綴

綴

2007年01月12日
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カテゴリ: 【幻】 -第1幕-
 いつもの起床を告げる鐘の音が耳に飛び込んできた。全身の筋肉をバネのように使い、布団の上を跳ね上がるように飛び起きる。捲り上がった掛け布団の隙間から風が入り込み、躰を撫でた。
「………っ」
 絶叫を上げずに目を覚ましたことが信じられなかった。
 喉に未だ血の固まりがこびり付いているようで、気持ちが悪い。何度深呼吸しても怖気は一向に消えず、いっそ嘔吐でもすれば楽になれるだろうか、と本気で睦月は悩んだ。白く清潔そのものなシーツを汚すなんて真似、自分にできるわけがない、と思いながらも。
 全てを吐き出せたなら--どれだけ、どれだけ良いか。
(……そんなことをしたら、‘心配’をかけてしまう)
 震える体を必死に宥めつつ睦月は奥歯を噛み締め、油断したら飛び出してきそうな弱音と悲鳴の頸もとを狙い、絞め殺した。表出がかなわなわなかった声達は虚しく身体の奥底へ沈んで消えていく。
 声にも、肉と骨と血があるのだろうか。夢から覚めてもまだ全身に纏まりついていた血の濃度が、増したような気がした。内臓の辺りで死に絶えた声達から流れ、溢れ出している血が口からこぼれ落ちそうだ。
(大丈夫……大丈夫、あれは夢なんなんだから)

 何度も、何度も同じ言葉を脳内で繰り返し、不安の上に『大丈夫』と言う言葉で塗固し、塞いだ。始めからなかったことにするために。あんな夢、忘れてしまえばいいのだ。
 まだ僅かに震える躰を叱咤しつつ、睦月はふらふらと箪笥に向かった。目覚ましはとうに勝手に力つきている。復活するまでにはまだ時間があるはずだ。その間に着替えてしまわなければならない。早く着替えて、下にいって朝食を食べて、学校の始業に余裕で間に合うように出かけなければ。‘いつものように’。
 体調が悪いと言えば休めるだろうが、家にいて心から休めるわけがない。義母、いや叔母は丹誠こめて看病してくれるのが酷く心苦しい感じてしまうに決まっている。
 それに‘今日だけ’は、倒れているわけにはいかないのだ。
 寝間着を脱ぎ、インナーを身につける。靴下を穿いた後、まだ真新しい、ごわごわとし肌に馴染んでいないセーラー服に袖を通した。その流れのままにスカーフを付けようとし、指が止まってしまう。
 --アカイ、血のように赤い、スカーレットのスカーフ。
 咄嗟に弾き飛ばすようにスカーフを床に落とし、指先を確認した。汚れていない。当たり前のことであった。あまりの過剰反応をする自分を笑うことで睦月は自身を奮い立たせ、震える指を無視し、皺ができなそうなほど強くスカーフを握りしめ、いつもと変わらない手順で、胸元でリボンになるように結んだ。
 腰まである長い髪を手早く、しっかりと梳かす。今日の髪型は時間がないので、項のあたりでゆったりと一つに纏め、地味な色の髪ゴムで結わえた。これだけだと少々心許ないが、時間と共にずり落ちてくる髪ゴムに対し、こまめに対応するしかない。
 鏡に映る自分の顔をじっ、と睦月は見つめた。相変わらず大人っぽい雰囲気を演出する長すぎる黒髪が似合わない童顔である。いつもならばため息の一つでも零すのだが、今日だけは安堵の息を吐いた。幼さが残るくりくりした目の下に隈も、赤い痕もない。それで充分だった。
 睦月は表情筋をフルに活用し、鏡の中の自身に笑いかけた。どこか歪な笑顔だ。これではいけない、と手のひらで頬の辺りをマッサージをしてもう一度挑戦すると、今度は先ほどより余程ましだった。
(…う~ん、100点中65点かな)

 睦月は鏡台の前からしっかりとした足取りで窓際に向かう。進行方向の途中にあった目覚まし時計のアラーム機能のスイッチをきり、そのまま腕を動かし襖を開けた。
 先ほどまで和紙により緩和されていた光が、眩しい直射日光が一人部屋にしては大きめな部屋に飛び込んでくる。
 一瞬目の裏を灼かれるような感覚に、睦月は強く目を瞑った。
「おはよう」
 いつもと何一つ変わらない朝の光景をぼんやりと見つつ、誰にでもなく睦月は呟いた。朝の挨拶、と言うよりも今が朝だと認識するために口にしたような感じだ。

 これから日常が再開される合図である朝日を恨めしげにみつつ、睦月は窓辺から出口であるドアに向かって歩いた。
 背筋を伸ばし、顎を引く。暗い表情をかき消して、上に無理矢理穏やかな笑顔をのせた。大口を開けず、唇は弧を描くように。目は少し細めた、そんな微笑を意識して。
(切り替えなきゃ……夢は、夢でしかないんだから)
『本気であれがただの夢だと?』
 脳裏に‘お兄さん’の声が過ぎったのは、気のせいだろうか。睦月は一度頭を大きく振ることで不安を薙払った。
 --……テハ、イケナイ。
(夢だよ……夢に決まっている)
 襖の取っ手を一瞬、強く握ることで意思を固め、睦月は襖を横に大きく開ける。
『無駄な足掻きですね。言ったでしょう? すでに事は動き出しているんですよ。いつまで目を瞑っていられるんでしょうね、君は……ああ、でも早く諦めたほうがいいですよ? でないと、取り返しのつかないことになってしまいますから』
 小さく笑う男の声を切り捨てるように、震える指で後ろ手に大きく音を立て襖を閉めた。



続きと繋がりが少々悪くなったので、ちょっと訂正を加えました (1/13)





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最終更新日  2007年01月12日 20時31分49秒
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