saya’s world

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教育者としての自覚


いつもの事ながら、まさにその通りだなと思う日記があったのと、
元同僚との会話から思った事を、今日は書いておこうと思います。
岸見先生の日記はトラックバックしてみたので、ぜひ読んで見ていただきたいと思います。

今日、私の元同僚から電話がかかってきた。
彼女、私の住んでいる所からは車で約40分位の町に最近引っ越した。
引越し先の学校で、校長先生に気に入られたらしく、
早速仕事を貰ったそうで、
今日はその初日だったのね。
その仕事っていうのが、自閉症の子のお世話を専属でする、って仕事。
最初聞いたときは、特殊学級の中でお世話をするのかと思ったんだけれど、
どうやら保護者の要望で普通学級の中に入るそうで、
普通学級の中で、彼女専属で、担任が進める授業をどうにかその生徒さんに理解できるようにしながら、
お世話をする係りらしい。
最近流行の「Inclusion」ってヤツ。
(チョッと昔はMain streamingと呼ばれていた、健常な子どもと、
ハンディ・キャップを持った子どもを、同じ教室の中で教えると言うもの)
私はこのInclusionには複雑な感情を持っているんだけれど・・・
自閉症児や、精神的に成長が遅れている子どもさんたちの場合、
無理して同学年のクラスに入れて、無理やり彼らには難し過ぎるレベルの事(特に主要科目と呼ばれるもの)をするのは、
いくら専属の世話係をつけても、無理があると思うから。
彼らの実年齢に関係なく、Developmental levelに合わせた学年に、と言うなら
まぁ解るけれど、
この生徒さんの場合は、実年齢の学年に入っているらしい。
健常者と一緒に学んで欲しい、という保護者の気持ちもわからなくは無いけれど、
本当に子どもさんにとって一番良い条件を考えたとき、
実年齢の学年に入るのにこだわるのはよく無い場合が多いのではないかと思う。

まぁそれは本題とはずれるので、近々その事について日記を書くことにしよう。

そんなこんなで、彼女は今日3年生のクラスで一日を過ごしたわけだけれども、
そのクラス担任の先生の対応に腹が立った、という。
彼女の話を要約すると、
算数のクラスで、この若い先生は、
ただプリントを配って問題を解かせて、終わったら見せなさい、
と言う形の授業をしていた。
そのクラスの中の女の子が、どうやら問題を解くのに苦労していて、
プリントを先生に見せに行くたびに、間違いで、
何度もやり直しをさせられていた。
とうとう女の子は諦めたのか、
隣に座っていた子どもから答えを聞き、それをプリントに記入して、
先生の所に持っていった。
先生に、「どうやってこの答えを出したの?」と聞かれたその子は、
肩をすくめて何も言わなかったので、
「あなた、誰かの答えを写したんでしょ?カンニングしたでしょ?」
と問い詰めた。
問い詰められたその子が、答えを友達から聞いて写したのを認めると、
「カンニングするなんて、なんて駄目なことをするの?
そこにしばらく座りなさい、インチキな子ね。Cheater!」
と、クラス全員の前でまくし立て、先生のすぐ側、みんなの目の前に、
罰として座らせた。
多分彼女は恥ずかしかったのだろう、なきそうな顔になった。
すると、「泣こうなんて思っちゃいけないわよ。インチキしたのはあなた自身なんだから、泣いたってどうにもならないのよ」
って、何度も何度も言い続けた。
罰の時間が終わり、席に戻ると、その女の子はとうとうこらえきれずに泣き出して、
トイレに駆け込んで、しばらく帰って来なかった。

この話を聞いてどう思いますか?

私は頭にきました。
大体、何度もやり直しをしなくてはいけない時点で、
彼女がその問題の解き方を理解していないのがわかるはず。
そのときに、ただ何度も席に戻らせて問題を解かせるのではなく、
どこがわからないのか、もう一度とき方を教えるのが、教師の役目じゃないですか?
大体、解らないから学校にくるんであって、
学校で教えられる勉強内容をもう知っているのであれば、
教科を教えると言う役割での教師は要らないわけです。
ただ単に席に戻してやり直させると言う、無意味・非生産的な事をさせ続けた点で、
教師としての責任を放棄した事と同じだと思います。

さらに言うと、
何度もやり直しさせられるのが嫌になって、
安直な「友達に答えを聞く」方法をとってしまった彼女ですが、
その彼女に対する対応がひどい。
なぜ友達に答えを聞くことにしたか、元の理由は
教師がちゃんと説き方を再度教える事をしなかった事にあるわけで、
それを棚に上げて、「インチキをした」と言う点だけを取り上げて、
しかもクラス全員の前で、その子を辱めるような言動を取るなんて、
言語道断だと思います。


問題の解き方が良く解らないことを生徒が素直に言えるような関係を築く事が大切だと思うのですが、
解らないと言うと叱られる、馬鹿にされる、というような気持ちになっていたのでは無いかと思われます。
今回のような対応をされてしまっては、聞きたくても聞けないよね~・・・と思ってしまいます。

答えを友達に聞くことは、もちろん彼女の為にはならないので、止めて欲しいですが、
「恥をかかされるから」インチキをしないのではなく、
「正しいとき方を解らないまま答えを写すだけでは自分の為にはならないから」
インチキはしない、という考え方をするようにしたいと思うのです。
今回の話で出てくる教師のような対応を取ることでは、
根本的な解決につながる事は難しいと思います。

岸見先生のページでも、牛乳をこぼす子どもの話が出てきますが、
そういうことは私のクラスでも毎日起こります。
牛乳のはいったカップの前、大きな手振りで話す子どもを見て、
つい、こぼさないように気をつけようね、と言ってしまう私ですが、
本来ならそういうこともおせっかいなんだろうと思います。
こぼしてしまったときでも、わざとこぼしたのであれば、
飲み物・食べ物をわざと無駄にするような事は良くないと伝えますが、
わざとしたのでなければ、私は怒りません。
子どもたちも最初の頃は、
「せんせー、ミルクこぼしたー」
って言ってくるだけだったのですが、
「そうだねー、こぼしちゃったねー。どうしようか?」
とたずねる事で、今では、
「せんせー、ミルクこぼしたので、拭かなくちゃいけないからタオルをください」
って言うようになりましたし、
「今度はちゃんと座って、両手で持って飲む」とか、
大きな手振りで話している子に、
「そういう風にしてるとこぼすよ、止めた方がいいよ。
You'll make mess,so you should stop.」
「おー、そうだね、じゃ、やめる。Thanks for reminding me.」
って子供同士で注意してあげる様になりました。
保育園の年長さんです。
もし、「こぼすと怒るよ」って感じだったりすると、
怒られるからこぼさない、っていうことになり、
それではこぼしたらどうした方がいいのか、
こぼさないようにするにはどうした方がいいのか、
という方向には子どもの考えが行きにくいと思います。
また、わざとこぼすのが、なぜ困るのかということにも考えが及ばなくなると思います。
そうなってくると、子どもたちはただ単に罰を恐れているだけで、
罰を与えられない為にその場しのぎのことはするが、
根本的な問題の解決、他の方面への応用、という点がなされない事になってしまい、
教育・保育の意味をなさないことになってしまうと思います。

倫理・道徳を教えて行く上で、罰を恐れる事から悪い事をしない、というのは、
一番したのレベルにあって、(どの心理学者でしたかね?チョッと思い出せない)
それでは罰が恐ろしくなければ何をしても良いのか、ということになってしまいます。
この間の5歳児逮捕の件でも、
逮捕されたくないから止めるのではなく、
暴れなくてもちゃんと話せば聞いてもらえる、ということを
子どもたちには解ってもらいたいのです。
その場しのぎではなく、
理由を考え、理解した上で、良い行いをするというレベルに育って欲しいと思います。

そういった点からも、子どもたちの一日の大半を過ごす学校、
ひいては教師の子どもとの対応の仕方、その影響は、
かなり大きい比重を占めると思います。
その辺の自覚を、しっかり持って行きたいと思っています。


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