綴

綴

2006年11月03日
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カテゴリ: side story [紅の邂逅]
 目の前を漆黒の艶がある髪が ふわりと揺れた。そう知覚した瞬間には、女性の姿は消えていた。緋深は視線をすっ、と横にずらす。視界の端を黒馬の後ろ姿が白銀に染められた木々の間に消えていくのが辛うじて見えた。

 緋深はもう呆れるしかなかった。
 気を失った人間を膝に乗せるようにして抱えているにも関わらず、馬を自身の手足のように自由に扱い、足場の悪い雪の上を軽やかに駆けさせる。正直緋深は人間技じゃない、と思う。だが、あの女人に対しいちいち驚いたり、呆気に取られるのは疲れるだけだ、とも同時に思うのだ。深く考えたり、気を取られるだけ莫迦をみるだけである。もう、あの人は『あんな人』なんだ。考えても仕方がないんだ。そう思い込むしかない。
 朔夜と出会ってから、緋深は“非常識”な人間と多く出会うことが多くなった。なので対処方法を自然と身についていた。悟り、諦め、深く考えない。これに限る。そういう人だ、で納得するしかないのだ。ちなみに、この場合の“非常識”は、常識がないわけではない。常識で図れないほど器が広かったり、身体的に優れていることを指す。
(…………結局、こいつと二人、残されてしまった)
 緋深は憮然と立ち尽くす。ちらりと視線を横に移すと、男が気が付いたのかにやりと笑う姿が映る。それに苛々とし、血圧が上げるのを感じながらも、なるべく平坦な声を投げつけた。
「………おい」
「目上に対する態度じゃねぇな。ちっとは礼儀の一つでも身につけねぇと」

 ぴしゃりと緋深は男の言葉を跳ね返した。
 何が悲しくてこの常識と、良識と、礼儀ととっくの昔に縁を切った、いや三行半をつきつけられた男にそういう言葉を言われなくてはならない。
 緋深は改めて男を真正面から見た。いや、睨み付けるように観察した。
 華美、というよりも『度が過ぎた派手』という言葉がしっくりくる服を、自然に着こなし、華麗な印象に昇華させている。緋深から見ると趣味が悪い、としか言いようがない服がどうしてそういう印象に変わってしまうか大変不思議なのだが、だが客観的に見てみると、どうもこの男にしっくりとくる服に見えてくるので妙なものである。
 そんな莫迦みたいに値がかかりそうな服を着ている割には男は他に何ら着飾ったところはなかった。化粧や装飾品を付けていない、だけではなく顔には無精髭すら生やしている。髪も軽くなでつけた程度だ。普通ならば、そのちぐはぐ感に不相応な服を無理して着ているように取られかねないほどだ。
 だが、男は違った。無精髭がうっすらと顎と頬の線に沿うように生え、それが妙な色気を発している(と緋深が女性ならば思っただろう。だが実際、緋深が思ったのは怪しい雰囲気を纏っている、であった。)撫でつけただけの髪も、とても自然なように映るだろう。真面目な顔さえしていれば、女性が放って置かないような色男だ。けれどもにやにやと笑う表情や、色悪な雰囲気などのせいで、どう考えても遊び人である。
(なのに……力がある。俺を凌ぐほどの)
 緋深からしてみれば詐欺だ、卑怯だ、ずるいなど色々と文句を付けたくなる。それが八つ当たりであろうが、的はずれな文句であろうが知ったことではない。
「その村とやらの方角はどっちだ」
 緋深は早く朔夜を追いたい一心で、目の前の男を無礼なまでに直球な言葉で問いただした。男は軽く目を瞠り、くつくつと楽しげ-何が面白いか緋深にはさっぱりわからないが-に笑う。
「やめといたほうがいいぜ?あの嬢ちゃんと、また再会したいなら、な」

「どういう、意味だ…」
 地に這うような声にも、膨れ上げる研ぎ澄まされた殺気にも男は動じず、むしろそのある種、健気とも言える反応に目を細めた。見る者によってはそこに暖かな光が見え隠れすることに気がついたが、あいにくと緋深は気がつかない。天敵とも言っていいほど生理的に合わない―と思っているのは緋深だけだが。何せ男は『気に入った』そうなのだから―男は緋深をからかう色を消していないので、ただおちょくっているようにしか思えないのだ。
「これは冗談じゃねぇよ。まぁ、話を聞け」
「あんたが村の在り場所を吐くなら聞くが、それ以外に耳を傾けるつもりはないっ!」
 緋深の怒鳴り声にも飄々と男は肩を竦める。

「……っ…………何故?」
「お?ちゃんと話を聞く気になったようだな」
「っ…………!!!」
 緋深は必死に、何度も切れている忍耐の糸を紡ぎあわせつつ、怒りを宥める。小刻みに震えている肩が、その努力のほどを示していた。
「結論からいうとな、村周辺には結界が張ってあるからだ」
「………は、ぁ?」
「うちの村には、な。大変優秀な術師集団がいてな。そいつらが年がら年中結界を張り巡らせている」
「…………」
 緋深は盛大に顔を顰めながら訝しげに男を見た。冗談だ。そうとしか思えない内容なのに男は若輩者を言い聞かせるようで、それでいて仰々しい態度でこちらを見ている。
 緋深は、基本的にそういった不可思議なものを認めていない性質だった。理由は単純にそういった類のものと遭遇したことがないからではある。
 皓国は、王族、貴族を中心とした一般的な王政国家と思われている。それは間違いではない。だが根本を辿ってみると宗教国家色も多大に含んだ国でもあった。三神を王よりも上に奉り、王はその加護を受ける。その構造は皓国建国以来、揺るがない。辺鄙な場所にある村人や、愚かな貴族でさえ、三神の存在を認め、信じ、奉った。そこまで三神の存在が信じられているのは、架空の存在ではなく実在するからである。そして幾度も国を救ってきた。その実績と、圧倒的な力に、皓国の民はひれ伏し、畏怖するのであった。
 神が信じられ、不可思議な力を使う。神が使うのでそんな原理が不明な力も信じられる。なので、神の力をかり奇跡を起こす神官や、摩訶不思議な力を使う術師の存在も皓国の者ならば誰でも信じた。
 緋深はその点から考えれば、変わった存在であった。緋深は自身で経験したことしか信じない。自分の勘と経験と思考にしか信用ならない。他人の言葉など、信じらない。そんな過去を送ってきた緋深からすれば、見たこともない奇跡も摩訶不思議な力も、眉唾ものでしかない。
「結界…ねぇ」
 漠然とした想像しか浮かばない。しかもそれは見えぬ衝立程度であろう、という想像力の乏しい考えである。想像力が欠如しているわけではなく、真面目に考えていないのだ。
 まるでそれを見越したかのように、男はにやりと笑った。
「あんま侮んないほうがいいぜぇ?何たってたちの悪い結界だからな」
 そうはいわれても、である。見えぬ衝立のたちが悪い、とはどういうことだろう。ただ立ちふさがるだけでなく追い掛け回されたりするのであろうか。粘着質で一度触れると離れない衝立だろうか。近寄ると侵入者に向かい倒れ、押し潰すのであろうか。
 なるほど。もしそうなら確かにたちは悪いだろう。
(……………すげー、笑える光景) 
 自身のあまりにあまりすぎる考えに、緋深は小さく、苦く笑った。
「たちが悪い?」
「ああ。何たって招かれざる客が一度で結界内に入ったら最後。霧の迷宮に迷い込んだかのように、永遠と結界内を彷徨い続ける羽目になるぜ?しかも同じようなところを彷徨っている感覚じゃないときた。歩いても歩いても、変化がない。確かに地面を蹴り歩いているはずなのに、視界に写る光景はほとんど変わらない。気色悪ぃよな。そのうち自分の感覚が信じられなくなってくる。野垂れ死ぬか、狂い死ぬか。どっちも俺なら遠慮したいねぇ」
「……」
 緋深は口元が引きつるのを感じた。前面的に男の話を信じたわけではない。だが、もしその話が正しい、とすれば大そう捻くれ、たちの悪いものである。悪いにもほどがある。とても目の前の男のようにどこか楽しげに軽々しく口にするものではない。笑い話、というよりはむしろ怪談か拷問である。
「何だよ、それ……」
「ん?」
「なんで、そんな…なんて言うか、妙に手の込んだもんがあんだよ」
「“禁足地”と“先生”を守るためだな」
「そういうことかよ」
 緋深は男を睥睨しつつ、一気に思考をまとめ上げた。
「適当に迷わせて帰らせるより、侵入者が帰ってこないほうが都合が良い、というわけかよ。確かにそんな怪奇現象が起きていたら、誰も近寄りもしない、ってことか」 
 そして、そのような些細なことで手を血に染めても、守りたいと、守り抜かないといけないわけだ。“禁足地”と“あの女性”を。
 緋深の出した答えに男はにやりと笑った。
「半分は正解、といったところだな」
「……もう半分は?」
 男が更に意地の悪そうな笑みを浮かべる。緋深は咄嗟に嫌な予感を感じ取り、距離を置こうとしたが遅かった。
 男が急に緋深の胸を突いた。体勢が崩れ、思わず緋深は尻餅をつく。緋深の体はすでにボロボロで受身を取ることさえできなかったのだ。
「なにをっ……」
 緋深の怒声が発せられそうになるのを、片手で男は制し、にんまりと笑って、口を開いた。
「それはな、その結界を作った張本人である術師自身が『性格が悪く』て、『たちが悪い』からだ」
 言葉が男の口の中から楽しげに飛び出すと同時に、網膜を焼きつくすような閃光が周囲に弾けた。





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最終更新日  2006年11月15日 21時29分15秒
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