綴

綴

2006年07月22日
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カテゴリ: 過去話 [紗の帳]
 青ざめ白くなった玲鈴の肌を、暖色の蝋の炎が覆う。その姿はまるで陶磁器の人形のように見える。驚きのあまりで瞬きの回数が減っているからでもあろう。
(もう用はない)
 日常の玲鈴の姿と比べれば生気があまり感じられないが、緋深は何の感情も抱かない。緋深は興味の欠片もない視線を玲鈴に一度投げかけると、さっと踵を返し、朔夜の部屋の中に入った。
 もう幾度も訪れた朔夜の部屋は、相変わらず人の気配を感じられない。緋深はそれが妙に悲しい、と思った。しわ一つはいっていない褥。使われた形跡のない妙に整い過ぎた家具の数々。ほんの少しだけ感じる人の気配の残滓は、朔夜のものではなく、胡家の女中の者である。
 朔夜は意図してやっているわけではない。無意識の行動の積み重ねの結果だ。だが、まるで“朔夜がいた形跡”を微塵も残さないようしているように思えてしまう行動は、いつか、ここから消え出ていくことを示唆しているように見えてしまう。緋深ですらその姿に痛みを覚えるのだ。朔夜の部屋、いや“居場所”を提供し、慈しんでいる麗蘭達は、どれほどの空しさに似た痛みを感じているのだ、と思う。よく耐えられると感心さえする。
(だけど……その痛みに耐えてさえ、引き留めたいものが、朔夜にはある)
 緋深は、慈しむように朔夜を見つめた。
 そっと褥の中央に朔夜を横たわらせる。眠りきった後に移動させるならば-床や木の板よりとても身体に負担が少ない-朔夜は褥で眠ることができる。己の手よりも小さく細い手に指を絡ませるように握り、もう片方の手で優しく髪を梳く。無表情の寝顔が、わずかだがふわりと穏やかな寝顔に変わる。
 それは緋深を心の奥に入れ、信用し、安心できる存在と認めてくれている何よりの、無意識の証拠だった。

 普段は手を握ると、戸惑いに目を泳がせ、指先は固かった。髪を梳けば、困ったように見上げてくる。傍にいても穏やな表情と言うよりも、何かに耐えるように眉を顰めていた。
 はじめは、嫌われているかと思った。緋深は、自身のしたことを思い返せば当然だと思ったが、どうやら嫌われていたのではない、と分かるのにそう時間はいらなかった。
 朔夜は、決して他人を嫌わない。嫌えない。朔夜が嫌い、嫌悪するのは朔夜自身だけなのだ。
(ずるい……よな)
 緋深の温かな笑みに、翳りがさっと通りぬけた。
 相手の人間の人格を全てを受け入れるくせに、自身が受け入れられることを良しとしない。それだけでも空しさを感じてしまう。だがそれ以外にも、朔夜は色々と問題がある。例えば相手からの悪意は受け入れるくせに、好意は受け取らないのだ。自身が受け取るに値しないと思っているのか、理解していないのか。何度緋深はやっていられるか、と思ったことだろう。
 それでも、離れられない。
 どんなに暗い感情も、歪んだ心も、朔夜は目を背けない。深淵の闇にさえあっさりと身を浸し、その奥にいる緋深を見つけてくれる。行動を、人格を一切否定されず、嫌悪なしに受け入れられることが何と甘美なことなのだろう。
 緋深には、今までそんな人間を知らなかった。少しでさえも受け入れてくれる人間などいやしなかった。だから、こんな甘美な毒に似た朔夜の優しさにどこまでも浸食されてしまう。
 朔夜の周りに集い、愛しみ、庇護する人間は、皆そんな人間達だ。毒になるかもしれないとわかっていても、いつか今まで意図して作り上げた自身を壊されるかもしれないと分かっていても、どうしても捨てられない。偽りを積み重ねた奥にある自分を見つけて貰えることの喜びを知ってしまったのだから。
(なぁ………受けいれてくれよ、眠っているときのように、さ……お前に影を落とす元凶は、排除する。傷つけるだけの主なんてもう近づけやしない。だから……そんなに怯えるなよ。朔夜、恐がることを止めろなんて言わない。けど………せめて俺の、俺達の前では安心してくれ。少しでもいいから、この、やり場のない感情を受け入れてくれ…お前を大切に想う心を、否定しないでくれ) 

 朔夜の髪を梳きながら、緋深は声なき声で、訴え、問いかけた。答えるはずがないと知って行っているというのに、意味をわかっていなくてもいいから「うん」と言ってくれないかと思うのは、矛盾している。
 緋深は自嘲を顔に刻もうとして、はっと表情を厳しくし、改めた。
 素早い動作で背後に振り返ると、朔夜の部屋から出てこない緋深を不審に思ってか、こちらを伺おうと朔夜の部屋に足を踏み入れようとしている玲鈴がいた。
「そこから、入ってくるなッ!……朔夜は、その範囲に入れば、目を覚ましてしまう」
「……え?」

 玲鈴は驚き、瞳を瞠るのに、引き下がる様子はない。吐き捨てるように緋深の声は充分な抑止力になったようだ。気圧されたように2、3歩後ろに引き下がる。
「何を……変なことを…」
 玲鈴の呟きは、正当なものではある。だが、緋深には嘲笑する主張でしかない。
 朔夜のことを何も知らない、無知なものだからこそ、言える言葉だからだ。
「自己防衛じゃねぇ?“知らない人”が入ってくると、自然と目が覚めるだよ。それ以上、踏み込んだら、気配を察して、起きるから、近づくな」
 緋深の言葉に玲鈴は、理解しにくいのか、怪訝そうな顔をする。切れそうになることを必死に押さえながら、冷え冷えとした温度の声を緋深は玲鈴に投げつけ、言葉を重ねた。
「あんたは、朔夜にとって“知らない人間”なんだよ…そこが、限界ぎりぎりの範囲だ。それ以上、一歩でも近づいて見ろ…強制的にでも排除してやる」
 緋深は、玲鈴から視線を逸らさずに掌で包み込める朔夜の手を先ほどより強く握りしめた。温度を分け与えるとともに、安心さえも与えるために。
 今は緋深が手を繋いでいるからこそ、玲鈴が部屋の前に立っていても、目を覚まさないのだ。一人であれば、とっくに気づき跳ね起きていただろう。朔夜の察知する範囲は足音が緋深が聞き取れるほどの範囲という広さである。
 だが、これでも察知する範囲は狭まっているほうなのだ。以前はもっと酷かった。人の体温が、息づかいが緋深でさえ聞こえない場所でさえ、その守人としての身体能力でか察知し、怯えて起きていた。
 緋深が朔夜と始めて見た時、朔夜はいつも寝不足なようにぽけぽけした、いやぼーっと態度だった。遠目で朔夜の姿を知覚した際は、いつも眠っていた。のんきなものだと、緋深は呆れていた時期があった。
 惰眠をむさぼっているようにしか見えなかったのだ。玲鈴と同じ様に。
 だが、真実は違う。朔夜は、眠れなかったのだ。女中が日夜控え働き、夜に警備で見回る者がいる。夜中に朔夜の部屋の廊下の前を通り過ぎる人間が必ずおり、その都度怯え、起きていたのだ。満足な睡眠がとれるわけがない。
(まぁ……この頃は、過去の睡眠不足を解消するが如く、寝てるけど。夜も寝てるのに)
 何か理由があるのだろうか。
 ふと、緋深はそう思い、苦笑しそうになるが、表情には一切ださず、玲鈴を睨み続けた。
「そ、それだけ、今まで、大きな声を、出しておいて……本当に、敏感なら……今も、起きてないなんて……そんなわけっ」
 まったくだ。
 緋深は心の中でのみ賛同した。玲鈴の言葉はいつも薄っぺらいが正論である。だがそんなもの緋深は笑い飛ばすように、不敵さを滲ませた笑みを浮かべた。
「覚ますかよ……“知らない人”だと、声や気配、何でさえも敏感に反応するくせに、“知っている、近しい人”だと声や気配にすらまったく反応しないんだ。怒鳴ろうが、少々乱暴に扱おうが…まあ、殺気にはさすがに反応するようだけど…」
 朔夜は主に使えていた時に、幾度も、幾十度も裏切られ、その恐ろしさを知っている。そんなこと、身にしみて分かっているのに、朔夜は安心して緋深の腕で眠る。裏切られたら、朔夜の命など簡単に奪われるということに気付いていないかのように。人が恐いくせに、人が嫌いになれない。人を恨んでもよいはずなのに、人を憎めない。一度信じてしまった人を疑えない、不器用な生き方がらしい、と緋深は思う。
(……信頼してるからじゃなくて。空気のように感じ、存在を意識していないだけかもしれない、けど) 
 だが、それではあまりにも虚しいような、切ないような気がするので、緋深はそうでないと思いたい。
「本当は、あんたの声も、聞かせたくない」
「…………っ」
 言葉を詰まらせた玲鈴に、緋深は最終告知をした。
「………あんたにこんな話、したのは別に朔夜を哀れんでもらうためじゃない。あの“異端”を見るような目で見ないようにするためだ……“守人”って言う畏怖、いや忌避される存在の範疇で見るんじゃなくて、“朔夜”として認めろよ」
「……わ、私、は」
「別に、あんたなんかに朔夜を理解なんてして欲しいとは思わねぇけど…ただ、朔夜にこれから近寄るなら……朔夜は今心理面が危うい状態なんだ。考慮し、配慮できないなら、朔夜に関わるな……近づくな。朔夜の視界に入るなよ」
「…………っ」
 声を詰まらせて、顔を歪め、踵を返して駆けだした玲鈴を冷めた瞳で緋深は見つめた。 





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最終更新日  2006年07月22日 21時08分19秒
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