さがしもの

 さがしもの

2009.02.10
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母から繰り返し聞いた東京大空襲3月10日の話。

細かいところは記憶があやしくなっている…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その日、母は18歳。食べる物が乏しく

なぜか配給の日本酒はあったらしい。

それを飲んで酔っぱらって

「こんなんじゃ日本は負ける」と

叫んでいたと聞いた気がする…

当時はそんなこと叫んだら大変なことだった時に。




たちまち火の海になったのだ。


父親の亡き後、男手の弟は勤労動員でいなかったらしい。


母と祖母、そしてその祖母の母

近所の人も一緒に逃げたという…

母の言っていた地名や橋の名前が

もうわからなくなってしまった…


下町から、外へと向かう橋をめざしてみな逃げた…

パニックになった人の波が我先にと走っていたのだろう…


ところがあるところで、

その波が急に引き返してきたのだという

「橋が落ちた!」と…



後ろに引き返し姿がみえなくなってしまった…

それがその人との別れになってしまったらしい。


だが母たちは、

「どうせ死ぬなら水のあるところで死のう」と言う

祖母のひとことでそのまま前進したのだという。




「デマ」だった…橋はあった。

その「デマ」でどれだけの多くの人が

焼け死んだのだろう…

その時、祖母はなぜそんな判断を

したのだろう?

死を選んだはずだったのに…生きのびた!


橋の真ん中当たりでその夜を明かすことにしたという。

すると橋の真ん中に「みかんの籠」をもった男性が先に

陣取っていたらしい…そして「明日自分は故郷に

向かう。そうすれば暮らすところも食べる物もあるので」

と言ってみかんの籠をくれたのだという。

それがどんなに有難かったかと…母の話はひと段落。


私はその話を聞くたびに、なんの根拠も無くだが、

いつも思ってしまった。

…デマを流したのは

その人なんじゃないかと…きっとそうだと!

…なんの根拠もなくそう思えて仕方がない。

でもこの「何の根拠もない確信」これがデマに

なるのかもしれない…今思う。




大震災や大空襲、実際に死体の山を見た人たちと私は

全然世界を見る目が違うだろうと思う…その臭い、音、闇と光

そして襲い来る死の恐怖…


その痛みを抱えながらほとんどの人が

そのことについてほとんど何も語らずに逝ってしまった…

きっとフラッシュバックにも直面していたのだろうに。


戦後、平和に見えていた時代にも心の奥底に

重い重いものをためこんだままいたのかと

あらためて思う…もっと一緒に泣きたかった。

もっと重荷を吐き出してほしかった…

身近な人の心の中をほとんど知らないままだったことに

今更ながら気付かされる…





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Last updated  2009.02.10 19:48:23
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