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2017.12.31
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2006年05月04日
ペニーレインには行けず松田優作になれなかった日

5月2日は僕の誕生日。その同じ日に 原宿表参道で伝説のペニーレインが復活した。昔 吉田拓郎が歌った名曲〈ペニーレインでバーボンを〉の あのペニーレインである。                                        ♪時がたってしまうことを~忘れてしまいたい時があるよね~♪ではじまるこの歌は田舎者の僕にはとても衝撃的で、いつかペニーレインに行ってバーボンを飲もうと心に強く思った。しかし 大人になり東京に出てきた時にはペニーレインはもうなく 拓郎は俺たちが遊んでいた頃の原宿ではなくなったと「ペニーレインへはもう行かない」という歌を歌っていた。そしてそのまま僕のなかで時はたっていった。                                            そして5月2日がやってきた。けれど その日は撮影が夜遅くになったということもあり いろいろと悩んだ末に近所のスナックに行く事にした。バーボンを飲んで♪ペニーレインでバーボンを♪を歌って飲んだくれようと...。          「いらっしゃいませ~ 」                                  キープしてある焼酎のボトルがでてくる。                        僕は「...バーボンを」と低い声で言う。                        「うち バーボンはおいてないわよ~」という明るい声と同時にグラスには焼酎がそそがれてる。                                        まあ しょうがないかと気持ちをきりかえ 「カラオケを」と低い声で言うと リモコン式のカラオケの検索メニュウで吉田拓郎を検索した。               ...ショック...                                      なんと〈ペニーレインでバーボンを〉がはいってないのだ。              う~ バーボン バーボンと心の中でうなっていると ふと昔の事を思い出した。それは僕がまだ大学生の頃の話                            そのころ京都で大学生活をおくっていた僕は よく祇園のスナックにいりびたっていた。その時 誰からかこんな話をきいた。祇園に松田優作のなじみのバーがあって そのバーに入ると松田優作はカウンターの一番端に座るのだと。そして一言も話さずにいるのだと...。そしてマスターがゆっくりと目の前にあらわれ「何にしましょうか」というと 低く少ししゃがれた声で 「...バーボン...」。  これがムチャクチャかっこいいのだと。                          絵を頭の中にうかべるだけで かっこいいのがわかる。僕はさっそくなじみのスナックで真似してみた。その店はカウンターのむこうに女の子が3人くらいいる所なのだが 僕はかまわずカウンターの端に座り女の子がいろいろと話かけてきても一言もしゃべらずにいた。女の子が困ったようにマスターの方をみると ようやくマスターが「どないしましたん」と軽薄そうな顔でニコニコしてやってきた。松田優作のバーのマスターとはかけはなれてるなと思いながらも僕は、最初の計画どうり低く少ししゃがれた声で  「...バーボン...」 (きまったー!)    しかしその後いかにも関西人といった軽薄そうな笑顔をたずさえながら言ったマスターの一言に僕はズタズタになった。                       「えっ バカボンでっか?」  そして天才バカボンのギャグがえんえんと続いた。僕が松田優作になれなかった日も5月2日であった。                             







2006年04月30日


いつもの小料理屋に飲みにいくと カウンターの端のグループがマスターと楽しそうにもりあがっていた。その日はなんでもかんでも話の最後に「ケセラセラだよ」というのが流行っていた。                              1時間ほど経っただろうか その中の1人が聞いた「ところでケセラセラってどういう意味?」                                        瞬間 静まった空気を変えようとマスターが「川口さん~」と話をふってきた。 ぼくは 「なるようになるさっていう意味だったとおもうよ」と答えた。      「ホーゥ」という男ばかりの低い合唱を聞きながら 僕は昨年亡くなったイングランドの偉大なサッカー選手だったジョージベストの事を思い出していた。  彼がガスコイン(有名な元サッカー選手)について語った言葉を...。      ガスコインのIQは背番号より低いって言ったら 奴はこう聞いてきたよ     「IQって何だ?」って。                                  そこまで思い出し 僕はまた酒を口にはこぶ。                   そしてまた思い出していた。                              ジョージベストといえば1968年マンチェスターUがヨーロッパチャンピオンになった時のメンバーの1人。そしてマンチェスターUの応援歌にケセラセラという言葉がでてくる。マンチェスターUには1958年悲しい出来事があった。飛行機事故にあい主力メンバー8人が亡くなったのだ。                     その時 奇跡的に助かった中にバスビー監督と若きボビーチャールトンがいた。マンチェスターUの選手たちはバスビーズ ベイブズ(バスビーの子供たち)と呼ばれ 本当の家族のようだったという。                     しかし 事故後バスビー監督はもう選手と家族のように接することはなかった。ボビーチャールトンもなかなか悲しみからぬけだせずにいた。          そして10年の年月が過ぎ、マンチェスターUはヨーロッパチャンピオンになるべく決勝の舞台にいた。キャプテンは悲しみから復活したボビーチャールトン。彼にとってその試合はただの90分でないことは観客全員がわかっていた。 想いがつまりすぎたその試合中 ボビーの顔に疲労がうかんできたその時 スタジアムの観客が大合唱をはじめる。                         ♪ケ~セラ~セラ~♪



撮影 写真修整の依頼は 090-7849-2999



2005年08月15日


先日 チェゲバラのビデオを見た。                         彼には以前から興味を持っていたが 知ってる事といえばキュウバのカリスマ的革命家という事とよくポスターやTシャツにある顔写真くらいのものだった。しかし最も有名なその顔写真の 風の中 遠く未来をみつめる様な目は革命家の顔そのものであり 心を奪われるに充分であった。ビデオの中では共に戦った同士がうれしそうに子供の様な目で「彼は土曜は一般の労働者と共に工場で楽しそうに働いていた」とか「もし彼が次の戦いに一緒に来てくれと声をかけてくれていたら全てを投げ打ってついていっただろう」などという様な事を語っていく。途中 国連で演説するチェゲバラの映像が少しあった。はじめて耳にする彼の声は予想に反して少し甲高くハスキーだったがこれがまた心をゆさぶる。 最後にビデオにはなかったが彼の手紙の一節を記しておこう      勝利よ  永遠なれ   国家か  死か       革命家の情熱をもって  君を抱擁する





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最終更新日  2017.12.31 14:39:20
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