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―幼稚園(薬)―


「おーじさんっ、おーねがーいしーまーす。せんせー、おーねーがーい、しーまーす」
独特のアクセントと韻律を持つご挨拶を唱和させた。
 運転手のおじさんには、気さくなおっちゃんもいたのだが、私の乗るバスは、園児が顔をのぞきこんで話しかけても、決して目を合わせない男だった。親世代よりもやや若そうだったので20代だったのかもしれない。背が高く、四角い眼鏡をかけていて、いつも暗い雰囲気を漂わせていた。
 ある暑い日に、先生が氷とオレンジ色の液体の入ったグラスをお盆に載せ、4人のおじさんに配っていた。園児たちが「いいなー、ちょうだい!ちょうだい!」と欲しがると、「これはお薬なんだからね」と先生がいう。おじさんは嬉しそうな顔一つせず、黙ってそのグラスを受け取る。
 薬といえば、病気のときに飲むものだと4年の人生経験上知っている。そして病気の人は休むべきで、動いたら治らなくなるのだと信じこまされている。そんな前提だったので、私は「ご病気なの?」とその無愛想なおじさんに聞いてみた。おじさんは小さな声で「ああ。」と答える。
 嘘というものが子供たちを黙らせるための常套手段として用いられるものだということは私はわかっていなかった。他の園児たちが「ぼくも病気!」「私も病気だからお薬飲むー」と口々に言って騒いでいるのを見て、なんて不謹慎な、と単語そのものは知らなかったが、そう思った。

 ところがその液体が薬だと信じた子供は私だけじゃなかった。物知り博士風の子が言った。
「あれねぇ、やっぱりお薬とは違うものだと思う」
「なんで?」
「だって何のお薬かって先生にきいたら、元気になるお薬だっていってたけど、おじさん、全然元気にならないじゃん」
確かに陰気なままである。
「お薬がきかないのかもしれないよ」
「じゃあ、おじさんの病気はなおらないのかなぁ」
小さな頭で乏しい根拠をもとに論理を組み立て結論づけるのだから「子供っておもしろいわね」となるのだが、本人たちは真剣である。そのおじさんの腕だかに大きな手術の傷跡があるのを見たという別の園児の証言も手伝って、どういうわけだかおじさんは不治の病におかされているのだと勝手に発展させて思い込んでいた。

 あとで思い返してみると、バスのおじさんたちの飲んでいたあれはどう見てもオレンジジュースだった。「お水」と言っていたものでも、グラスの内側に気泡がびっしりついていたりしたので、炭酸飲料だったのだろう。
 既に認識していることと、目の前でおこっている現象との関連性が見出せないということは今もないわけではないが、当時はそんなことの繰り返しばかりであった。

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