綴

綴

2007年01月13日
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カテゴリ: 【幻】 -第1幕-
 春特有の、柔らかい綿に触れるのような風が殺風景な場所な墓地に縦横無尽に駈ける。髪留めを外し自由になった髪が風に煽られ靡き、顔や背中、肩などを軽く叩きつけた。
 髪留めを外さなければよかった。そう思っても後の祭りだ。今更髪を再び束ねようとしても、両手には大切な荷物があるので、すぐに諦めた。
 腕に抱く花が散らぬよう、上半身をうまく使い風から守りつつ少々早足で目的地に急ぐ。墓地は山に沿うように広がっているので、道は少々きつい傾斜だ。足下をしっかりと見ながら睦月は一歩一歩踏みしめるように歩く。足裏から伸びる影は濃く、日光に照らされている道には浮いて見えた。
 太陽は南中をむかえたばかりだ。セーラー服姿の睦月が、平日であるというのに校外を堂々と歩いているのはおかしいことである。
 --今日は学校が創立記念で休みだった。
 だが睦月はそれをあえて義父や義母、義兄に告げず何食わぬ顔でいつもと同じように家を出てきた。おはようございます、と微笑みながら食事をし、今日はテストがあるんです、など嘯き、いってらっしゃい、という優しい言葉に見送られたのだ。
 良心が痛まなかったわけではない。だが罪悪感に苛まれながらも、だがそれでも騙し続けたのだがら、やはり結果は同じである。
 あの‘優しい’人達を騙しても、一年のうち今日だけは睦月は此処に来なければならなかった。どうしても来たかったのだ。何が、何でも。きっと今日が休みでなくても、睦月は此処にいたような気がする。
 目的地にようやく到着し、睦月は足を止めた。

 返事など決して返ってこないと分かっているのに、ついぽつりと口から言葉が零れ出た。分かっていたがやはり妙に物悲しく、ぎゅーっ、ときつく一度目を閉じ、悲しみに耐える。
 膝を折り、そっと墓石の前に花を添えた。真っ白な大輪の花、カサブランカは灰色の墓石の前だと更に栄えて見える。
 4月の誕生花は勿忘草や藤、霞草だ。本当ならばそちらにしようか、とも考えたが、それは少し寂しい気がしたのだ。生前好きだったカラフルで可愛い花、とも考えたが、それも何だか思い出に浸ってしまい胸の奥が締めつけられる。定番の菊の花も父や母の面影には似合わない。似合うと思いたくはなかった。
 カサブランカは真っ白で、大輪で、華やかなのに清楚で。これならば、と目を付けたのは半年も前のことだった気がする。威厳と、偉大と雄大な愛などの花言葉を知った時、更にそう思った。
 一ヶ月ほど前から、隣町の花屋に頼みに頼んでようやく了承を得て作ってもらったカサブランカの花束は睦月の意向に添っていた。学校がきちんと休みであることを説明し、お墓に添えたいと、何度も何度も言葉を重ねた甲斐がある、というものだ。平日の、しかも午前中に花を取りに来たいと言う言葉に渋られたことも、今では何の苦労にも思わない。
 同じ町だと少し睦月には問題があったのだ。この場所にいることを、決して義理の父母達に知られてはいけない。気持ちをきちんと告げれば理解を示してくれるだろうが、義母はあまり快く思わないだろう。亡き母に縋りついているのが不満なのだ。睦月の母は今は自分だ、という自負があるようである。義理の娘だと言うのに、そこまで思ってくれる気持ちは嬉しいとも思うが、少し重いと思うのも事実だった。
 だから嘘を塗り重ね、騙しても良いというわけでもないのだが。
(……気に入ってくれる?お父さん、お母さん)
 そうであればいい。そう思いながら線香を鞄から取り出し、マッチで火を点けた。線香を立て、独特の香りに纏われながらも目を瞑り、冥福を祈る。
 早く目を開け、少し距離を置かなければ制服に線香の匂いが染みついてしまう。
 そう思うのに、やはり未練だろうか。足も瞼も動かず、ただ無心に睦月は祈った。

 後ろから近づいてくる足音に睦月はようやく顔をあげ、目を開いた。線香は殆ど姿を消している。失敗したな、と思いつつも睦月はまだどこかぼんやりしたようにしゃがみ込んだまま動かなかった。
 だから急に後ろからよく知った声が鼓膜に突き刺さった瞬間、そのまま前にのめり込んで倒れてしまうのではないか、というぐらい睦月は驚いた。
「やはり、来ていたのか」
「…っ?! えっ、あ、おじさっ…お、お義父さん」
 背の高い、黒い背広を着こなした威厳のある男だ。髪は白髪が交じり始めているが、年を感じさせない。皺がくっきりと刻まれかけた顔の中でも眉間の皺は特に深いように見える。威風堂々や古風という言葉が似合う少々厳つい顔をした人間では今では珍しい。思わず目を引く外見だが、今日は手に白い花を持っている。胡蝶蘭だろうか。お世辞にも白い-いや白くなくてもだが-花束が似合うとは言えず、好機の目を引いていた。

 睦月は目を剥き、驚きについ口を滑らせかけて、慌てて修正を今更ながら加えた。
 --三年もたったと言うのに未だ、義父と言い慣れない。
 やはり父は、亡き父のみだという思いがある。これだけは幾ら自身に言い聞かせようとしてもできないことだった。養い親たちへ色々と幼いながらに配慮をするように、色々と努力をした、というのに、どうしても無理であった。
 けれでも呼ばれるほうは、いい気にはならないだろう。兄夫妻の遺児を引き取り、手塩にかけるように、本当の娘のように育てているというのに、あまりにも甲斐がないもの、と捉えられても致し方ない。
 だが当事者である叔父は、淡々とした口調でだが睦月の言い間違いを訂正はしなかった。
「かまわん、言い難いのならば呼ばんでも」
「え……で、でも」
 睦月は心底困り、眉を顰めた。
 叔父は良いと言ってくれても、そういうわけにはいかない。叔父だけを‘叔父さん’と呼ぶわけにはいかないだろう。統一性を持たせるのであれば、叔母を‘叔母さん’と呼ばねばならない。だがそうすれば叔母は訴えかけるように分かり易く顔を悲しげに歪め、何か不満があるのか、など色々と尋ねてくるのは簡単に想像が出来た。
 義兄、つまり正義[マサヨシ]を‘お兄さん’と呼べないでいることにも一度大騒動があったのだ。感情的で口の達者な叔母が騒ぎの騒動となるのであれば、あの時の比ではなくなる。そう思うとどうしても睦月の腰が退けた。
 叔父も同じなのだろう。渋みのある顔を歪め、溜息混じりの声で告げる。
「あいつらのことは気にしなくてもかまわん。自分たちの悲しみと不満で相手への配慮に欠けている態度を取ることに気が付いていないほうが悪い。無視をしてしまえ」
「叔父さん……それは、あまりにも。お…ばさんも、正義さんも早く打ち解けて欲しいと昔から色々と気遣ってくださるだけで」
「ふん。だからと言い親を失い嘆き悲しんでいる子供に、新しい母だから‘母’と呼べとは厚顔無恥も甚だしいにすぎんな」
 --辛辣だ。
 思わず睦月は口元が引きつりそうになる。賛同できる気持ちを押し潰すためにも、苦笑いを浮かべて誤魔化すしかない。
 叔父と叔母が‘許嫁’という古い制度で結ばれたのは知っていた。所謂『家と家の結婚』というやつだ。叔父は、香道の名門の生まれであり、叔母も旧家の出である。睦月はそれを聞いた当初、そんなこと本当にあるんだ、と半ば興味なく聞き流していたのだが。
 やはり食い違いがあるのだろうか。でなければ家族をここまで扱き下ろしにできない。
 触れてはいけないのでは、と気を遣い睦月は話題を変えた。
「叔父さんは、何で今日此処に?」
「……兄さんや義姉さんは、この日を、お前の誕生日と自身の結婚記念日を大切にしていたからな。命日と、彼らの誕生日と、そして今日この日ぐらいは花を手向けようと思ってな」
 ぶっきらぼうな口調で、だが優しい手つきで叔父は胡蝶蘭の花束をカサブランカの花束の横に置いた。きつい花の香りと線香の香りが混じり合う。鼻に少々つくが、嫌な香とは睦月は思わなかった。ただ匂いに噎せそうな程苦しくて、だから泣きたいような気持ちなのだろうか。  
「よく…覚えていましたね」
「忘れるものか。たしか…お前が4つの頃だったな。偶然家に寄ったら、やれパーティだ、記念日だと大張り切りな兄さんたちに振り回された。甘いものが嫌いな俺に、無理矢理食べさせてのはお前だぞ」
 え、ときょとりと睦月は目を瞬かせ、慌てて誤るが叔父はかまわない、と一言で退けた。
「『この世で、一年のうちで一番大切な日だ』。口癖のように言っていた。ならば祝ってやるべきだろう。彼らにとって一番大切な日は」
 叔父が手を合わせ、父母へ祈った。呟くように告げる声は深い。
「命日とこの日だけは、部下に命じるのではなく、自分で花を手向けようと誓ったのだ」
 すっ、と立ち上がった叔父を睦月は見上げるような形となる。逆光のせいで叔父の顔がよく見えない。
 沈黙が睦月達を包んだ。ただでさえ静謐な墓場である。町外れにあるとはいえ、信じられないほど静かだ。
「……お前を引き取ったのは、間違いだったか?」
「え?」
 ぽつりと呟かれた言葉に、睦月は反応ができなかった。
 --間違い?
 何が、と今更ながら浸透してきた言葉に困惑する。脳の回転を無理矢理力尽くで止められたようだ。衝撃が意外と大きかったのだな、と時間が経過してからノロノロと教えてくる。
(何か、私してしまったのかな?)
 睦月の表情に叔父は一瞬眉をひそめ、ああ、と呟き睦月の勘違いを訂正した。
「違う、そう言う意味ではない。……兄と義姉さんの遺児を、お前を引き取ったことに後悔はない。だがそれは俺のエゴだ……それをお前に強要して良かったのか、今でも考えることがある」
 睦月はそんなことない、と言おうとして、だが言えない自分に気が付いた。叔父の不器用な自分への優しさに胸がいっぱいだ。だが決してそれだけじゃない。それが言葉を、押しとどめる。そんなことはない、と今言っても羽のように軽いものにしかなりえないだろう。
「信頼できる部下がいる。その者はこれから数年、海外へ派遣することになった……ついていくか?」
「……え? 海、外? ついてく、私が?」
「そうだ。私の部下の中で、一番人好きのする男だ。幼い子と妻もいるから、妙な心配はいらない。赴任先は今から検討中なのだが、米国か欧州に行くことになるだろう。行ってみる気はあるか?」
「な…ん、で、その話を私に?」
(今日は……叔父さん、よく喋るな。いつもは寡黙な人なのに)
 思わずそんな間抜けなことを思ってしまう程だった。
 --何を言っているの? …意味が理解できない
 困惑する睦月の感情を読み間違ったのだろう。叔父は呆れたように溜息をついた。
「勘違いをするな。お前の後ろ盾を立場を投げ捨てるわけではない。戸籍上は、お前はずっと私の子だ……これは以前から考えていたことだ。家から出してやる」
 --家を、天城[アマギ]の家を出る?誰が?
 睦月は立ち竦むように、ぼんやりとした目で叔父をじっ、と見つめた。



『おやおや、困りましたねぇ。バカの傍から離れられることは良いことですが、寄りによって海外ですか』
 男はくすくす、と笑い、ちっとも困ったようではない表情である。暗闇の中、独り言のように呟かれた言葉は簡単に溶けては消えていった。誰に届くこともなく。なのに男はまったく気にした様子はなく、更に楽しげな口調で言葉を転がしつつ、笑う。
『せっかく事態が面白くなりかけているというのに。まぁ、どうせ外国へ‘逃げても’何一つ未来は変わらないんでしょうが。睦月には‘僕’がいますからね。どう足掻いても‘彼女’と引き合う定めなのだから……可哀想に』
 --睦月が?
 --‘彼女’が?
 --‘彼女’を宿す人間が?
 --睦月を、‘彼女’を、自分を取り巻く人間達が?
 あえて男は‘何が’、とは言わない。
『ああ、それでも困るんですよ。‘彼女’と会う時機が遅くなるじゃないですか』
 男は足を組み直し、膝の上に肱をつく恰好で頬杖をついた。
『さあ、どうします? 睦月』
 楽しげな含み笑いは、闇にかき消された。





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最終更新日  2007年01月13日 17時07分01秒
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