2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全9件 (9件中 1-9件目)
1
先日町内のソフトボール大会に行ってきた。試合と試合の合間に時間があったんで、久しぶりに小学校と中学校(隣り合わせなんで)を歩いてみた。随分と回りも変わっとる。昔あった駄菓子屋は全部無いし、クソ怖い先輩に買いにいかされよったお好み焼き屋さんも無くなっとった。まぁあれから20年近い月日が経てば当たり前の用に環境は変わっていく。一つとして同じ所には留まらない(@BOSS)そりゃ俺も32になったしね。ちょっとセンチになりながら歩いてみた。これまで考えたことが無かったけど地域社会ってもんが希薄になった。若い連中が生まれたコミュニティを出て都会で就職したってことやろうし、元々若い世代の人口が減ったってことかもしれん。町内のソフトボールにきとる人らもほとんどが50歳以上の人たちやもんね。俺も子供が出来てやっと思うようになったけどやっぱコミュニティってのはクソ大事な気がする。20年前、少年野球の大会の後に打ち上げでお好み焼きを食わせてくれたおじさんとか、お祭りでお神輿を押してくれたおじさんとかに混じってソフトをするとそんな気がしてくる。積極的に地域社会に参加しようかねと思っとる。これからどんどん少子化になって、地域社会ってモンが無くなってくるやろうけど少なくともそう思うだけでなくて参加することで俺の暮らす街のコミュニティは保たれる。実際同世代の子供を抱えた人たちが多い。俺の娘の同級生の子も何人かおったし、その日も柄にも無く積極的に話しかけたりしてみた。子供の為には子供会があった方が楽しいやろう。だって俺も楽しかったもんね。子供会の旅行とか、街独自のお祭りとか。口うるさいおっちゃんがおったり、キチガイみたいなおばちゃんがおったり、学校帰りには声掛けてもらったり、たまにアイスを奢ってもらったりした。自分がそれを担う年代になったことをまぁ少しだけやけど嬉しく思ったりする。親になるってことの一つの要素かもしれん。またそれが田舎の良さでもあるんやねぇかな。隣に住んでる人の名前すら知らないってのはちょっと寂しいことかもしれんなと。まぁ何でもそうやけど、参加してみることかもしれん。自分の価値観だけで理解する、判断するのではなくて、先ずはやってみる、参加してみること。面倒くさいって感情や、誰かがやるやろうって気持ちを少し減らせば結構あっさり人生は開けるような気がしとる。いつかは小学校のソフトボールチームの監督でもするかね。
2007.03.27
コメント(0)

やはりなんでもやり過ぎは良くない。「過ぎたるは及ばざるが如し」ここ3ヶ月マジで本ばっか読んだ。どんどん頭に入ってくるのが面白くて毎週休みに本屋に行っては買っての日々。昨日読んだ一冊でとりあえず一時ストップすることにした。知識は勿論豊富なことに越したことは無いけど、そればっかりじゃ何の意味もない。得たことを実践して初めてその輝きを増す。ってことでこれから数ヶ月は実践あるのみ。知識を行動に変えていくしかない。頭でっかちは面白くないし、どんなに知識を溜め込んでも実践を伴わないと完全に机上の空論になる。ただ知識だけあって口が達者じゃ意味ないんで後はひたすら実践あるのみ。いつかまた壁にぶつかった時にまた本を開こう。今回の読書ブームで一つの経験をした。がしがし買って読むけど、数章見て響いてこんかったら読むのを止める。で、新しいのを読み始める。そうすると今の自分に合った本と非常に共感的に出会うことが出来る。否定的に見ると全く面白くもないし、粗探しをする為に金を出しとるわけでも無いんで。そうやって読んでいくと面白い。特定のジャンルに偏らんようにと買うときもバラバラで買う。そうすると知識が偏ることもない。今まで意識したことのないことが芽生えるのは素晴らしい。やっぱなんでもやってみんとね。出来るか出来ないかの尺度ではなく、やるかやらないか。人生はこれに尽きる気もしとる。まぁそんなこんなで実践の日々です。ところで、完全に手前味噌ではあるがわが子が5ヶ月目を無事に迎えた。いやぁマジで可愛い。毎日帰宅するのが楽しみになってきた。母親に比べるとスロースタートではあるけど、兎に角毎日幸せを感じれる。「子は鎹」ってのはマジで間違いない。健康に明るく育ってくれるのを祈る毎日。しかし本当に可愛いわ。
2007.03.24
コメント(0)
今日は仕事で飛び込み営業。俺らみたいな業種は基本「営業」ってのが無く、店でお客さんを待つのが仕事なわけやけど新規出店してからは結構飛び込みで会社案内を置いてもらう営業をやった。駅前でのティッシュ配りもやったし、企業訪問ってのもやってみた。この仕事はマジでキツイ。断られる方が当然多いわけで、さすがに連荘で断られるとかなり凹む。今日も午前中は調子悪く、かなり断られてクソ凹んだ。ドサと一緒で、いきなりの門前払いはかなり堪える。営業の人たちにマジでピースを送るしかないね。俺ももし営業来たら話だけでも聞こう。振り返って見ると証券営業もかなりきつかった。塩まかれたりしよったもんね。あれも相当エグかった。終盤はホボ喫茶店でフテ寝しとったもんね。二度とやりたくねぇなと思いよった。で、あまりに凹むんで車に戻って意地の桜島(@長渕)やっぱ4枚目のラリーは圧巻。「電信柱にひっかけた夢」(@長渕)がかかった時の「おぉぉ電信柱っ電信柱っ」(@W&俺)の掛け合いは未だに思い出すとスゲェ。お互いかなり興奮しとった。しかし、「電信柱」ってっ略すとなんとなしムゲェ感じが出とる。桜島聞いて、何の矛盾もないを聞いて車を出ようかと思ったけど、ここは聞くしかないやろってことでキャプテンまで行った。マジでクソ上がるしかネェ曲。気合がマジで入った。で、一気に配り始めた。圧巻の歌詞「生きて生きて生きまくれっ」(@剛)の連呼を「配って配って配りまくれっ」に置き換えて何回も車の中で歌うだけ。通行人に見られてもお構いなし。最終的にはモノマネをしながらの「飛び込んで飛び込んで飛び込みまくれっ」に変えて熱唱。結果、2時間で全部配り終えた。完全なる意地よ。
2007.03.16
コメント(0)
最近、なんとなし熱っぽいことを書くんで「サトルさん、なんか宗教にでもはまったんですか?」(@若手)などと聞かれる。モセキの32歳の公式な回答(@BOSS)をしておこう。この仕事を始めて今年でちょうど10年目になる。やっとこさ10年。なんのジャンルでも10年積み重ねればその真髄に近づけるみたいなことを昔本で読んだことがある。10年やって判断する。その10年目がやってきた。率直な感想としては、ワクワクしとる。仕事にワクワクする感覚は本当に久しぶり。7年目辺りから地位と名声っていう一服で何年も効く(@BOSS)モノにやられとった。地位と名声が危ういって名言の訳は俺のとこまで上がって来た時に教えてやる(@BOSS)ってリリックが今やっと少しだけ理解できた。やっぱBOSSはスゲェ。完全に復活の炎がペン先に灯った(@BOSS)。こっから先の10年がまた楽しみでしょうがない。誤解を恐れずに言えば、今年に入ってある種悟りに近い感覚がある。勿論先は相当長いし険しいし、まだまだ未熟であることは間違いないけど、今現状で感じうる感性の中では突き抜けた感がある。天狗になっとるわけでも、頭がおかしくなったわけでも、アルコールでもTHCでもない。深く考えに考え抜いた結果、光が見えた感じ。言葉にすればそれは信仰心かもしれん。弾ちゃん風に言えば「やっとこの大事な事に気付かせてくれたか神よ」ってな感じ。ここで言う神とは、仏陀でもキリストでも天照大神でもなんでもええ。そう、なんでもええ。それだけで判断出来るモンでもないし、ましてや目に見えるモンでもない。ただ何か大きな力に後押しされてこれからの色々きつかったり、辛かったり、嬉しかったりする日々を歩いていく感覚。それが俺の中での信仰心に他ならん。一人で生きてる訳ではなく、限られた時間を生かされている感覚。その中で最善を尽くすだけ。信仰とは、もっと言えば宗教ってのはそれを信じたり頼ったりすることで人生の中での苦悩を救ってくれるもんでは無いと思う。五木寛之さん(@作家)の言葉を借りれば「人間は誰でも重い荷物を背負った時もう嫌だと途中で投げ出したくなるだろう。歩くのをやめて座りこみたくなったり、何もかも放り出して死にたくなったりするかもしれない。そういう人間に対して、重い荷物を背負ったまま歩き続ける力を与えてくれるモノ、それが宗教だろうと私は思うのだ。」(@仏教への旅~朝鮮半島編)間違いねぇなと思った。ってか思っとたことを見事に言語概念化してもらった。少なくとも俺にとっては信仰はそれ以上でも以下でも無い。そんなことを最近強く思う。良いことがあった時に仏壇に手を合わせてお礼を言う。辛い時に墓参りに行って力を貰う。商売が上手く行くように神棚に手を合わせる。そんな当たり前の光景こそが信仰なわけで、小さい頃から教えられてきたことやった。あとは自分が努力をするかしないか。見えない大きな力を感じながら努力すること。その大きな力を感じることが出来るからこそ自分に嘘偽り無く生きていこうと思えるんやろう。勿論、「宝くじ当たりますように」とは次元が違う。努力することが無い限りそんな力を感じることは出来んと思う。つまりは努力は苦労では無いんやねぇか。努力するってのはより良い自分、想像の中の世界でしかない理想の自分に近づける道なわけやから努力は楽しいものだと思う。そう思えてマジで世界観が変わった。全ての事に感謝出来るようになって、自分の傲慢でダメな部分と向き合うことが出来る。怠惰と偽りの行動と決別することが出来る。勿論、徐々に、徐々に。それが楽しくてたまらんわけ。日々ほんの少しずつでも理想に近くなることが。そんな感覚で本を読んだり、オーラの泉を見たりするとたまたま開いたページにクソヤベェ言葉があったりする。これを偶然と取るか、必然と取るかは人それぞれ。答えは自分の中にしかない。ただ、そんな目に見えない大きな力で守られていることを心のどこかに置いておくだけで視界が変わる。ただ、盲目的に信仰することはお勧め出来んけどね。そんな考えを心の中に置いておくだけで十分。気付くことがいっぱいある。それが何なんかの答えは死んでからでええやろう。死んで無になればそれまでやし、そんな目に見えない世界があればそこで分かるやろう。今はぼんやりとその力を感じながら限られた時間の中で(@TBH)生きていけばええんやないかなと思う今日この頃です(@桜井)。今、生きている時に目に見えないモノの答えなんか探しても少なくとも俺の中では全くの意味が無い。それを感じながら、若しくはそれを感じることが出来んでも「今をどう生きるか」俺らに出来ることはそれ以外に無いと思う。あとは丹波さんにでもあの世で聞いたらええやろ。これが俺の目に見えないものとの向き合い方。少しでも届けば幸いです。
2007.03.15
コメント(0)
昨日はマジで久しぶりにチームものばんくの試合(@野球)情けないモンで、一切人が集まらんくなっとる。昨日もギリの9人。しかも、みんな30超えのおっさん。全く動けんくなっとる。無茶苦茶な試合やった。5回コールド負け。挙句の果てには相手チームに女の子まで出される体たらく。クソムゲェ試合やった。俺も11点を取られる大乱調。マジで心を入れ替えていかんといけん。まぁ遊びなんで面白ければえんやけどやっぱやるからには勝ちてぇ。勝っとる試合とか均衡しとるのはより面白ぇもんね。来月は気合入れてやるしかねぇぞ >キャプテン野球が終わって久しぶりに嫁さんと映画を見にいった。「ドリームガールズ」別に見たい映画もなかったんで、とりあえずなノリで見にいったけど面白かった。2時間で魅せる為にかなりストーリー展開が早かったし、色々指摘したい点もあったけど普通に面白く見れた。最後まで飽きずに観れた。エンターテイメント性の高い映画と思う。映画の中にある一本の主題も間違いねぇ。伝わってくるもんもしっかりある。まぁこれから見る人もおるやろうし内容は触れんけど今年一発目の映画ってことでは非常に良かった。これが基準点になる。これから見る映画の判断材料にもなるしね。M1のトップバッターのノリ。これは新境地かもしれん。今度ミュージカルってもんを見てみようかと思っとる。ブラックミュージックをそんなに知らんでも普通に楽しめるんやねぇかと思う。まぁあれやったら。その後はこれまた久しぶりに純たん(@小倉の焼き鳥屋)へ。やっぱここは旨い。マジで旨いし、マジで安い。俺の中での焼き鳥No1はやっぱ不動かもしれん。リバーウォークの前にあるんで近くの人はマジで行った方がええと思う。なんつっても安い、旨い、早いの3拍子が完璧に揃っとる。常に3割30本30盗塁狙える選手と見とる。やっぱ本物は残るし、これから先の時代、本物しか残らんと断言できる。どうやら幸運なことにこの時代も腕次第らしい(@BOSS)今日は忙しいんで適当にこの辺で。
2007.03.12
コメント(0)
昨日書いたように、働くってことは当たり前の事だと思っとる。別にそんなに複雑な事やない。いたってシンプル。働くって事は「生きる」ってこと。生きているならば働かざるを得ない。時代を超えた言葉の中の一つに「働かざるもの食うべからず」ってのがあるように、当然働くから生きていけるわけ。至極当然な当たり前の事実。勿論、充電期間ってのもあるやろう。もっと自分を奮い立たせる仕事を探したり、もっと自分を輝かせることの出来る舞台を探したりしながら遠回りや寄り道をしたりすること。これはこれで素晴らしい事よ。そこには常に「向上したい自分」がおるわけやから。つまりは、別に仕事の形態はなんでもええと思う。バイトでも、正社員でも、なんでも。そこに次へのステップがあれば問題ないしどんな仕事の中にも必ずやりがいはある。惰性の毎日の中にはなかなか発見はないやろう。楽しい時間だけの生活にヒントがあることは少ない。もっと言えば、ヒントは毎日生きてれば必ずあるがそれに気付くことが出来ない。だってマイナスの心にはマイナスの行動しか伴わないのは火を見るよりも明らかなこと。楽しく、楽な時間(これは余暇とかとは違う)だけの中に気付き、発見はものすごく少ない。あるのはゆるい満足となんとなく居心地の良い空間。これは週の内1日あれば十分。それが毎日やったらマジで大事になる。なので昨日言った様に働くってことは当たり前だと思う。だって俺は今、間違いなく21世紀の日本に生きとる。時代が変わっても、生まれる国が変わってもそれは普遍なもの。働くことは生きること。労働とは苦労をしながら少しでも自分を向上させる為に動き続けること。少なくとも俺はそう捉え始めた。どうせ一生働くなら、その中で楽しさや生き甲斐を見つけて目標を見据え、一歩でも前に進みたい。一生、惰性の中で仕事をしたくない。そう強く思うようになっとる。カイジでもあるように死ぬ時になって「あれは本当の自分じゃない」なんて絶対に思いたくねぇ。勿論、まだまだ道は険しくて遠い。惰性の一日を過ごすことも多々ある。やけど1週間の内、先ずは一日でも理想の自分でありたい。それをいつか1週間キープ出来るようになればええ。俺の定義する「朝トン」aka朝になったらトンと忘れるとは、思考と行動の乖離と睨んどる。思考と行動がかけ離れすぎるからこそ起こる。朝になったら「まぁええか」になってしまう。特にこれは年を重ねるごとに深刻になる。まぁええかはマジで恐ろしい習慣になることやろう。朝トンを無くすにはいたってシンプルな行動でええ。1から10までの階段を上るとき、1からいきなり5とか6には行けん、絶対に。1から2、2から3しかない。1から2に行くことは然程難しくないのに、すぐに5に行こうとするから朝トンになる。例えばタバコを止めると宣言してもよっぽどのことが無い限りいきなり翌日に止めれるわけがない。先ずは本数を1本でも減らせばええ。そっから始めて1年後に止められたらキマル。なのにいきなり止めようとすれば当然結果はホボ朝トンになる。仕事でも一緒。これまで、営業中に毎日パチンコに行きよったんなら、その日を1日減らして営業を頑張ってみればええ。それを2日、3日と増やしていって最後に5日間頑張れる自分を目指したらええと思う。俺はそうやって仕事を捉えることで大分変われた。まだまだ抜けも多いし、ぬるい。はっきりいって自分の目指すモノには程遠い。それでも断言できるのは、いつか必ずたどり着くってこと。仕事に中での自己改革。少しのことやけど半歩ずつでも進みよる。それでいいと思う。難しく考えすぎると、そこに到達する道が長すぎて途中で投げ出してしまうので、先ずは小さい事から少しずつ自己改革をしたらええ。こんな偉そうなことを書いても、俺も一緒。迷いながらでも前に進もうとしとる同志。何一つ達成してない。もがき考えた結果、そんで少しでも向上したと思った結果少しだけ結果を残すことが出来ただけ。それもまだまだ先祖の力が相当のウェートを占めとることも重々承知しとる。親の七光りで商売をさせてもらってきただけ。こっからよ。ある地点に到達して初めて気が付いた。俺自身には何も無いことにね。こっからが本当の勝負と思っとる。一個づつ地味に、でも着実に積み重ねて行くだけ。坂本龍馬や吉田松陰のように時代を超えて影響力を持つ人物になれるとは思ってない。それでも俺にも家族が出来た。娘が成長して、いつの日か挫折を味わった時に「パパもあの時頑張っとったし、私も頑張ろう」と思ってもらえたら俺の生きてきた道が残る。それはマジで最高のことと思っとる。そんな親になりてぇ。それに、自分の両親。いつか俺より先に死ぬとすればその時に「あんた一生懸命件生きとるねぇ。安心して死ねる」などと言われたら、これまた最高。たった数人の家族にでも自分の生き方が自信や勇気を与えることが出来る。このことを噛み締めたとき、当然「やるしかねぇな」になる。ほんとにシンプルで小さいことやけど、それにこそ俺は生きる意味を感じとる。その中で、仕事とは、企業とはどうあるべきか。それに関しても俺なりの確固とした持論がある。その話はまた明日にでも。最後に、最近読んだ本のなかで最も影響を受けた本がある。それはまだ熟読の域に達してないので繰り返し読んで後日紹介したいと思っとるが、その中に非常にシンプルに突き刺さってくる言葉があった。いつの時代か分からんけど、中国人が言った言葉。「木を植えるいちばんいい時期は二十年前だった。だが、つぎにいい時期はいまである。」今、この瞬間から始めたらええ。他人や環境や社会は変えることは出来んでも自分と未来は変えることが出来る。走れ、ナカツカ
2007.03.09
コメント(2)

ここ最近の読書熱はスゲェ。ついにこれは習慣に変わった感がある。ほぼ毎日3冊くらいをまとめ読みしよる。ちなみに今読んでるのは「らくらく人間学」(@遠藤周作)いやぁ、これはなかなか面白い。作者に関しては王道なんで聞いたことはあるけど本は読んだことがなかった。瀬戸内寂聴の「大切な人へ」って本を読んでたらこの人の話が出とってこれまた心打たれたんで即効本屋で買ってみた。以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より************************遠藤 周作男性(1923年3月27日 - 1996年9月29日)は、日本の小説家。東京生れ。慶應義塾大学仏文科卒。12歳でカトリックの洗礼を受ける。1950年フランスへ留学。帰国後発表した『白い人』で芥川賞。1958年『海と毒薬』で新潮社文学賞・毎日出版文化賞、『沈黙』で谷崎潤一郎賞など。キリスト教に関する作品を多く執筆。海外での受賞も多かった。「狐狸庵山人(こりあんさんじん)」の名で書いたユーモアのある作品もある。************************経歴で面白かったのが、慶應の医学部を受けると見せかけて文学部を受験。合格したんでそのまま入学。で、それがオヤジにばれて勘当されとる。自分で学費を稼ぎながら通学したらしい。かなり変わった感性やねぇか。で、この本。第1章がクソやばかった。今3分の2くらい読み終わったが、序章に書いてある内容を昇華させてくれることを期待して読んでたんで、俺的には中盤に若干の失速感があったけどまだ終わってないんで何とも言えん。これからのクライマックスへ相当期待しながら読みよる。色々共感できる点が多い。人間に見方、視点の置き方など所謂天邪鬼的な雰囲気を持ちつつマジで真実を突いてくる。どんどん読み進めることが出来る本と思う。機会あったら読んでみて >W今週中には読み終わりそうなんでがっしり読んだら紹介しようと思っとる。しかし、この読書熱。これは完全に「学問」に目覚めた恐れがある。本当の意味での学問。自ら欲してする学問は楽しい。少なくとも、学校の勉強とは比べ物にならん。ただ、これもやはり学生時代に「勉強し続ける」って訓練をしてきた結果に他ならん。親が厳しかったし、まぁ勉強して良い点を取るってことに少なからず快感を覚えとったのも事実。そこで覚えたことは多分ほとんど忘れた。だって最短距離しかやってない。どうやったら最短距離で良い点数が取れるか、これに終始しとった。言うなればテスト用の勉強。それでも得るものはある。あの時の積み重ねで32年飯を食わせてもらったと言っても過言ではない。勉強することが当たり前の幼少期を過ごすことで、「働くこと」が当たり前と捉える視点を養った。先ず「働くこと」ありき。その中でどんな楽しさを見つけていけるかって考える。この思考回路は勉強を怠けてきた人らには薄いんやねぇかと見とる。俺の中で「勉強する」ことは当たり前。その中でいかに楽をするか。つまりは要領を得るか。なので、高校の時も遊んで夜中に帰った後も普通に勉強しよったしね。「働くこと」が当たり前でないと、先ずは「働くこと」に全精力を費やさんといけん。これは年を取れば取るほど厳しい。「働くこと」がどんどん重荷になってくる。「働くこと」が当たり前と考えると、あとはその中でどうスキルアップしていくか、その中にどうやって楽しさ、やり甲斐を見つけていくかってな事を考えるとええだけ。それで、見つけられたら、キマル。この差はどんどんでかくなっていく。スタートのところ、つまり「働く」って行為を当たり前にする作業のとこでつまずいとる連中がなんと多いことやろう。例外無く俺の回りでも。ちなみに俺は人間は働かんことには存在意義すら無いんやないかと思っとるふしがある。じゃ、なんで働くんか。これは俺なりの確固とした自論があるんでその辺はまた明日にでも。
2007.03.08
コメント(6)
32歳になって、子供も授かった。2007は色々思う所、期する所がある。誰もが持つ自問自答の悩みは、もっと大きなはずの自分を探して(@ミスチル)悩むんやろう。とどのつまり現状に不満があるわけではなく、「己」に不満があるから悩み考える。で、何らかの答え的なモンが出る。その時は雲が晴れたような気分で「こりゃ、完全にキマッタ。」って思うんやけど、如何せん、精神力が弱いモンで朝になったらトンと忘れるaka朝トンを繰り返す。恥ずかしいくらいの朝トンを経験して、やっとこさ朝トンを克服することが出来そうな。つまりは考えた結果の結論に行動が伴うようになれた。考えるやいなや行動。思考、即行動。思考、思想が身体の一部になる。簡単なようでこれがクッソ難しい。この扉が開くまで32年と3ヶ月かかってしもうた。勿論、真理にたどり着いたわけでもねぇしなにかに帰依したわけでもないし、オカルトにボコはまりしとるわけでもない。価値観が変わったんやろう。大袈裟に言えば人生観が変わりつつある。こうやって「気付き」を文章にするとなんとなし「気取り」的な雰囲気が出てしまうけど、至って真剣。至って普通。至ってニヤニヤしとる。なんら変わりはねぇ。いきなり、ここに来て感じることが出来た境地を書くと完全にオカルトの領域に見えてしまうんで徐々に徐々に書いていこうかと思う。やねぇと「あいつは頭がおかしくなった」などと言われかねん。勿論、言われても何ら問題は無いわけやけど、折角誰かにそれを伝える以上、分かりやすく、そしてそれが誰かのヒントになるように、何より、自問自答の日々から抜け出した快感を自分自身かみ締めながら表現してみたい。そこにニヤニヤも残したいし、脱線する中で新たな発見もあるかもしれん。さっき「オカルトの領域」と表現したけど、俺はそれを一切否定してない。目に見えないモノの存在は常に心の中にある。そこにこそ全てがあるんやねぇかとすら思っとる。見えない世界とのスタンスは「そう言う考え方も出来る」「その考えを持っておいてプラスにこそなれマイナスになることはない。じゃぁその思考は持っておいた方がええ」ってな視点で捉えとる。言わずもがな「オーラ」は欠かさん。捉え方一つで価値観が変わる。言い換えれば捉え方で価値観が形成される。もっと言えば、目線を変えれば世界が変わる。この辺の気付きの日々を表現していこうかと。まぁ気軽に、肩肘張らずに、ニヤニヤしながら真剣に心を投影していくつもり。俺の中ではこのブログの意味合いがガラッと変わるかもね。暇な時に、ニヤニヤしながら読んでくれるとありがたいし、それぞれの意見とかももらえると勉強になって非常にありがたいです。追記:先日、親父が「吉田松陰(@山岡荘八)の中にうちの先祖らしき家に吉田松陰が泊まったっていう記述がのっとったぞっ」(@親父)と、えらい興奮しとった。過去帳を調べとるらしいが、その時期のその地方で網本をやっとったらしくその頃から吉田の姓を名乗っとったのも確定しとるし、いまでもその記述の所に本家がある。ほぼ間違いないらしい。これをキマッタと言わずして何をキマッタと言えようか。マジでキマッタとしかいいようがない。袖すりあうも他生の縁。まさか他生で縁があったとは。モセキに生まれたことを誇りに思うしかねぇな。
2007.03.05
コメント(0)
装いも新たにでも無いけど、明日からブログを復活しようかと企んどる。2007に入ってからは、色々期するもんがあってそれこそ毎日自問自答aka軽いノイローゼ状態。やっと昨日そこを突き抜けた感がある。こりゃ伝えていかにゃいけん(@そのまんま)ってことで、明日から重いラップトップを上げることにしようかと。メールアドレスも変えて心機一転。これからは行動の中で得たモノを表現していきたい。そう思っとります。それでは、また明日。
2007.03.04
コメント(2)
全9件 (9件中 1-9件目)
1
![]()

