綴

綴

2007年01月06日
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カテゴリ: side story [紅の邂逅]
 門を通りすぎ、一直線に村の中央にある大きな屋敷に緋深は通された。
 すでに獅吼達と出会って数刻が経ち、薄暗から墨染色に変化した闇の帳が村全体を覆っていた。緋深が歩く廊下には細い蝋燭で炎が灯されている。
 薄暗い廊下を、先ほどまでとは逆に緋深が獅吼を急かすようにして歩いていた。現金なことに、一歩踏み出してしまい、尚かつ朔夜との距離が縮まっていることが分かると、いきなり緋深の心が急かし立ててきたのだ。獅吼が面白そうににやにやと笑っているが、もう、今はどうでもよかった。涼は苦笑し、朱鷺風は呆れていることにも、一切気にはかからない。
「ここだよ」
 涼の声に緋深は足を止め、真横にある襖を見つめた。
 空から枯れることなく降り注ぐ雪に対抗してか、中では火鉢などで暖をとるため、火を熾しているのだろう。襖にしっかりと張られている和紙が赤丹色や蘇芳色、黄丹色など、揺らめきながら様々な色に姿を変えていた。
(この中に……朔夜が)
 中が明るいことに、少々緋深は眉を顰めた。
 心の準備がしっかりとできているとは言い難いのだ。この明るさならば襖を開けた瞬間、否応なしに緋深へ事実を突きつけてくるであろう。

 蹈鞴を踏む時間すら惜しい。火が熾きているということは室内は適温以上であり、朔夜の身は凍えから遠ざかったのだ、と前向きに考え直して、意を決して緋深は襖を半ば勢いよく開けた。
 手頃な大きさだが上品な造りの一室だった。あえて言うならば、物が必要最低限しか置かれていないことが気にかかるほどだ。だが殺風景とは言えず、むしろそうならないよう小さいが清楚な華が飾られる配慮がなされている。その華以外には火鉢と、小さな卓、掛け軸、数人の人と、そして白い布団だけだ。
 白い布団にくるまれ、穏やかな呼吸で眠る朔夜を視野に入れた瞬間、何かが胸の奥で弾けた。
 泣き崩れたいほどの安堵を、緋深は生まれて初めて知る。血圧が低くなり青白くなってはいるが、か細く、だがしっかり命を脈打つ朔夜の手を握りしめながら、心から安堵の息を吐いた。
「朔夜………」
 自身でこのような、掠れ、だが万感の想いを込めたような声が出せることに驚きつつも、何故か恥じようとは思わなかった。
(よかった………)
 その言葉しか、心の底から湧いてこない。ただ、ただ何度も同じ言葉を噛み締めるように、頭の中で転がすだけである。
 白い手から視線を外し、朔夜の頬の輪郭をなぞるように顔を見つめる。
 肌がやはり血色が悪くなり白い。一見白い肌に炎の色が移り錯覚してしまいそうだ。だがそれでも雪を塗り固めたような肌の下に血は通っているはずである。緋深の手の中で脈打つ手の鼓動と同じ音で。
 頬から肩へ、そして腕、また肩に戻り、次は身体の線を辿り、最後は足先まで。一通りざっと視線を滑らせるが、どこも欠けてはいない。

「そこまで」
 大柄な、坊主頭の意外と若そうな、それこそ2、30代の男だった。
「手を、離すんだ」
 にかっ、と豪快な笑みを緋深に向けつつも、断言の口調で告げた。
 若干-どころではないが-気分を害した緋深は、不快感に眉を顰めつつも、男を冷静に観察した。大柄で体格も良く、精悍でありつつも武骨な容貌から武家の者ではないかとも思う。だが、そう思うには坊主頭と袈裟姿が否定を表明していた。恰好から推測すれば『浮屠[ふと(仏教徒)]』であろう。浮屠に関する数少ない知識を掘り起こせば、確か殺生を禁止という、平和主義的思想だったはずだ。自己を磨き上げ、悟りの境地を目指す、他の宗教と違って己に視線が向かっている、珍しくあまり害のない“宗教”というのが、緋深の印象だ。

 まず袖に(常人なら気が付かないように、だが武道に通じているものには見せ付けるように)隠されている小刀。浮屠に必要がないであろう手に装着された籠手。袈裟の下に着込んでいる鎖帷子の微かな音。部屋の隅に置かれている使い込まれた形跡がある槍。そして男自身の戦うため鍛え上げられた、強固な筋肉。
 浮屠を装っているか、破戒僧と呼ばれる者か。いずれにしても。
「……そんなこと、言われる筋合いはない」
 男が朔夜との接触を禁じる権限を、持ち合わせていないことだけは確かだ。
 睨み付ける緋深を少々呆気に取られたように目を瞠り、男は高らかに、あははと豪快に笑い出す。雪に音が食べられたように静かだった空間を、空気を揺るがすように大きな声で、だ。これには緋深のほうがぎょっ、とする。
「いや、悪い悪い」
 男は頭に右手を添えつつ、謝罪をするが顔は満面の笑顔だ。説得力がないにも甚だしい。睥睨するような緋深の視線に、男はにやりと笑みを変化させ、指を1本ずつ順にたて、合計2本を立てながら緋深に告げた。
「まず君に治療が必要であること。それに、その年期の入った凍り付いている手甲で、患者の手をいつまでも握られるわけには駄目だな。医者として、重病者の扱いには口を出さざるえない」
 慌てて朔夜の手を離した。確かに長年使用している手甲はもうボロボロで、少々錆び付いている。しかも指先は室温に少々温められたとはいえ、まだまだ冷たい。
 朔夜への配慮が、抜け落ちていた。そのことに緋深は愕然としつつも、聞き落とせない単語を男に聞き返した。
「い………しゃ?」
 この男は、先ほどそう言ったのか。本当に。
 否定を求めつつ尋ねられた言葉に、男はあっさりと頷いた。
 冗談だろう。
 緋深は失礼なことに、男の言葉を疑っていた。確かに浮屠の中には医療従事者もいるとは聞いたことがある。だが目の前の男が、と首を内心捻る。
 どうやっても男からは良く言えば大柄、悪く言えば大雑把な性格、という印象を受けるのだ。豪快な笑いかたから、そう思うのだろうか。それにしても細かく、しかも研ぎ澄まされた技術が必要な医術を習得しているようには到底思えない。
 顔に怪訝そうな表情が出ていたのだろうか。何故か愉快気に男は笑いながら、緋深の髪をかき混ぜる。
「『禁足地一』の医者を捕まえて、失礼な坊主だ」
 坊主はあんただ、と思いつつも、緋深は禁足地で一番、という腕前に疑念を抱く。
「………禁足地の医者って、あんただけなんじゃ」
「よくわかったな」
 あっさりと肯定され、緋深は転けそうになる。
 冗談であろう、とは緋深も分かっている。禁足地は予想していたよりも規模が大きい。閉鎖された村で医者が一人というのはあまりにも危険で、あり得ないことだ。
 だが、男の言葉はある意味正しいのかもしれない。信じるならば、男が朔夜を治療したことになる。足を切り落とすかもしれない、と言われていた症状をどこも欠けさせることなく治したならば、かなりの腕前ということになる。
 ならば目の前の男が、獅吼らが噂していた凄腕の医師なのか。
「…………あんたが、『セッカ』?」 
 あまり名前が似合っているとは思わないな、と失礼なことを思いつつ尋ねると、部屋の空気が氷った。いや、止まった。
 弾けるような笑いが、部屋から零れた。
 男はもちろんのこと、今まで退屈そうに傍観していた朱鷺風や獅吼、涼までもが笑っている。豪快さや、声の大きさはそれぞれ違うが、皆非常に可笑しい、と言わんばかりである。
「あはははは。俺が、か?」
「信じられねぇ、どうやればそうなるんだよっ」
「こりゃ、傑作だ」
「面白いこと、言うね」
 口々に好き勝手を言っては、笑っている。状況が把握できない緋深は、何故笑われているかわからない。
「何で、笑うんだよっ」
「このハゲが、雪の花、なんて可愛らしい名前なもんかっ!」
「雪の花っ?!」
 朱鷺風の笑い混じりの絶叫に、緋深は目を剥いた。繊細な名の響きから、漢字を推測をしていなかったが、これは予想外もいいところである。どうやっても、目の前の大きな坊主からは想像も付かない名だ。赤珂、夕耶など、『セッカ』に当てはまる名でも似合うとは言い難いのに、よりによって、だ。
 確かに、笑われるわけだ。頓珍漢な問いかけの極みである。
 雪花、という可愛らしい名前ではないかと勘違いされた男は、笑いを収めきれない様子のまま緋深に向かい、手を差し伸べた。
「俺の名前は、刺桐【しどう】だ。刺す、に落葉高木の一種の桐、で刺桐だ」 
 似合いの名である。雪花よりも、余程。
 どうも気恥ずかしさと、後ろめたさに似た感情とに後押しされ、普段なら握り返そうとしない握手を求める手に、緋深は手を差し出した。後ろから聞こえる、獅子が吼えるで獅吼、清涼のリョウで涼、鳥の朱鷺と風で朱鷺風だ、と‘きちん’と楽しげに注釈を入れている獅吼の声は聞こえないふりをしつつ。
 ようやく笑いが雪に吸収され、静寂が戻り始めた頃、襖がすっ、と開く。
 下半身に届きそうなほどの長く美しい藍墨茶色の髪に覆われた顔にある、一見冷たそうにもとれるほど冷涼とした印象を受ける切れ長の目が印象的な、美しい女性がいた。
「雪花」
 刺桐の呼びかけに緋深は、いっそ穴があったら入りたい気分になった。



漢字って、面白いですよね。
音が一緒でも、使用される文字で、意味は大違い。





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最終更新日  2007年01月06日 17時10分47秒
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