綴

綴

2006年06月30日
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カテゴリ: side story [紅の雪]
 艶のあるゆったりとした髪が狼暉の視界の中で揺れた。紅い花のような色の髪の中から徐々に顔の輪郭が見えるのが妙にゆっくりと見えるのは狼暉に後ろめたさがあるからかもしれない。
 狼暉達は玲鈴を助けた後、狼藉者達を排除しつつも、最速速度で胡主である麗蘭の執務室に駆け込んだのだ。駆け込んだまでは、いい。だが、実際に入って麗蘭の後ろ姿を見た瞬間、いや気配を察した時点で思わず回れ右をしたくなった。その衝動を必死に押さえる。
 羅家の無機質な執務室とは違い、華が飾られたり、女性らしい気遣いがかいま見える置物などがあり温かみがある空間の窓際に麗蘭は立っていた。麗蘭がこちらを見据えていることに狼暉ははたと気づき、さっと礼をした。
「これは、これは。“何か”御用かしら?羅家近衛軍の方々?」
 輝かんばかりの艶やかな笑顔に狼暉は引きつった笑顔を返した。冷や汗が背中を伝う。そっと目線を汪燕にずらせば、汪燕すらも形勢不利なこの状態に顔を微妙に歪めている。
 無理だとは分かっているが、いっそ睨み付けるなり、睥睨するなりしてくれたほうが、よほど今よりも気分は少しは楽であろう。
「御当主殿……」
 生来真っ直ぐな気質なほうである狼暉には、麗蘭に返す言葉が思いつかない。しかも麗蘭は狼暉にとっては
特別な意味合いを含む人物だ。狼暉にとって“至上”の人の友人。それだけで、怒らせたことに凄まじい罪悪感と居たたまれなさを覚える。

 狼暉は内心、声なき声でぼやく。
 大勢の、しかも屈強な兵士達を前に悠然とした態度は女性ながら、立派な覇気を備えている。生粋の戦士である狼暉からすれば、その覇気の強さがよく分かり、感嘆するしかない。
(普段ならば、感嘆だけですんだのだが……)
 今の状況では、それだけではすまない。
 麗蘭から顔を逸らさないで、すっと気配を感じ取れるように神経を研ぎ澄まして、後ろの様子を伺った。後ろで控えていた部下が麗蘭の覇気に圧倒され、困惑を通り越して硬直している。だから覇気の裏に微かに存在を匂わせる怒気に気付いていない。感じ取れ、と部下に言うのはあまりにも無茶だろう。だが、ある意味幸福だな、と狼暉は思う。うらやましい。
 微かに感じる怒気は密度が高くて、と言うより微かだからこそ恐い。
 どうも狼暉の親しくしている人間は、幸か不幸か、笑顔のまま内心怒り狂っているという器用な人間が多いようだ。しかもその怒りを鎮めるのではなく、冷やし、怜悧な刃に変えて、必ず報復する。物騒なことこのうえないような者ばかりだ。もちろん麗蘭も当てはまるだろう。推測だが経験に裏打ちされているので、多分間違いはない。
「この度は“とんだ災難”にお会いしたようで……“たまたま”“危険を察して駆けつけたのですが間に合わなかったようで」
 喉の奥にであげかけた悲鳴を押し殺しつつ、狼暉は汪燕に思い切り振り返った。
 白々しいにもほどがある台詞を、狼暉からしてみれば胡散臭い爽やかな笑みを浮かべながら、のうのうと言ってのけている神経に唖然とする。
 災難の大本も大本。それは羅家の襲撃だ。それを知らぬ存ぜぬと言わんばかりな態度とは一体何を考えているのかと狼暉は思う。汪燕はもとから火が燃えていたならば喜んで油を盛大にかける性格であると狼暉はよく、よく知っている。そのせいで迷惑を被ったことは一度二度ではない。

 盛大な文句が頭の中にある言語が収納された引き出しから溢れ出してくるのを狼暉は必死に押さえつつ、狼暉は麗蘭の様子を窺った。
 汪燕のふてぶてしい態度に麗蘭は眉一筋不快そうに動かさず、むしろ笑みを浮かべていた。
「いえ……狼藉者達を大勢捕らえてくださったそうで……感謝してもしきれない、ですわ」
 何故微笑みが般若の如く恐く、ほう、とため息をつかれつつされる柔らかな感謝の言葉が刺々しく感じるのだろう。 
 狼暉は辛うじて-己を精一杯制御した結果-表情に出さない。だが後ろの方から、部下か胡家の者であろう引きつった小さな悲鳴が幾つか聞こえた。気のせいだと狼暉は思いたいが、後ろで硬直し青ざめているであろう姿がありありと想像ができ、気を抜くとため息がでそうだ。

 冷えた麗蘭達の空気と、部下や胡家の人々の暑い視線が混じり合いこのまま雷雨を引き起こす雲でもできるのではないかと狼暉が半ばやけ、半ば真面目に思った時だ。
 不毛な空気を断ち切る、凛然とした麗蘭の声が部屋に響いた。
「あなた達は下がって……御二方、話があります。こちらへ」
 狼暉の部下たちだけでなく、胡家の者達さえでさえ反論を許さない笑顔だ。この場を支配している女帝は沈黙した場に満足気に頷き、すっと裾を翻し、執務室の更に奥にある-多分私室の1つであろう-扉の向こうに歩き出す。
 狼暉と汪燕は付いていくしか道はない。
 狼暉はここまできたら、きちんと麗蘭と汪燕の意図を理解していた。狼暉はようやく気が付いた自身に苦笑しかける。余程己は胡家が襲撃されたことに動揺していたようだ。だが、自身が動揺していると察知したからといってその感情を遠慮なく揺さぶる波が凪ぐことはない。凪ぐ時は、狼暉の“至上の人”の“愛し子”の無事を知った時であろうな、と確信している。狼暉はそんな自分に苦笑はしても、決して自嘲はしない。こんなことを考えるようになるほど変わった自分がどうやら誇ることはあっても、嫌うことは、嘲ることはないようだ。
 麗蘭と汪燕はこの場、“双方の部下がいる場所ではできない話”をしようとしていた。
 だから汪燕はきっかけを与え、麗蘭は酌み取った。理解はできたのだが、どうもそのきっかけは地雷すれすれのところにかするようにわざと投げられたかのように見える。いや、間違いなく確信犯だ。でなければ冬の風や雨に晒されるよりもよほど冷え冷えとした空気など発生しなかったはずだ。
 だがそれが幸いしてか、誰も疑いはしないだろうな、と狼暉は後ろに感じる残された者達の思考を正確に読みとった。麗蘭は三人きりになったならば羅家への警告と文句を狼暉達に伝え、狼暉達は反論し譲歩を求める、と言ったような部下達が介入できないことが行われるのだと思っているだろう。だから誰も何も言わないし、止めない。
 好都合なことだ、と思った狼暉は、ふと汪燕を見て、そして後悔した。汪燕は何を楽しんでいるのかわからないが、楽しげな笑みを浮かべている。狼暉は何故、この男と組んでいるのか今更ながら疑問に思い、すぐに考えることを放棄した。考えるだけ虚しくなるだけなのを、よく知っていたからだ。

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 落ち着いた色合いで統一された麗蘭の一つの私室は、女性らしさが垣間見えた。
「あなた達の手落ちよ、これは」
「返す言葉もありません」
 他者がいなくなった途端、麗蘭は怒りを少しも隠さない視線で狼暉達を眺めた。狼暉は明け透けな態度の方が、気が楽なので、先ほどより落ち着いた態度で返答した。
 その率直すぎる、と言うよりも素直すぎる返答に気が抜けたのか、己の態度に反省したのか麗蘭は軽く肩を竦めると右手で紅い華のような髪を掻き上げた。 
「……悪いわね、気が立ってるの」
「でしょうね……」
 狼暉は苦笑するでなく、真顔で頷いた。
 怒らないわけがないのだ。自分の配下の者を傷つけ、屋敷に土足で上がられた今回のことは、麗蘭の矜持心を踏みにじっただけではなく、胡家に関連する全てを踏みにじられたも同然だ。胡家を愛している麗蘭にとって許せるものでは決してない。
 だが、それでも怒鳴り散らしもせず、不平不満を狼暉達に漏らすのでない。ただ怒りを自分の中に収め、鎮火しようとする麗蘭の態度は立派である。それ故に駆けつけることが遅くなったことへ対しての罪悪感が疼きだす。
「……何があったか、聞いてもよいだろうか、胡主殿?」
 汪燕が多少砕けた敬語で麗蘭に問いかけた。
 麗蘭は怒るわけでなく、むしろ当然のように頷いて返事をする。
 そう、麗蘭は怒るわけがないのだ。汪燕の“以前”性格を知った時、非公式かつ人目をはばからない場所ならば狼暉共々別に敬称及び敬語は構わないとあっさりと言ってのけたのだ。
 だが、麗蘭を認め、多少気に入っている汪燕は別に敬語を使うことが-どこぞの莫迦相手の時と違って-苦ではないようなので仰々しい言葉を砕くに留めたようだ。
 汪燕と言う人間は構わないと言われれば、つい反対に顔を向けたくなるようだ。まったくひねくれた人間である。
「見ての通りよ…羅家の世間知らずのお坊ちゃんが、凶行を行った………あの執着を甘くみていたわね」
 狼暉は麗蘭から語られる惨劇の現状に耳を傾けるべく、麗蘭に視線で勧められた椅子に腰をかけ、姿勢を正した。





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最終更新日  2006年06月30日 21時51分26秒
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