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昭和45年2月13日。母と一才の私を残して父、森西栄一が亡くなって、早46 年になります。
昨日テレビで偶然、赤坂迎賓館の一般公開が始まったいうニュースをキャッチして、思い出したのが、昭和39年の東京オリンピック。
あの時の組織委員会が迎賓館にあり、今や国旗の第一人者の吹浦忠正氏と父は、式典課として迎賓館で一緒に働いていたのです。
見たい!
水曜日休みの私は早速検索。4月20日の事前応募は残念ながら完売。
当日券を目指して、朝から四ツ谷へ。久しぶりにラッシュの電車に乗りました。
ついたけど、すでに整理券は407 番~!平日なのに混んでるかなあ。
10時からの当日券買うまで長い列ができてます。
手荷物とボディチェックは荷物だけじゃなく
人間も金属探知の箱の中を通る空港みたいなものものしさ。
説明は、すべてを通して、この一文だけでした。寂しい限り。せっかく東京オリンピックが開催されるのだから、もっと注目されてもいいのに、と思います。
そして待ってる間を利用して吹浦さんにメールでご報告。
当時使っていた部屋は 羽衣の間 だと判明。
音声ガイドを200円でゲットし(私はまだ早いほうだったので貸し出しがスムーズでした。
出るころには音声ガイドはリターン待ちでヘッドホン姿の私たちは羨望のまなざし(笑)でした。)
他の部屋なども充分素晴らしいのだけれど、私の目的は羽衣の間。
写真撮影は禁止なので、絵葉書で失礼。これが羽衣の間です。
舞踏会などを行っていた場所と言うことで、天井絵が天女の羽衣と西洋東洋の楽器。
舞い踊るのはお客様って趣向らしいです。
薫りを表現した壺&風になびく煙のような絵が印象的です。
説明を知らない見学者が
「あれ、何が出てるの?」「壺から何かこぼれてる」
すかさず説明ボランティアの方が 「あれは香りです」 というと
「においの元ですか~」
コントみたいで面白かった。
じっくりとここで組織委員会があったころを想像しながら、部屋を三周ほどしました。
机がこんな風にあったのかな~(40人ほどが羽衣の間で働いていたそうです)。
各国の国歌を録音するための楽譜や、音源の調達、テープ録音する演奏依頼など大変だったって言ってたな……(言ってたのは吹浦氏です)
トーチの炎ひとつとっても父がこだわって、何種類もの配合を何度も東大に頼んで、そのたびに見栄えや消えにくさを見るために本当に火をつけて走らせたのを窓から見ていたとか。思いは尽きません。
もちろん窓など開けられませんし、あとで外から撮った写真だと防弾ガラスみたいなのが外からはまってました。






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