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―学芸会―
どこが文化なんだか学芸なんだかわからないのだけど、お芝居とか合唱とかを披露するっていうことでは共通している。
しかし、文化祭は生徒の自主性が尊重されるもの、学芸会は猿回しの猿のように徹底的に仕込みを受けるものと、かなり違うものになる。文化祭は楽しめることだったが、学芸会は運動会と同程度にめんどうくさい義務であった。
以下、学芸会の演目について、学年ごとに記憶をたどる。
【小1】うらしまたろう
昭和も50年代なので「両親ともに戦後っ子」という同級生もいた。上の学年に比べて数が多く、団塊ジュニアの走りだという世代的要因もあるのだが、たまたま鉄筋コンクリートの県営住宅が建てられたり、分譲宅地が増えたりして、新興住宅地化したところなので、子どもの入学を住み替えのタイミングとする親ってのが多いからか、ちょうど同じ世代の子どもが多くいた。
小学校はマンモス化し、2年後には新設校に分離されるということが決まっていたが、教室が足りず、家庭科室や図画室、視聴覚室などを通常の教室として使っても足りず、5年生は運動場のすみのプレハブ校舎で授業を受けていた。今の時代なら、行政ももうちょっと予測すべきだとか市民が騒ぎそうな状況であるが、とにかく容量に対し子どもの数が多すぎる小学校に入学した。
詰め込むことには慣れているからか。学年300人くらいいたのだが、これで全員出演の1つの「うらしまたろう」をやれ、ということになった。
主人公は7人の浦島太郎だ。数十人の子どもたちに囲まれていじめられるカメAは悲惨である。これを助ける浦島太郎A、お礼を言いに来るカメBと海にもぐる浦島太郎B・・・というように、箱をあける浦島太郎F、じいさんになる浦島太郎Gまで、各クラス代表1名ずつの浦島太郎が交替で出てくるのだ。
鯛やヒラメは数十匹ずつ、海老やイカやカニまでいて、竜宮城ではてんやわんやのマスゲームが披露される。それで竜宮城にはなぜか乙姫様のご両親までいる。お父さんの名前は竜王。どうでもいいが、「雪女」や「浦島太郎」のような、青年の甘い夢と残酷な現実を対比的・象徴的に描いた話に、女の親が出てきては台無しではないか。当時6歳児だったのでそんなことは考えなかったが。
ところが。なんでも複数出てくる配役であったのに、乙姫様だけは、学年でただ一人であった。
ちょっと自分に自信のある女の子たちは、当然、自分が乙姫様をやるのだと心の中で張り切っていたんじゃないかと思う。配役は教師が決めていた。
乙姫様は、着物の似合うきれいな子だった。衣装の着物は自前だ。当時は入学式に着物着てくる親が1割くらいいた時代だし、ちょうど七五三の年齢なので、着物くらい持っている子は多かったと思うのだが、乙姫様の子は着物もきれいな上に、ふわふわした羽衣みたいなものや、金色にきらきらする冠なんかつけて、とても美しくしたてられた。乙姫様は特別であった。
私の役は、原作にはない侍女Aである。七五三用の自前の着物をきているのは、乙姫様と侍女B役のトモコという子の3人だけであったので、なんとなくクラスの子から、うらやましがられていたようだった。しかし、頭に自前の飾りをつけたら教師に「取れ」と言われていたりするので、乙姫様の引き立て役なんだろうなぁと思った記憶がある。「じじょより長女のほうがいい思いをしてずるいというのはこういうことなのか」と同音異義語で勘違いしたりもしていた。
浦島太郎と竜王夫妻で、名残を惜しむせりふが続くのだが、
乙姫「さしあげましょう玉手箱」
竜王「竜宮城の玉手箱」
侍女A・B「りゅーぐーじょーのたまてばこ」
というタイミングで侍女Bと、声をそろえ、二人で箱をもって浦島太郎さんに手渡すという一つの見せ場ポイント・・・台詞は一言だけである。にも関わらず、練習ではとにかくでっかい声を出せと何度も練習。
あまりに唐突にあらわれ、すっとんきょうな声だったせいか、本番では、父兄の嘲笑のさざなみが立っていたのが非常に印象深い。
後年、乙姫のミツコちゃんと同じクラスになって、「あのころ」の話題が出たのだが、「ばかばかしいったらありゃしない。せっかく乙姫様だっていうのに、台詞は一言しかないし」と妙に憤慨していた。
他人の仕事なんて覚えちゃいない。自分のところしか覚えていなかったので、乙姫様も一言しか台詞がないとは知らなかった。
うーむ、台詞がなくても印象にもっとも残る役、それが女優・・・と里中満智子の『スポットライト』なんかを思い出したり。
【小2】 タイトル不明
たぶん、楽器の演奏をしたんだろうと思う。鍵盤ハーモニカで、途中3つのパートにわかれ、和音を作り出すというもの。オリジナルだったのかメジャーな音楽ではないのだが、そこだけ教師が鬼のように怒りながら練習させたせいで、今でも全パートのメロディを覚えている。
この年か、前年かわからないが、「羽衣」をやった学年があって、観客だったのだが、「はごろもをかえしてください」という見せ場の静まり返ったところで、同じ学年だった近所の電気屋の息子が、「♪はごろも缶詰、シーチキン!」と節をつけて歌い、体育館中が大爆笑になってしまったのを覚えている。おとなしい男の子なのに、大胆なことをするなぁと驚いたが、この男子は、その後のやんちゃぶりは一回、どこかで転ぶか車にぶつかるかして顔に怪我をしたことがあったように思うが、言動に関しては、あとにも先にも物静かで控えめな子だった。
【小3】日本の祭り
分離した新設学校、1学年は170人程度に落ち着いた。しかし、時代のせいか、伝統のない学校のせいか、学年担任の構成のせいか、ここから2年、重苦しくまじめな学芸会になる。
国語の教科書の単元にあったものと、ほぼ同じ。合奏の伴奏でピアノを弾いた。「山田の案山子」で、弾いている最中に蓋をしめられたのはこの時。
音楽劇でもないのだなぁ。日本各地の祭りを紹介しようっていう流れを埋めるのが音楽。
で、他のクラスが何をしていたのか全く思い出せないのだけど、鹿のかぶりものをして踊るという地域があるらしく、それが自分のクラスにあたった。
教科書には、地域によっていろいろな祭りがありますね、というだけで、せいぜい写真が載っている程度である。
役に決まった子4人は「鹿の頭を作り、踊りを考えてくること」と短大出で新任という二十歳の担任に約束させられていた。
学芸会を中心に授業は進められるので、張子のかぶりもの作りは図工の時間にやった。
役にあたっていない子は、好きな動物で作ってよかったので、肌色(現在の教育ではペールピンクというらしい)の熊にしてみた。ディズニーランドのミッキーマウスみたいにして作っていたら、「こんな禿頭なんか作ってふざけて」と担任が怒り出した。まったく心外だった。
耳を指し、これは熊であると説明したのだが、「こんなのお面といわない」とケチをつけられた。図工の教科書には「はりこのおめんづくり」とあった。作り方だけでなく「面を覆うものを作れ」ということも課題であることを、まったく理解していなかった。少しでも顔を覆うようにしてくれないと「先生、困る」というのである。私は困らないのだが、おでこの方向に口をつけてみたら、肌色なのに耳の丸い狼のようになってしまい、今度は「こんな動物はいない」といわれ、じゃあおばけってことにする、と言ったら、「おばけは動物じゃない」といわれ、いちいちごちゃごちゃいう担任にいらいらしたので、後頭部に緑色で「おばけ」と書いて、「これなら誰でもわかるでしょ」といったら、「先生は悲しい」と不愉快な顔をされた。
鹿のお面は、ほんとうに感心するほど上手だった。役に決まった子たちは、「私たちだけは昼休みもやっていいと先生が言っていた」といい、時間をかけ、いいものができた。
ところが、彼らがそこに丁寧に色を塗っているとき、「あんたたちは自分たちで役になりたいといったくせに、全然自発的に踊りを考えてこない!そうやって自分勝手なことでいいと思っているわけか」といって、担任が泣いて怒りだした。
昼休みにやるべきことは、お面作りじゃなくて役作りだったらしい。
ほんの9歳児が自発的に相談しあってダンスなど思いつくものか。想像力が足りないなぁと今は思うのだが、当時はなんとなくクラス全体が罪悪感を背負わされて、結局担任が考えた、腹鼓をうって首を回転させる、けだるそうな踊りを、音楽の時間に習った歌にあわせてしぶしぶ踊らされていた。
♪まつりのたいこは ドンドコドン
はやしの笛は ピイヒャララ
豊年だ それ 満作だ
ほらほら みこしも くりだした
打て打て たいこを ドンドコドン
ふけふけ 笛を ピイヒャララ
豊年だ それ 満作だ
ほらほら こわかも くりだした
(歌詞は記憶の端々で検索をかけてみつけた。「おまつり」高橋信夫作詞・作曲不詳(外国曲))
【小4】○○新田のあけぼの
市内に、「○○新田」というのがある。この干拓事業を成した人物の名前が○○である。この時代の教師ならば思想的に、農民や人夫の苦しみを中心的テーマにしそうなものなのだが、○○一族がその後100年以上も市内の財界を牛耳っておられるためか、偉人伝として描かれる。干拓事業の際、紅白の組にわかれ、堤防の端に向かって土嚢を積みあげる競争をさせるのだが、買ったほうに賞金「500円」を褒美として与える、というルールで、スピードをあおり、いずれの組にも「こちらの組が勝ったぞ」といって、賞金をそれぞれに与えたという、「○○氏ちょっといい話」が劇の見せ場になるのである。これが、ほぼ市内全域の4年生が毎年毎年これを演じるのである。この劇で何の役をやったのか、まったく記憶にない。オープニングの、「堤防の長さおよそ9キロ」とか言う子が誰だったかは覚えているし、干拓事業前に津波がやってきて、「水が」と叫ぶ役の子のことも覚えている。赤や青のライトをつける役だったか。麻袋に新聞紙をつめて、土嚢にみたてるものを作った記憶はある。土嚢らしい大きさにしたら、それでは舞台で目立たないからと、まるで東京都推奨ゴミ袋並にでかい袋に作り直させられた。それを「重そうに運べ」という指導をしながら、21歳になった担任がまた思い通りにならない子どもたちに泣いて怒っていた。とにかく、ものすごーく暗くてつまらない記憶しかない。
この年、2つ上の学年では、熱心な30代の女性教師がいて、2人の演技派男子に、仁王像がらみの悪巧みをして結局は勧善懲悪になる昔話風なものを演じさせ、ものすごく上手く、学外のどっかの大会にもでて表彰されていた。担任の違いって大きいな、と思った。しかし、この素晴らしい劇も、出る子が限られ、機会が平等じゃないと一部のPTAから批判があったと聞いたが、大勢出てうまくやろうというのは無理があるし、上手いものを世に出すにはいろいろ難しい問題があるんだなと思った。
【小5】(不参加)
いとこの結婚式のため欠席することがあらかじめわかっていたので、他人事として取り組んでいたせいか、練習の記憶もろくにない。裏方小道具作り。たぶん「ガリバーの冒険」みたいな話だったのだろう。巨大なタバコを作った。当時20代半ばで天パで縮れた口ひげをはやした身長180センチの美術系教師が、非常に芸達者な人で、オリジナル台本にオリジナル音楽をつけたものを出し物としてやらせた。
「この虹は、神様の約束~」
とかなんとかいう歌詞で、ノアの箱舟に関するものをやっていたのだが、よく苦情が来ないもんだなと思った記憶がある。小1のころ、日本赤十字バッチを学校で配られたとき「うちの宗教はキリスト教ではありません」と学校に苦情電話をかけてきたPTAがいたという話で、日本赤十字社とキリスト教は全く関係がありませんという説明を聞いたことがあったので、キリスト教くさいことをやると、熱心な仏教徒が怒るんんじゃないかと心配していたが、どう言いくるめたのか気がつかれなかったのか中止になったということは聞かない。
【小6】「チキチキバンバン」
子ども1の役。志願したのか、投票されたのか、指名されたのか、全然覚えていない。いいかげんな担任だったせいか、父親の博士役に付け髭、ダテ眼鏡、白衣を着せ、母親役にエプロンをつけさせ、子どもは体操服でいい、ということで出させられた。台詞「うわぁ、車が動きだすみたい」だけ覚えている。
時空を自由に飛ぶ車で、あちこちいくという設定なので何でもあり。南の島にたどりつくと、音楽の授業で習った「いろんな木の実」という合唱曲を歌う前で、隣のクラスの女子がぽんぽんをもってミニスカートでラインダンスをするという趣向があった。これがまた、発育のいいおませな女子が多いクラスだったので、本番はPTA席からどよめきがおこったのを覚えている。
【その他】
ちょうど、「ゆとりの時間」のはしりだったため、その時間を利用して、学芸会によく似たいろんな「会」があり、そのたびに練習・練習・練習が繰り返された。
いくつか覚えていること。
小5のとき、各学年を全部いる「縦割り班」というので「七夕集会」と「6年生を送る会」をやった覚えがある。「龍の子太郎」のメロディにあわせて、桃の子太郎というのを歌わされた。たぶん、劇もあったのだと思う。6年生を送る会は、6年生に紙の服で作った服を着せてファッションショーで競い合うというもので、顔には落書きしほうだい、来年自分がやられる番になったらいやだろうなぁと思ったのだが、縦割り班は教員側の管理が大変だったらしく、確かその翌年には消えてなくなっていたのか、自分がされることはなかった。
小3のときは、学年のおわりに年間の思い出を発表しあう会があった。この時、小3恒例の水泳の特訓について、先生方に感謝するという歌を歌わされた。もちろん歌詞は感謝される側の先生が考えたものであるのだが、これがすごい。
♪肩を並べてスイスイと
クロール背泳ぎできたのは
先生方のおかげです
3年のために、3年のために頑張った
先生方のおかげです。
○○先生、ありがとう
△△先生、ありがとう
という調子で、いろんな先生の名前が続くのだが、特定の目上の人を目の前にして頑張ったと評価する歌詞も変であるが、このメロディ、原曲の歌詞を部分的にかえただけの「兵隊さんよありがとう」という歌なのである。
これこそ、当時でもPTAから苦情が殺到しそうなものなのだが、やっぱり「両親ともに戦後っ子」が多くて知らなかったからか。
定年まであと数年の背の低い教務主任は、自分は背が低すぎて、召集されなかったが、校務主任は実際ライフル担いで戦地に赴いた人だから、人を殺したことがあるかもしれない、などと意地の悪い言い方で児童に漏らす人だったが、この教務主任も子ども時代は「兵隊さんになりたい」と思いこまされた世代だったせいか、この歌を目を閉じながら、原曲で朗朗と歌っていたことがある。
♪肩を並べて兄さんと
今日も学校へ行けるのは
兵隊さんのおかげです
お国のために、お国のために戦った
兵隊さんのおかげです
夕べ楽しいご飯時
家内そろって語るのも
兵隊さんのおかげです
お国のために、お国のために傷ついた
兵隊さんのおかげです
淋しいけれど母様と
今日もまどかに眠るのは
兵隊さんのおかげです
お国のために、お国のために戦死した
兵隊さんのおかげです
兵隊さんよありがとう
兵隊さんよありがとう
今になって通して聞くと、こんな感謝があって何になるかよと思うのだが、教育の作用ってすごい。こういう歌が、時代を作ってきたという矜持をもち貫禄と威厳のある先生からノスタルジイをこめられて聞かされると、いくら読書感想文やNHKの番組とかで「戦争はいけない」という教育を繰り返しても、「戦争をした連中が悪い」とはならず、「今は平和だけど、かりにもし私も戦争になったら、女子だから戦場には行けないけどお国のために頑張ろう」と刷り込まされてしまうのだから。
そんなわけで、右傾化していく小林よしのりをはじめて読んだときは、上の世代で別の地域だと、左翼的教育ってのが、実践されているところがあるのだなということに驚いたくらいだ。
少なくとも、四半世紀前に比べ、いまの時代のほうが、言論統制が厳しいんじゃないかなと思う。
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