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―ピアノ―


幼稚園時代は、ガラかめの月影先生のような雰囲気をもった先生が、「リゴドン」という曲を説明しながら教えてくれたのが最も強い印象として残っている。
これは今でも弾けるのだが、何の本に載っている誰の曲だろう。
先生が哀調におびたメロディにあわせ、
「リーゴドーン リーゴドーン リーゴドーン リーゴドーン 逝っちゃったー」
としわがれた声で歌われ、恐怖に近い強烈さがあった。

幼児性万能感に満ち溢れた幸せな時代は、ここでかげりを見せ始める。
未来というものはどこまでも明るいものではなく、いくら望んでいても努力では手に入らない限界があるようだ、と最初に感じたのが、このピアノだった。(次は体育そして算数へと続いていくのだが…)
最初は「○がもらえるまで同じ曲を弾く」という通常の方式で、すいすいと進んでいった。耳は比較的よかったらしく、楽譜をきちんと読まなくても、先生にお手本を弾いてもらえば、なんとなく雰囲気はつかめた。
ところがすぐに難しい指の動きが増える。練習をしていても何度もつっかえ、自分でもいらいらして鍵盤をばんばん叩いたり、癇癪をおこしたりしていた。
そんな調子でやっていると、母が飛んできて「ご近所迷惑でしょ」と怒り出す。怒られた方は泣き叫び、ご近所に迷惑をさらに拡張する。毎日毎日こんなことの繰り返し。わずか30分の練習が、ものすごく長く感じられるものになっていった。
しかし「やめる」とは言わなかった。
当時、内容を全部は理解しなかったものの、「エースをねらえ」や「巨人の星」から、自ら「やめる」というのは最大の恥の屈辱であり、練習とは苦痛がともなうものだ、ということはわかっていたからだ。精神的苦痛はじゅうぶんに味わっているのだが、それでも上達しないのはなぜだろうと考え、おそらく岡ひろみや星飛馬のように肉体的にまいっていないことに原因があるのだと見当違いな方向に気が付いた。考えていた単語はこのとおりではないが、体ががたがたになるまでトックンをすればうまくなるのだろう、という結論に達したのだ。
それから、ひそかに間違えた手のほうを罰として噛むという秘密のトックンを始めた。

しかし、このトックン、罰を受けるのは左手のほうが圧倒的に多かった。利き手が右手であることがわかっていたのだが、はさみは左だったり、絵は両手でかけたりしていて、まだそれほど機能的に差はなかったのが、ピアノにより動きの差が顕著になってきた。インド人は左手を不浄のものとして扱う、という知識もこのころに入っている。微妙に取り違えて、やっぱり左手は悪、右手は善なのだと確信を新たにした。ピアノを叩きたい気持ちを、そのまま左手にぶつければいいので、騒音公害を出さずにすむという利点もあった。問題なのは、罰している立場のはずなのに、自分自身が痛いということである。しかし、これも上達への試練の道なれば、加減して甘噛みする自分を律していかねばならない、と複雑な思いであった。なにしろ
「おまえも痛い。でもおまえをぶっているこの私の手のほうも痛いということを、わかっているのか」
という調子の青春ドラマもいっぱい見ている。(いま思えばそんなアホなという屁理屈であるが)
左手と私も痛みをわかちあえる関係なのだから、これからはきっとうまくいく。そんな希望を支えに、練習が終わるころは左手は歯型だらけでしびれていた。バカである。ひとつ状況が違えば変態さんではないか。

そのピアノ教室では、毎年「発表会」というものがあった。発表会ではベルベットの服を着て、エナメルの靴を履き、スポットライトのあたる舞台で弾く。それは想像しただけで晴れがましくわくわくすることであった。
ところが、発表会というものは、同じ教室でそれぞれ個別に習っている子供たちが一堂に会する場でもある。年齢的平均レベルで、自分が低い位置にあることが、素人目にも露骨に披露させられる場でもあった。

まず、与えられた曲の難易度。
年長組の子供が、ゆっくりではあるが確実に「仔犬のワルツ」を弾きこなすというのに、小学生の自分はメジャーでない易しい曲を弾いている。

それからプログラムの順。
全体にみて、年齢の若いほうが早いのだが、微妙に入れ替わっているところがある。若くても上手ければあとのほうで弾くのだ。
遅くにはじめた人では、年上なのに私より前に弾かされた人もいた。しかし同じ年の中ではいつも私は一番最初に弾かねばならず、そのうち私より若い子の中に、私より後に弾く子も出てきた。

その上での技術。
課題が与えられてからの練習の成果は、プログラムの順を番狂わせだと思わせるようなことにはならない。下手な人から上手人へ、きっちり順番どおりであった。

発表会のような形式では、外部の公開レッスンのオーディションも一度だけ受けたことがある。どうせ受けるだけ無駄だろうと自分でもわかっているのだが、お声がかかっただけマシということなのか、どういうわけか受けさせられた。他のピアノ教室の子たちもいる中、バッハのインベンションの2番を弾いたのだが、父兄には評価がさらされたのだろうか。他の子が判定がAがついていて、悪くてもBだったというのに、私だけがCで恥ずかしくて情けなくていったたまれなかった、と母に嘆かれた。
全く箸にも棒にも引っかからないのなら、あまり期待もない。箸か棒のどちらかに一度ひっかかりはするものの、必ずすべり落ちてしまうというレベルは、最もいらいらさせられるものだ。

あとになってみれば、のちに音大へ進学する子供もいたので、そこの教室はややレベルが高かったのだろうと思うのだが、この発表会で、自分は誰からも期待されていないダメな部類にあるのだなと毎年毎年思うのだった。
他の子供たちは、上手くても下手でも家族から「よくできたね」「がんばったねー」と、ちやほやされていたりするというのに、私はいつも眉間に皺をよせた母に睨みつけられ、良くて「まあこの程度なら」という評価をもらい、ひどいときは「本当にがっかりした」と落胆されたものだった。
いつまでも母の求めるレベルにならないのは、自分に才能がないせいだとうすうす感じていたのだが、それを肯定したところでどうしようもない。

先生も一応適正を最大限に考えてはいてくれたのだろう。
2年生から変奏曲。メロディは覚えているがタイトルが覚えていない。
3年生でようやく「きらきら星変奏曲」
4年生にもなって「調子のよい鍛冶屋」
5年生で小手先の「熊蜂の飛行」
6年生でなんとか「悲愴」
楽譜がなかなか読むことができないので、耳で覚えられる繰り返しの曲。
やわらかい音を奏でるというのができないので、スピードや音の激しさでインパクトを与えられる曲。
体育がなぜできないのかという原因と同じくするリズム感が致命的に悪かったので、リズムを保ち続ける必要のない、技術的難度高めのように聞こえる曲でごまかすというしかなかった。

ピアノは結局中学で中断。高1で先生を替えて1年間だけ再開。
技能の習得には、年数で期待されるレベルというものがある。
通算9年ほど習ったことになる。
しかし、そのわりには…といった腕前である。

これがもっとマイナーな楽器なら「趣味」だと言えるのだが、ピアノの場合、大人になってはじめた人でもないのに、こんな中途半端なレベルじゃ趣味というのもおこがましい。期待される会話のフレームでいけば、
「趣味は何ですか」
「趣味はピアノです」
「そうですか。何を弾かれますか」
このあとに続くとしたら、
「今はまだバイエルですが(笑)」か、
「そうですね。ショパンとか」だろう。

音楽に関する質問っていうのは、音楽鑑賞のほうであっても、何かと聞かれたら、限定した一曲のタイトルじゃなくて作曲家で答えるだろう。何を聞くかと聞かれても「レットイットビーです」では変で「ビートルズです」となる。ジャンルで答え「クラシックです」と言っちゃうと、次に続くのが「クラシックでは誰が好きですか」なんてことになっちゃうんで、結局作曲家だ。

作曲家でピアノ的なものはショパンだから、ショパンしか期待されない。
漫画いつポケの影響もあるだろうが、確かにピアノはショパンだろう。
#が5個くらいついていたりするので楽譜がパッと読めないとキツい。
左手が3拍右手が4拍というような複雑なリズムが平気で存在する。
やわらかい音と激しい音と交錯し、優雅なペダル使いが要求される。
どれも私には高度すぎる。

大人になってから、自分のピアノでの得意分野は、「耳コピー」であることがわかった。「ラジオ体操第一」とか「山手線内回り発車しまーす」とか、いわばピアノでできる宴会芸のようなものである。
思えば、履歴書に書かない特技は、どれも同じ傾向だ。似顔絵、物真似、下書きなしの切り絵…。全体の輪郭を拾って、特徴的な部分を際立たせ、なんとなくそれっぽくする。芸であり芸術ではない領域だ。

今も強弱以外に変化のない弾き方しかできないが、十年ちょっと前に買った電子ピアノだと、これがあまり目立たない。
他人が家に来れば、一人暮らしのくせに珍しいでかいもの持っているねぇとピアノを見て、気楽に「なんか弾いてぇ~」とお願いしてくるんだから、その時に宴会芸は役に立つ。
だんだん有名どころの曲のイントロとサビができりゃいいんだ、ということもわかった。どうせ3分以上集中してくれはしないのだから。「途中でやめないでぇ~」と言われるところで、次、次、次とやっていけばいい。
耳コピで、右手にバイオリンパートを混ぜつつ、一人協奏曲、一人交響曲をやってみたりすることもある。
めざしたいところは、ピアニスターHIROSHIである。以前、月刊ピアノに連載で譜面もだしていたが、ああいうのは楽譜をみて弾いてもうまくいかないと思う。感覚に叩き込んで、リクエストに答えながら即興的にやるもんだ。

「弾いてぇ」とお願いする人には2種類ある。
「両手同時にばらばらな動きができるなんて尊敬しちゃう」というようなピアノ素人は楽だ。リクエストを気楽にしてくるのもこのレベル。「ポップスとかはちょっと難しい」と牽制しておけば、タイトルがわかっているクラシックはどうせ「エリーゼのために」とか「サティのなんだっけ」とかだ。
もう1種類は、「懐かしい!ピアノって小学校のときしかやっていないけど」というタイプ。
こちらのレベルを確認してから、まあまあ互角ということなら、小学校で5年間くらい習った、昔とった杵柄を試したいという気持ちがあって「弾いてぇ」といってくるんである。
幸いというか、こちらの力をセーブする必要は全然ない。
10年ぶり、20年ぶりといいつつ、みなさん私よりはるかに上手いのである。

いまは月に1度くらい、ピアノの蓋を開ける。ワープロで疲れた指では、あまりピアノに興味が向かない。
ここ最近弾いているのは、エチュードである。
テレビ番組やコマーシャルのBGMに使われていたりするものが中心。
ツェルニーくらいだよな。日本語で「ツェ」の表記を使うのは。
とか思いながら、時々ループにはまりながら耳コピを頼りに弾いている。
楽譜を買うよりCDを買ったほうがよさそうなのだが、練習曲専用のCDというのはそこらへんには売っていないので、つい忘れてしまう。

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