( ある射手座の人なんか、3つのときから10代まで精神科に通ったそうで、そのせいで大事にされて自分がわがままなんだとか言ってますが、岩手県人という地味な田舎の他人の偏見を信じ込まされたのだと思います。 )



 世代は・・上です。まあ、精神年齢10代と見てもらっても大差ないことが多いです。体力は60代くらいで。(笑)

(2004年10月27日 19時19分14秒)
2004年10月16日
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カテゴリ: 文学的なあれこれ
 自分に厳しいとか、他人に厳しいとか言うけども、ある考えが 人類に対してどうなんだろう、と思ってしまう。

>私はあんまり自分が正しいと思えなくて、正しくないものは生きていてはいけないと、気がつくと自然に考えている。
>(が、他人が正しくないと思うことはあまりない。どこか1箇所でも正しいところがあれば生きる価値がある)
>(で、自分に対してはどうかというと、1点でもマズイところがあったら万死に値すると考えるのに何の矛盾もない。・・)

 この気持ちというより「考え方」は自分としては、評価できないところです。

 自分への厳しさと他人への厳しさは、相互に入れ替わり得て、きびしさと甘さの両極端も入れ替わり得る、と思うからです。
 たとえば、自分にも他人にも厳しいとか、自分にも他人にも甘かったり厳しかったりが気まぐれに入れ替わるとか、--バランスを取るべきだろうに、
 高いバランスを求めることから逃げて、他人に甘く自分に厳しく振り分けている、ということも、その考えからは起き易い。

 「生きる」ことを「ネット上で存在する」と置き換えると、ネット上でそういう考えに従った――議論で引け目を感じたら、HPをたたんで引っ越す――行動を取ったとしても、僕はバカとしか言えませんし、自身がそうとしか思えないはずだと思います。


 ほんとうは、どうしても相手の気持ちが理解できなくて、どっかでそういう情けない相手への同情にして解釈してしまい、それがくせを生んでいる---なんてね。

 僕は、「正しさ」で生死を決めるのは、この世の時間を停止させてしまう-あまり人類を愛していない-思想だから、適当にしか付き合わない、と思ってますが。
 そういう正しさと攻撃欲求とどう違うんだろう。
 正直、攻撃的興奮というのは、自分で書いてるこの文にもあるように思う。ただその攻撃対象を、思考の結び目のポイントに狙っているだけで。メスやはさみは使いようだと思っているし。

 (この間、性格テストをやったら、デリカシーに弱く攻撃的だと出ましたから、そのつもりで読んでください)




 しっかし・・
 最善に向かって努力した結果、どうしてもだめだったと絶望経験にしてたら、じつは相手はいじめのつもりでやっていた、てこともあるんですねぇ。






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最終更新日  2004年10月16日 02時20分59秒
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(あるいは)  
素ー  さん
「正しい⇒そのことはそういうことだ、それだけだ。
 まちがい⇒ ないと同じ 」
 という主義に置き換えると、

「自分は正しくないと存在しにくくて、
 他者は一面の正しさで存在させておこう」、となりそうな気がする。

 シンプルな完全主義にも思え、・・ これは、すばやい行動が似合いそうだ。
(2004年10月18日 17時59分25秒)

Re:厳しさ(10/16)  
k-nana  さん
自分にその「考え方」があるなあ、と思ったのは最近のことですね。
考え方、あるいは傾向。ヒトサマの感覚と自分の感覚に、どうも大きなズレがあるような気がしてるんですが、それは何だろうと考えてて・・・。

「正しい正しくない」は、こうしてみると、便宜上に使ったにすぎないかな^^;
「肯定感」という漠然としたものです。
「自分は正しい」から「自分は(多分)間違ってない」くらいまで、幅があります。

「許されてない(誰にかは不明?)」という感覚が根っこにあるようで、かつそれは一般的な感覚ではないみたいだなと思った次第です(自信喪失ともいうか・・・でもそもそも自信なんてあったのか?)
正しいなんておこがましい。「とにかく間違っちゃいけない」という消極的なもんを、「完全主義」と言っていいのかどうか。発端が小学生以下の時代からの友人関係(?)にあるなら、恥ずかしいことで。

ただ、他人を非難するならまず自分を省みてから、というのは一応考えてますが・・・うまくいかないなあ
^^; (2004年10月20日 17時20分17秒)

Re 考え方  
素ー  さん
k-nanaさん
>「肯定感」という漠然としたものです。
>「許されてない(誰にかは不明?)」という感覚が根っこにあるようで、かつそれは一般的な感覚ではないみたいだなと思った次第です(自信喪失ともいうか・・・でもそもそも自信なんてあったのか?)

 それは自分の感覚ではなく、世代の感覚を吸い込んでいるだけとか?。

>考え方、あるいは傾向。ヒトサマの感覚と自分の感覚に、どうも大きなズレがあるような気がしてるんですが、それは何だろうと考えてて・・・。

 他人はそれを開き直りで無視しているが、自分は本人たちも無視してしまうものを理解しないでおれない気持ちがあって、自分のものかのように抱え込んでしまうとか?

 何でもいいから実行できるように答えを出してから、振り返って問いを立てなおすと、それが真実だ、--というのが人間的真実だったり (^^:)

(2004年10月21日 16時49分04秒)

子供のいじめ  
素ー  さん
> 比喩じゃなく周りをぐるりと囲まれて「どうすんだよ」「へたくそ」「てめぇのせいだぞ」「ばかかお前」「○○(名前)の癖にそんなコトやっていいと思ってんのか」と罵倒されることがたびたび^^;
 何せチビでしたから、男女取り混ぜて身長差20cmくらいある人に囲まれると物理的な圧迫感があって、逃げ場がない。
 そのせいか何かっちゃピンチに陥るとそのイメージが噴出して、結果虚勢を張るか、縮こまるかのどっちかになるようです。
-------

 ・・・いかにも、サジの特徴--友人関係--を逆転させられてトラウマになるパターンですね。
 集団の結束にはじかれる図というのは、友好を得意とする者にはとくに傷になりそうですね。

 逆にいうと、いじめっ子側から見ると、他にはあまり弱みが見られなかったのが、そうなるときに弱みが見えて、その落差がおもしろかったのかもしれない。
 彼らにも別な弱みがあるはずだし。

 サドッ気でカワイガッテたのもいただろうな。
 上から見降ろすと、そんな気分になるかもしれない。
 ま自分は、実際の人間相手にそんな気はしないけど、イメージはあるかな、と。

(2004年10月21日 17時57分47秒)

さらに、・・・ある映画から  
素ー  さん
 「アリーテ姫」というアニメ映画ですが、この映画の姫のパターンと似せて解釈することが可能です。
 これは、あくまでトラウマでなく前進的に捉えてのことですが。

 この姫の性格と心の方向が、周囲と時代にどういう反応を生じ、どんな位置をもっていくか、というお話です。

 ま、人間のやることは、相対的な類型にはめることはできてしまうので、似てると同じとは別ですが。

(2004年10月25日 13時03分41秒)

Re:Re 考え方(10/16)  
k-nana  さん
素ーさん
> それは自分の感覚ではなく、世代の感覚を吸い込んでいるだけとか?。
****
世代か~・・・
多分同世代くらいかと感じておりますが、どうでしょう(笑)

私は常に「やらかす」側であって、「何か(悪いこと)があったら自分のせい」と思ってる節があるようです。
「イジメ(に遭う)」というのは被害者的な感覚でして、今思えば被害に遭ってたんだなと思うことで救われる部分があります。
・・・したがって、多分私は「被害者」というのはむしろ気が楽だったり^^;
某お方のおっしゃるように、実際被害者の「悲しい気持ち」というのは解せないのかもしれないです。

世の中、総「被害者感覚」であるようなので、時々こんがらがっちゃう^^;

「あいだみつを」の言葉を借りると
「良いことはおかげ様・悪いことは身から出たさび」
がそのままの実感かしら~。
「そもそも自分がいたから良くない」という結論が出たときに、「私が生きていること自体が他人・世の中にとって迷惑」という方向につながってくような。

・・・だから「人に迷惑をかけるな」という某人質事件での世論(?)に反発したかったのかもしれないですね~(笑)

ずれてきました。スイマセン。 (2004年10月27日 13時43分15秒)

輪郭  
素ー  さん
>私は常に「やらかす」側であって、「何か(悪いこと)があったら自分のせい」と思ってる節があるようです。

 それはつまり、
 「自分の輪郭(行動輪郭)が、他人と比べて形が不定形で、自分自身にもどれが本体かわからない。
 なにか中途半端に外に打ち出しながら、自分は本気だ。」 とか。

 その辺の謎解きをしようとすると、自分を責めた方が頭の負担が少ないからでは。

 だとしたら、
 単に、落ち着きがない、だけだと思います。射手座ですから。
 とりさんのいうように、もっと思いきって行動したらいいのでは。

 落ち着きがないところを、忍耐を覚えて、注意を忘れずに集注を続ければ、いろんなことができると本に書かれていますが・・・・それを自虐に解釈されかねませんね。

 ‘自分がよけいなことをしなければ’――周囲が習慣的に考える視野範囲よりも外のことを考えて、つい行動の手を殻の外へ伸ばしてしまう・・・ということなのか、射手座は予言者の星座と言われるそうで。
 さそり座に近いとき、最も活発だそうです。

 星座というのは、
 相対的なくせ・形だとすれば個人の本質ではなさそうですが、 「他人の平均値をもとに人間の基準をつくって、そこから個人の本心を測ってしまう」 よりも、理性的ではないかと思います。

 また星座では、体形の違いを語ることがあり、確かに知り合いの星座を見ると似た共通点があります。
 つまり、体形が違うように、くせが違って当然。他人と違う理由なんて考えるのは、だまされているのと同じ、と。

 自分のくせは、相対的に他人のくせ、そして相互作用のくせ。成り行きのパターン。
 考え方は、くせを単にくせとした上で始めなおした方がいいかと。


(2004年10月27日 19時17分34秒)

続:輪郭  
素ー  さん

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