綴

綴

2006年10月02日
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カテゴリ: side story [紅の邂逅]
「………頼む。朔夜を……助けて、くれ」
 緋深の決意をこめた一言で静かで、どこか重く張りつめた空気が一気に入れ替わった。息苦しさは消え、雪以上に冷たく感じていた凍えるような威圧感は消える。
 肌に感じる空気の変化にふと緋深が顔を上げると、慈愛に満ちた光を湛えた瞳がこちらを見つめている。ふっ、と浮かべた女性の笑みは、さすが顔立ちが美人、としか評せない-の割には緋深は今の今まで全然気付いてなかったが-からか思わず向けられる緋深は意味もなく照れそうになった。
 綺麗だ、と緋深は素直に思った。白い肌の輪郭に漆黒の髪が滑り落ちるように沿う。先ほど見透かすようで恐ろしい、と思った瞳も今は夜の闇の色で、まるで包み込むようだ。白い雪の上に椿の花が一輪落ちたように紅い唇が描く弧は美しく、先ほどまで緋深を苦しめていたものと同じとは思えない。
 透明で、皓く眩い笑みだった。まるで月のようだ、と思ったのに緋深は驚く。
(……同じだ…)
 緋深は月のようだ、感じる笑みを見たことが以前あった。
(朔夜と、同じだ………)
 いつも歪んだり翳ったりしていた朔夜が初めて緋深に向かってふわり、ほわりと初めて笑った時、緋深は同じことを思ったのだ。たった片手で数える程度しか見たことがないが、今も決して色あせることなく心の奥底に刻まれている。

 思わぬ一致に緋深が驚いていたが、それはほんの数秒だった。はたと自身を取り戻した緋深は、何故か悔しく思い-何にかは本人にもよくわかっていなかった-ぶっきらぼうな雰囲気を纏い直す。
 女性は朔夜を楽な体勢にするように抱え直しながら、緋深に向かい尋ねた。
「すまないが、馬は一頭しかいない。この子を一足先につれていくが、いいだろうか?」
 緋深は咄嗟に首を横に振りそうになるのを、怒鳴ることを必死に留めた。わざわざ緋深-自身より歳が下である小僧-に断りを入れてくれる誠意に、敵意を向けることはさすがにできない。
 だが、女性を信用したわけではないのだ。朔夜と引き離されるのは、認めがたい。
 どうすべきか。
 そのような緋深の感情を読みとったのか、女性は苦笑する。
「この子の症状は、かなり悪化している。これ以上、雪に晒したくない…大丈夫だ、ちゃんとこの子と同じ場所へあなたもつれていく。そう遠く離れた場所に村があるわけではない。足で追いかけてもすぐに追いつく。そんなに心配なら早くこの子のもとへ頑張って、歩いてきてくれないか?」
 緋深は、内心白旗をあげた。青ざめ、震えている朔夜を見てしまうと、反論のしようがない。不承不承頷く緋深に女性はふ、と小さく笑い頷き、馬を連れてくる、と朔夜を緋深の腕に預けた。女性の黒衣に縋っていた小さな指先はするりとほどけるのが緋深の目に、妙に印象深く残った。
 腕の中に、体温こそ感じないが確かな重みが伝わった。首を少し下に俯かせれば青白い朔夜の顔が近くにあり、小さくか細いが吐息が聞こえる。思わず腕に力が入った。それに安心したように、朔夜の身体が弛緩し、重みが増したと思うのは、思い上がりだろうか。
「それでも…………」

 骨が入っていないのではないか。そう思ってしまうほど指は力無くだらりと宙を浮いている。先ほどしっかりと黒衣を握っていたとは思えないほどだ。
 寂しい、と緋深は心痛に思う。悔しさも、何でだ、という怒りもある。やりきれない思いだけが胸の奥底を渦巻いて、正直この想いを投げ出したいとさえ何度か思った。だが、それでも。
(この腕の重みが……愛しいと、大切だと、思ってしまう………捨てられないんだ)
 一度強く瞳を閉じ、緋深は気持ちを切り替える。今は、考えたくなかった。少なくとも、朔夜の傍で、こんなことを考えたくはない。
 八つ当たり-と緋深は思うが、第三者が考えてみればそうでもない-怒りを緋深は朔夜にぶつけたくはなかった。朔夜の心の奥に残る傷が、緋深が刻みつけられるもの、というならばかなりの魅力を感じる。だが、決してそうはならないことを緋深は知っていた。傷つけることすらもできないのであれば、朔夜にとっては苦痛でしかないかもしれぬが、温もりを少しでも与え、身体に記憶させるだけだ。優しい言葉、温かな手の温度、抱きしめてくれる腕の強さ。それらは決して忘れようとしても、忘れられないものだと緋深はよく知っていた。朔夜に『拾われた』あの時から、体験を通し教え諭さたことだ。

 気持ちを切り替えようと思い、これからどうすべきか。そう考えてみたとき、ふと、そう思った。最初は何をばかばかしいことを自身は考えているのだろう、と思ったがふ、と緋深は真面目にその案を考え直してみる。
 病人の朔夜を抱えて馬に乗るのだ。急ぐ、とは行っても揺れなどを気にすればそう大した速度は出せない。普段の緋深ならば可能である。だが雪で足取りは悪いし、何より緋深の身体事態も病人、と言っても過言ではない。すでに弱った体を酷使しすぎている。まだ鞭を打てば動かないことはないだろう。だがそうしてしまえば、緋深にとって良い結果にはなりえないだろう。
 緋深の莫迦な-本人は至極真面目で、しかも莫迦だという自覚症状はあるから厄介な-考えを更に煮詰めようとするのをくい止めるように、急に頭が重たくなった。ずしん、いきなりと重たくなった頭に驚いていると耳に低く響く声が飛び込んできた。
「安心しな、坊主。俺がちゃんと、村まで連れて行ってやるんだからな」
「っ?!」
 緋深は思わず顔を上げる。こちらをにやにやとした笑みを浮かべながら頭に体重をのし掛からせている男の言葉に愕然とした。目に飛び込む金糸や銀糸の豪奢な刺繍の衣が、目の奥でちかちか写り痛い。
 少し考えるとわかるが、まさかなのだろうか。緋深は内心、否定してくれ、と思いつつも考える。
 四から二を引けば、二が残るのは当たり前だ。わかっているはずのことだが、どうやら無意識にその可能性を排除していたようである。
「冗談だろう……」
 唖然とした緋深の言葉に、男は何を思ってだろうか、尚更楽しそうに極悪-緋深にとっては、だが-を表情に上乗せする。
「何だなんだ?俺がいなけりゃ、『大事な嬢ちゃん』に追いつけないんだぜ。わざわざこの俺が道案内を買って出るんだ、ありがたくおもいな」
「頼んでいない!そんなもんっ」
「ほお…雪山の中を惑いに惑ってでも村に辿り着く気か?それとも根性で先生の馬を追いかけるつもりか?」
「っ!」
「図星か」
 にやにやと楽しげに笑う男に緋深は怒りが我慢と言う枷を振り切りそうになるのを感じた。男はそんな緋深に気がつかないのか緋深の頭に大きな手を髪をぐしゃぐしゃにする。
「やめっ」
「阿呆なことを考えるな。何というか、青いねぇ」
 褒めたように、感心したかのような口調すら、怒りを煽るしかしない。紅い瞳をきっ、とつり上げ、緋深は
蹴りを繰り出す。怒りに身を任せた、というにはあまりにも冷静に急所を狙っており、更に人一人を抱えているとは思えないほど軽やかで素早い攻撃だった。だが奇襲にも似た攻撃を男は悠々と避ける。
「お前に貸しを作るぐらいなら!………阿呆で結構だっ」
 あまりにもはっきりと言い切った緋深の宣言に、男は一瞬目を見開き、次の瞬間呵々と楽しげに大笑いをした。緋深は豪快な男の笑いに、朔夜さえ抱えていなければ今すぐにでも殴りかかるほどの怒りと反発を覚える。
「おまえ……いい反応するな。気に入った」
 緋深としては全然嬉しくない。性格の不一致からか、生理的に合わないとしか言いようがない男から気に入られても緋深からすれば願い下げである。
 近寄られ、首根っこを掴まれ引き寄せられても、ただでさえ男に触れられて嬉しいわけがないのに、この男だと尚更だ。頭を撫でる手も、子供扱いで気に入らない。しかも
「暴れると、『大切お嬢ちゃん』に響くぜ?」
 と脅してくるのだ。あまりにも目の前の男を緋深は好きになれるはずがないので、嫌いになる要素しかわざと提示して来ているのではないか、と疑ってしまうほどである。
「獅吼……あまり、苛めるなよ?」
 清廉な声と共に、真っ白な世界の中から女性が現れた。全ての景色が白い中、黒衣を纏った細い肢体と黒毛の良馬は異質だ、と一瞬思う。だがすぐに考えを改めた。まるで一枚の風景画のように自然と溶け込んでいるように見えてきたのである。不思議な人だ、と緋深は妙な気持ちで感心をした。
 女性は男に首を掴まれ、雁字搦めになっている緋深を見て困った奴だ、と言わんばかりの表情である。
「人聞き悪いぜ、先生。誰か苛めてるってんだ?」
 首の辺りを太い腕で締め上げられながら、更に頭をぐしゃぐしゃにされる。怒鳴りつけようとしても上手いことに、息は辛うじてできるが喋ることは難しい案配に首が絞まっている。
 じたばたと藻掻くが、それでも腕は離れず-当たり前だ、朔夜を両手に抱えたままなのだから-、大人しくしろと言わんばかりに力が加わってくる。
「な?見えないだろう?」
「お前が、その子を苛めている。と、いうより遊んでいる、か。まあ、どちらにしろそうとしかみえないのだが」
 男の白々しい言葉を、女性はあきれかえったような口調で否定した。男は悲しいな、とおどけたように言い肩を竦める。
「年輩者として下のものを可愛がってるだけだぜ、俺は」
「言動が伴っているように思えないがな。それにお前がそう言うことを口にすると、嘘臭い」
「ひでぇな」
「結構だ。とりあえず、放してやれ」
 女性の一言で、するりと男の手は首もとからなくなった。あまりのあっけなさに緋深は呆気に取られる。
 何なのだ、この態度の差は。いや、差があるのは当然すぎるとしても、だ。この野生の肉食獣のような男の手綱を取っている女性は一体、何なのだ。
「大丈夫か?」
 女性は男をあっさりと従えたことに当たり前のように平然と、微笑みすら浮かべながら緋深の安否を問いかけてきた。
 それにまだ驚きに瞬きつつも頷くと女性はするりと指を差し出してきた。
「責任をもって、預かると約束しよう」
 女性の言葉に緋深は、一瞬腕の中で気を失っている朔夜を見つめた。青白く、まるで蝋人形のような朔夜に生気が感じられなかった。
 助けるには、預けるしかない。
 理性では分かっているのだが、感情が緋深の邪魔をしていた。
(………我が儘を、言っている場合じゃない)
 緋深はそう言い聞かせ、ゆっくりと朔夜を黒衣に包まれた腕に預ける。
(……朔夜に、何かあったら………殺してやる)
 殺気すら混じった強い感情を紅い瞳に込め、緋深は女性を見つめた。
 相手を灼き殺さんばかりの視線に、女性は淡く微笑んだ。





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最終更新日  2006年10月02日 18時28分59秒
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