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武蔵野航海記
ジョン・ロック
ジョン・ロック(1632~1704)はイギリスのジェントリーという階級の出身です。
ジェントリーは地主で、貴族と庶民の間に位置し近代イギリスを支えた人材を提供し一般人の尊敬を受けていた階級です。
彼らの生活態度を示す言葉がジェントルマンです。
ロックが生きていた時代のイギリスは激動していました。
16世紀後半のイギリスはカトリック教徒、新教徒(プロテスタント)と英国国教徒の3者が入り乱れて宗教的に複雑な状態でした。
そうしたなかでエリザベス女王は国内の宗教的対立を調停し、対外的にはスペインを打ち破って後のイギリス発展の基礎を作りました。
未婚の女王が亡くなると(1603年)親戚でスコットランド王だったスチュワート家の男がイギリス王を兼ねることになり両国が合体しました。
それまではイギリスとスコットランドは別の国だったのです。
新しいイギリス王は王権神授説を信奉し英国国教会を優遇してプロテスタントやカトリック教徒を弾圧しました。
その息子はカトリックに傾斜して宗教的対立が激化し、またイギリスの伝統であった議会を無視して専制政治を行いました。
そのためジェントリーが中心になった反乱が起き、ついに王は死刑になってしまいました。
こうしてイギリスは1649年に共和国になりました。
この革命派の中心人物だったクロムウェル(1599~1658)は護国卿というほとんど国王と変わらない地位に着きましたが、その死後スチュワート家の子孫を呼び戻しました。王政復古です(1660年)。
フランス革命は、領主が農民に対して多くの特権を持っていた封建制度を打破するために起こったものでした。
フランスの貴族と農民の関係は、地主と小作人という経済的な関係以外に中世以来の殿様と農奴という人格を拘束する関係があったのです。
この中世以来の殿様と農奴の関係を断ち切ったのがフランス革命で、地主と小作人の経済的な関係を変えたわけではありません。
戦後の日本のような地主の土地を農民に分け与えるという農地解放というものはなかったのです。
イギリスの場合は革命前から貴族の農民に対する封建的特権はほとんど無くなっていました。
革命の原因は、異国出身のスチュワート家の王がイギリスの伝統である議会を無視し専制政治を行ったことでした。
議会の議員には貴族やジェントリーいった支配者がなっていたわけですから、しょせんは支配者同士の争いでした。
イギリスの革命がフランス革命ほど大規模で派手でなかったのは、イギリス庶民には関係のない限定された者たちの争いだったからです。
スチュワート家の子孫がイギリスの議会を尊重すると約束すれば、王政復古は簡単に実現したのです。
「今後はイギリスの議会と法律を守ります」と約束して国王に戻ったスチュワート家の王たちは結局約束を守りませんでした。
そこで1688年に名誉革命が起こりました。
これは王様を入れ替えただけの話です。
ジェームズ2世を追い出してその娘のメアリーを女王にしたのです。
ジェームズ2世はカトリック教徒でしたが、メアリーはプロテスタントでした。
実の父娘の争いだったわけです。メアリーはオランダの総督(実質的な国王)の妻だったので、夫であるウィリアムもイギリス王になり夫婦で共同統治をしました。
この名誉革命を支えたのがジョン・ロックの思想でした。
彼は敬虔なプロテスタントであるジェントリーの家庭に生まれ生涯信心深い生活を送りました。
大学卒業後医者になりましたが、偶然にシャフツベリー伯爵を治療しその縁で伯爵の秘書になりました。
シャフツベリー伯爵は政界の実力者で王政復古に協力しましたがやがて王の政策に反対するようになりました。
そして王に迫害されオランダに亡命しそこで亡くなりました。この時ロックも一緒に亡命しています。
イギリス王はオランダ政府にロックの身柄の引渡しを求めていますから、彼はそのときすでにイギリスの政治に重要な人物となっていたのです。
ロックは若い時は政治に関心が薄くその考え方も普通のジェントリーと変わりませんでした。
しかしシャフツベリー伯爵の身辺でダイナミックな政治の世界を経験することによりその政治哲学を作り上げて行きました。
またフランスに住んでいたこともあり、ルイ14世がカトリックの信仰を堅持しプロテスタントを大いに迫害している現場も見ています。
彼はキリスト教と政治の関係を考え続けていたのです。
彼の政治思想の背景は「神は存在しており、人間はキリスト教徒として生きるべきだ」というものです。
そして人間が生きるうえで一番大切なことは、最後の審判の時に神に対して申し開きが出来るような生活を送るということです。
最後の審判の時に、今まで地上で生活していたことのある全ての人間(何百億人というすごい数でしょうね)がいっせいに生き返り神の審判を受けるのです。
この最後の審判の時各人は自分の責任で神に対して申し開きをしなければなりません。
他人は彼を助けることはできません。自分だけの力で自分の信仰を神に対して説明し承諾を得なければならないのです。
各人は自分の全責任で最後の審判に臨まなければなりませんから、国王といえども個人の信仰に干渉することは出来ません。
これがロックの政治思想の大原則です。
一方で国王は現実に国内を統治しなければならず、その中には教会の組織を正しく運営する責任も含まれています。
信仰をどのように実施すべきかを各人の完全な自由に任せてしまったたら、収拾のつかないことになってしまいます。
こういう問題意識からロックは1660年に「問題。統治者は宗教的礼拝に関連して非本質的なことがらの運用を合法的に強制したり決定したりすることが出来るか」という長いタイトルの本を出版しています。
ロックの結論はイエスです。
神が明らかに命じたことには国王も従わなければなりません。
しかし単なる宗教的儀式に関しては王の命令に従わなければなりません。
礼拝中の服装は短白衣にするべしとかオルガンはかく弾くべしという類のことです。
神が明らかに命令し国王も干渉することが出来ないものの一つに所有権があります。
労働という働きは自分のものです。そして土地を耕作するという場合も採れた作物は労働した者の所有物になるし、耕作をした土地も彼のものになるのです。
彼の理屈では土地も収穫物も実際に耕した小作人のものになってしまうと私は思うのですが、ロックの政治思想は地主である貴族・ジェントリーと国王の関係を論じています。
地主の所有する土地には国王は一切関係していないのだから、国王は地主の土地を奪えないのだと主張しているのです。
大昔原野を開墾して農地にした者がその土地の所有権を取得し、以後はその子孫に伝えられるのだという理屈です。
神はこの世界を、努力によって良く利用するために人間に与えました。
人間は神から世界を預けられた管理人ですから、勤勉に管理人の役目を旗無ければなりません。
そして自然を浪費してはならないのです。だから贅沢をしてはいけないのです。
しかし生きていくために必要なものには所有権を主張できません。
飢えて死にそうな人がいる時は自分の持っている食糧を分け与えなければならないのです。
慈善はこのような考え方から出てきたものです。
人間は神によって作られたものですから人間に対する所有権は神が持っています。
そこから人間の持っている権利を侵害することは神の所有権を侵すことですから絶対にしてはいけません。
「基本的人権」はこの考え方です。
基本的人権のひとつである自由というのは人間が神から与えられているもので、なにかのご褒美として人から与えられるものではありません。
このキリスト教の自由という概念を日本人はどうしても理解できないようです。
また人間は等しく神の被造物ですから持っている権利と義務は平等です。
身分によって適用される法が違うのは神の意思に反します。
したがってヨーロッパ人が言う「平等」とは「法の下の平等」という意味です。
強者と弱者が同じルールで競争をすれば勝負は明らかですがキリスト教ではこの結果の差を是認します。
しかし日本ではこの結果の差を認めることが出来ません。「同じ釜の飯を食う仲間」の結束にヒビが入るからです。
従って強者にはハンディを持たせて結果の平等を目指します。
これは人によって適用するルールが異なるということであり、「法の下の平等」に反します。
結果の差が大きすぎる時は「生存権」という別の概念で弱者の救済を図ります。
このようにして近代ヨーロッパの政治原則をキリスト教の教義から説明したのがロックの思想です。
所有権の不可侵
自由などの基本的人権
法の下の平等
生存権
ロックの思想が名誉革命後のイギリスの支配的な思想になります。
このロックの思想はプロテスタントの移住によってアメリカに伝わりました。
アメリカがイギリスから独立する時の基礎になった思想もロックの思想です。
下記のアメリカの独立宣言の前文を見てください。
我らは以下の諸事実を自明なものと見なす。
すべての人間は平等に造られている。
創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含む侵すべからざる権利を与えられている・・・
アメリカの政治制度はキリスト教の教義から出ていることが良くわかると思います。
ロックの思想はフランスにも入っていきます。
絶対王政時代のフランス人啓蒙思想家にとってイギリスの政治制度は憧憬の的でした。
啓蒙思想家のボスだったヴォルテール(1694~1778)は実に大きな影響力を持った人でした。
フランス国内での影響力が極めて大きかっただけでなく、プロイセン王やロシアの皇帝と友達付き合いをしています。
ヨーロッパの若い貴族は、スイスに住んでいるヴォルテールを訪問し彼と話をすることによって教育の仕上げをしたのです。
ヴォルテールの思想に基づいてフランス革命が行われたのですが、彼の思想の基礎はロックから来ています。
またフランスは敵国であるイギリスを困らせることは何でも喜んでしましたから、アメリカの独立戦争のときも多くのフランスの貴族がアメリカ独立軍に参加しています。
そして彼らはロックの思想を故国に持ち帰りました。
フランス革命初期の指導者で人権宣言を起草したラファイエット侯爵(1757~1834)はアメリカの独立戦争に参加しています。
この人権宣言の内容はアメリカの独立宣言を下敷きにしたもので、ロックの思想そのままです。ですからキリスト教の教義から来ています。
このフランス革命の思想はナポレオン軍の進撃に伴ってヨーロッパ中に広まっていきました。
ナポレオンは自分の侵略を正当化するために占領地に積極的に革命思想を植えつけました。
フランス軍は圧制を倒しその国に自由と平等をもたらしに来たのだというわけです。
ナポレオン軍に占領されたドイツ・イタリア・スペイン・オーストリア諸国でも従来の王権神授説では国民は納得しなくなりました。
そこでロックの政治思想を取り入れて国の組織を刷新しました。
このようにしてヨーロッパ中に新しいキリスト教思想であるロックの思想が定着したのです。
ロックの思想は個々の人間の権利を表面に出していてその基礎になるキリスト教の思想は背後にあるだけです。
従って表面を見ただけでは、キリスト教の思想に気がつきません。
多くの日本人は現在の「民主主義」思想の背後にキリスト教があることに気づかないままです。
19世紀前半、ナポレオン戦争の荒廃から立ち直って産業社会を作り上げたヨーロッパ勢力は日本近海まで押し寄せてきました。
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