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号外が出たとか


いま国民の80%が男児と信じて疑っていないような雰囲気ではないか。
このままだと、水天宮にお詣りにいっちゃうおばあちゃんとかが放送に出てきそうだ。例えば、
「いま?どうか立派な男の子が授かりますようにってお祈りしてきました」
とか。いかにもありそう。うわー何時代だろうっていうコメンテーターのツッコミとともに。
テレビは自分で言いたいことをはっきり言わないかわりに、街頭インタビューした中から「広めたいネタ」にあてはまるものばかり放送するので、じゅうぶんありそうな場面だ。

14:15にネットで速報が出て、14:30ごろはアクセス集中で繋がりにくくなり、14:40になってテレビで速報が出た。

しかし妊娠6週間って、受精後4週間という意味だよね。
そんな段階で、よく「経過は順調」だなんて発表しちゃうよなぁと思う。
数年前から、娘たちが弟妹を欲しがっているとか、今年はコウノトリがとか歌ったりで、もう問題を解決する切り札は自分たちにしかない、と思っていらっしゃったのではないかとも思うのだが、なんでもいいけど、きょうだいはべたべたしなくてもいいから仲良くしたほうがいいなぁと髪を切ってもらうと、雑誌を読んで考えてしまう。

国会もこれで法案はおあずけになるんだろうか。
世論も変わっちゃうよなー。
男女平等とか男女同権とか、さも当然そうに言っていた人たちの声はどうなるんだろう。「男児が生まれようとやはり直系長子の敬宮様となるのが自然だろう」と思う人がどのくらいまだあるんだろうか。

一旦「男女平等」や「男女同権」を根拠として口にした人は、(女系容認がいいかどうかはともかく)態度として今後もそれを貫くべきでしょう。
そうでなければ、
「規則に例外が発生した場合にのみ、臨時的に男女は平等で同権と考えられる」
という前提になってしまう。「臨時的に」といえば「本来は不平等が正しい」ということを支持することである。

男女は平等であり同権であり、同質ではなく異なる機能を持つ生き物であるが、女子天皇および女系になるとしても、平等とか同権という概念は根拠としてふさわしくない。
まず「男女同権だから女性天皇もいいだろう」っていうのは、そもそも天皇が「権利」という概念に支えられて存在しているわけではないので、矛盾がある。
また「男女平等だから女性天皇もいいだろう」っていうのは、そもそも天皇制自体が「平等」を基盤にしていないので、やはり矛盾がある。

天皇というのは、なりたくてなれるもんじゃなく、もしもなりたくなくてもそれにあたった位置にある人は断ることも辞めることもできない。世襲というのはそういうものだ。
従来どおりの規則性に従うと、条件が整わない事態が発生したというだけであり、そこに「権利」「平等」というもともと相容れない概念を、わざわざ混ぜようとする必要はない。

男系存続派には稀に、女系容認派にはかなりの頻度で、皇室典範の改訂に絡め、今後天皇制廃止に向けて徐々に進めていこうという魂胆の意見も混じっていたりする。

何でも取り入れ、馴染ませて受け入れてしまう日本民族なんてのは、天皇制がなければ、アメリカ合衆国ジャパン州か、中華人民共和国日本人自治区か、どちらかに簡単になってしまえるだろう。
独立国として隷属するわけではなく、大国に組み込まれるのだから、日本という単位は州なり自治区なりで保たれるわけだし、おのおのの郷土が崩壊するわけではない。アメリカも中国も嫌いだからそれは嫌だという声があったとしても、敢えて国家という単位としてまとまって独立する根拠がなければ、どちらの国になれば得かということを考えるようになる。

狂信的に天皇を称えているわけではないし、生活には直接関係ない人なのだから、天皇制くらいなくても日本は国家として成立できる、というのはちょっと甘いと思う。まったく現存しないのと存続してうっすらでも気配を感じているのとでは、大きく違う。天皇制を維持しないということは、日本というグループを国家として維持しないという方向に進む。

したがって、日本が国家という単位として、いつまで続けるべきかということも考えて天皇制問題を扱わないとならないと思うのだが、これで男児が生まれれば現行の皇室典範で、とりあえずあと80年くらいは日本という国家が自動的に続けることができる。問題は先送りになるのだが、どうせ現在いろいろと問題を議論している人は全員いなくなっている。

仮に女児だったとすれば、これまでの論議は続き、別のルールを作らねばならない。
国民にとって馴染みの無い、元皇族を復活させて男系をとる、というのはちょっと難しいだろうし、女系では現在言われているような反対の声がある。

そこで女性天皇でかつ男系を保つ方法が考えられる。
つまり、内親王や女王で皇位継承の順位をつけられたものが、その遠縁にあたる元皇族と結婚するのだ。従兄妹婚が法律で認められている日本では、祖父(今上天皇)の祖父(大正天皇)の祖父(孝明天皇:1831年生)あるいはそれ以前が共通しているということでは、近親婚という感じはあまりしないはずだ。実際、ちゃんと調べれば、現状の国民の多くが数代遡れば、先祖が重なってしまうような結婚をしている家が多い。

遠縁が直接天皇に立つことには抵抗があっても、この方法ならば文句はない。
「社会的な常識をわきまえた人とであれば、多少の性格の違いがあっても、外見上の好みの枠から外れようとも許容できる」というような柔軟性をもつように育てられた人なら、平穏な結婚生活ができるはずだ

ただし、そうなると「結婚する当の二人が本当に同意しているのか」という問題があがるだろう。
日本では、ここ40~50年ほど、
「自由結婚が人としての当然の権利」
という信仰が強いため、「いいなづけ」と結婚させられてしまうような非人道的なことは許されないという抵抗感が今はあるだろう。

しかしこの結婚観を突き詰め続けたせいで、今は結婚制度自体が衰退している。

自由結婚信者だった人でも、もともと好きだと思っていた人と最終的に結婚に至らないというケースは、未婚者にも既婚者にもいっぱいある。
結婚生活がつつがなく続いている人のほとんどは、相手が嫌いで嫌いで仕方なかったり、好きで好きでどうしようもなかったりするようなことはなく、配偶者には他人と違う愛着が少しあるというような感じなんじゃないかと思う。

実は、結婚生活のスタートが、偶然の大恋愛であるかないかは、その後の生活とは、ほとんど関係なくなってしまうのだが、スタートしようとする人には、そうでなければ始められなくなってしまっている。
結婚できない多くいるのは、結婚市場が「好きな人と結婚しなければならない」「偶然に頼らなければ結婚できない」「結婚を決めるための決定打というのが必ず何かあるはずである」という思想に縛られているせいもあり、一般の国民だと、もともと自分が結婚の必要を感じなければ、必要な感じを沸き立たせてくれる相手じゃないと結婚しないよという傾向になってしまった。

これは、偶然テニスコート出会った、健康で聡明な美しい女性のように、「美智子しかない」と言いたくなるような女性でないと結婚したくない、そう言ってくれるような男性でないと結婚したくない、という理想的な結婚の「あるべき姿」を47年前に植えつけられてしまっているからだ。
息子たちも父のように自由結婚をした。
しかし、片側の視点から書かれたロマンスは、本当に理想的な恋愛だったんだろうか。
職業選択の自由がなく、非婚選択の自由もない天皇家に「自由結婚は唯一の権利である」という考えは、今上天皇から始まったものであるが、片側の権利を確保したがために、その配偶者のみが苦労している例が2代続いている。
ロマンスがあったから乗り越えられたというもんではないだろう。

この間の娘のほうは、恋愛というには、ちょっと微妙な感じで、お二人はこのようにして愛を育まれてきたのですというような無理やりな盛り上げ方はなかったが、どちらかというと世の中でありがちなほうの結婚である。
結婚する前から物語などなくても生活はできる。

で、どうやったら「国民の総意“のようなこと”」に落ち着けそうかということを考えてみる。

側室制度は復活させない。
女性天皇がたつ場合は、血筋的に男系になるように育てる。女王のみの宮家を存続させる場合も同様に男系の血筋が保たれるように育てる。そして皇族の結婚相手となる男子女子は、身分的には民間人でも血筋上天皇家を引き継いでいることを誇りにしている家庭に生まれたものを、幼少期からそうなることも想定し自覚させながら育てる。

60歳で停年になっちゃうような、にわか仕込みの公務員なんかに「皇室の伝統としてあるべき姿とは」と訳知り顔に語らせるようなことにはさせず、宮内庁職員は世襲制を基本にする。その出身は、公家筋か社家に限らせ、正当な神道を信仰する者で固める。
一般公募からは、公務員ならどこでもいいというのではなく、宮内庁で働くことを本命とする人しかいれない。

ものすごく時代錯誤だが、制度自体が時代錯誤なので、こうした絞込みによって、円滑で合理的な生活ができるようにしたほうが、不幸な人が減ると思う。

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