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samsam7727

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samsam7727 @ Re:おきばりやす^^*/(10/15) べんてん2951さん >順調そうで何よりで…
べんてん2951 @ おきばりやす^^*/ 順調そうで何よりですね。 次は年末か年…
samsam7727 @ Re:フッフッフ^^(07/25) べんてん2951さん >>いっそのこと、二…

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10年前の1月17日。僕はいつもどおり6時過ぎに起床し、今へ。すると、一足先に起床して朝食の準備をしていた妻が

「神戸ですごい地震があったらしいよ」

という。確かに、阪神間で地震が起こりうるという予想はあった。しかし、大地震が起きるとしたら、日常的に地震が頻発している首都圏の方が先だろうと思っていた。しかし、そんな素人の想像は簡単に覆された。

中学時代の世界史の教師が言っていた。

「巷では第二次関東大震災が来ると言われていますが、関西も安心できないですよ。周期的に見れば、あなたたちが生きている間に関西に大地震が起きる可能性は高いですよ」

その教師は、歴史や社会科という枠を超えて、極めて優秀な男で、本当に不気味なくらい頭の回る男で、いつも薄気味悪い笑みを浮かべていたけど、なぜか好きな教師であった。彼のこの発言に内心、背筋が寒くなった者も僕以外に少なくなかったと思う。

そして、その大地震が現実となった。

当時、僕には買って一年の中古マンションがあった。場所は芦屋市。僕が住む予定はなかったものの、母と姉の居住地兼僕の出張の際の宿泊先兼僕の息子が僕と同じ中高に進学した際の居住地という位置付け。母には電話をしたが、連絡できない。仕方ないので、テレビでマンション付近が映し出されるのを探した。もう、会社にいくどころの騒ぎではない。いつもは8時過ぎには出社するが、その日は出来るだけ自宅に残り、情報収集する事とした。

結局、9時には自宅を出て、10時には出社したが、会社に着くと同僚や後輩に「ご実家は大丈夫でしたか?」と聞かれた。でも、連絡がつかないとしか言いようがなかった。ただ、僕は何となく、母と姉は無事なような気がした。というのも、二人は、仕事柄、自宅を空けることが多かったからである。



僕の高校時代の親友もほとんどが地震の被災地に住んでいた。今でも大阪に帰ると必ず会う三人。そのうち一人は尼崎なので影響はあまりなかったが、一人は当時は芦屋、一人は芦屋に近い神戸市東灘区に住んでいた。東灘の友達は、例の阪神高速が横倒しになった地点から直線距離にして300メートルほど。とてつもない衝撃であったと後に語っていた。親友はみな無事であった。

次に気になったのは母校。私も上述の親友も通った母校は中学は海に近い場所にあり、我々が通った頃は木造平屋建て、高校は山の中腹にあり、僕が中学一年の時に新築された。高校は、総合的に勘案して被害はほとんどないだろうと思ったが、中学はほぼ絶望的だろうと予想できた。しかし、後で知った事では、震災の少し前に新校舎が建設され、無事だったそうだ。

しかし、母校は校舎の代わりに別のものを失った。当時、私が在校中の(恐らくそのときも引き続いての)理事長が亡くなった。また、その理事長がオーナーである学校のスポンサー企業も壊滅的な打撃を受け、そのあおりを受ける形で、スポンサーを止めざるを得なくなった。と、人から聞いた。

親友の一人は、実は小さな怪我をした。地震で食器が散乱して、そのかけらを踏んで出血したそうだ。家族中で彼が唯一の「負傷者」であったため、彼は自分で病院に車を運転して、治療に行った。そこで彼が見た光景は凄まじいものであった。

病院の待合室には、治療を待つ人たちであふれかえっていた。さらに、フロアに寝かされている人も多くいた。そして、部屋では診療しきれないので、医師が待合室でも応急処置をしていた。そして、フロアに横たわっている人々の多くは、実は既に亡くなっている人なのだ。家族もそれを知っている。しかし、家族が死亡したという事実を自分たちだけでは受け入れる事が出来ず、「死の宣告」を受けるために病院に連れてきているのである。彼は、ほんのかすり傷で病院に来てしまった自分をなにか「場違い」な存在に感じ、治療を受けずに帰宅したそうだ。

彼が病院そして自宅マンション付近で見た「地獄」。その後、彼は家族を連れて車で実家に行った。確か須磨区の北部。そこには、昨日とまったく変わらない景色があった。被害がないのである。彼が実家付近で見た「平穏」。その時の感想を彼はこう語っていた。

「何故か無性に腹が立った」

率直な感想だと思う。

僕が震災後、初めて関西に帰ったのは、半年か一年後の事であったと記憶している。震災の跡はまだ残ってはいたものの、復興はまずまず進展していた。実家でちょっとした買い物をしにコンビニへ。しかし、隣のマンションの一階にあった筈のローソンがない。

家に戻って母に質問した。

「あれ?近くにローソンあったやんな~?」



あ~、ここでは大震災があったんだな~。実感した瞬間。隣り合う二つのマンション。しかし、より新しいそのマンションは全壊となった。一つ間違えれば、うちのマンションがそうなっていた可能性はあった。複雑な気持ち。

**********

震災後、更地に立て直された一戸建ては、かなりの割合がプレハブ住宅となった。プレハブ住宅メーカーは、露骨に宣伝するのは避けたが、明らかに耐震性において木造を上回っていた。

現在の自宅は築20年以上の木造住宅。少し大きな地震が起こるたびに不安になる。大家さんには不満はない、というか誠に感謝しているのだが、なにかが起きる前に手を打たねばとも考えている。






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Last updated  2005.01.18 12:22:31
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