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娘ちゃん、中学校も支援学級にすすむことに。この頃は、ADHDの症状が強かったのかな、たしか。あと、空気読めなかったり、何かあるとパニック起こして泣いたり、そんなあれこれがあった気がする、けど、息子くんが割とあれてて、娘ちゃんが後手に回ってた感はある。娘ちゃんもかなり登校拒否気味で、最初はあまり学校に行けず。というか、支援学級のある中学まで、そこそこ距離があり、バスで3つくらいはなれてて。歩ける距離だけど微妙に辛い感じのところで、それでも学校に通おうと努力してたのだけれど、小学生の時も時々言ってた、私嫌われてる、いじめられてる、という発言が増えていって。なんだかおかしいな、でも、お年頃だし不安定になりやすいのかな、とか思ってて、デイサービスとかショートステイとか利用させつつ過ごしてたんだけど、んー、その前から私、娘が幻聴かそれに類するものを聞いてるんじゃないかとか、そんなふうに疑ってて。ずっといじめられてる、教室に入ると悪口言われる、とかとか。おかしいなー? と思ってたら、ある日ショートステイに行ってる日に、確か息子くんから電話があって、娘ちゃんがおかしい、と。電話をかわると、娘ちゃんが、自分は娘ちゃんじゃないという。話をよく聞くと、中に何人もいて、入れ替わって喋ってる、と。なんだそりゃ、と思いつつよく聞くと、電話越しなのもあって、余計になんか口調とか声質? 声の出し方がなんかちがってて。もちろん、思春期特有の、年齢特有のものを疑ったけれど、それでもおかしいことには変わりない、ということで、通ってた病院に緊急で早めに受診、しばらく様子をみたり、デイの方でも中にいる人の名前教えてー、って感じできいてくれたりして、10人くらいいるっぽいとわかったり、その前から時々自傷もあったことから、しっかり治療したほうがいいだろう、ということで、少し遠方にあるこども中心の入院もある精神科を受診、即入院となりました。最終的に統合失調症と診断、薬を飲むことで今は落ち着いてますが、なかなか本人も受容に時間がかかってる様子で、かなり落ち着いた今でも、どこかでまだ認めたくなくて悩んでいるようです。この入院、3ヶ月目くらいで退院できそうになったのですが、そこで外泊で帰宅した時に、どこから探し出したのか、刃物を鞄に隠しもち、病院で自傷したので6ヶ月くらいまで伸びました。確認したのに見つけられなかったことも落ち込んだし、あれだけ帰りたがってたのに何やってんのと力抜けたし、大変でした。ちなみに、入院したのが中学2年生の時で、退院してから学校行くのをがんばりはじめました。3年生では、高校に行きたい、と、支援級にいるより交流級(普通学級)で授業を受ける時間が増え、テストも頑張り、これまでまともにつかず空欄だった通知表に数字がついたときは、嬉しくて、お恥ずかしながら感動しました。娘が高校に進学したい、ということで、さまざまに検討。本当は県立を受けたかったようですが、県立だと出席率が厳しかったり、当たり前ですが色々と厳しいので、かなり相談したり、悩んだり、喧嘩をしながら、不登校対応もあり、いろんなことに理解の深い私立高校に推薦で進学することに。確かこの学校、前身は不登校対応のフリースクールだった気がする。中高対応の。昔のことなので記憶が曖昧ですが。そして。なんとか推薦もとれ、親子で必死に論文の練習をして、無事合格。最初は四苦八苦しつつ、ある友達と揉めながらも今高校1年を修了し、2年生になったとこりです。おもうに。娘ちゃんの方は、ある程度道をいくつか決めて見せて、どれがいい? としつつ、軽く背中を叩いてやるくらいが良いのかなと。ただ、親の意見が強く通り過ぎないように、自分で決めさせてやれるよう、先回りしすぎないようにしたいと、自分を戒めてます。つい、危なくないようにあれこれ言ってしまうのが、困りもの。もう先のことも考えないとなお年頃なので、少しずつ、今の女子高生生活を大いに楽しみながら、進んで行ければいいなと思います。無理せず、私も先回りしすぎず、頑張りすぎずに頑張れますように。そんなふうに願うのでした。ここまで読んでくださってありがとうございました。次回は22日更新予定です。それでは、また。
2023.04.19
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無事(?)中学校に入学した息子くん。入学式の記録がない。え、どうしたんだろう。出たのだろうか。出た気がする。確か、出た。んで、翌年の娘の時と支援級の並び方が違ったから、驚いた記憶があるから、出てるでてる。この頃、息子は、がりがりでした。ええ、がりがりだったんです。その後、ほぼ完全登校拒否。思い出したように学校に行くも、昼寝のため。すきあらば抱き枕なポムポムプリンを鞄に忍ばせていく。学ランは昼寝用の上着。1年、2年、と進むにつれてさらに行かない。3年はほぼ完全不登校。いくのはデイサービス。でも、小学生時代より、少し落ち着いてて、この子外的刺激がない方がおちつくのでは? 一生ってわけにはいかないけど、ある程度安定するまで外的刺激をさけるのもありなのでは? と考え始めたのもこの頃。不登校なので、学校にいかないで、家でのんびり過ごす日々。ゲーム依存? 知ったことか。何もしないでいるよりはマシ。少なくとも、ゲームであっても、気になったことは調べたり、読める漢字は増える。それでよい。ゲーム依存が心配で、取り上げるのは絶対悪手だと思う。あくまで個人の主観です。家々でやりかたはあるんだろうけど、ゲーム取り上げたり、渡してるのにあれこれやめた方がいいみたいなダブルスタンダートなことしてると、子供は暴れます。渡すなら渡す。渡したらそろそろ寝なきゃよ、目が疲れるよ、など、軽い声かけに止める。ちゃんとやめた方がいいよ、と伝えるのはかまわないけれど、内心の(ゲームばっかりして💢)という気持ちは完全に覆い隠すこと。かなり子供は敏感なので、こどもにはばればれです。あくまで個人の意見なので、ご了承ください。夜寝ない? 体が辛くなれば寝るし、夜寝ないでいればどこかでなぜか朝起きるようになる。時間がずれてって戻るってやつです。そんな感じですごしてたら、だいぶ落ち着いてきた息子さん。高校進学どうする? という話になり、受験は無理だ、と。通信にいく? という話をしても、全く反応がないというか、固まって言葉が出てこない。これに関しては、最近、小中の勉強を理解できてないのに通信でやっていけるのかが不安だったっぽいことをいってたので、そういう理由っぽい。そんな状況で、まず、私が腹を括った。みなし成人という制度があり、それを使えばB型に行けたりもするし、18才まで乗り切れば、成人だから道は開ける、と。みなし成人と息子が選んだルートについて、詳しくは後日記事にしますが、簡単にいうと、B型作業所にいく前の、就労支援移行のさらに前の、生活訓練という、日常生活に復帰するためのところにいくことになりました。ていうか、行ってました。そんなわけで、消極的ルートではあるものの、進路を決めて、のんびりと生活するルートを選択した息子さん。結論から言えばあっていたようで、安定してきたし、じっくりまったおかげで、自力で将来を考えるようになりました。娘の話も後日書きますが、全く違う性格、性質なので、全く違う対応が必要になります。息子に娘のように対応してたら、息子はおいつまてあれてたでしょうし、娘に息子のような対応をしていたら、したいことをさせてくれないと、違う意味であれてたでしょう。つくづくと、子育てそのものもそうですが、発達というのは千差万別なんだなぁと、感じる今日この頃です。ということで、今日はこの辺で。読んでくださってありがとうございました。次の更新は、19日の予定です。それでは、また。
2023.04.15
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我が家の子供は学年年子です。生まれは2年違うのですが、娘ちゃんは早生まれなので、こうなりました。娘の小学校時代は、息子くんが一番荒れてた時代なので、ぶっちゃけ、記憶が曖昧です。やばい、なんで発達と思ったんだろう。たしか、こだわりからだったかもしれない。思い出す限りだと、一旦Aといったら、あとから Bといっても、「え、だってAっていったよね、 Aだよね? Bってなに、どういうこと?」みたいな感じでパニックになるのを、私は最初発達の症状と思わず、めっちゃ怒ってた。私をばかにしてるのかーー! ってなってた。反省。あとは、確か、私物の管理がうまくできない、プリント類とか、あと、物をよくなくす、か。後日思い出したらまた記事にしますが、なにか革新的なことがあって診察うけた、ああ、あれだ、勉強についていけなかったんだ。現在では割と頑張ってついて行ってるけど、大体1年くらい他のこよりペースが遅かった。1年後には大体できるようになってた、って感じ。遅れ気味だな? と気づいて、違和感あるし、って、IQ調べに行ったんだ。そしたら、80は超えてたのかな、最初。ビネーだったと思う。んで、うちのとこは70以下じゃないと療育手帳は出ないから、と、ADHDのことを病院の先生に相談しつつ、普通クラスにいるといじめられる、というので(もしかしたらこの時から何らかの症状があったのかもしれない)、支援級に行った方がいいかも、と就学相談とかうけて、小学校の支援級に行ったんだ。けど、こちらもがっつり登校拒否して、一時期ばぁばのお家にいたのだけれど、ばぁばもひきづって通わせるのは無理ー、って言って、ぽちぽちと投稿するようになったんだった。娘ちゃんのテンパるのと、私の癇癪というか、もう、ヒステリーみたいなのの相性がめっちゃ悪くて、一時期祖母のお家に避難してたんだよね。喧嘩がひどいとお互いによろしくない、と。大きくなった娘からは、時々、落ち込んだ時やパニクったときに、「迎えに来てくれんかったー!」とせめられます。反省。離れててよかった面は、お互いの精神面的に確かにあるんだけど、なかなかむつかしいところです。うまいこと過ごせなかった小学校時代だけれど、娘ちゃんなりにできる限り学校に通い、通えない時はデイに通い、卒業式にはちゃんと参加して、無事卒業しました。息子くんよりスムーズだったのは、おとなしかったからか、まだ激しかった息子くんに気を取られすぎてたからか。なかなか平等にとはいきませんね。そんなこんなで、無事卒業した娘ちゃん。中学時代も色々大変で、入院にいたるわけですが。今回はこのあたりで。次回は一旦息子くんに戻って、中学時代を。読んでくださってありがとうございます。次の更新は、15日予定です。それでは、また。
2023.04.12
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息子の小学校時代のころのお話となると、いろいろ記憶が曖昧です。ただ、いくつか印象に残ってることがあるので、思い出した順になりますが、色々書いてみようとおもいます。まず、発達障害かも? とか確証するまで。なんとなーく、落ち着きがない子だな、という印象でした。あと、叱ると固まる。かちんこちん。結構デンジャラスな遊び方をしてたとか、一回ジュースをもらえたらその家にしょっちゅう行ってたとかは、割と最近教えてもらいました。気づかなかった私、反省。明確にどうなの?ってなったのが、二年生の時に交通事故にあったこと。飛び出しが原因でこちらが悪かったのですが、そこでなぜ飛び出す? と疑問に。そのときは、1人で飛び出したと本人と娘ちゃんが言ったこともあり、そういうことになったのですが、後日、それもかなりたってから、別の息子にずっとちょっかいかけてたこたちと遊んでて、追いかけっこになって、息子が跳ねられて、その子たちは逃げてったらしいと知りました。えー、とずっと思ってたんですが、高学年になると、空手を習ってたらしいその子らは、下足箱で会うたびに息子のお腹に拳をいれてたそうで。そのくせ、少し先の話になりますが、息子が別の学校の支援学級に進学した後、某スーパーでであったその子らのおかあさんに、息子くんにいじめられてるっていうんだけど〜とかいわれて、え、違う学校通ってますけど? と答えた記憶。わざわざ結構距離のある別の学校に通っていじめてるんかい、我が子は。と、呆れるやら腹たつやらした記憶。かんけいないけど、娘ちゃんも高校で絡まれてるしどっちも事実無根で不可能なあたり、ややこしいのにからまれやすいのかもしれない。閑話休題。で、事故の後、子ども福祉課で相談したりしてて。三年生の時の担任が、変わった人? で。電話はガチャぎり、家庭訪問で「今は社会的弱者には優しい世の中ですので」とかいっちゃう系。言ってることはわかるしその通りですが、言葉にするかそれを? と首を傾げた先生。後日、先生曰く、「お母さんは聞く耳持たなかったでしょうから」とかで、そう思い込んでた先生は。息子がフリーダムであることを、私に連絡もせず。いや、フリーダムな息子が悪いんだけど、それでも、授業中後ろの学級文庫から離れず本を読み続けたり、後ろのランドセルの棚の上で給食食べたり(これ、なんでそこで食べることを許可したのか)、掃除道具箱の上に登ったり、とそんなふうにすごしてた、らしい。聞いてもまともに答えてくれず、困り果てて、四年で先生が変わった後、学校に行かなくなった息子くんの相談してたら、その3年の先生がひょっこり無駄に顔出して、こちらも腰低くして話しつつ、ちゃんとどんな状況か知らせて欲しかったって言ったらさっきの「聞く耳持たなかったでしょう」ときたもんだ。4年の担任と思わず目があったよね。まぁ。そんなこんなで登校拒否な息子さん、ちょうど娘ちゃんが喘息で病院に入院してて、そこに発達の先生がいるからって息子受診させたら、その先生は身体の発達のセンセで。でも、偶然、近いうちに精神の発達の先生がくるってことで、そちらを受診、自閉症スペクトラムとADHDの疑いってことで、そこでお世話になることに。その後は、一旦どこかで、療育センターにかかって、当時は高機能自閉症とADHDといわれて、あとは、児童福祉センターかな、そこでIQ検査してそれは高めで、小学校5年生で支援学級に入って、それからは、学校でフリーダムに脱走したり木登りしたり暴れたり、色々やってた模様。確かこの頃に、いい加減やばいな、と思って、高いところは高所恐怖症になるレベルでもいいから登るの辞めさせなきゃ、と、卵をお題にリアルに事細かに、高いところから落ちる卵の描写を解説して、息子くんも中身が出るよ、とやった気がする。おかげで微妙に高所恐怖症な現在。トラウマやからな、と最近怒られた。2年間、フリーダムに過ごしつつ、落ち着けないあれこれを起こしつつ、なんとか過ごして、中学も支援学級へいくことが決まり、みんなとは違う学校の遠い中学校に通うことに。書き出してみると、結構いっぱいあるな。お兄ちゃんに必死の、小学校時代でした。この後中学時代の話もありますが、次回は娘の小学校時代のお話でも。今回はこのへんで。よんでくださってありがとうございました。次回は12日の更新予定です。それでは、また。
2023.04.08
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最後に記事を書いてから、九年でしょうか。支援学級に行きました、で終わっていたこのブログ。詳細は少しずつのちのち記事にしていきたいと思ってますが、まずはざっくり、今までの経緯と現状をお話ししたいなと思います。まず、息子くん。小学校五年で支援学級に移動。が、相変わらずフリーダムさはおさまらず。本を読み続けたり、寝続けたり。先生も特に強要することなく。フリーダムすぎて私が知らないだけで、脱走したり、脱走して木に登ったり、窓から身を乗り出したりと色々やらかしてた模様。中学進学後も支援学級。しかし、ここから不登校が強くなる。学校になかなかいかない。行っても寝てる。三年生とかほとんど学校いかなかった。デイに通って、デイで暴れて、デイ行かなくなったりして、この辺りから私も悟りを開き出す。いきてるだけでよくね? と。高校進学も考えたが、通信などを振っても反応がなく、強制的に進めてもこの子はレールに乗らない、気長に、自分がやる気になるのを待ったほうがいいだろうと、高校進学を辞める。卒業式だけは、先生が絶対おいで、というので式には出れなかったけど教室には参加。先生泣いてた。その後、成人向けの相談員さんに相談し、「みなし成人」として障害区分をとり、自立訓練、生活訓練のところへいくことに。まずは月1から、と頑張ったが、なかなか難しくたまーに休み。しかし、少しずつ前向きになったのか、月1だけは確実に通うようになったところで、期限切れ。次はB型かどうかというところで、息子から泣きが入って生活介護に通おうという話に。「ママごめん、日和った」本人談。確定ではないけれど、娘ちゃんの先の進路が確定後、落ち着いたら、通信制高校もいいかも、と、思い始めた模様。日々ゲームしたりのんびり生きてる感じの息子ちゃんです。娘ちゃんも、支援学級へ。ADHDの診断ですごしていたのだけれど、中学にあがってから、支援学級で過ごしていたけれど、なにか様子がおかしい。悪口をいわれてる、私は嫌われてる、など、訴えるように。様子がおかしいと思いつつ、様子を見ていたが、ある日、ショートステイ中に電話。本人からなのだが、本人じゃないという。ききとると、中に何人も人がいて、入れ替わって喋る、と。確かに、違うという人格の時は、声の質、喋り方が違う。もちろん思春期特有のものも疑ったが、おかしい、ということで、病院に相談。しっかり調べて治療した方がよいとのことで、入院治療。統合失調症と確定。薬を飲むことで、落ち着いているが本人が受容するのに時間がとてもかかって、今でも需要はしきれていない様子。中2で入院したが、中3は頑張って交流学級へ通い、これまでまともにつかなかった通知表が初めて数字のあるものになる。これは感動した。高校に進学したい、とのことで、さまざまに検討。最終的に不登校対応の学校に推薦入試で合格。無事高校に進学し一年目終了したところです。娘ちゃんの方は、ある程度道をいくつか決めて見せて、どれがいい? としつつ、軽く背中を叩いてやるくらいが良い感じ。兄妹でこんなに違う物なんだなぁ、としみじみ。そんなこんなで、2人とも、それぞれ、自分の道を自分のペースであるいています。これからも、人より遅くても、のんびりとでも、自分のペースで歩きつつ、生きていてくれれば、それでいいのではないかとしみじみ思う私なのでした。生きてるだけで丸儲け。まさにその通りだと思いました。そんなこんなで、今回はこの辺で。読んでくださってありがとうございました。次回は、8日に更新予定です。それでは、また。
2023.04.05
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お久しぶりです。何年振りでしょうか。いろいろありましたが、元気に生きています。思うところあり、まだまだ大変ではありますが、後日詳しく書きますが、16、17歳とこどもたちがなりましたので、色々現在までのお話とか、これからのお話とか、ゆっくりとしていければいいなと思い、こちらのブログを復活させることにしました。とはいえ、今までの記憶を記録しておくためであったり、自分の考えをまとめるためであったりという理由でのブログですので、お役に立てることがあるかどうかはわかりません。ですが、少なくとも小中と進学した後の進路のこと、診断名のこと、進学しなかったらどうするのか、など、多少は参考にしていただける点もあるかとはおもいますので、お暇な時にでも読んでいただけると幸いです。このブログは、週に2回、水曜日と土曜日に更新します。無理せず、続くように気をつけつつ、長くかいてゆければと思っておりますので、どうかよろしくおねがいいたします。それでは、今回はご挨拶のみにて失礼します。よんでくださってありがとうございました。それでは、次回は5日更新予定です。では、また。
2023.04.01
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