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―通学路(2)―


「すみませーん。おみずくださーい」
といえばいいというのである。

 印刷屋は、呼びかけると中から「勝手にどうぞー」という声が帰ってくる。家の外の水道の蛇口に、いつもプラスティック製のコップがひっかけて置いてあり、飲みたいだけ飲めた。そして「ありがとうございましたー」というと「はいねー」という声が返ってくるというパターンができていた。
 不動産屋は、着物を着たおばあさんが出てきて、土間に通されコップに一杯だけ飲ませてくれる。ここの水は井戸水だからおいしいんだというが、私は味の違いは気づいていたが、喉の渇きがおさまればそれでいいと思ったので、おいしいかどうかはあまり気にしていなかった。
 水のみポイントは限定されていたのだが、ある日、新規開拓した男子から良い情報を教えてもらった。印刷屋の向かいに新しくオープンしたクリーニング屋は、ジュースを飲ませてくれたり、水でも氷入りで出してくれるというのだ。意地汚くも、これはぜひ行ってごちそうになりたい、と思った。
ところが、最初にご近所への宣伝も兼ねて張り切ってくれたのだろうけど、噂を聞きつけた子供たちが殺到したのだろう。私たちが行ったときは、若い女性が出てきて、水だってタダなわけじゃない、こっちは商売しているんだし、と追い返されてしまった。

 さて飲めば逆に出すほうの問題も生じる。不動産屋で頼めばブツブツ文句を言われながら、汲み取り式便所も貸りられるのだが、私はめったに使用することはなかった。
 そんなのは空き地の草むらでしゃがんだり、側溝にまたがったりすれば済むことである。時々失敗しちゃう子を慰める言葉として使われる「ボーコーエンになっちゃうよりいい」という言葉を信じていたので、がまんは禁物であった。自宅から近いところに住む同級生は、
 「いくらなんでも幼稚園生だけでしょ。小学生はしないよ」
と呆れ返っていた。通学路をともにする人でも、
 「空き地の草むらはわかるけど、電柱の裏は犬だけでしょ」
と線引きをしていたりしていた。
 年齢のボーダーライン、場所のボーダーライン、それぞれに制約つきでOKというものがあったりしたのだが、現代の都市部だったら、そもそも男児でも考えられないことであるかもしれない。

 私がたまげたのは、
 「ねー、ティッシュもってる?」
と言われたことだった。おそるおそる、外でするときは紙は使わないで、お尻をふればいいんじゃないの?というと、
 「いやだ、フケツ!」
としゃがんだまま怒られた。


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