全身状態の悪化には歯止めがきかず、ある日の夕方奥さんが台所で洗い物をしているとき、彼はその背後で静かに息を引き取った。 まるで微笑んでいるかのような穏やかな死に顔だった。 その穏やかな死に顔を見て、それまで検査・処置治療にこだわっていた子供たちも大変満足し、感謝の意を医者に述べた。 (病院にいると点滴などで水膨れのまま、無残な姿で死んでいく。 施設の介護員も、点滴を拒否して、日に日にやせていくのが可哀そうで見ていられないという。(それこそ問題) 疾患に対して検査を尽くし、正確な診断を下し、治療するのは医者の使命の第一義であることは疑いようがありません。 しかし、医療は何のためにあるのか。 患者の幸福という最終目的のために医療があるのだとすれば、診断はそのための手段に過ぎません。 もし、その診断が患者の幸福に寄与しないのであれば、それは医者の自己満足に過ぎないのではないでしょうか? 仮に住み慣れた場所での看取りが高齢者にとって満足度の高い医療の姿であるのなら、その推進は市民の幸福に寄与しているといえます。 最後の問題を考える時、病院か家かの選択はとても大切なことです。 また、どんなことをしてでも1日でも長く生きたいか、心身の自律がなくなれば生きている価値がないと考えるか、それは生き方や死生観の問題ともいえます。 あなたも、「終わり良ければ総て良し」で、最後を笑いつつ幸せに逝くために一度真剣に考えてみませんか?
2018.04.17
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独りの時間を楽しもう いまや65歳以上の高齢者のうち、男性の10人に1人、女性の5人に1人はひとりで暮らしている。今後もこの傾向は加速するようだ。 「ひとり暮らしの老後」というと、どこかうら寂しいイメージがつきものだったが、この考え方は、もう古い。 ひとり暮らしをするシニアの4人のうち3人は、「日常生活に満足している」と答えているのだ。 誰に気がねなく、文句をいわれることもなく、好きな生き方ができる日々は、最高に心地がいい。 内閣府が行なった「一人暮らし高齢者に関する意識調査結果」(2016年12月)によると、「一人暮らしの高齢者の76.3%が『今のまま一人暮らしでよい』と考えている」という調査結果が出ています。 「現在楽しみにしていること」では、「テレビ・ラジオ」を挙げた人が8割近くに達しています。 次に「仲間や友人との交際」「新聞・雑誌」「食事・飲食」までが4割を超えます。 「散歩」「旅行」までが3割を超えていますので、このあたりまでが代表的な生活の楽しみといえるでしょう。 下重暁子さんの著書「極上の孤独」の案内に、「孤独ほど贅沢で愉快なものはない。周りに自分を合わせるくらいなら、一人でいるほうが何倍も愉しく充実しているからで、成熟した人間だけが到達できる境地でもある」とあったが、家へ帰るのを忘れて30年の私が実感することばかりです。 (解説は私の実感です) ・集団の中でほんとうの自分でいることは難しい。 ・他人に合わせるくらいなら孤独を選ぶ。 集団の中にいれば、つい自分をよく見せたいし、相手に合わせることもしなければならず、自分らしく振舞うことが難しくなり、高じるとストレスもたまります。 ・素敵な人はみな孤独 ・孤独は人を成長させる ・一人の時間を大切にするから夢がかなう 「人行かぬ 裏に道あり 花の山」ではないが、他人に引きずらずに独自の自分を磨く時間があり、四十前後から本領を発揮しだす。 しかも、競争者も少ないから美味しい。 ・一人は好きな自分のペースを崩さないから健康になれる それには不精にならず、自分で料理を工夫できることが大切ですね。 ・一人で行動できないと楽しみが半減する 旅でも何でも、他人や時間に縛られずに自由気ままに行動できるのが一人の良さ。 ・孤独だからこそやり遂げられる 誰のためとか、誰かに反対されてということもなく、自分の思うままに振る舞えるから、自分の意思次第で決めたことをやり遂げることができます。だから楽しく、成功もする。 ・孤独を知る人は美しい ・万人を魅了した大物歌手はみな孤独 ・年をとると品性が顔に出る ・孤独を知らない人には品性がない 年を取るにつれて、孤独の中で磨いた独自の品性が光を放ちだします。 ・孤独であって自己表現はいくらでもできる 孤独だからこそ、自己表現をする時間も生まれます。 ・孤独な人はいい出会いに敏感になる 沢山の人に囲まれていても利交の人ばかりで、真の素交の人も見えなくなりがちです。
2018.04.16
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幸せか否かは自分の価値観次第 では、老齢期の幸せとは何だろうか? 幸せとは、所詮、その人その人の心が感じるものであって、これという決まりきった定型モデルがあるわけではなく、人それぞれの価値観次第であるというのが私の考えです。 老後の幸せは、他人から羨ましがられる地位や財貨などといった通俗的なものではないようにも思います。 これらには上には上がいて、「もっと もっと」と絶えず追い立てられ、心安らかに今を楽しむこともできません。 それらで、本当の友を得ることも難しい。 幸せの感じ方は価値観次第で、人によってそれぞれ違うから面白い。 社会的な地位さえあれば得意満面の人、住んでいる土地が人気の地となり高値がついてはしゃぐ人、思いがけない棚ぼた的なお金が入って喜ぶ人、幾つになっても自分ならではの仕事のある人、確かにそれらも一つの幸せの要素であろうと思います。 だが、こういう幸せばかり追い求めていると、心がすさみ本当の心の安らぎ(幸せ)は遠のいていくような気がします。 寄ってくるのも利交の人ばかりで、心から安らげる素交の友は得られません。 それでは、老後の幸せや楽しみには結び付かないと思っています。 そんな見せ掛けの幸せの要素には無縁でも、幸せ感一杯の人も沢山います。 私など、極楽トンボのように毎日を面白おかしく、徒然なるままにしたいことだけをして生きてきたおかげで、貯金もなく(借金だけはせず、最後の整理代として300万円位残せればと思っているが)年金だけで食べている下流老人にすぎません。 だが、慕ってくれる若い人たちもいるし、差し入れまで携えて整体治療に訪れてくれる愛の訪問介護士までいて、所詮その日までの暇つぶしと、毎日「明るく 楽しく」笑いながら、毎日一人で酒瓶抱いてブラブラ嵯峨野を徘徊して気楽に暮らしています。 今日一日、いや今という確かな一時を楽しみ尽くすだけでいいのではないでしょうか? 兼好法師も、「存命の喜び 日々にたのしまざらんや」と徒然草に書いています。 歳をとったら、気が進まない冠婚葬祭や飲み会もスルーOK。 話していて楽しくない人も、できるだけ敬して遠ざける。 それが、老後のストレスフリーな生き方ではと思う? 人に迷惑さえかけなければ何をしてもいいが、その結果どんなリアクションがあっても、他のせいにせず、したいことをした代償なのだから致し方ないと諦めるほかありません。 私でいえば、酒と競馬と旅で稼いだお金は全部使い切ったが、身体が不自由になったからといって、ほったらかしておいた家族などの世話になろうとは思っていません。 その覚悟だけはしています。 そのためにも、健康年齢を伸ばすことを普段から心掛けています。 参考までに私の楽しみは、フェイスブックにも毎日早朝徘徊写真を載せているように、毎日の生活の中で、季節、その日、時間、場所による何気ない小さな変化を一つ一つ拾い集めて楽しむことにあります。 鴨長明ではないが、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」ではないが、刻々と変わる今を楽しんでいます。 ・比叡山の左手から登っていた朝日が日毎に南下するさまを楽しむ ・朝夕茜色に染まりつつ毎日変化する空や雲のさまを楽しむ ・サギがじっと魚が来るのを待っているさまを楽しむ ・春になって通りの花壇や野原の花たちが咲きはじめるのを楽しむ ・四日の命のハスの花の日々変化するさまを毎朝楽しむ ・朝方純白だった花が夕方前には酔っ払い色に変化する酔芙蓉を楽しむ ・里山や渓谷をさ迷い歩き丘や川端で風に吹かれて酒盛りを楽しむ ・嵯峨野の畔にフキノトウや土筆が顔を出したかた探すのを楽しむ ・田んぼの中に一本だけある白蓮の大木が花を咲かせた見とれる ・植物園のフウの大木がきれいに紅葉するのを心待ちに楽しむ ・霜柱に覆われた野原を歩くときのギシギシいう音を楽しむ これらは、自分の心に楽しむ気持ちさえあれば、お金をかけなくても日々楽しめ、下流老人の愉しみにぴったりです。
2018.04.15
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私なりの老いの生き方、楽しみ方を参考までにまとめてみました。 ➀老いを受け入れ折り合いをつける 人は老い死ぬものであるから、時を止めようとは思わない。 人は裸で生まれ裸で死んでいく。 何も持っていかれないのだから、財貨をため込まない。 歳をとるにつれてできなくなったことを嘆かず、今できることを楽しみ尽くせばいい。 ②心の健康を心掛ける 肉体は歳をとるにつれて錆びてくるが、心を錆びつかせてはならない。 時流や人の意見に流されずに、何時も何かを自分なりに考え続ける。 それが、認知症の予防にも一番いい。 それと、何時までも心をときめかそう。 求めるのではなく、尽くす恋をするのが一番? ③コンパクトでシンプルな生活を心掛ける 何事も断捨離を心掛け、余分なものをため込まない。 いつ逝ってもいいように整理整頓。 人の目や意見を気にせずに、自分のやりたいことだけをする。 人付き合いも適当に、面白くない付き合いはしない。 物も人も絶えず断捨離をする。 来る人を拒まず(安らぎを)、去る人を追わず(幸せを)。 これが、私の人付き合いの信条です。現在は括弧の方です。 ④人に寄りかからず気ままに生きて生きる力を取り戻す 年を取ると、何かと他人に寄りかかりがちです。 なんでも自分で行うことです。 究極は、人に合わせる必要のない独り暮らしが理想です。 気兼ねせずにしたいことだけすればいいし、必然的に何事も自分でして自立するしかないので健康で若返りもします。 例えば旅にしても、予定を立てない一人旅が理想だが、団体旅行や夫婦旅行にしても、一緒に行くのではなく、せめて目的地までは各自好きな道を、好きな方法で行くようにしてみてください。 きっと、今までにない新鮮で心に残る旅になるはずです。 ⑤幸せ感(人生の良し悪し)は自分の心(価値観)が決める 分かっているようで、意外と分っていないのが自分の価値観です。 一度、自分の価値観を書き出して、明確にしてみてください。 人生を楽しむには、今さら無理とか恥ずかしいなどと思わず、できるだけ価値観の幅を広げることです。 意外と、やってみたら楽しいという、食わずきらいがあるはずです。 また、自分で管理できるのは今日、いや「いま」という一瞬だけで、昨日のことはどうにもならないし、明日(いや5分先)のことは分かりません。 歳とったら、人生は面白くなければ意味がない。 今という一瞬を、どう楽しく生ききるかを考えるだけでいいのです。 ⑥「楽しみは」の句で有名な橘曙覧的な生き方を心がけ、ぐうたら生活を楽しもう。(今では読みにくい字もあるが適当に選んでみました) たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見るとき たのしみは 意にかなふ 山水の あたりしづかに 見てありくとき たのしみは 草のいほりの 筵敷き ひとりこゝろを 靜めをるとき たのしみは 珍しき書人にかり 始め一ひらひろげたる時 たのしみは 百日ひねれど 成らぬ歌のふとおもしろく 出きぬる時 たのしみは 妻子むつまじくうちつどひ 頭ならべて 物をくふ時 たのしみは 空暖かにうち晴し 春秋の日に 出でありく時 たのしみは 意にかなふ 山水のあたり しづかに見てありくとき たのしみは 常に見なれぬ鳥の來て 軒遠からぬ樹に 鳴しとき たのしみは まれに魚煮て 兒等皆が うましうましといひて食ふ時 たのしみは そゞろ讀(よみ)ゆく書の中に 我とひとしき人をみし時 たのしみは 雪ふるよさり 酒の糟あぶりて食て 火にあたる時 たのしみは 書よみ倦(うめ)るをりしも あれ聲知る人の門たゝく時 たのしみは 錢なくなりてわびをるに 人の來りて錢くれし時 たのしみは 心をおかぬ友どちと 笑ひかたりて腹をよるとき たのしみは 晝寝せしまに 庭ぬらしふりたる雨を さめてしる時 たのしみは とぼしきまゝに人集め 酒飲め物を食へといふ時 たのしみは 人も訪ひこず事もなく 心をいれて書を見る時 たのしみは たのむをよびて門あけて 物もて來つる使えし時 たのしみは 木芽煮して 大きなる饅頭を 一つほゝばりしとき たのしみは つねに好める燒豆腐 うまく煮たてゝ食せけるとき たのしみは 庭にうゑたる春秋の花の さかりにあへる時々 たのしみは ふと見てほしくおもふ物 辛くはかりて手にいれしとき
2018.04.14
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老いの楽しみ 高齢化社会ということで、どう生きたらいいのかという指南書が目に付くこの頃です。 「毎日ぼんやりとしていないで、人間幾つになっても、何でもいいから生き甲斐を見つけて、張り切って一生懸命に生きないと、どんどん老け込むし、認知症にもなりますよ」などと脅されて、今さら何をしたらいいのか、生き甲斐なんて見つからないと迷い焦っている人も多いような気がします。 でも、人はただ生きているだけで奇跡なのです。 戦中から戦後の混乱期に生まれた私たち世代は、とにもかくにも汗水たらして働いて高度成長を支えもしたし、その後のバブル期をなんとか生き延びてきた年寄りです。 長い間の仕事を辞めてやっと肩の荷をおろし、残りの何年かをのんびりと過ごせると思いきや、少子高齢化社会で年金制度や保険制度が今までのようには成り立たなくなるとか、2025年には65歳以上の5人に1人は認知症患者になるとか、半ば厄介者扱いです。 仕事一筋で高尚な遊びや趣味に無縁だった多くの人は、リタイヤー後これといってやることもなく、毎日ブラブラとしているだけで、ありあまる時間と社会や家族からも必要とされない虚しさを持て余しています。 そんなかで、俳句や短歌、碁や将棋、社交ダンスや合唱、ヨガや太極拳、散歩やウオーキング、登山やハイキングなどの同好会、同窓会や異業種交流会という名の飲み会なども盛んだが、その根底には孤独が寂しく、何かに追い立てられているようにも思えます。 大抵はそれを一つの縁にして仲間を求め、心ゆくまで昔の自慢話やうんちくを語り合い(でも、皆さん周りの人に無頓着ではた迷惑なことが多い)、一時の孤独の寂しさを忘れたいという気持ちが見え隠れもして、なんとなく心淋しくもなることもあります。(失礼) それが、ときには生き甲斐にさえ思えてくることもあるだろうが、私にはそれもまた蜃気楼のようなものに思えてきます。 自分のことばかり(昔の自慢話や趣味、持参物に対するうんちくなど様々だが)話している人に出会うと、聞いている方(私はもっぱら聞き役)も辛いところもあり、私は独り静かに酒で紛らわしているが、ついつい飲み会にも足が遠のきがちになるこの頃です。 そんなこんなを逆手にとった孤独の勧めもよく目につくこの頃です。 束縛や気を遣うのが嫌で、一人でいるのが大好きな私は、現役時代から群れずに公私ともに自分が楽しいと思うこと、やりたいことだけをしてきたので、充実した一生でした。 旅にしても、北から南まで宿も決めずに全国各地を一人で放浪し、普段着に雪駄で街を歩いていると土地の人に道を聞かれることもよくありました。 海外旅行も、年間渡航者が70万人くらいのときから語学もできないのに、ツアーではなく一人で出かけていました。 よほど街になじんでいるように見えたのか、パリのカフェテリアでコーヒーを飲んでいて道を聞かれたこともあります。 台湾に行ったときは、高砂族の酋長に気に入られ、「うちの娘を連れて行ってもいいよ」と言われたが、丁重にお断りしたら「私の彫ったこの仏像を持って行け」と言われ、80センチばかりの重い一本彫り阿弥陀様を手渡され、未だに本棚の上に鎮座しています。 酒場には、年末年始の三日断食以外は毎日一人で夕食代わりに通っていたが、この頃では旅や多くの人が集まる飲み会さえ億劫になってきました。 もとより団体活動は苦手で、ゲートボールやグランドゴルフなんてする気にもならないが、なにも無理に群れることはありません。 独り遊びは楽しいですよ。孤独上手になることですね。 いずれにしても、楽しくってワクワクすることだけをしてきたが、そんな私なりの老いの生き方、楽しみ方を参考までにまとめてみました。(明日に続く)
2018.04.13
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認知症になりにくい習慣を続ける 心をさびつかせて、認知症になることだけは避けたいというのは多くの人の願いです。 2025年には65才以上の5人に1人が認知症になるといわれるが、身近な食材や話題の食材を使って毎日の食事を少し意識するだけで、脳の老化を防げる可能性があります。 認知症は大きくとらえれば老化現象の一つで、誰でも年齢とともに緩やかに脳の機能は衰えていきます。 残念ながら、現時点では「こうすれば認知症にならない」という方法はありません。 しかし最近の研究から、「どうすれば認知症になりにくいか」ということが少しずつわかってきました。 認知症を予防する対策には、大きく分けて2種類あります。 ➀日々認知症になりにくい生活習慣を行う、 ②認知症で落ちる3つの能力を簡単なトレーニングで鍛える これらを長く続けていくことで、認知症を発症せずにすごせたり、認知症になる時期を遅らせたりできる可能性が高まります。 高血圧、高脂血症、肥満、糖尿病などのメタボリックシンドロームは、脳血管性認知症だけでなく、アルツハイマー型認知症においても危険因子として考えられてきています。 例えば、65歳以上のアメリカ一般住民138名を対象とした研究では、高血圧・糖尿病・心疾患・喫煙の4つの危険因子の有無とアルツハイマー型認知症の発症との関連を検討した結果、追跡開始時に有していた危険因子の数が多いものほどアルツハイマー型認知症の発症数は増加し、3個以上の危険因子を有するものは危険因子のないものに比して、3倍以上のリスクとなることを報告しています。 メタボリックシンドロームの予防=運動や身体活動を増やすことが、アルツハイマー型認知症の発症を減少させる可能性を示しています。 第一は、週2から3回以上、30分以上運動をすることです。 主としては、歩くことが勧められています。 週3回以上30分以上の運動を行った者は、認知機能の低下する者が有意に少なく、高齢者の認知症の発症を減少させていることを示しています。 単純に一つの運動を行うのではなく、運動に他のトレーニングを組み合わせたものがより認知症の予防に有効であるとされています。 例えば、国立長寿医療研究センターの報告では、運動に認知課題(頭の体操)を組み合わせた運動をコグニサイズと名付けています。 運動しているときに、「4の倍数で手をたたく」とか、しりとりをしながら運動するなどです。 東北大学加齢医学研究所の報告では、筋力強化トレーニングと有酸素運動を組み合わせたトレーニングが認知機能の改善をしたと報告しています。 具体的には、マシーンでの筋力強化をおこないながら、自転車エルゴメーターまたはトレッドミルやランニングマシーンで有酸素運動を行うことです。 第二は、食事です。 認知症になり易い人には、若い頃からの食事の傾向に特徴があることがわかっています。 ➀偏食。例えば、野菜と魚を嫌い、肉だけを好む。 ②ビタミンB群、C、E、ミネラルの摂取が少ない。 ③女性では小食。食事の代わりにお菓子やケーキを食べる。という特徴があります。 認知症を予防するには、高血圧、高脂血症、肥満、糖尿病などのメタボリックシンドロームを予防する食事が重要で、日本食が比較的適していると言われています。 具体的には、まずコレステロールを減少させる不飽和脂肪酸DHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)を多く含む魚、特にサバ・イワシ・サンマなどの青魚です。 米・タフツ大学がおこなった調査によれば、魚を週2回食べている人は、月1回しか食べない人に比べてアルツハイマー病の発症は約41%減少するという結果が出ています。 また、血中コレステロールや中性脂肪を低下させる働きがあるレシチンを多く含む豆腐などの大豆製品です。 血栓の主成分フィブリンを溶かす働きをもつナットウキナーゼを含む納豆も有効な食品です。 活性酸素によってうける神経細胞膜のダメージを減らす作用のある抗酸化成分を多く含む緑黄野菜、ざくろ・ベリー類・果物、アーモンド・ナッツ類なども有効とされています。 黒ゴマには抗酸化作用があると言われるセサミンが含まれています。 第三は、趣味を持つ、料理をする、社会の中で役割を持つことが予防につながります。 地域在住の認知症がない高齢者469名を平均5.1年経過観察して、読書、パズル、ゲーム、カードゲーム、楽器演奏などの知的活動やテニス、ゴルフ、水泳、自転車、ダンス、散歩、階段の昇降、家内作業、ベビーシッターのなどの身体活動などの余暇活動の頻度と認知症発症の関係を調査しました。 その結果、124名において認知症が発症し、読書、ゲーム、楽器演奏などの知的活動が認知症の発症数を減少させ、身体活動ではダンスのみが発症数を下げたと報告しています。
2018.04.12
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身体は錆びても心まで錆びさせてはならない 人間の器たる身体は月日とともにヒビも入り錆びてもくるが、中身たる心は心がけ次第でいつまでも若々しく保つことができます。 器に水を入れたままにしておくと腐るように、心も揺さぶったり、かき混ぜたり、新しいことをしないと腐って錆びてきます。 心を揺さぶって、生きる力をよみがえらせてください。 感性を磨いて心を揺さぶり、いつまでも心豊かで幸せな老齢期を過ごしたいものです。 最近の行動を振り返ってみて、あなたの心の老化度をチェックしてみてください。 □心から楽しんだり大笑いしたりすることが少なくなった □未来(老衰や死)から目をそらして過去を振り返ることが多くなった □「昔はよかった」とか若い頃の自慢話をすることが多くなった □心がときめきワクワクすることがほとんどなくなった □やりたいことや興味があることはとくにない □新しいことに取り組むのが億劫になってきた □やる気が起きず面倒なことはできるだけ後回しにしがちである □気が付くと同じものや似たような色の服ばかり着ていることが多い □料理は簡単に作れるものや毎日同じようなものばかり食べている □人が沢山集まる場所や集まりが億劫になってきた □人と話すのが億劫になってきた □言いたいことがあっても我慢することが増えた(逆切れもあり) □人の話をじっくりと聞くことが少なくなった □相手の興味に関係なく一方的に話していることが多くなった □自分から遊びを企画したりして人を誘うことが少なくなった □「どうでもいい」「どうせ」などが口癖になった □何かと落ち込みやすくなった(うつ的) □とかく愚痴っぽくなった(ひどくなるとクレーマーに) □神経が鈍感(逆に過敏)になった □些細なことにもこだわりがち □感情のコントロールが難しくなった(怒りやすいなど) □ちょっとしたことを忘れがちになった(日時・名前・用事など) □注意力が散漫になった(鍋をかけたことを忘れるなども) また、歳を取ったら、何のために生きているのかなどと人生の目的や生き甲斐などにあれこれと頭を悩まないことです。 生まれてきたこと自体が奇跡で、ただ生きているだけで人生に目的や意味なんてないと開き直り、老後はぐうたらに生きるのも楽しいもの。 身も蓋もないが、人生特にリタイア後は、所詮死ぬまでの時間つぶしと割り切ることです。 そんな無駄なことなど考えず、心を老化させないように心を揺さぶり今を楽しむことです。 心の錆を落とすには、何でもいいから心をワクワクさせるのが一番だと思います。 ・心を開き、目の前のことを楽しみつくす。 ・心を揺さぶり感情表現を豊かにする ・音楽(とくにロマンチックな気分になる曲)を聞く ・映画・舞台・演奏会などをできるだけライブで観る ・思いっきり泣いたり笑ったりして(喜怒哀楽表現)感情を発散させる ・片思いや夢想でもいいから灰になるまで恋心を忘れない これが一番効果的かな。 ・ときには何時もと違った行動をして心のマンネリを打破する ・刺激になり日常生活にメリハリがうまれる行動をとる ・興味があることは気軽にやってみる ・TVなどを見て家にこもらず、体を動かしてストレスを発散する。 徘徊大いに結構。 ・緑の中を散歩して心身をリフレッシュする ・特別なことをする必要はなく、身近なちょっとして変化を楽しむ心を養う。 (散歩するにも、カメラやスマホで写真を撮る習慣をつけると関心がわいてくる。) ・楽しい予定を立てて人を誘ってみる ・料理をレシピに頼らず自分なりにいろいろと工夫して創ってみる ・マスコミや識者の論理に引き込まれずに、自分で考え、批判的に物事を見て行動する。 ・新聞などを見て気になることがあったら即調べ、メモ的でいいから書き出してみる。 (図にしてみるとわかりやすく、発想も広がり効果的です。) ・年寄りだけでかたまらず、単身学生など若い人に手料理を振舞い談笑するのもいい。 ・過去ではなく未来に目を向けて理想の近未来をイメージして心を潤す ・悲観しない。どうせ死ぬ身。何事も楽観的に考える。 ・人を恨んだり嫉妬したりしない。どうせみな死んでいく。 ・リラックスする時間(アロマやヨガ・温泉・サウナなど)を持つ ・日記をつける(昔がわかるように一覧性の十年日記がお勧め) (私は、パソコンで一ページ十枡に仕切り十年日記にして写真も挿入。十年経ったら上書き) ・自分の今の心を大切にする(楽しいことだけをし、嫌いなことはしなくていい)
2018.04.11
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人生を終える時に後悔する二十項目 たった一度の短い人生、後悔を残さずに去って逝きたいものです。 少し詳細に見てみましょう。 もう遅いかもしれないが、思いを残さないように今からでも挑戦してみませんか? □他人がどう思うかなど気にしなければ良かった 私たちは人からの目、評価を気にしてしまいます。 しかし、それに重きを置けば置くほど自分が本当に求めているものが見えなくなり、他人の意見や意志によって人生が決められてしまいます。 他人の事を気にすれば気にするほど、自分が取れる行動の幅はどんどんと狭くなり、自分の首が締め付けられていきます。 私たちは、他人のために生きているのではありません。 自分は自分、他人は他人。他人の目なんて気にしなくていいのです。 大事なのは、『あなたが』どうしたいか、何をしたいのか、どんな人生を生きたいかです。 それだけにフォーカスして生きていれば、必ずあなたの人生は明るく、楽しくなり、運命さえも好転してくるはずです。 □幸せをもっとかみ締めて生きるべきだった まず、貴方にとっての「幸せ」とは何かの定義を明確にしてください。 経済的に豊かな生活や健康であること、人より抜きんでることなどを幸せの基準とするのであれば、ごく一部の人しか心から幸せを感じることはできません。 だが、自分自身の心の豊かさに幸せを求めるのであれば、誰でも幸せになれます。 もし現在幸せを感じる事ができていないのであれば、幸せを感じるハードルを下げてみることです。 常に様々な面で上を目指すことも大切だが、幸せを感じるハードルだけは下げることです。 命があるだけで、食べるものがあるだけで、着るものがあるだけで、住む場所があるだけで、家族がいるだけで、目が見えるだけで・・・、その他にも沢山の幸せがあります。 すでにあなたは、沢山の幸せを得ているはずです。 現実には十分な幸せを手にしているのに、自分勝手に不幸な気分になっているだけではありませんか? それなのに、「もっともっと」とハードルを上げ続けていませんか? 身近な小さなことに自分が満たされていけばいくほど、それが内側から滲み出てきて多くの人を引き付ける魅力やオーラ、影響力になります。 すると善の循環が起き、他の夢も自然とかなうようになるはずです。 □もっと他人のために尽くせばよかった 自分の事だけを考えていると、どんどんとカルマは下がり、心はすさんできます。 まず自分が他人のために尽くしたり、手を差し伸べること(利他の精神)です。すると返報性が働き、自分が求めているものを自然とお返ししてくれるものです。 ビジネスでも人間関係でも同じです。 つまり、慈悲喜捨の実践を心がけることです。 「この人のために何が提供できるだろうか?」 「どうしたら、この人を喜ばせたり、楽しませたりすることができるだろうか?」 このような問いかけをする習慣を持つと、驚くほど人生全てが豊かになってきます。 □くよくよと悩まなければよかった お釈迦様は「この世は一切皆苦」と言われたが、生きている限り悩みがあるのはしようのないことです。 だが、それをいつまでもくよくよと悩み、何も行動に移さず、時間を無駄にするのは非常に勿体無いことです。 新しいことに挑戦して上手くいかなかった時も、「何故上手くいかなかったんだ?」などと原因追求をすることも大切だが、「どうしたら次は上手くいくだろう?」と、実際に現実世界を変えるための建設的な解決策を出す問いかけに時間をかけることです。 時間は命です。くよくよウジウジ悩むのは、自分の命をゴミ箱に投げ捨てているのと同じことです。 □家族ともっと時間を過ごせばよかった 自分にとって身近な人、家族を大切にできない人が、仲間やお客さんを大切にすることはできません。 不思議なことに、家族を大切にし、その時間も大事にするようにするとビジネスもとても上手くいくようになってきます。 あなたの家族を、大切にしてください。 そうすれば、子供たちも介護も気持ちよくしてくれるはずです。 亡くなってからでは、親孝行や伴侶孝行も、子供を喜ばすこともできません。 □もっと人に優しい言葉をかけていればよかった あなたが過去にかけられた嬉しい言葉は、他人も同じように嬉しいと思う言葉である可能性が高いはずです。 どんなにムカつくような人や受け入れられないような人であっても、チョット視点を変えてみてください。 その人の家族からみたら、最愛の夫であり妻であり息子や娘であり、大切なかけがいのない家族のはずです。 もし貴方の近くに他人を非難や否定し、否定的な言動を取っている人がいたら、そんな人と仲良くなりたい、近づきたいと思うでしょうか? もっと人に優しい言葉をかけてあげましょう。 きっと、人生が変わります。 □あんなに不安を抱えながら生きるべきではなかった どうしても不安になる事はあると思います。 だが、人が抱く不安や恐怖は殆どと言っていいほど現実化しません。 不安とは、未来のマイナス成果の先取りです。 誰も実物を見たことのないお化けと一緒で、枯れすすきなどの影に怯えているだけなのです。 とすれば、不安になっているだけ時間の無駄です。 不安なら、十分に事前準備を尽くし、自分が今できると思った事を全部やり切るだけでいいのです。 それでも上手くいかなかったら、トライ・アンド・エラーで、次にはうまくいくように備えればいいのです。 □もっと時間があれば・・・ 老いて死の床に伏した時に、これを思ってももう手遅れです。 時間は、貧富に関係なく誰にも1日24時間が平等に与えられています。 あなたは、今という一瞬を大切に生きていますか? 人生とは、一瞬、一瞬の積み重ねにすぎません。 今という一瞬を生き切っていれば、後悔など生まれないはずです。 今という一瞬を、「明るく、楽しく、自分らしく」前向きに生きることを心がけたいものです。 □もっと思い切って冒険すればよかった 世の中の9割の人は、「こんなはずの人生じゃなかった」と言って死んでいきます。 人は、やった事ではなく、やらなかった事に対して後悔をします。 そんな後悔の涙よりも、挑戦して失敗した時の悔し涙の方が何倍も素敵です。 あなたにとって、長年「挑戦したい、これをやってみたい」と思いながらやっていない事は何でしょうか? 人生は一度きり、もっとダイナミックに挑戦し、「ああ楽しい人生だった」と美しい笑顔で逝きたいものです。 91歳で亡くなった姉は、「笑って送ってくれ」と旅立ちました。 □自分を大切にすればよかった 多くの人が、自分を自分で責めてしまいがちです。 自分が過ちを犯した時は、他人が責めてくれるのですから、自分で自分を責めるのはもうこの瞬間にやめましょう。 自分を大切にできればできるほど、目の前の人の事も大切にできるようになります。 □他人の言うことよりも自分の直感を信じればよかった 他人の采配で、人生の選択を決めるほど虚しいものはありません。 他人がとやかく言ってきたら、その人物があなたが欲しい結果や願望を既に達成している人物かを見極めてみてください。 もしそうでないならば、その人の意見を聞けば聞くほどその人物と同じ人生になってしまいます。 人生には、代打もリリーフも利きません。 あなたの意志で決断をし、どんどん新しい挑戦をしていって下さい。 そのような”決断力”がある人は頼もしがられ、仲間やお客さんも自然と集まってきます。 そんな人との縁の輪が広がれば、運をも運んできます。 □もっと旅をすればよかった 人生そのものが、行先のわからない旅そのものです。 自分とは違う文化や生活を知る事で、自分の価値観が広がり、感性も磨かれ、自分の置かれた環境の良さも再認識され、幸福度合いも自然と高まります。 折角この世に生まれてきたのに、それを味わわないのはとても勿体無いことです。 私は、予定も詳しい目的地も決めずに乗り物に飛び乗る気ままな独り旅が好きです。そこには、思いがけないヒト・モノ・コトとの出会いが待っていますから。 □もっとたくさん恋愛をすればよかった 仕事の忙しさ、環境、年齢、容姿など、何かしら尤もらしい言い訳をつけて、心をワクワク豊かにしてくれる恋から逃げている人が本当に多いように思います。多情多恨結構。時には火傷もするが、恋ほど人の命を輝かせるものはありません。 アメリカの政治家ベンジャミンフランクリン(18世紀)も、「言い訳のうまい人は大抵それ以外の事にはなにも長けていないものだ」と言っているが、これは真実だと思います。 自分を守るための言い訳は一切せず、愚直に魅力を高め、素敵な異性をあなたのものにして下さい。 灰になるまで、恋する心を忘れないことです。 □もっと一瞬一秒を大事に過ごせばよかった 人の一生はおおよそ何日ぐらいだと思いますか? 仮に80歳で死ぬとしても、『29200日』です(平均年齢まで生きるとすれば3万1千日を超えます)。 今のあなたの年齢を引いたら残り何日でしょうか? 仮に、あなたが今50歳なら『10950日』(約26万時間)です。 それぐらいしか人生は残されていないのです。 「また後で」、「暇になったら」などと、一日伸ばしにしていませんか? 人生は、一刻、一刻がまさに命の灯火です。 今この瞬間から、あなたが実現したい未来を具現化するための建設的な行動を取って生きてみてください。 □子どもたちに好きな事をさせてやればよかった 子供は、あなたの持物ではありません。 子供には、子供なりの人生が待っています。 あなたの子どもたちに好きな事をさせてあげるためにも、今から経済力や未来に活きる真の教え(生き抜く力=問題解決力+コミュニケーション力+人間関係力)を身につけさせる必要があります。 そのためにも、あなたは何が何でも「明るく、楽しく、自分なり」に生きて、見本を見せてあげてください。 □言い争いなどしなければよかった 今日言い争いをした人と、明日100%会えるという保証はどこにもありません。 そもそも厳密に言えば、言い争いなどこの世に存在しません。 お互いに自分の事を『理解』して欲しいために「聞いて!」と訴えているだけのことです。 まず黙って聴いてあげれば、人間関係の不和は大部分消滅します。 □もっと自分の情熱に従うべきだった 安定した収入、生活のために続けざるを得ない仕事、何事も変化を恐れて現状維持に留まろうとする自分。 人は、本能的に変化を嫌い、現状維持に留まろうとします。 でも、この本能に迎合すればするほど、どんどんと充実感が無くなりつまらない人生になります。 世界No1 コーチ、アンソニーロビンズも「あなたの人生の期待値は『奇跡』に設定しなくてはならない。なぜなら、あなたが生まれてきたこと自体が『奇跡』だからだ」と言っています。 そっと胸に手を当てて目を瞑り、あなたの心の声を聞いてみてください。あなたの心の声は、一体どんな人生を送りたいと言っていますか? □もっと自分のために頑張ればよかった あなたの人生を、他人のために犠牲にする必要はありません。 成功したい、使い切れないほどの金を稼ぎたい、海外を自由に飛び回りたい、一切の制限なく贅沢したい、いい男(いい女性)を射止めたい、人には言えないあんなことやそんなこともしてみたい・・・。 いいじゃないですか。でも、自分が満たされたら、少し周りにもおすそ分けをしてあげてください。 そうすれば、あなたが満たされた結果として、周りの人も満たされていきます。 あなたの人生を良くするために、自分の欲に素直になって、全力で努力をしてください。 □もっと自分の本音を言うべきだった 誰にも好かれようとして、八方美人になる必要はありません。 この世には、必ずあなたのことを深く理解してくれる人がいるはずです。だが、それはあなたが『あなたの全て』を さらけ出さない限り見つけることはできません。 自分の弱い部分や辛さ、繊細な部分を出すのは怖いものです。 怖いながらも、その人に自分の全てをさらけ出した時、あなたの世界は必ず変わります。 思わず涙がボロボロと流れ、心の底から「救われた…」と思える時が必ず来ます。 □もっと目標(夢)を達成すればよかった これは、本当に多くの人が人生の最後に後悔することです。 日常を淡々と過ごすことを否定する訳ではないが、そこに進化は一切ありません。やりがいや達成感、生きている感覚も得る事が難しくなります。(老後は別ですが) 幸せとは、夢を実現することよりも、夢に向かって歩き続けるプロセスに感じるものです。つまり、夢に一歩一歩近づきつつあるワクワク感、それが幸せの実態です。 夢に向かっての目標を設定し、それに向かって前進していく事は、とても素晴らしいことです。 何故なら、新しい目標を設定することで初めて問題が生まれるからです。そして、その問題に果敢に挑戦していくことで人として成長し、進化することができるからです。 あなたにとっての目標は、一体何ですか? そして、それを達成するために、今日は一体何をしましたか? ◆幾つ該当しましたか? あなたが、これらを読んで「どう感じたか」は正直大切なことではありません。 大切なのは、これらを読んで、あなたの今からの『行動』がどう変わるかです。 これを、残り時間が少なくなってから気づいても後の祭です。
2018.04.10
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先日来の雨もあって京の一重桜もすっかり散り、小林一茶の「死に支度 致せ致せと 桜かな」の句が頭に浮かびます。 私は「笑いつつ逝く」のを理想としているが、晩年が「明るく 楽しく」過ごせなくては、「自分の一生は幸せだった」ということはできません。そのために、幸せへのレシピを書いてきたようなものです。 そこで、蛇足とは思うが、同輩方のために少し付け加えておきます。 人生を終えるときに後悔すること 人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに携わったオーストラリアの Bronnie Wareによると、死の間際に人間はしっかり人生を振り返るのだそうです。 そして、患者たちが語る後悔には同じものがとても多いということです。特に死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったものトップ5は以下のようなものです。 ➀自分自身に忠実に生きれば良かった 「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔が最も多いそうです。 人生の終わりに、達成できなかった夢が沢山あったことに患者たちは気づき、「ああしておけばよかった」という気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、人は強く無念を感じるようです。 私は、「やらずに流す後悔の涙よりも、挑戦した結果失敗して流す悔し涙のほうが良い」を信条としてきました。 ② あんなに一生懸命働かなくても良かった 男性の多くが、仕事に時間を費やしすぎず、もっと家族と一緒に過ごせば良かった、と感じるのだそうです。 あなたは、「何のためにあんなに一生懸命に働いてきたのだろう」と考えてみたことがありますか? その代償として、何を手に入れましたか? あなたにとって、最も大切なことは何ですか? ③もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった 世間でうまくやっていくために感情を殺していた結果、可もなく不可もない存在で終わってしまった、という無念が最後に訪れるようです。 ④友人関係を続けていれば良かった 人生最後の数週間に、人は友人の本当の有難さに気がつくそうです。 そして、連絡が途絶えてしまったかつての友達に想いを馳せ、もっと友達との関係を大切にしておくべきだったという後悔を覚えるようです。 本当の友人は一人いればいいというのが私の考えだが(FB友のように知っているだけの友は何人いても意味がない)、10年前に春桜の下で亡くなった親友に奥さんの後を託され、毎年命日には電話し、京の桜に誘っています。(すい臓がんで亡くなる半年前に、共通の友人たちを集めて食事会を企画したら随分と喜んでくれました。) 奥さんも、「毎年電話をくださるのは太田さんだけ。感激」と言って下され、京の桜の下を徘徊しています。 そんな友達付き合いができる人がいますか? ⑤自分をもっと幸せにしてあげればよかった 「幸福は自分で選ぶもの」だと気づいていない人が、とても多いと指摘します。 旧習やパターンに絡めとられた人生を「快適」と思ってしまったこと。変化を無意識に恐れ「選択」を避けていた人生に気づき、悔いを抱えたまま世を去っていく人が多いようです。 出世やお金持ちになることが、本当にあなたに幸せをもたらせてくれましたか?
2018.04.09
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お母さんの顔が見えない お母さんの知らないところで粋がって お母さんの知らないところで人を傷つけ お母さんの知らないところでものを盗み お母さんの知らないうちに 不良少年になっちゃった だけど二度と悪いことはしない これ以上辛い思いをさせたくないから 悲しい涙を流させたくないから 「これまで僕は、お母さんの顔が見えなかった。 でも、この前訪ねてきたお母さんを見たら、手がとっても細く見えた。僕のせいでごめんね。そう思って、この歌を作った」と少年院の子供は語る。 母親がいても、母親の顔が見えない子供たちが少年院に来ると言います。 少年院にいる子供たちが心に抱く異性は、決まって年上の女性とも言います。 彼らは、無意識のうちに母親代わりを求めているのでしょうね。 でも、母親もそういう子供たちの顔を見ていないのではないでしょうか? また、親や先生などの何気ない一言が、子供の心をひどく傷つけていることがよくあります。 言葉で傷ついた心は見えないうえに、言った本人自身も意識していないために、その傷口の大きさに気がつきません。 だから、目に見える傷よりなお始末が悪いものです。 きょうは母の日 よる お母さんとお父さんのふとんをひいておいた だまってひいておいた なぜって 私はお母さんを びっくりさせたかったから お母さんがきやはった わたしが 「何か気がつかへん」といったら 「あれくらいのこと してくれないとこまる」といわはった 変な気がした。 (小学校三年生の詩『母の日』より) 私立豊川高校の宮本延春先生は、いじめに遭い学校が大嫌いで中学校一年生で九九は二の段までしかできず、中学校時代の成績はオール1だった。 卒業後大工見習になったが、23歳の時、後に奥さんになる女性が録画したアインシュタインが相対性理論を導き出す過程がドラマ仕立てで描かれた番組を何気なく見たところ、その面白さに興奮した。 そこで簡単な物理の本を買った。 なぜ空は青いのか、太陽はなぜ暖かいのか・・・、子供の頃の素朴な疑問が物理学と結びついていた。 「もっと知りたい」 そう思ったのは生まれて初めてだった。 「大学で物理をやる!」と決め、猛勉強を始めた。 小三のドリルから始め、24才で豊川高の定時制に入学。午前五時に起き、一日最低10時間勉強した。 先生も午前〇時まで補習してくれた。 解を導き出したときの喜びが、さらに意欲をかきたてた。 苦手な英語は、参考書の構文を好きな自然科学の文章に変えて覚えた。気が付けば定時制を三年で卒業し、名古屋大学にストレートで合格していた。
2018.04.08
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転んだ子は起き上がろうとする 中学一年生で不登校児になったことがある女子学生が、「たまに『学校に行ってみる』という彼女を父親が車で送ってくれた父親が、学校の前まで来ると足がすくんで車から降りられない私を哀しみと悔しさのこもった目で見つめながら、結局家まで引き返し、遅れて仕事に行く。その父親の姿を、今でも忘れることができない」と話していました。 その後、「何があっても両親は私を守ってくれるからもう少し頑張ろう」という思いで何とか高校に行き始め、三年間ほとんど休まずに通学することができたということです。 また中学三年生の息子が不登校になった母親は、「暗いトンネル中で出口を探しながら、一日も早く光が見いだせたらと、私も息子も苦しんでいました。 しかし、息子の考える力を信じて、校長先生や担任に『一人で食べていけるだけの生活力があればいいと思います』と伝え、無理に登校させることを諦めた途端に胸のつかえが下りた」と言ってみえました。 「学校に行かさなければ」「大学を出さなければ」という義務感を捨て、何があっても子供の生きる力を信じて、自分で立ち上がるのを待ってあげることではないかと思います。 人間だから、一度や二度転ぶのは当たり前です。 でも、転んだら起き上がろうとするのも人間だと思います。 大切なことは、説得することではなく話を聞いてやることです。 大リーガーのイチロー選手は、高校一年の初めに一度だけ野球をやめたいと言い出したことがあったそうです。 その時、彼が小さいときから野球を教えてきた父親は、「お前の野球は、他の誰とも違う。小さいときから鍛えに鍛えた野球(小学校の時から年360日練習に明け暮れた)だからな。 それをお前がやめようと思うなら、やめるしかないな」と応えた。 そして、何日か過ぎて「また練習したいから付き合ってよ」と言ってきたそうです。 父親は、「あの時、イチローが何でやめたいと言ったのか、結局は聞かずじまいで私は知らないままなのよ」と笑っていました。 親は、つい詰問調や説教調になってなんとか子供を納得させようと力んでしまい、子供が「わかった」と屈服するまで話し合いを続けなければならないと考えがちです。 でも、それは話し合いではなく、有無を言わせぬ押しつけでしかなく、力めば力むほど子供の心が荒れるだけです。 イチロー選手の父親のように「お前がそう言うならよっぽどなんだ」と、子供に心を添わせて受け止めてあげると、子供もほっとして言葉を重ねるはずです。 そうやって話が弾めば、やがて子供は自分の本当の気持ちに自ら気づくのではないでしょうか?
2018.04.07
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「良い子」の反抗 中学生くらいになると、あれほどかわいかったいわゆる「良い子」が反抗しだします。 親があまり口やかましいと、子供はそれを嫌って、さらに反抗します。 子供に嫌われる親には共通点があります。 まず第一が、口うるさいことです。 私たち親は、どうしても説教調や詰問調、命令調になりがちです。 そして、同じことを何時までも口うるさく繰り返したり、子供じみた注意を一々したりしがちです。 親は子供が「うん、分かった」と屈服するまで言わなければと考えがちだが、それは有無を言わせぬ制圧でしかなく、子供は余計に反発のための反発に力んでしまいます。 第二に、自分の価値観の押しつけです。 「勉強して良い学校に入り、いい会社に入って、良い連れ合いをもらって」とばかりに、勉強ばかり詰め込むことを親の愛情と勘違いしていませんか? 自分の価値観を押し付けるのは、親の一種のエゴでしかありません。 カエルの子はカエル。トンビがタカの子を産むこともありません。 親のできなかった夢を、子供に望むのは酷なことです。 第三に、「お父さんを見習ってはダメよ。お父さんみたいになるわよ」と叱る母親です。 お父さんを好きになって結婚し、お父さんの子供を産んだはずなのに、毎日のように、「お父さんみたいになってはダメよ」と言っていては、母親自身も毎日が楽しくないだろうし、母親からダメと言われ続けている父親を子供が尊敬するはずがありません。 また、そんな愚痴ばかり言っている母親を尊敬できるはずがありません。父親をほめ、「お父さんのようになるのよ」と言えば、きっと子供も両親を尊敬するようになるはずです。 最後が、その時の気分で叱る一貫性の無さです。 ある時は「もう大きいくせに」と言い、ある時は「子供のくせに」とご都合主義で叱ったり、ある時は「いいわよ」と言い、都合が悪くなると「ダメ」と叱る。 こんな一貫性の無いことでは、子供は親の言うことを聞かなくなって当たり前です。 育児や教育に大切なのは、自ら範を示す姿勢と、育つまでジッと待つ忍耐力です。 その子のあるがままに、伸び伸びと育てるのが、明るい家庭を創る基本だと思います。
2018.04.06
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心を開くスキンシップ 親と子の未来塾を主宰する高倉万友美さんのお話です。 幼稚園のときから聞き分けがよくって手がかからず頑張り屋のD君が、小学校に入学した途端に弱い子をいじめたり、ランドセルを放り投げたりして暴れるようになった。 お母さんは勤めがあって余裕がないので、高倉さんがお母さんの代役を務めることになった。 でも、高倉さんが抱っこしようとしても、小学生ぐらいになると恥ずかしがってなかなか膝に乗ってこない。 我慢強くスキンシップを深め、一週間ほどたった頃にやっと抱っこしてあげることができた。 するとD君は高倉さんの胸に顔を埋めてきた。 ギュウと抱き締めながら、「D君、泣きたいの? 泣きたいときは、男の子だからって我慢することないわ。いっぱい泣けばいいのよ」とささやいた。 するとD君は、大きな声でしゃくりあげながら訴えるように語り出した。 高倉さんは、それを「そうなの、そうなの」と聞いてあげた。 その翌日から、D君のいじめや暴力はピタッとなくなったそうです。 私も息子で経験があるが、子供の心を解きほぐすのに、最も効果があるのは抱っこです。 全身を相手に預けて守られている状態になると、子供が安心して、自分のすべてを開放することができるのです。 仏教の心を説く真如会を主宰されている紀野一義さんは、「男の子の一番弱いのは背中である」と小さい頃の次のような思い出を話されています。 小学校五年生ぐらいになっても、紀野さんが何か悪いことをして帰ってくると、母親が「お風呂に一緒に入ろう」と言ってくる。 そして、彼の背中を流しながら手でスーッとなで下ろす。 彼は突端にいい気持ちになって警戒心がなくなり、うっとりといい気分になってくる。 そんなときに、お母さんが「今日はどこへ行ったの」、「洋服、汚れていたけどどうしたの」などと優しい声でたずねる。 紀野少年がいい気分になってそれに答えていると、いつの間にか全部吐かされてしまっていた。 ところが母親は、それを聞いてもお説教じみたことは一言も言わず、「ああそう、ああそう」と聞いているだけだった。 ただし、それから三日ぐらいしてから、やんわりとたしなめられたそうです。
2018.04.05
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伸びる力を見出す オリンピックのシンクロで5個のメダルを獲得した武田美保さんは、今では子供たちに教えているが、達成感を味わってもらうことがまず大事という。 「シンクロでも何でもそうだが、自分の能力は無限にあることを知って欲しい。もうダメだ、と限界を決めているのは自分だから、それを取り払えるのも自分なのです。 普通なら諦めるところを、自分の能力を過大評価してみて、もうチョット頑張ってみると、それが突破口になって自信がつきます。 人生は、もう無理かも、ということの連続ですよね。 でも、その突破口を開く作業を自分の記憶の中にチャンと刻み込み、あの時、こういうふうに頑張ったから乗り越えられた、という自信と経験を積み重ねれば、応用が利く。限界が無限になります」 知的障害に伴う自閉症の長男を持つ成田さんは、電子オルガンを弾くのが趣味だった。 長男が六歳になったある日、「ぞうさんの曲をハミングしたの。しっかりした音程で。この子には音楽の才能があるのよ。ピアノを習わせてみたい」という奥さんの話に、「それは無理じゃないか」と否定的だったが、奥さんは教師を見つけてきた。 長男は少しずつピアノに慣れ、両手の人差し指で曲を弾けるようになった。その直後、教師が引っ越し、妻が「あなたが教えればいい」と言ったが尻込みすると、「やりもしないでダメだと決めつけないで」と言われ、会社へ行く前にレッスンを始めた。 「弾いてごらん」と言っても「なんで?」と言わんばかりの長男。 教え方もよく分からず、とにかく教則本通りに5本指で鍵盤を弾かせようとした。 「違う」「そうじゃない」と時には声を荒げるので、長男は逃げたり泣いたりした。 だがある時、「よくできた」と頭を撫でると、長男はえもいわれぬいい顔をした。褒められれば嬉しい。当たり前のことを忘れていた。 できることを褒めるようにしたら、長男の指の動きがなめらかになってきた。 伸びる力を長男の中に見出したとき、彼は束縛してきたことに気がついた。 以前は外出するときも、迷子にならないようにと握った手を片時も離さなかった。 「もっと信頼してあげて」と言う妻とよく喧嘩になった。 確かに、管理することにさほど意味はない。 できるようになるまで待ってみる大切さに気付かされた。 それは、総てマニュアルに管理されている会社の常識にドップリと浸かっている自分を見直すきっかけにもなったそうです。
2018.04.04
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五歳児に大切なのは人間関係作り 三歳までに大切なのは家庭環境であるのに対し、五歳児に大切なのは友達関係です。 現在では少子化が進んで兄弟姉妹も少なく、近所の子供も少なくなりました。 テレビゲームなど室内ゲームばかりで、あまり外で遊ぶこともしません。 幼稚園や保育園に行って、これまで知らなかった同年齢の子供たちと遊んだり、時には喧嘩をしたりしながら、泣いたり笑ったりし、共同生活の中で潤沢な友達関係を作るように仕向けることです。 その中での処し方が、生涯にわたる人間関係作りの原点となります。 とくに、集団ゲームやスポーツなどを通じてルールの必要性を体得させることです。 市川市国府台病院の院内学校では、ルールの必要性が分からない子供たちの治療の一環として、陣取り遊びやバレーボールなどの試合をやらせるそうです。 社会生活にルールがあるということも教えられず、王子様やお姫様育ちで、ルールなんか自分には適用されないとまで錯覚していた子供たちも、ルールのないゲームは少しも面白くないのでルールに馴染んできます。 ゲームにはリーダーが必要なこともわかり、他人がリーダーになることも容認できるようにもなるといいます。 七歳時からは、そろそろ人間としての健全な頭脳の開発が大切になります。頭脳教育というよりは知徳教育といったほうが適切で、「知」とは知識、「徳」とは行いで、子供のころに身につけておくべき人間の基本です。 学習の『学』とは『まねぶ』で、まず真似ることから始まります。 ですから、大人がお手本を見せる必要があります。 『習』とは、『白に羽』と書き、雛鳥が自立しようと努力して羽ばたく姿を表しています。 繰り返し繰り返し練習させて、自立させることです。 挨拶・お手伝い・自分のことは自分でやる・継続・思いやり、この五つが基本です。 子供が小さい間は、親も教師も「ああしなさい」「こうしなさい」とどんどん教えなければなりません。 いちいち口うるさく言えば言うほど、それがやがて子供の宝になります。 抽象的な概念を持っていない小学校三年生までが第一段階です。 抽象概念は自分を客観的に見る必要があるので、これがない三年生までは自分では考えられません。 だから、親が「お父さんはこう思う。これはいいこと、これはいけないこと」ときちんと教える必要がある。 親の価値観を押し付けてはならないと言うが、押し付けるものがないような親は親ではない。 それを、「自分で考えなさい」と言っているようではダメである、と学習院名誉教授の川嶋優さんは仰います。
2018.04.03
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三つ子の魂百まで 植物を育てるには、土地を耕し、種を蒔き、水をやり、根っこを育てる必要があります。 すると、やがて木が育ち、花が咲き、実がなります。 子育ても同じで、三歳児には三歳児、五歳児には五歳児、七歳児には七歳児としての節目があり、それを確実に踏んで育てることが大切です。 医学的にも心理学的にも、『三つ子の魂百まで』と言われるように、人間の頭脳構造や性格を含め、その人となりは三歳頃までにほぼ決まるといいます。 記憶に残るのは概ね四歳半ぐらいからのことだが、この記憶に残らない間にいかに躾るかが決め手となります。 三歳児までに教えることは、「努力・目標・自律・工夫」です。 人間以外の動物は、自分から乳を飲もうとしない子は死に、努力することが生きるための第一条件だということを身をもって習います。 子供に目標を持たせ、努力や自立、工夫をさせるには、幼児期に何かを見つけてハイハイをしだしたら、親が先回りして取ってやったり、危ない物をどけたりせず、あちらこちらに頭を打ちつけながら経験を積み、工夫するように黙って見守っていることです。 見事に掴んだら、抱き上げて一緒に喜びあってやることです。 そうやって、人間は成長していきます。 過保護にしては、子供は努力もしなくなるし、達成感も感動も味わえません。 三歳頃になると第一反抗期で「イヤ」と言うようになるが、「嫌なことがあって良かったね。頑張ると大人になれるよ」と言ってやると、「ウン、頑張る」となります。 嫌でも努力することがわかった子は、学校や勉強が嫌でも、頑張って親にほめられるのは楽しいと思うようになる。 それを繰り返していくうちに、一五歳頃までには嫌なことでも挑戦するのが楽しいと思うようになっていく、とある小児科に聞きました。 子供の要求を聞いてやることだけが愛情だと勘違いして、幼児期に溺愛された子供は例外なく我が儘になります。 自分の我が儘が何でも通ることを知った子供は、次第に要求をエスカレートさせていき、思い通りにならないと暴力を振るったりするようにもなります。 溺愛された子供は、自分の欲求をコントロールする力が弱く、欲求のまま衝動的に動いてしまい、欲しいものがあると盗んででも自分の欲求を満たそうとします。 こういう子供には、どんなに親切にされてもありがたいという感情も湧かず、人から何かをしてもらうのは当たり前だと思っています。 このように依存心ばかりが強く、自立心に欠けた子は、更正が大変難しいと少年院法務教官や保護監察官などを歴任した相部和男さんは言います。
2018.04.02
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目を向けるだけで良い ドイツの学者が、幼児を保母さんが一日9時間預かり、母親は1時間しか接しないという場合の、保母さんと母親への子供の影響力を調べました。 すると、時間の長さとは逆に、母親が九で保母さんは一しかなかったそうです。 このことは母親の感化がいかに強いか、幼児にとって母親の存在がいかに大きいかを物語っています。 子供は、安全な環境の中で愛情に包まれて育てられることによって、知能的にも精神的にも著しく発達します。 この条件が満たされないときには、知能的にも精神的にも発達が阻害されることが、臨床心理学者によって明らかにされています。 特に幼児の成長にとって、安全と愛情は体の成長における蛋白質やビタミン、カルシウムのように絶対に不可欠なものだそうです。 子供には親の愛情を独占したいという時期があり、この時期に愛情が他へ向かってしまうのは、子供にとってはとても不安なことです。 この不安が嫉妬のもとになるだけでなく、それが思春期に再び頭を持ち上げてきていじめや暴力などの遠因にもなるそうです。 そういう意味では、子供の心の病気のほとんどは親の愛情不足が原因だといえます。 六歳と一歳の子供がいる母親が、「この頃、上の子供の様子が少し変で、何となくハキハキしないし言うことも聞かない」と先生に相談しました。 先生は、「仕事が終わって家に帰ったとき、先にどちらのお子さんの顔を見ますか」と聞いた。 子供が二人以上いる母親ならよくあると思うが、その母親は、「下の子を先に見ます」と答えました。 すると先生は、「今日からは下のお子さんを先に見たいのを我慢して、先ず上のお子さんの顔を見て、目があったらニッコリと笑ってあげてください。そして、上のお子さんが笑ったら、それから下のお子さんに目を移してください」とお願いをしました。 その翌々日、そのお母さんは、「驚きました。上の子が下の子の手を引いて歩いてくれたのです。今まで、そんなこと一度もなかったのに」 と報告されたそうです。
2018.04.01
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幼児期の育て方がすべてを決める 京都大学ウイルス研究所元教授の東昇さんは、 「生まれたばかりの赤ちゃんの脳細胞は白紙のようなもので、それにどのような色を塗るかは、三歳ぐらいまでに親がどう育てるかにかかっている」と言ってみえます。 一三世紀頃、シリアのフレデリィック二世という王様は、人間はすべて自分本来の言葉をもって生まれてくるはずだと固く信じていました。 その考えを証明するために、生まれたばかりの赤ちゃんを集め、養育係に一言も話しかけてはならないと厳命しました。 すると、言葉をかけられることのない赤ちゃんたちは、自ら言葉を発することができなかったばかりか、やがて衰弱して、ついには死んでしまったそうです。 また、三歳くらいまでは子供にとって模倣期で、両親は「まだ何も分からないからいい」と思っているかもしれないが、例えば赤ちゃんの前で夫婦喧嘩をすると、赤ちゃんは両親の喧嘩を忘れずにいて、「夫婦というものは喧嘩をするのだ」と覚えてしまうのだそうです。 人間の脳は、妊娠四カ月から生後六カ月ごろにかけて脳細胞が急激に増加し、二歳で大きさ、重さ、細胞数とも成人と同じになります。 この時に適当な刺激を与えないと、脳の健全な発達が望めないと言います。 昔から「三つ子の魂、百まで」と言うように、三歳ごろまでの両親の育て方次第で、子供はいかようにも育つのです。 日本人で初めてシュバイツァー博愛賞を受賞された小児科医の内藤寿七郎さんは、 「生まれて二時間以内におっぱいをあげることが、一生続く母と子の強い絆を作るうえで重要で、親の対応の仕方一つで、その後の成長に大きな影響を与えるという意味では、自我の出始める一歳半ごろからの一年間は特別の配慮が必要だ」と言っています。 この時期になると、子供に何か言いつけたときに「いや」と言ったり、手伝おうとすると親の手をはねのけたりするような反抗的な行動が目立ってきます。 その時に、感情的になって「ダメよ」とか「~にしなさい」などという禁止や命令の言葉を言っても、止めるどころか却って面白がって繰り返します。 そんな時は、優しい眼差しで最低五秒間ほど子供の目を見つめ、 「○○ちゃんならわかるよね」とか 「○○ちゃんなら我慢できるよね」などと、 自我に訴えかけるように静かに諭せば、子供はそれを理解しようと努力するそうです。
2018.03.31
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子供の生活リズムを正す 子供がイキイキと育っていくための基本は、「寝る(早寝早起)・食べる(朝食)・出す(排便)・運動する・学習する」だが、この生活リズムが偏ったり、どれかが消えてしまったときには、子供の体にゆがみが生じると養護学校の荒川益子さんは仰います。 子供たちの生活リズムを乱す大きな原因は環境の変化です。 お母さんが仕事を持つようになって夕食の時間が遅くなる、テレビゲームやメールにふけるなど、子供の寝る時間が遅くなる環境は山ほどあります。 いくら時代が変わっても、基本的な人間の本質は変わっていません。太陽とともに起き、太陽の下で体を動かし、太陽が沈むとともに寝ることでイキイキとしていられます。 骨の成り立ちにしてもそうで、太陽に当たることでビタミンDが自然と作られます。 これが不足すると、いくらカルシュームを摂取しても尿とともに流れて出てしまいます。 体を動かすことも成長期の子供には大切で、健康に生き抜くためには欠かせません。 身体を動かせば、自然と「寝る・食べる・出す」も整ってきます。 稽古事や勉強も大切だが、それ以上に太陽の下で体を動かすことのほうが大切です。 学習にしても、ただ「勉強しろ、勉強しろ」と言うだけでなく、子供に人生という大海を航行するために必要な羅針盤を与えることが親の最大の役割だと思います。 だが、お受験戦争の果てに、他人の子供を殺してしまった痛ましい事件があったように、いまだに幼稚園の段階から親の敷いたレールの上を走り、一流の大学に入れば子供が幸せになれると言う幻想があります。 そんな親のエゴを押しつけられた子供は可哀相です。その結果、勉強さえしていれば親は機嫌が良くサービスに努めてくれ、何を言われても「これから勉強」と言えば親は黙ってしまうことを知っている子供は、黄門さんの印籠ではないが、自分に都合のよい万能の大義名分として勉強を利用するようになります。 そればかりか、いつの間にか子供は勉強するのは自分自身のためではなく、親のためだという錯覚に陥り、何をするにも恩着せがましくなります。 不登校にでもなれば、親の方が頭を下げ、甘言を用いて機嫌を取り頼み込む。 これでは、自分のための人生という自覚が薄らぎ、努力や苦労をバカバカしく感じるようになるのは当たり前だと思います。
2018.03.30
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何回でも首を振る辛抱強さ この頃は、子供の欲しがる物は何でも買い与える、したがることは何でも即座にさせる、嫌がることは物分かりがよい親を装って何もさせないなどという親が多くなっています。 そして、「何不自由なく育てた」と言います。 本当にそうでしょうか? そのように育てられた子供は、自分の欲望を抑えること、我慢すること、待つこと、自分で始末すること、耐えること、人を思いやることなどができません。 そんな子供は、社会に出てから実に「不自由極まりない」目にあうことになります。 例えば、夏野菜を育てるときに、暑いからと水をやりすぎるとダメになります。 渇いた土地から、自ら水分を吸い上げる能力を失い、枯れてしまうからです。 また、促成栽培された野菜や果物も、弱くて直ぐに傷んできます。 人も同じで、何時も答えを与えたり、一方的に指示ばかりしていると、自ら何も考えなくなります。 今の学校では、「そんなときはこうする」「こんなときはこうやった方がいい」などと、手とり足とり事細かにハウツーを教えます。 会社でも同じです。 考えようとすると、「何しとるんや、愚図やな。そんなときは、こうしたらええのや」と先生や、親、上司が考える芽を摘み取ってしまいます。 丸暗記した方が早くできて世話は掛からないが、それでは新しいものには応用できません。 木は根がないと育たないが、丸暗記は、根がない木と同じです。 人を育てるとは、単に知識を与えることではありません。 意識や精神構造の質的な変革を手助けすることです。 それには、手間と時間がかかります。 何事も、「ローマは一日にしてならず」で、ジッと育つのを我慢して見守る忍耐が大切です。 徳川頼宣の家老だった安藤直次は、意に沿わないときは何回でも首を横に振るだけで何も教えないので有名でした。 「もし意に沿わなければ、指図して、その場で直させたほうが仕事がはかどるのでは」と後の大老土井利勝が聞いたところ、 「私は、老いていつかは死ぬ身です。 主君の紀州公のために、今のうちに人を創っておいて差し上げたい。 部下が伺いをたてに来た時に、『ああしろ、こうしろ』と指図をすることはたやすいが、そうすると部下たちは伺いさえたてれば済むと思って勉強しなくなる。 そうすれば、自ら進んで努力する者がいなくなり、良い役人は育たなくなります」と答えたという。 それ以来、土井利勝も見習うようになったそうです。
2018.03.29
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生涯を決めるほめ言葉 人には、認められたいという気持ちがあります。 ほめられたり、相談されたりすると、自分が認められたと思って、誰でも気持ち良くなります。 子育てにおいて、親や先生に大切なのは、自信を持たせるほめ言葉や励ましの言葉です。 京都大学元学長の平澤興さんは、「教育とはほめることです」と言っています。 ある水泳選手は、不利という下馬評を覆し、オリンピックで見事金メダルを獲得しました。 その陰に猛練習があったのは当然だが、一番効いたのは「お前が世界で一番速い。本気を出せば必ず金メダルが取れる」と毎日コーチから吹き込まれた言葉でした。 画家の斎藤吾朗さんは、幼い頃からヤンチャで、家の襖、壁、柱など、何にでも鉛筆やチョークで落書きをして回る子でした。 お父さんが病気がちのため、お母さんが呉服の行商で家計を支えていたのだが、お母さんは落書きを怒らず、「ゴロちゃん、また新しいのを描いたのね。上手だね」とほめてあげました。 それで吾朗少年はますます調子にのり、曇ったガラスには指で、地面には棒きれで絵を描くようになりました。 小学生になってからは絵画教室へも通い、多摩美術大学で油絵を専攻し、画家になった斎藤さんは、「思えば、私の画家としての生涯は、落書きを『上手だね』と言ってくれた母のほめ言葉で始まったのです」と語っています。 言葉は、人の心をプラスにもマイナスにもコントロールします。 人を一番やる気にさせるのは快感情報です。 「あなたは本当に良い子ね。必ず素晴らしい人になる」と言い続ければ、だんだんそういう子になっていきます。 そして、その人がやったことに感心し、拍手を贈れば、誰でもやる気になります。 ほめるということの神髄は、探してでもほめることです。 ほめるところがないと言うのは、相手に対する愛情が不足している証拠です。 心中に相手を愛する温かい気持があれば、短所の中にも良いところを見いだすことができます。 愛情を持って子供や部下を見つめ、良いところを探し出し、その開花に期待してほめて育てることです。 そうすれば、人間の命は輝きます。 快感情報に反応するのが、人間が本来持っている命の火だからです。
2018.03.28
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心の病気と否定言葉 神経症、アルコール依存症、不登校、家庭内暴力など心を病む人に共通しているのは、「自分は取るに足らない人間だ」と思い込んでいることだそうです。 カウンセラーで牧師の田中信生さんは、その原因のほとんどは幼児期の体験に根差していると言います。 赤ちゃんは、ハイハイをするまでの間は両親の愛情溢れる眼差しに守られて育ちます。 泣いたりむずかれば、すぐに親は応えてくれ、ありのままの自分を100%受け入れてもらえます。 それが、歩き始めたり言葉を話すようになる頃から少しずつ様子が変わってきます。 「そんなことしちゃダメ」 「またやっちゃったの、しょうのない子ね」 「ダメねえ、○○ちゃんは」 「危ないでしょう、そんなことしたら」 などと、にわかに否定的な言葉が多くなります。 100%受け入れてもらっていた時期と大違いです。 小学校に上がる頃には、さらに否定的なトーンがエスカレートして、 「何度言えば分かるの」 「違うでしょう、そっちよ、そっち」 「早くしなさい、ほんとにグズな子なんだから」 「なによ、このテストは」 「あんたって子は、お隣の○○ちゃんを見習いなさいよ」 などとなってきがちです。 ある調査によれば、子供たちの聞く言葉の80%以上が否定的な言葉だと言います。 言葉は言霊と言われたように、それを聞く人の心に大きな影響を与えずにはおきません。 小さい頃から消極的、否定的な言葉を聞かされ続けてきた子供が、消極的になって「自分は取るに足らない人間だ」と思うようになるのは当然です。 ことの善悪や危険なことを教えるのは大切なことだが、理由もなく一方的に否定したり、子供の人格を否定するような言葉は避けなければなりません。 同じことを教えるにしても、明るい前向きな言葉を使いたいものです。 (詳細は明日)
2018.03.27
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木の上に立って見る「親」 「親」という字は、「木の上に立って見る」と書きます。 可愛さから単に溺愛するのでなく、子供の将来を見据えて厳しく躾るのが、親の本当の役割であり愛情だと思います。 躾は字の通り、『身(体)を美しく』見せる仕種です。 仕種が美しければ、自ずと人に好かれ尊敬されます。 そうすれば、勉強一筋で育った単なる学校秀才よりも、多くの人に囲まれてうんと楽しい人生を過ごせるはずです。 ところで、子どもの躾は、物の道理が分かりかけてきた年頃からすればよいだろうと考えて、小学校の高学年あたりになってから急に厳しくしがちです。 でも、それではもう手遅れなのです。 なぜなら、物の道理がわかるということは、裏返せば子供の我が強くなりかけたということです。 頭ではそうする方がよいと分かっていても、我が強くなっているので、親から注意されるとつい反抗するというわけです。 だから、子供を躾るには「つ」のつく年齢(九つまで)のうちが勝負です。「三つ子の魂、百まで」と言うように、この時代に体で覚えたことは一生忘れません。 他の動物の子供と同じように、「つ」のつく年頃までは子供は親を真似て育ちます。 親が率先垂範して後ろ姿を見せて教えることです。 いくら立派なことを口では言っていても、親がろくに実践していなければ、子供が実行するはずがありません。 言うことと行うことの一致が大切です。 親がろくに挨拶も返事をしなければ、いくら口で言っても子が行うはずがありません。 一家の最高責任者である主人が妻に「おはよう」と挨拶し、妻も何か言われたら口答えせず素直に「はい」と言って率先して示せば、子供も自然に見習うようになります。 国民教育の父と言われた森信三先生のところに、あるとき登校拒否児を持つ母親が訪ねて来て、「どうしたらいいのでしょう」と相談したことがありました。 すると先生は、「あなたは、ご主人から呼ばれたら、必ず『はい』とはっきり返事をしなさい」とだけアドバイスしました。 それだけを実行したところ、二週間もすると、どんなに言い聞かせても学校へ行かなかった子供が登校を始めたそうです。 登校拒否の原因はさまざまで、すべてがこのように解決するとは思わないが、挨拶や返事は、お互いが心を開くための最初のカギであることは確かです。 この時期には、次の三点をしっかりと躾るだけで十分です。 第一に、明るく元気な挨拶と「ありがとう」という感謝と労りの言葉を口癖にする。 第二に、「はい」と素直に返事をして自分の心を開き、相手を受け入れる習慣をつける。 この二つが身に付けば、コミュニケーションが円滑になり、人生が楽しくなります。 第三に、整理整頓を常に行い、使ったら、その都度必ず元の場所に返す癖をつける。 これがきちんとできるようになると、心も体もシャンとしてきます。 円福寺愛育園の藤本幸邦園長は「履物をそろえると」いう詩で子供を躾てみえます。 履物を揃えると心も揃う 心が揃うと履物も揃う 脱ぐ時に揃えておくと 履く時に心が乱れない 誰かが乱しておいたら 黙って揃えてあげよう そうすればきっと 世界中の人の心も揃うでしょう スリッパなどを揃える習慣は、次に使う人の身になって行動する本になります。 それは、自利利他の心を養い、相手のことや次の人のことを思う「思いやりの心」を育てます。 七人の子供を育てた大久保悦子さんは、『育て育てられの記』という本の中で、子育てに悩んでいる人は、とりあえず次のことをしてみてくださいと言われます。 一、毎朝鏡を見て一番いい笑顔で笑う。 二、その笑顔のままで家族に接する。 三、「お父さんのおかげよ」と子供に話す。 四、父と母に感謝する。 五、すべて生かされているのだということに気づいて喜ぶ。 六、毎朝、差し昇るお日様に感謝し、その光を深呼吸して体一杯に浴びる。 七、夫や子供のよいところを見つける。 八、夜寝る前に「あなたは健康で幸福で素晴らしい」と枕元で数回繰り返す。 一つひとつは簡単なことだが、「当たり前のことを、ごく当たり前に、執念深く、確実に実行し続ける」となるとなかなか難しいものです。 でも、今日から始めてみれば、一カ月もしないうちにあなたの悩みのいくつかは解決されていると思います。 子供は善悪の基準がわからないので、人に迷惑をかけない生き方の大切さや、弱い者いじめをすることの卑劣さも、親が実践して後ろ姿で示すと共に、繰り返し言って聞かせたり、時には体で覚えさせることも大切だと思います。
2018.03.26
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親ガモの子離れ あなたは、無意識のうちに子育てのコストをどこかで取り戻そうと思っていないでしょうか? 「そんなことを考えたことはない」と言うかもしれないが、子供の恩返しをまったく期待していないと言い切れる人も少ないと思います。 この頃は、男の子よりも女の子を欲しがる親が増えています。 それは、娘の方が老後の面倒を見てもらえる確率が高いからであり、子育てを老後の先行投資と考えている表れであると、東京学芸大学の合川充助教授は言います。 「親の恩を忘れて、少しも親の言うことを聞かない」 「看護が嫌なもんだから施設に入れて顔も見せない」 などと嘆いている親御さんがよくいます。 でも、作家の安部譲二さんはこう言っています。 「親孝行なんて、生まれたときから五つまでのあの可愛らしさで、たっぷり一生分済んでいるのさ」 子供が二〇歳になったら、「お前たちは自分の責任で生きていけ。そのかわり、親の面倒なんか心配するな」と親の方から早く子離れした方が精神衛生的にもいいと思います。 近藤富枝さんのエッセイにこんな一節がありました。 「書斎の下を流れる川で、一組の鴨が一四羽の子鴨を産んだ。 いつも母鴨は、優しく微笑みを浮かべているような表情で子鴨を眺めている。ときどきパン屑を投げてやると、父鴨も母鴨も自分たちは食べずに、子鴨たちが争って食べているだけである。 散歩をするときは、父鴨が先頭で、子鴨たちを間にはさみ、しんがりを母鴨が護っていた。 そのうち、母鴨による猛烈な飛翔訓練が始まった。 一カ月ほどたったある朝、窓から眺めていると、次々と子鴨たちがやってきたが、親鴨たちはいない。『何故だろう』と考えて、これは親鴨が子離れをしたのだと気がついた。 鴨が子を可愛がり、一家仲良く暮らし、教育に身を入れるところまでは、『よくやってるな』と微笑ましく眺めていた。 しかし、その子離れの見事さには参った・・・」 われわれ人間も、この親鴨を見習いたいものです。
2018.03.25
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男親にはなれても父親になるのは難しい 子供と触れ合う時間をつくろうとしない父親は、確かに男親ではあっても、子供にとって真に必要な父親にはなれないと、ベンジャミン・スポック博士は言っています。 父親が仕事を終えて、長い通勤時間をかけて帰宅するころには、小さい子はもうぐっすりと寝込んでいる。 朝も早い。週末でさえ、会社の付き合いゴルフや趣味娯楽などで妻子を置いてきぼりにしがちです。 こうして父と子の距離は段々と広がっていきます。 「忙しすぎて子供と触れ合う時間がない」というお父さん、今やらなければならないと思っていることは、果たして父親になることを放棄するほど重要なものでしょうか? 単身赴任や子供の進学で別居しても、手紙や電話を通して触れ合いを保つことはできます。 京都の大学に娘を出した名古屋の知人は、できるだけ毎日葉書を書くようにした結果、家にいたときよりも親密な関係をつくることができたそうです。 どんな状況であろうとも、子供を育てる役割を放棄せず、「先生が悪い、母親が悪い」などと言うことなく、子供と真剣に向き合う姿勢を持ち続けてほしいものです。 では、父親は子供をどのように育てていけばいいのでしょうか? 「父親は、手綱を緩めたり引き締めたりすべきだ」(アメとムチを使い分けて導け)と『英雄伝』著者で古代ギリシャ思想家プルタコスは言いました。 内村鑑三も、「怒らざる愛は偽りの愛である。少なくとも浅き愛である。子を持てる親は育児の道として、イスラエルの賢者の言《ムチを加えざる者はその子を憎むなり、子を愛する者はこれを戒む》を聞くべし」と、教育におけるムチの重要性とともに、深い愛から生まれる厳しさは、子供にも通じるものだと言っています。 家庭とは 父厳しくて 母優し それでいいのだ 我が家は違う 人並みに 叱られてみたい 時もある 俺の父親は 俺が恐いのか と中学生の狂歌にもある通り、子供も怖い存在であることを望んでいるのですが、 心から すがりつこうと する時は いつもお父さん 逃げてしまうよ これでは、怖いが尊敬される父親には遠い存在と言わなければなりません。 また、欲望むき出しの人が増えている今日、「アレが欲しいコレが欲しい」と強力に主張して譲らない子供の欲望を抑えるのも大切な父親の役割だと思います。 そんな時こそ、全体のバランスを見て、本能的な欲望が強過ぎる場合には、「ダメだ」と一言発してそれを制限するように気を配り対処することが大切です。
2018.03.24
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お母さんの味のない家庭から非行が生まれる 食生活の乱れは子供の生活の乱れを招き、子供の生活の乱れは食生活の乱れに現れると言われます。 現に、不登校の子供の生活は昼夜が逆転し、家族が揃う食卓につくこともまれになってきます。 非行や学級崩壊の学校を三つも再建した校長先生も、「お母さんが晩ご飯を作らない家庭、晩ご飯にお母さんの味のない家庭から、非行が生まれる気がする」と言います。 小中学生にお母さんの感想文を書かせると、「お母さん、ご飯を炊いてくれてありがとう」というのが多いということです。 この頃では、「忙しいから」と総菜コーナーで買ってきた総菜やインスタント物で食事をすませる家庭も多くなっています。 すると、子供はほとんど会話もしないで黙々と食べているだけです。 手作りの料理を置いたときには、自然と子供が「おいしい」とか「まずい」とか、「忙しいのに大変だね」などと言ってくれ、そこから会話がうまれます。 昔は、どこの家庭にもお袋の味がありました。 子芋やヒジキなどの煮物、キンピラなど、どれも地味な料理です。 総菜屋で買ってきた「お袋の味」と称するものは、決してお袋の味ではありません。 「お袋の味」の本質は、お母さんが家庭のことを思って腕を振るう後ろ姿にあります。それを見て育つから、子供たちは「お袋の味」を美味しいと思うのです。 「食は人を作る・料理は食べる人のことを考える・食卓を囲んで家族の会話が生まれ心と体の健康が生み出される」 これは、料理学院創立者江上トミさんの信念で、どんなに忙しいときでも、家族一人ひとりの顔を思い浮かべながら夕食を作ったそうです。 舅の好物が出たり孫の好物が出たりと、毎晩、中心となる献立は誰かの好物で、「今晩はおじいちゃまの日よ。お芋の煮っころがしを食べてみて。明日はハンバーガーだからね」と幼い孫娘に優しく言って聞かせる。全員で食卓を囲むうちに、子供はお年寄りの食べ物に興味を覚え、大家族の和を自然と学んでいったそうです。 また、この頃の子供が凶暴化した原因の一つは、食生活にあるとも言われています。 モルモットに子供の好きなスナック菓子と清涼飲料水を与えて飼育したところ、大人しくて噛みつくようなことはないモルモットが、一週間後には噛みつくようになったそうです。 このような物ばかり摂っていると、カルシュームが不足して凶暴化するのです。
2018.03.23
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子供の病気の多くは母親が原因 妊娠七、八カ月頃の胎児を超音波映像で見ると、母親をふいに驚かせたりすると、胎児は体をグッと縮めるといいます。 母親が驚くだけでこうなのだから、持続的に夫婦仲が悪くて喧嘩が絶えなかったり、「子供などいらないのに」という心理的状態で母親が過ごしているとしたら、胎児は常に萎縮しながら過ごすことになります。 また、歩くようになる一歳未満までの赤ちゃんにとって、授乳から排泄の世話、場所の移動、暑さ寒さの調整などをすべて母親に頼るしかなく、母親がすべてです。 その時、「本当は子供など欲しくなかったのに、できてしまったから仕方なく生んだ」などと思いながら嫌々お乳を与えたとしたら、そういう心理状態はすぐに子供に移ってしまい、その子供の無意識な心は荒れ放題に荒れていると思っていいそうです。 このように、母親の心理状態はそのまま子供の潜在意識に植え付けられ、その後の人格形成に決定的な影響を与えると言います。 また、子供の誕生から六、七歳までの生活で最も重要な大人は母親です。子供は、この時期に母親を通して愛情とは何かを学ぶとFBI心理分析官も言います。 小児科医の久徳重盛さんは、現代の子供の異常の六〇%は母親の育児が原因となった母原病で、子供が病気になったら次の点をチェックして欲しいと言います。□子供があまり好きでない。それほど可愛いとは思わない。□子供は少ない方がよい。□子供がいることがそんなに幸せとは感じない。□育児について不安が多い。□育児に手がかからないように、おとなしい子、便利な子がいい。□育児よりも外で働く方が楽しい。□しょっちゅうガミガミ言い、カッとなって叱ることが多い。□子供をほめたり、おだてたりすることがあまりない。□「子供のことだからまあいいじゃない」とつい過保護、溺愛しがちである。□ゼロ歳児~三歳時のころ、他人に預けてもあまり気にならなかった。□子供をイキイキと楽しい気持ちにさせてやることが少ない。□たくましい子に育つと思わない。 問題が起きてから慌てるのではなく、幼児期にお母さんの母性を発揮して慈しんで育てれば、子供はひとりでによい子に育ちます。 なんといっても母親の責任は重いといえます。
2018.03.22
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問題児は問題のある家庭から生まれる 親子の問題は夫婦の関係と無縁ではなく、問題児は問題のある家庭から生まれる。問題児を治そうと思ったら、まず家庭が変わらなければならない、と少年院法務教官や保護監察官などを歴任し、一万件以上の非行相談に携わってきた相部和男さんは仰います。 家庭は、子供にとっても息抜きの場所でなくてはならなりません。そのためには、明るく楽しい雰囲気づくりが大切です。 子供の前で夫婦喧嘩はしない、子供との約束を守る、子供を比較しない、何でも話し合える関係をつくることです。 非行の赤信号が現れてからでは遅く、次のような黄信号の間に対応することが大切です。□ 声をかけないと起きられない □ 学用品や食べ物を粗末にする□ 「メシ」のように単語で要求する □ 注意されるとふくれたり口答えをする□ 家族と一緒に食事をしたがらない □ 後片付けや手伝いができない□ 外で遊ばず家でゴロゴロしている □ 要求が通らないと泣いたり騒いだりする□ 家族との会話が少なくなる □ 病気でもないのに学校に行くのを嫌がる また、子供をダメにする親のタイプには次のような兆候があります。□小さいときに子供をしっかりと抱いてやらず、ミルクなどの人工栄養で育てる。□幼児期に溺愛し、大きくなって我儘になってくるとガミガミ𠮟る。□いつまでも子離れができず、大きくなっても添い寝する。□ 両親の教育方針の不一致や、祖父母などの口出しにより対応がバラバラである。□親が真面目で硬くて面白くなく、子供が息抜きできない。□成績が上がれば何かを買ってやるなどと利益で子供をつる。□「誰々を見習いなさい」などと近所の子や兄弟姉妹と比較する。□「あんたのためよ」などと恩着せがましい言葉を必ずつける。□「早く起きなさい」「早く食べなさい」などと朝から子供をせかす。□親だから子供に何を言ってもよいと、感情のままに不用意な言葉を投げ付ける。□兄弟の片方を優遇したり差別したりする。□子供を指導監督したがり、机の引き出しや手紙の類まで検査する。 ようは、夫婦仲が良く、夫婦がお互いの役割をしっかりと果たすことです。それには、まずお父さんがお母さんの話を聞いてやり意思の疎通を図ることがスターとなります。
2018.03.21
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まず大人が成熟しよう 単に「頭にきた」から、「ガンをつけられた」からなどという理由で、「邪魔者は消してしまえ」とばかりに単純な行動に走る子供が増えています。 まるで幼児以下の幼さで、自制心、理性、冷静な判断、良心のかけらもありません。自分の感情のままに行動するのでは、犬猫などの動物と少しも違いません。 「弱い者、無抵抗な者に腕力を振ってはならない」と、筋の通った暴力否定を教えずに、何が何でも暴力否定という形式論を押しつけたことが、この頃の家庭内暴力や校内暴力の根底にある。 理解力も備わっていない日本人に、民主主義、自由、権利、平等、人権などといった玩具を与えたためである。 教育と躾の不在であると笹沢佐保さんは言います。 確かに、言うことも聞かない憎たらしい子供にしてしまったのは、幼いころに過保護や猫可愛がりをした親自身の責任です。 面倒だから、不愉快な思いをしたくないからと、子供の躾を怠ってきた親は私を含めて多い。友だち感覚の親子はその表れだと思います。 そういう親に限って、教師がわが子に体罰を加えようものなら、親の躾がなっていないことを棚にあげて、声を荒げて抗議したりしがちです。本来なら、自分が面倒がって怠っていることを、他人がやってくれたのだから感謝すべきだと思うほどです。 人間は環境の動物で、普段から慣れ親しんでいるものに染まってきます。子どもの躾や若者のマナーがなっていないのも、周りの大人たちが自ら良い手本を見せてこなかった結果にすぎません。 親自らが手本となって、子供を人間として育てる心がけが大切です。 それには、まず親自身が成熟しなければなりません。特に「敬する」ことを、大人自身が身をもって背中で教えることです。 「人間と動物を分けるボーダーラインは、たいていの場合『愛』というが、愛はある程度の動物にもある。 大切なのは『敬』である。 『敬する』というのは、より高いものに対する人間独特の心で、敬するから至らない自分を顧みて恥じる。 恥じるから慎み、戒める。この『恥じる、慎む、戒める』ということが主体となるときに道徳心というものが起き、これが人間と動物を分ける限界線である」と安岡正篤さんは言いました。 敬の的である父親、愛に満ちた母親のもとで育まれた子供たちには、自然と人間的、人格的な素地が育まれるはずです。 とくに、夫婦仲が良く、夫婦がお互いを敬することを背中で教えることです。 ところが、多くの家庭では、「お父さんみたいにならないのよ」と子供に言い続けているのだから、子供が父親を敬するはずがありません。
2018.03.20
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子供のことは全て親の責任 何か問題が起きると、「政治が悪い」「学校が悪い」「先生が悪い」などと言いがちだが、他に責任を転嫁していては何も解決しません。 親が、「全て悪い」と自省することです。 戦前までは、父親は子供をゲンコツで叩いて教え、隣近所の人も子供が悪いことをしていると叱ったものです。 動物も人間も、大きくなってからで反発するだけだが、自我が芽生える九歳頃までにしっかりと躾をすれば自然と身につくものです。 生まれたばかりの虎の赤ちゃんは、おっぱいが欲しくてお母さんのお腹に寄っていき、乳首を探し当てると、その周りを両足で挟んでおっぱいを押し出そうとします。 ところが、前足をかけられた母親は、すごい勢いで我が子を蹴ります。ときには、赤ちゃんは一メートルも吹っ飛びます。 おっぱいを飲みたい一心の赤ちゃんは、蹴られても蹴られても寝そべっていているお母さんのお腹にスリ寄っていきます。 そのうちに、赤ちゃんは前足の鋭い爪を立てないことを覚えます。 これは、爪が鋭い武器であることを教えるとともに、仲間といるときは爪を立てないように教えるのだといいます。 二週間ばかりすると、今度はおっぱいを飲んでいる子供の首筋に激しく噛みつくようになります。 その頃には赤ちゃんの乳歯がはえ始め、乳首を噛むようになるからです。そこでお母さんは、歯もまた危険であることを教えるために、わが子の首を噛むのです。 この頃では、暴力禁止といって体罰を禁止するが、人間の親も虎の教育を見習って、ときには体をもって教えることも大切です。 この頃の子供たちが、暴力を振るって人を殺してしまったりするのも、幼いときの厳しい躾の不足からくるような気がします。 「大概の家では、子供が三歳位まではべたべたと甘くし、その後もチヤホヤと育てる。それは間違っていると思う。 私の家では、子供が三歳までは間違ったことをしたら夜中に水をかけるまでして躾ました。 子供はそれが身にしみて、ことの善悪を覚えるのです。 そして三歳過ぎたら子供の人格を認めて話して聞かせてから、もし分からないときは体罰もしました。 三歳までに躾れば、恨みは残らず躾だけが残る。 三歳過ぎてそれをしては、恨みだけが残って躾は残らない」とある主婦は言います。 欧米では、物心がつくまでの子供は厳しく躾られます。 親が愛情に溺れて我が子を甘やかすのは養育責任の放棄であるとして世間の指弾さえ浴びます。 とくに将来上に立つ階層の子ほど厳しく、高校に入る頃にようやく自律が認められるのが伝統です。躾のためには(虐待は別)、自我が出るまでに体で覚えさせることも大切だと思います。
2018.03.19
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辛さを共有し合ってこそ 結婚式は、晴れて好きな人と一緒になれ、多くの人に祝福される日です。それだけに、人生最高の幸福を掴んだという気持ちになりがちです。 だが、結婚がゴールだと思って甘い気持ちに浸っていると大間違いです。結婚は二人の人間が、お互いに自分と相手の過去を捨て去って、これからの未来を新しい人間として一緒に助け合っていこうと決意するスタートでしかなく、これからが苦しくて長い本番です。 「若い時代は、顔見たり様子見たりしているときは、花咲いているときやの。その間はいいの。一世一代の一番いい時期やの。 一番いい時期に見て、惚れるの。 人間、いつまでも若かったらそれでいい。言っている間に30になり40になる。50,60いうたら、カツラかむらないかんようにもなる。いつまでも若い気でいたらいいが、面倒になると扱いが悪くなる、始めの甘さが、酸うなったり渋くなったりするわな。 諸行無常やからね。なかなか人生は花のようにはいかん。 いつまでも若いと思っていると、大間違い。 年寄りとは意見が合わんというてる間に、自分がその年寄りになる」と清水寺の大西良慶さんも諭すように、一緒になった後の長い年月こそ問題です。 結婚するとは、自分たち二人だけの問題のようだが、子供や親の問題などさまざまな問題を背負うことでもあり、後にはさまざまな苦労が待ち構えています。 結婚は両親を取り替える儀式と言った人がいるが、さまざまな苦労をも覚悟する場が結婚式なのです。 この頃は、出会って結ばれるのが早い代わりに離れるのも早い。お互いに気ままだから、それが結婚生活にもでて、お互いに注文が多く、注文通りにならないと直ぐに別れます。 生保関係の友人は、この頃は金の切れ目が縁の切れ目でリストラ離婚も多いと言います。 子供の問題にしても、幼稚園ごろまでは可愛いが、やがてさまざまな問題が待ち受けています。 ときには、正直なところ子供なんかいない方がよかったと思うことさえあります。 親を看取るというのも、いかに裕福だろうと楽なものではありません。 でも、楽でもないことをやり通した後に残る充足感や、逃げなかったという安堵感など、そんな苦労があるからこそ、後になってしみじみと幸せかをかみしめることができます。 今の人は、大人も子供も目先の楽だけに走り、大変さの裏側にある重みのある幸せ感を見過ごしてしまっているように思います。 夫婦は大変だと思うし、その都度、その都度、幸せなものではないけれども、その辛さを共有し合うことで結びつきの重みがついてくるのだと思います。
2018.03.18
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結婚の前にもっと真剣に話し合おう 真面目で無趣味で仕事しか知らなかったAさんは、企業戦士として戦後の何十年かを生きてきました。 そんな彼だから、「○○会社の○○」という肩書を失った途端に自分のアイデンティティを失い、やがて娘を母と間違えて子供のように甘えるようになりました。 彼の妻は妻で、いつも帰りの遅い夫を待つだけの生活だった。 その鬱積から子供にのめり込み、持てる限りのエネルギーを注ぎ込むようになった。娘たちがクラブ活動で三〇分帰りが遅くても、玄関の前で待っているほどだった。 子供たちは、「心配してくれるのは分かるが、いつも監視されているようで息が詰まり嫌だった」と言う。 彼女は、将来や結婚に対して夢を持っていた。 だが、結婚してからの人生は、その夢を少しずつ削ぎ落としていくような日々だった。 夫の帰りを待ち、子供たちの帰ってくるのを待ち、「待つだけの自分の人生。私の一生って何だったんだろう」とつぶやく。 楽しい人生を送るには、楽しい家庭が大切だが、意外と相手選びは難しいものです。①どんな仕事を素晴らしいと思っているか、 どのようにお金を稼ぐべきだと思っているか、 人生と仕事の関係についてどう考えているか・・・等々、 人生における目的意識の共通性は大切です。 「何かやりたいことがある」、と聞いてみるのもいい。 何もやりたいことがないような、目的意識のない人と結婚しても楽しいはずがありません。②誰もあまり口に出して言わないが、セックス観の違いは後で大きな問題になります。離婚理由で『相性の違い』ということがよく言われるが、ほとんどは二人のセックス観の違いではなかろうか。 不倫に走る人の深層心理にも、これが関係しているように思います。③笑いのツボは、その人の持っている知識とか経験、育った環境など、あらゆることが影響します。 だから、いろんな物事に対する見方も、意外と笑いの物差しと共通します。 一緒に同じ道を歩む人を見つけ、幸せな人生を送るためには、まず笑いのツボを探ると良い。 泣くところは誰もが似たようなものだし、一緒に泣いているような家庭では明るく楽しい人生はおくれません。 共に笑い、笑いの絶えない家庭でありたいものです。④ヨーロッパでは、若い娘たちに「あなたが一番自慢にしていることは何ですか」と聞くと、「私の母が一番得意にしている料理を、小さいときから習っています。それが私の一番の自慢です」という答えがよく返ってきます。 昔の日本にも「おふくろの味」があった。ハートは一時的なものだが、胃袋はいつまでも覚えています。 家族皆が心を合わせることができ、家族が早く帰りたくなるような、もてなし上手な相棒は宝物だと思います。
2018.03.17
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恋は誰にでもできる 恋いをすることは、春になると花が咲くように、年頃になれば誰にでも起きる自然の成り行きです。 そんな時に好意を示してくれる人が現れると、相手のなすこと全てが素晴らしく見えてくるものです。 恋は相手を美化します。 アバタもエクボで、ただ粗野なだけの男を「男らしい」、神経質な人を「本当にデリケートな人」などと美化する。相手の本当の姿を見る目がなくなり、勝手に美化しただけの相手に多かれ少なかれ恋いしているのです。 それとあわせて、美化した相手に合わせて自分をも飾ろうとする。 そうやって、恋の深みに落ちていきます。 恋いは、相手への盲目的な執着でもあり、障害は恋いの炎を燃え盛らせる油で、不安や苦悩が多ければ多いほど燃え上がります。 だから、不倫は普通の恋よりも激しくなります。 ところが結婚してしまうと、『女房に もってみれば みな夢』(一茶)ではないが、不安もなくなって情熱は消えうせ、相手を美化することもなくなって実態が見えてきます。 どんなに素敵な異性でも、いざ結婚してみると段々とアラの方が見えてくるものです。そうなっても相手を見捨てずに、苦しくて醜い人生を共に生きようという夫婦が、別の形で相手と新しく結びつこうと努力する中で本当の愛が始まります。 人と人との出会いはある意味では偶然であり、出生そのものもまた偶然の賜物でしかありません。 そんな偶然が積み重ねて出会った二人が、掛け替えのないパートナーとなるには、それを持続しようとする意志の力が必要で、それが愛というものかもしれません。 チェーホフは、「幸せなど存在しない。あるのは、そうなりたいという願いだけだ」と言ったが、結婚もまた同じであろう。 幸せな結婚生活は、「幸せで充実した日々を共に過ごそう」とするお互いの意志の力により、そのための日常的な努力が必要です。 男が「幸せにしてやる」などというのは傲慢以外の何物でもなく、また「幸せにしてくれる?」と女の方から言うのも人任せで、後から出るのは不満でしかないはずです。 「二人で幸せを創っていこう」というのがお互いに対するプロポーズの言葉であれば、それは双方にとって自分との約束にもなり望ましい。お互いによく見せようとして肩肘張ることなく、「二人でいると、とても気持ちのいい風に吹かれているような気分になる」、そう言える仲の二人になって欲しいものです。 恋は誰でもできるが、愛は創るもので日々の努力の賜物であり、お互いの長所も欠点も併せ呑んで認めあうことから始まります。 今にしてそう思うが、最早私には手遅れです。
2018.03.16
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夫婦円満のコツ 暗い話題の多い世の中だが、元気に張り切っている人たちに共通しているのは、奥さんが明るく、子供も元気で、皆がお父さんの帰ってくるのを楽しみにしています。 そういう円満な家庭には、エネルギーが溢れています。 だから、お父さんが疲れて帰ってきても、家で十分に充電して会社に出勤できるので、何時も張り切っていられます。 それが自然と子供にも影響して、良い子供に育っていきます。 西シベリアのツンドラ地帯に住むネネツ族には、次のような伝説があるそうです。 氷を横切ってどんどん北へと行くと、つむじ風の壁があり、それを越えるとお互いに愛し合っていて、敵意も憎悪も知らない人たちの住んでいる国にぶつかる。 ところが、ここの人たちは片足しかない。一人では歩くことができないので、彼らはお互いに抱き合って歩く。 愛情が強ければ強いほど、しっかりと抱き合うので歩き方が上手になり、風よりも速く駆けられるようにもなる。 ところが、愛し合うことをやめると、彼らはたちまち抱き合うことをやめるので死んでしまう・・・。 つまり、人は独りでは幸せにはなれないという訓えだと思います。 二人三脚は、息が合わないとなかなかうまく走れません。 ほんのちょっとお互いの息が乱れても、たちまち転んでしまいます。 もともと片足しかない人たちは、自分一人では歩くことができないことを自覚しているから、お互いに労り合い、かばい合って走るから速く走ることができます。 しかし、二本足の人間は、自分独りで走れると思っています。 いや、自分独りで走った方が速く走れるとさえ思っています。 だから、労り合い、かばい合って走ることをせず、かえって転んでしまうのです。 男と女、夫婦、親子、経営者と社員、みなそうです。 お互いに、自分独りではうまく生きられないと信じていれば、もっとうまく力を合わせてやっていけるはずです。 ある夫婦は、「夫婦二人で一人と思う・互いの短所を見ず長所だけを見る・口喧嘩は翌日まで持ち越さない」の三つをお互いに守り円満です。 同じ空間、同じ時間を共有する夫婦は、お互いに長所だけを見つめ合い、寄り添うことが大切です。 相手の短所ばかり見ず、良いところだけを見てほめる、いわゆるアゲマンになればいいのです。 この頃では、小賢しすぎるのか欠点ばかり指摘するサゲマンばかりが増えて、お釈迦様が掌のうえで上手に孫悟空を操るようにできない人が多いようです。 夫婦は以心伝心などと、日本人は言葉での交流をあまり大事にしません。だが、育った環境も習慣も違う二人が一緒に生活するのだから、分かり合えるほうが不思議です。 一緒に暮らしている相手をよく観察し、お互いに思っていることをきちんと言葉でやりとりし、二人が一緒に生活していくにはどうしたらいいかを考えることも大切です。 Gさんの家庭円満の秘訣は、奥さんの話をよく聞くことだそうです。 以前は、Gさんも仕事が忙しくて奥さんと話をする機会も少なく、いさかいも多かったそうです。 ところが、せめて休日や食事の時ぐらいは奥さんの話を聞いてやろうと思って実践し始めました。 家庭円満になったのはそれからだそうです。 会話には、男性(職場)会話と女性(家庭)会話があります。 職場では、常に具体的な目的を前提とし、仕事を効率的に処理することが求められるから、交わされる会話も目的会話で、簡潔に要領良くを旨としています。 一方、家庭内での妻や子供との会話は、井戸端会議や長電話でわかるように、取り留めのない話が延々と続き、目的や効率をさほど必要としません。 会話の重点は話の内容ではなく、言葉を交わし合うことから生じる親近感や一体感にあります。 そうした会話の価値観の違いが父親には理解できず、「家にいると、嫁さんや子供のチマチマした話しばかりで閉口する」となり、両者の疎外感が増幅されていきます。 夫婦の間で、ほめたりプレゼントをすることも効果があります。 とかく、夫が「今日の味噌汁は辛いな」と言えば、妻は妻で素直に「あらそう、ごめんなさい」と言わず、何かと口答えをしがちです。 近所でも評判のオシドリ夫婦は、奥さんが作った料理はどんなものでも「うまい、今日の料理は作るのが大変だったろう」などと、労りの言葉を忘れません。 奥さんは、「ほめられると、過去の嫌な思い出や辛かったことなどすべて忘れてしまう」と笑っています。 Jさんは、よくプレゼントをするそうです。 大したものではないが、ちょっとした機会に買ってきては渡します。 奥様は「またこんなものを買ってきて」と言いつつも嬉しそうです。 「夫婦なんだから、そんなことをいちいち口に出して言わなくてもとか、そんなことをしなくても」と考えがちだが、一生付き合う夫婦だからこそ、お互いに相手への労りと感謝の気持ちを言葉や態度で表現したいものです。 二〇代から五〇代の主婦に、「夫からどう呼ばれたいか」と調査したところ、「名前で」という答が37%(仕事をしている主婦では半数近く)もありました。 四五歳の主婦は、「結婚して21年、『オイ』とか『いたか?』で、ただの一度も名前を呼ばれたことがない」と嘆いていました。 名前を呼び合うことも良いと思います。
2018.03.15
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お互いを認め合う 社会学者ボウマン(米)は、夫婦が折り合いをつけていくコツは次の三点だと言います。 ①相手の優れた点を見つけ出してほめるように心がける 相手の欠点や失敗を咎めても却って反感を生むだけだが、身近な人からさりげない言葉や動作で、ちょっとしたことでも感謝されたりほめられたりすれば嬉しいものです。 俗語に、「あげまん」「さげまん」という言葉があります。 A子さんは、容姿端麗で頭もよく、総合職としてバリバリ働いています。仕事の上でもよく気がつき、いろいろな問題点や欠点をよく指摘しくれます。 彼と一緒にいるときも、彼のことを思って、「そんなことではダメよ」とか「それはこうすべきよ」などと絶えず欠点を直させようとします。 B子さんは、ごく普通のOLです。すごく楽天的で明るい彼女は、彼の良いところばかりが目に付くので、おだてる気持はないのだが、いつも「あなたって素敵」とか「凄い、あなた天才じゃない」などと言って笑っています。 しばらくすると、秀才だったA子さんの彼氏は、いつも「あなたはダメね」と言われている間に自信を失って精彩を欠いてきました。 一方ごく平凡だったBさんの彼氏は、いつもほめられている間に仕事にも自信を持って前向きに取り組むので、会社でも注目される存在になってきました。 B子さんのようなほめ上手で相手に自信を持たせる人が「あげまん」で、 A子さんのようにいつも貶して自信を失わせる人が「さげまん」だと思います。 ②相手を、自分の思い通りにしようとする態度を慎む。 夫婦の間だろうと親子の間だろうと、ましてや他人との間なら、一方的に自分の思い通りに動かそうとしないことです。 私たちは、人から押しつけられとかえって嫌気がさして、テコでも動くまいと依怙地になりやすいものです。 人間は、自ら「気がつき、分かる」こと無しにはなかなか行動を起こしません。 ③お互いに私的な世界を認め、相手の世界を尊重しあう。 どんなに愛し合っている夫婦であっても、それぞれに違った経験や友達、趣味を持つ人間だから、それぞれ違った世界を持っています。 夫婦や愛という名のもとに、あまりにも一心同体を求め過ぎるとお互いに負担になります。 どんなに親しい仲でも、足を踏み込んではならない部分があるはずです。それを認め、尊重そあうことが大切です。
2018.03.14
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悪人が一人いれば一家は円満 こんな古い格言があります。 「一家の中に悪人が一人おれば、その家は円満である」 ここで言う悪人とは、ことの善し悪しをこえて、「私が悪いのです」と言える優しい心の持ち主のことです。 人間というものは、誰でも、「自分のすることは正しい」「相手のすることは悪い」という自己中心的な考えに凝り固まっていて、何かあると他人のせいにしがちです。 そんな中で、一家の中でいつも「私が悪いのです」と言える人がいたら、その家は円満であるという意味です。 たとえば、お嫁さんが「私ほど未熟な者はいません。何も知らない不束者ですが、一生懸命に勉強しますから、どうか教えてください」と心からお姑さんに頭を下げれば、 姑も、「うちの嫁はよくできて嫁だ。何と可愛い嫁だろう」と大切にするはずです。 そして、「私は昔人間で何も知らないから、いろんな新しいことを教えてね。あなたに教えてもらって、私も若返りたいの」とお嫁さんの手を握ってごらんなさい。 お嫁さんは、「私、何て幸せなんでしょう。もし離婚することがあっても、このお姑さんを連れて出てしまうわ」と思うかもしれません。 このようにお互いが譲り合って相手を立てることを考えれば、家庭も社会も楽しく過ごすことができるようになります。 この自分を捨てる心こそ、すべてのものを生かし、どんなものも育てずにはおかない慈母の姿ではないかと思います。 とくに、家庭にあって子供を育て、夫や親をも生かしてゆかなければならない奥さんが、小さな自分のエゴの殻を打ち破ってこれを実践すれば、その家庭は素晴らしい楽園にあるはずです。 「そんな損な役回りはできない」という人がいるかもしれません。 でも、慈悲利他の実践は返報性を引き出し、必ずあなたに得となって返ってくるはずです。 そんな母の姿こそ慈母の世界であり、あなた自身にも心の安らぎをもたらすはずです。 家族間だろうが他人とであろうが、自己主張だけでは却って心の安らぎや幸せからは遠ざかるような気がします。
2018.03.13
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家庭でこそ言葉を大切に 最近では、ごく身近な家族同士でも話し合えないでいがみ合いになり、反発のしあいが高まって家庭内暴力にまでエスカレートすることがよくあります。 お互いの会話不足から、「親の心、子知らず」「夫の心、妻知らず」(逆も真)が起き、その結果、いろいろな行き違いからいさかいや問題へと発展していきます。 これは、お互いに相手を許すことから会話をスタートできない悲劇だと思います。 親も子も、お互いに相手を自分に従わせようとするのではなく、お互いに許し合うことから始めれば心にゆとりも生まれます。 心に余裕を持って話し合えば、「ほう、そんなふうに考えているのか」と冷静にお互いを理解し合えるはずです。 また、子供に夫の悪口を(先生の悪口も同じ)絶えず吹き込んだり、年老いた父親や母親に対してきつい言葉を言ったり、冷たい態度をとる人も多いような気がします。 そんなことをしていれば、子供がお父さん(先生)、おじいさん、おばあさんを尊敬できるはずがありません。 そして、そんな言い方をする親をも尊敬できるはずもありません。 ロシアの文豪、トルストイの小説にこんな話があります。 とても歳をとったおじいさんがいました。足は動かず、耳は聞こえず、歯もなく、物を食べるときは口からポロポロこぼれます。 そこで、息子と嫁は、食卓におじいさんの場所を用意することをやめて、ストーブの後ろで食事をさせていました。 あるとき、カップに夕食をいれて与えたところ、老人はカップを落として割ってしまいます。 嫁は、「おじいさんが家の中のものを何でもダメにしてしまう」とブツブツ小言を言い始めました。 そして、「これからは、おじいさんの分の食事は洗い桶に入れて出す」と言いました。 おじいさんはため息をついてだけで、何も言いませんでした。 あるとき、幼い息子が床に座って一生懸命に何かをこしらえようとしているのを見て、「何をしているんだい」と父親が聞くと、「お父さん、ぼく、洗い桶を作っているの。お父さんとお母さんが歳をとったら、この洗い桶でご飯を食べればいいよ」と答えました。 私たちは、無意識のうちについこんな仕打ちをしてしまうことがあります。でも、子供は大人を見て育ちます。 だから、それは必ず、自分に跳ね返ってきます。 尊敬の的である父、愛に満ちた母の下で、子供たちの人間的人格素地が育まれていきます。 家庭の中でこそ、自分の言動にもっと気をつけたいものです。
2018.03.12
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親しみて狎れず あなたにとって、家庭とはどんなところでしょうか? 家庭は活力再生の場であり、憩いの場になることが第一だと思います。 そのためには、家族がお互いを思いやり、理解し合い、認め合い、争いもなく平和で、明るく和やかで、皆がイキイキと輝いている必要があります。 それには、明るい挨拶を励行し、お互いに相手を傷つける言葉を慎み、ささいなことでも家族で気軽に話し合い、ともに喜び合い、お互いに「ありがとう」と感謝しあい、明るく笑いのある家庭を作ることだと思います。 だが、現実はどうでしょうか? あるとき、視聴者がスタジオに電話をかけてきて話をするテレビのトーク番組で、主婦の方があまりにも夫のことをあしざまに言うので、司会者が「その人を選んだのはあなたでしょう」とつい言ってしまう場面がありました。 この奥さんではないが、子供の前で平気で喧嘩する夫婦や、夫の悪口を子供に散々に言う奥さん(逆もあり)がよくいます。 父性、母性についての研究もある東京女子大学の林道義教授が、学生に両親についてのレポートを出させたところ、 「母親について一つだけ嫌な面は、父親の悪口を言ったりバカにしたりすること」という回答が多かったそうです。 夫婦間がうまくいかなくなると、その相手を選んだ自分のことは棚に上げておいて、自分の言い分だけを主張して相手をあしざまに言う人がよくいます。 でも、夫婦喧嘩や離婚の原因は、どちらか一方だけに責任があるということは少ないと思います。 多くの場合は、お互いに相手に対する我慢や労り、感謝の念を忘れているところに原因があるのではないでしょうか? 自分の思い通りに行かない、自己主張が通らないからと不満で一杯で、総てを連れ合いのせいにしたり、不満=不幸だと思いこんでいる人が多いように思います。 親がそんなふうだから、自分の思う通りに行かないからと、母親などに暴力を振るう子供が増えても致し方のないことかもしれません。 そうなりやすいのは、夫婦だから、親子だからと甘えが出て、一番いい加減になりやすく、わがままが出やすいからです。 新婚カップルに、「世の中で一番礼儀を大切にしなければならないのは夫婦の間だよ。もし生涯新婚気分でいたかったら、ぜひ礼儀正しさを大切にすることだ」とある人が言ったら、 夫婦共に「冗談じゃない。夫婦は一心同体と言われるくらいなのに、そんな気を使っていたら、とてもやっていけません」と言われたそうです。 女房に 持ってみれば みな夢 一茶 デートを楽しんでいた当時には、お互いに不精なところを見せたこともなかった二人が、一緒に生活している間に慣れてくると、妻は夫の前では化粧もせず、夫はパンツ一丁に平気になったりします。 どんなに素敵な女性であっても、いざ女房にしてみると段々とアラの方が見えてきたり、アバタもエクボで長所に見えていたことも何時しか短所にすり替わったりしてきて、自分が惚れたことが夢のように思えてくることがあります。 それはお互い様で、本当の夫婦愛は、表面的な美しさや魅力のメッキがはげて、「持ってみればみな夢」と思えてきたときから始まります。 夢を元通りに戻すには、「親しみて狎れず」という言葉を肝に銘じることです。 「狎れ」という字は「けもの偏」がついていように、犬や猫などのように節度がないことを表しています。 夫婦だから狎れてもいいと思いがちだが、その馴れ馴れしさが相手の心を傷つけることがあることを自覚したいものです。 夫婦といっても元は他人、そして毎日目につくからこそ、相手に対する思いやりや労り、感謝、礼儀といったことを大切にする必要があるのではないでしょうか? フランスの哲学者で作家でもあるアンドレ・モロワは、 「私は永久に自分を束縛した。私は選択した。今後の私の目的は、もはや自分の気に入るものを探すことではなく、自分が選んだ者の気に入られることである」と言う。 相手に「気に入られる」とは、言い換えれば、お互いに生い立ちも違い、考え方や行動が違って当たり前の夫婦が、どちらか一方が我慢して合わせるのではなく、その相違を認め合い、愛情の籠もった寛大さで相手を包み込み、それをお互いにプラスに展開していくために、お互いに我を捨てて歩み寄る努力をすることです。 だが、私たちは、相手の気に入られるよりも、自分が気に入るものを探しがちです。 二〇代は愛、三〇代は努力、四〇代は忍耐、五〇代は諦め、六〇代は感謝とも言います。 お互いに許し合い感謝し合う気持を持てば、家庭はもっと和やかになると思います。
2018.03.11
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話し合えない親子たち 近頃では、ごく身近な者同士での会話も成り立たたなくなっています。ちょっとしたことを話し合おうと思っても、話し合えないでいがみ合ったり、それが高じて暴力にまでエスカレートしたり、話し合うのが怖くて自分の心の中だけに閉じ籠もる人も多いようです。 親は自分の価値観に基づいて子供に話をしても少しも聞き入れてくれないとイライラが高まり、子供は子供で心の中のわだかまりを分かってもらえないとイライラが溜まっています。 その結果、どちらも分かろうとしない相手を「自分勝手だ」とやたらに咎めることになります。 そして、親は子に態度を改めるべきだと一方的に責め、また子供はどうして自分の言い分を聞いてくれないのかと苛立ち、それぞれが力んでしまいます。 力めば力むほど反発のための反発が高まって、ますます本意は伝わらなくなり、一方的に怒鳴り散らしたり、言っても無駄と会話を拒否したり、対人恐怖症に陥って閉じ籠もったり、時には暴力に走ることにもなります。 お互いに自分の正当性だけを主張して、相手を理解しよう、許そうというゆとりの無さの悲劇です。 これは、親子、夫婦、会社、行政などすべての関係には当てはまることです。 話し合うということを、両者の見解を無理やり一致させることだとか、自分の思う通りに相手を説得することだと考えると、なかなか気楽に話し合えなくなります。 世代が違えば育った環境も違い、人間は一人ひとり価値観が違って当たり前なのです。 そんな違う価値観や意見の持ち主同士が話し合って、どちらが誤りで、どちらが正しいという共通見解に達しなければならないと、お互いに力んでしまうから無理が生じるのです。 話し合いはどちらが正しいとか、どちらが引いて勝ちを譲るかを決着するために行うのではなく、お互いの違いを知り、双方を生かすための手掛かりとして行うものです。 双方を生かすというのは、一方的に自分や相手に合わせるのではなく、「そんな考え方や見方もあるのか」と相手を全面的に受け入れ、お互いがどんな考え方で、何を最も優先させているかについての共通認識を高め、「だから彼はそうなるのか」と理解し合い、その上で違いは違いと認め、それでもなお共に生きていこうとすることだと思います。 詰問調や断定調になったり、「飯、風呂、寝る」などと単語会話だけで済ませていないでしょうか? 言葉のキャッチボールが長続きするように、お互いに相手が受け取りやすい話題や言葉を重ねる努力が大切です。 もっと言葉を贅沢に使ってみませんか?
2018.03.10
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互いに少しずつ犠牲にするのが家族への思いやり イギリス人と一緒に仕事をしている人の話です。 後30分も残業すれば片付くのに、5時になった途端に彼は帰ると言い出した。 「後わずかだから今日中にやってしまおうじゃないの」と言うと、 「いや、わが家では6時に家族そろって夕食をとることになっているから帰らなければならない」と言う。 一週間に何日かはそうすることになっているとのことだ。 「こういう場合、日本人はどうしているんだ」と彼が聞くから、 「残業して仕事を済ませ、後は居酒屋なんかで一杯ひっかけで帰宅するんだ」と答えると、「日本の男は自由でいいな」と言って羨ましそうな顔をした。 本当は、彼らも自由が欲しいのだが、「家族との約束があるから、時には自分のやりたいこともやらず帰宅しなければならない。家族というのは、お互いに少しずつ犠牲を払っていかなければならない」、そういう考えの基に、彼らは家族のために自分自身をコントロールしているのです。 家族の幸せのために働くのだから、それが当たり前であり、家族に対する思いやりでもあると欧米人の多くは思っています。 子供の病気を看病するためにアメリカに帰国し、それを善しとしない日本の球団とトラブルになってプロ野球選手を辞めた人もいました。 日本では、仕事のために残業で遅くなるのは当たり前、単身赴任も当たり前のように考えられ、家族がバラバラになっても仕方がないと考える人のほうがが多いと思います。 その結果、日本は経済大国にはなったかもしれないが、その一方で家庭は崩壊し、子供は荒れ、老人を看取らない家庭も増えています。 子供にすれば、父親ともっと遊びたかったかもしれないし、母親には言えない相談ごともあったかもしれません。 そのとき会社人間の父親は、単身赴任でなくても家にいる時間はほとんどなく、子供は寂しい思いをしていたはずです。 その父親が、「病気になっても子供たちはなかなか見舞いに来ない」とか「歳をとっても面倒みてくれない」と嘆いています。 子供にすれば、「俺だって会社がある」とか、「俺だって、必要とするときにはいてくれなかった」と言いたくなって当たり前で相みたがいです。 私生活を豊かにするために仕事があるという、目的と手段を取り違えた悲劇です。 男性も、生活と仕事の関係をしっかりと見直してみたいものです。
2018.03.09
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ビジネスホテルになった家庭 ある中学校で「望ましい家族像」という作文を書かせたところ、殆どの生徒たちが「温かい家庭」を理想像として上げました。 その具体的な内容は、次のようなものでした。 ・学校から帰ったときカギのかかっていない家庭・子供だけでなく一家揃って味わう夕食・家族の中に会話のある家庭、一家団欒のにぎわい だが現実は、朝食は起きた順か、通学通勤の順。朝食抜きを常習とし、朝起きない親や朝は作らない親も増えています。 夕食も、誰かが欠けているのが普通です。 家族がバラバラな時間に、バラバラなものを食事する「個食」「孤食」のライフスタイルが定着したうえに、食事後はそれぞれに別の部屋に籠もってしまうのが当たり前で、家族が揃ってゆっくりと食事をしながら話し合う機会もありません。 これでは、家も下宿やビジネスホテルと変わりがありません。 このような家庭での食事の揺らぎが家族の揺らぎにつながり、心の安らぎや潤いが失われつつある一因になっているようにも思われます。 イタリアで「お家」と言うと、「お母さんが美味しいものを作ってくれる所」というニュアンスがあると言うが、家族が共に食事をすることは家族としての最低条件だと思います。 家族が一堂に揃って同じものを食べてこそ、夫婦、親子の絆も深まると思います。 食生活の乱れは子供の生活の乱れを招き、子供の非行化にもつながると言われます。 少年犯罪が起きると、「学校が悪い」「教師が悪い」「社会が悪い」などと騒ぎ立てるが、その原因はもっと根本的なところ、つまり家庭、それも食事にあるように思えてきます。 お母さんが美味しいものを作って待っていると思えば、夫も子供も早く家に帰って来るし、満腹すれば自然と落ち着きもするし、話も弾むのではないでしょうか? (この頃では、食事を作るのは主婦の役割のように書くのは×かな) 食事でまず大切なことは、それを作る人の心遣いや思いやりだと思います。 昔の母親は、少々眠くても、愛する夫や子供のために早起きをして、カツオ節を削り、すり鉢で味噌をすり、温かい食事を用意してくれました。食卓にのぼる内容は、今とは比較にならないほど粗末で、温かいご飯にみそ汁とお漬物が少々あれば良い方だったが、母や妻の思いやりが込められ、暮らしに潤いを与えていました。 生活や付き合いに思いやりが欠け、刺々しくなってきたのも、思えば食事に温かい思いやりや、心配りがなくなってきたことと軌を一にしているように思われてなりません。 また、女子中学生の次のような投書も目につきました。 婦人問題が真剣に考えられているこの頃、私には高齢化社会に向けて女性も働くべきだと思う一方で、子供を持つ女性は働くべきではないという二つの矛盾した考えがある。 ところが、「お母さんに『お帰り』と言って欲しい」という友達のつぶやきを聞いて以来、母親は働くべきではないと思い続けている。 婦人問題を訴えている女性は、働くことに生き甲斐を感じ、働かなければならないのではなく、働きたくて働いているのだと思います。 しかし、子供の教育も親にしかできない大事な仕事ではないだろうか? 女性が職場に出て、「子供も、今は寂しくても、いつかは分かってくれるはず」というのは、あまりにも勝手すぎる。 子供は親の矯正なしでも、誤った道でそれなりに育つのである。 家庭内暴力、校内暴力の発端もここにあるのではないか。 母親は職場に出る前に、もっと大事な仕事があることに気づかなくてはならない。そして、そこが女性の最良の職場だと思う・・・。 現代では、このような意見は少数派で、家庭で家事や子育てをしているよりも、外に出て働く方が進歩的であり、大切なことだという考え方が強いように思われます。 そのような家庭軽視が、確かに物質的には豊かな生活をもたらした反面、ずっと子供を鍵っ子にしておいたために、登校拒否や非行、いじめ、暴力などという現代のさまざまな家庭問題や社会問題を引き起こしているようにも思われてなりません。 落ち着ける家庭がなければ、活力の充電もできず能力も発揮できません。 子供の躾に大切な時期を疎かにしては、子供の一生を台無しにしてしまい、親の責任を果たすこともできません。 マーケティング・コンサルタントの黒田節子さんは、「家をほったらかして外で働く女性たちは精神的な流民であり、その流民の子が孤児になる」と手厳しい。 女優の左幸子さんも、「鶏ガラのスープを、澄んだコンソメスープに作れないでいつも苦労していました。このことをサクソホン奏者渡辺貞夫夫人の同席しているところで漏らしたら、『ネギとショウガを入れてごらんなさい』と教えてくれた。 違う機会に渡辺さんの家でお握りをいただいた時、オカカを混ぜたもの、梅干しを小さく刻んで混ぜたもの、タラコを混ぜたものなど、いずれも一口大の美しい三色お握りを出され、それを見て『まあ素晴らしいお握りね』と感嘆の声を上げると、夫人は『だって、私はこの道10年の主婦のプロよ』と言って明るく笑い声をたてられた。 この経験から、立派な主婦は、社会に出て男性と肩を並べて仕事をすることと本質的にちっとも違わないと思った」と言うが、家庭のあり方というものを、今一度真剣に考えなおしてみる必要があるように思われてなりません。
2018.03.08
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ストレスを笑い飛ばそう 1 一日を気持ちよく迎え、気持ちよく送る 深呼吸しながら日の出を見ていると、体の中から思わず活力が湧いてきます。どうせ散歩をするのなら、朝日の絶景ポイントを見つけておいて、薄暗いうちに出かけて、そこで朝日が上るのを見ながら深呼吸をしてください。 とても気分がいいだけでなく、季節によって日の出時間や場所が変化するのも楽しいものです。 早起きと健康の関係は、前述したように医学的にも証明されています。早寝早起きは、神経系統とホルモンなどの生体リズムを整え、免疫を強化します。 良い朝を迎えるためには、一日の終わりを大切にすることです。 良く終わることは良く始まることに通じます。 泣いたり怒ったりしていては、良く終われるはずがありません。泣き疲れてそのまま眠っては、気持の中でその日は終わりません。不愉快な思いを引きずることになり、心の疲れが取れません。 一日の最後は笑って終わることです。すると、自然と微笑みをたたえた本当にいい顔になってくるから不思議です。2.自分を許す 済んでしまったことを、何時までもクヨクヨしているとストレスになります。やってしまったことは、クヨクヨしてもしょうがありません。 自分で自分に「ゴメン」とか「しゃーないな」と唱えて許すと、意外と気が軽くなります。 そして、やってしまったことに対する対処法を前向きに実行することです。人生には昨日はなく今日しかないのです。過去は許して、今日できることを精一杯実践することです。 3.自分を讃える どうしようもない劣等感や自分の馬鹿さ加減に苛まれ、落ち込むと時があります。それが嵩じるとストレスが溜まってきます。 そんな時には、自分の良い点を探してほめてやることです。 人が自分をほめてくれたことや、自分自身よくやったと思ったことを普段からメモしておき、こんな時にこそ読み返してみましょう。自分にもこんな素晴らしい点があるのだと、気が晴れてくるはずです。 4.自分を笑い飛ばす 人生の三大栄養素は「愛と笑いと感動」です。 一方、怒りやイライラは百害あって一利なし。何時も笑いを絶やさないことです。 笑いを絶やさないために、自分自身を他人の目で見るように冷静に見つめてみましょう。 すると、バカバカしくて滑稽で笑い出したくなることがあるはずです。そんな自分を笑い飛ばしてしまうと、肩肘張ることもなくなります。笑っている間にイライラも消えて楽しくなってきます。 人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから余計に悲しくなって泣くのです。笑うのも同じです。楽しいから笑うのではなく、笑うことによって楽しい気分になってきます。 日本人は、とかくくそ真面目に物事を考えがちです。もっと自分自身を労り、ほめ讃え、笑い者にしてみることです、そうすれば、きっともっと楽に生きていけるはずです。 5.不安や悩みの種を書き出してみる 前にも書いたが、不安や悩みを解消するには、まずその原因を客観的に書き出してみることです。 不安などというものは、今現実に起きている問題ではなく、頭の中でいろいろと妄想して創り出した架空の物語にすぎません。 だから、書き出しみると、たいした問題でないことが多いものです。 また、原因がわかれば、それに対して適切な対応を考えることもできます。 多くの不安は、自分自身の自信の無さから生じます。 人は何か嫌なことが起きそうな時、それが解決できるという見通しを持っていれば、情緒的に混乱することはありません。 6.怒りを紙に書きなぐる 怒りを解消するには、感情そのままに悪口雑言を紙に書きなぐることも有効です。 誰にも言えずに黙って胸の内に溜めておくと、ストレスが発酵し益々膨らむが、書きなぐっているうちに自然と発散してしまい、スッと気が晴れてきます。 それをポイッと屑籠に捨てれば、怒りも一緒に捨てることができます。愚痴を書いた紙などを周囲の人に見られるのは良くないので、一人きりの時にすっきりするための対処法としてお勧めします。 破る時も、拾われて人に読まれないように、ビリビリに破ってください。 7.ありのままに生きる 長生きをしようとか健康でいようとかして、食べ物や健康法に凝るのは却って良くありません。 何かに偏ること自体が、ストレスを創り出すからです。 長寿者のお話を聞くと、別に長生きをしようとしたわけではなく、毎日思い患うことなく、楽しく、規則正しく過ごしてきただけだと仰います。つまり、良く生きた結果が長寿に結びついたわけで、これは素晴らしいことです。 どんなに注意して生活していても、人間には寿命があります。 「明日死んでもいい」くらいの気持で、今日一日を充実して過ごせばいいのです。
2018.03.07
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ストレスはベッドに持ち込まない 多くの人にとって、心身の健康は幸せの土台です。 とくに心の健康が大切だが、心の健康を保つには、ストレスのない伸びやかな生活をすることです。 肉体的なストレスは繰り返し受けている間に慣れてくるが、心理的なストレスは厄介なことに段々と強まるそうです。それも、若い間は立ち直りが早いが、中高年になると長引くのだそうです。 精神科医の斎藤茂太さんは、「江戸っ子のように、俺ァー、宵越しのストレスは持たネェ」とストレスとお金の心配は、ベッドに持ち込まないのが心の健康を保つ秘訣だと忠告されています。 つまり、その日のことはその日のうちにきちんと心の中でピリオドを打つ、それが健康で快適な生活を送る秘訣というわけです。 とはいえ、現代人にストレスはつきものです。 これを解消するには、前頭葉の働きを少し麻痺させることです。 適度なお酒やカラオケ、スポーツ、レジャー、趣味などを楽しむと、前頭葉の働きが少し麻痺して良いようです。 でも、よく居酒屋でサラリーマンが会社や上司の悪口を口角泡飛ばして話していることがあるが、それは却って前頭葉を働かせるのでよくないそうです。 起きてしまったことを、クヨクヨするのは体に良くありません。 クヨクヨすると、免疫力が低下してガン細胞にも負けてしまうし、取り越し苦労は血液を固めて心筋梗塞や脳梗塞を引き起こしやすくします。 クヨクヨする心を解消するには、 「起きてしまったことはしょうがない」と自分を許す、 「俺はダメな奴だな。でも、命まで取られることはない。明日は明日の風が吹くさ」などと笑い飛ばしてしまうことです。 無理してでも笑っている間に、イライラも吹き飛んで楽しくなってくるものです。能天気の楽天主義が一番です。 もし、「俺はダメだな」とどうしても落ち込んでしまうときは、うまくいったことや人がほめてくれたことを思い出してください。 すると、「俺もまんざら捨てたもんじゃない」という自信が湧いてくるはずです。 腹を立てないことも大切で、徳川家康は天海大僧正から 「長寿の秘訣は腹を立てないこと」 だと聞いて、腹が立ったときには「腹を立つるは人の道にあらず候」と心中で繰り返したといいます。 それでも未だ腹の虫が納まらないときは、席を外して便所へ行き、声を出して先ほどの言葉を三度繰り返したと言います。 また、先のことばかり心配して不安からストレス一杯の人もいます。 早稲田大学の坂野雄二教授は、次のような実験を行いました。 被験者を押しボタンがついている椅子に座らせて、「目の前のスクリーンに星印が現れたら、0.5秒以内にボタンを押してください」と告げます。 予め自信の有無を尋ね、「自信がある」と答えた人と「自信がない」と答えた人の心電図の変化を調べてみました。 実験をしてみると、大部分の人が制限時間以内にボタンを押せたのだが、ボタンを押す前には誰もがドキドキして心拍数が高まります。 だが、「自信がある」人の方が、「自信がない」人よりもドキドキの度合いが低く、不安感が急激に増大しないことがわかりました。 この結果から、「嫌なこと自体がストレスを引き起こすのではなく、それをどう受け止めて対処するかがストレスのもとになる」と結論付けされています。 人は何か嫌なことが起きそうになったとき、それが解決できるという見通しを持っていれば情緒的に混乱しないが、自信がないと、それが大したことでなくても不安に駆られてストレスが高まるということです。 だから、何ごとにも自信を持つことがストレスを少なくするコツだといえます。 不安でストレスが高まっているときは、不安を次の二つに分けて考えてみてください。 ①どうしたらいいか分からないことからくる不安。 ②どうしたらいいかは分かっているが、自分にはできそうにもないという不安。 無闇に不安があるのではなく、どんな不安にも必ず因果関係があるので、まずその原因(「なぜ」を繰り返して真因を突き止める)と結果を明らかにすることです。 ①の場合なら、因果関係を分析して課題を明確にし、対処方法をよく考えます。 自分で良い解決方法が思い浮かばなければ、誰かに相談してみるのもいいでしょう。 ②の場合なら、自信をもってできるまで練習を繰り返すことです。 例えば、試験が不安だったらもっと一生懸命に勉強する、プレゼンテーションが不安だったら徹底的に準備しリハーサルすることです。 そういうことに没頭していれば、不運が入り込む余地もありません。 たったこれだけのことで、ストレスはかなり減少するはずです。 健康法も大流行です。 でも、病気にかからないように普段から注意することは大切だが、あまり神経質になりすぎると緊張が高まり、かえって病気にかかりやすくなるそうです。
2018.03.06
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突然死と陽気暮らし 人が健康であるためには、体だけでなく心も健康でなければなりません。そのためには、ストレスのない伸びやかな生活をすることです。 アメリカのエール大学で、プロの俳優を使った実験が行われました ・Aグループ フラストレーションを引き起こす不愉快な状況を想像させる・Bグループ 穏やかで安定し、平和な気分でいられる状態を想像させる これを数回繰り返した後で、さらに数時間、階段の上り下りを繰り返させ、その後で心拍数、血圧、呼吸の測定を行いました。 測定結果を比較してみると、 Aグループは心拍数も血圧も望ましくないレベルだったが、 Bグループは両方とも正常な範囲に保たれていました。 いかに普段から心を平安に保つことが大切かが分かります。 この世には、不安や怒り、恨みや妬みなど、ストレスの種は尽きないが、そんなものに何時までも関わっていては、ストレスが溜まって体に良くありません。 心を健康にする唯一の方法は、陽気暮らしをすることです。 人は誰でも『生老病死』をはじめとした108つの煩悩を持つと言われるくらいだから、この世に生を受けた以上、不愉快な目にあうことは仕方がないことです。 煩悩を滅することはできないが、心の持ち方次第で煩悩を抑えることはできます。 その時、避けられない運命だと受け止めてうまく順応していくか、あるいはそれに逆らってストレスに苛まれるかは、自分の心の持ち方次第です。 杏林大学医学部の石川恭三教授は、突然死に陥りやすい人の特徴を次のように語る。・自ら決めた目標を達成しようとする意思が強く持続的に行動する人。・好んで競争したがる性癖のある人。・出世意欲が盛んで、巧妙心に燃えている人。・絶えず時間に追いまくられながら、多方面の仕事を同時にこなそうとする人。・肉体と精神の両面での活動を、少しでも速くしようとする人。・肉体的にも精神的にも恐ろしく敏感な人。・血圧や血糖値が高めで、睡眠時間が短く、目が覚めるとすぐに活動ができる人。 つまり、上手に休養することができず、ストレスが溜まる人ほど突然死しやすいのです。
2018.03.05
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自然の治癒力を生かす 現代医学が自信を持って直せる病気は、二割にも満たないという米国の報告があります。 医者が病気を治すのには限界があり、八割は医者も良く分からないうちに治ったり治らなかったりしているそうです。 病気が治るのは、患者の中にある不思議な気の力の作用なのです。 医者は、その不思議な力に、医学の小さな起動力を与えるだけです。 病気には非常に精神的な部分が強く、患者の治りたいという気持ちや医者を信頼する気持ちだけで治ることもあれば、逆に患者に治ろうとする意欲がなかったり医者への不信感があったりすると治りません。 名医にかかるよりも、医者と患者の相性が大切です。 強度の神経症にかかって、福岡の大学病院に入院したAさんは、金に糸目をつけずに百方手を尽くしたがなかなか治りませんでした。 「福岡ではダメだ。京都の大学病院なら治るに違いない」と転院してみたが、やはり治りません。 「では、東大病院なら」と最後の望みを託したが、ここもダメ。絶望的になったAさんは、ある高名な漢方医を紹介されました。 すると先生は、丁寧に診断をした後で、こう告げました。 「あなたのこの病気は、あなたにとっては死病です。多分、あなたはこの病気で死ぬでしょう。しかし、最後に一つだけ試してみましょう。 この薬を飲んでみてください、昼夜二回飲んで、もし万一効き目があれば、明日の朝は真っ黒な便が出ます。そうなったらあなたは助かります。でも、多分この薬も効き目はないでしょう」 翌朝、「先生、私は助かりました。真っ黒な便が出ました」とあわただしく駆け込んでくるAさんの姿がありました。 漢方医は、「出たか!そうか、助かったのか」と手を取って喜びました。そのまま九州に帰ったAさんは、さしもの難病もケロッと治ったそうです。 その薬は、実は神経症の特効薬でも何でもなく、飲めば真っ黒の便が出るものと決まっているものでした。 つまり、暗示による確信が病を治したのです。 病気を恨んだり、落ち込んだりしていると、どうしても体に悪いホルモンが出ます。ところが感謝の心を持つと、自然と微笑みも出てきて、自然治癒力が働きだします。 病気になって喜べと言われてもなかなか難しいことだが、病気を苦にすれば苦にするほど悪くなります。 病気を恨まず、「生き方を変えろ」というシグナルだと感謝することです。 例えば、左手を骨折しても、右手でなくて良かった、足でなくて良かった、顔でなくて良かったと感謝することです。 そうすると、怪我も自然と早く治ってくるから不思議です。
2018.03.04
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