明けて、もう三日ですか。今年もあと三六二日を残すのみとなりましたね。

 宮崎アニメは、病んだ日本の象徴みたいですね。
 愛とか友情とか、そういったものでは争いはなくせないというのに、カタチばかりの反戦的なメッセージをちりばめないと気がすまないようですね。
 愛や友情とは利害の合一のことでしかないです。まぁ、利害という書き方だと、どこぞの馬鹿が目くじらを立てるだろうけど、愛や友情っていうのは、お互いがお互いを心地よいと思える関係でしかない。ユダヤ系のペテン師のいった言葉に「汝の敵を愛せよ」とあるが、これは、敵とは一般的に愛せないものだからこそ、敵を愛せと言っているわけで、愛せないものこそが敵だと言ってもいい。
(2005年01月03日 22時38分12秒)
2004年12月30日
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テーマ: 心の病(7263)
カテゴリ: 文学的なあれこれ
 いろいろとできてない半端が溜まってるけども、大掃除で時間が取れないので、今日で今年は終わり。

 イラクの人質がすんで、佐世保事件から少年問題、教育、学力、ニートに時代、・――とまあ、いろいろやってきたのだけど、やっぱり答えは一つは、イラクの人質の締めくくりと同じになる。つまり、「思想という心の栄養」だ。

 (政治対立思想ではなくて、純粋に思想)

 なぜ、佐世保事件のデュオは、生死のホラーに惹かれたのか。
 状況もあるけども、その作品の「この世は生死以外は無意味」に惹かれたとも見える。
 それは思想的なものに惹かれたのに似ていると思う。

 心は自然にあるものでなく、耕して形成していくものだということ、でないと、心さえも他人との間で競争して振り落とされて行くものになる。
 そういう風景では、心は何かが弱まりやすいらしい。

 小林よしのりは、「悪魔ちゃん」事件のときに、「絶対悪というものを想像できなくなって、ちょっと強そうな名前に憧れることに、むだなエネルギーを費やそうとしているバカな親」と評し、そういう時代を、「本能が衰えとるぞ」 と言った。
5/11の日記。命としての思想と小林よしのり

 当時以降、若い年代に少し前までは右翼といわれそうな意見が急速に浸透したのも、その精神栄養を求めたい欲求が貯まっていたからだろうと思ってた。

 オウムなんかに惹かれるほどに、無知。それは何への無知なのかといえば、思想への無知があるからじゃないのか。 
(態度が大きいわりに自信がない、そういう小学生世代を励ますために、宮崎駿は「千と千尋」を作ったが。OLにバカ受け、世界的な大評価を受けた。--ちょっと関係がうすいか(笑い)

 タフな根性+思いやり、 なさけ+執着、 報酬+誉め言葉+鞭、・・など、人間はそういう速成の組み合わせですませられるもんじゃないということだろう。

 自分の欲求を、ずっと長く欲求して行っていいんだと確信をもったら、それはともかく思想と言えるだろう。
 だが、それをみんなが簡単にもてれば世話はない。
 「いわゆる思想」というやつが、始めの練習・型を与えてくれて、この世にそういうものがあると知って、自分の思いに自信を持てる――ということが多いのではないだろうか。
(宗教を本気で持ったり、ために戦争に至ったりする者は、それを「生存のための人権」だと考えるだろう。) 

 そういう--つまりは--「思想というものを知らない弱さ」というものを、若い世代ほどもっている、気づいているというべきだろうか。

 ニート問題なんかも、存在する図太さに欠ける、という点で似て見える。いいかげんな周囲の方がおかしいんじゃないか、ということも含めて、やっぱり思想の存在の問題に見える。

 たぶん、これが東京裁判の呪いだ、というのも、まあ、多少は当たっているだろう。それだけが原因でも国家意識だけが答えでもないと思うが、わかりやすい思想の雛型として国家意識は有用だ。

 他人の思想は、一種の雛型で、卒業だってできるもの。それを怖がるのは、怖がるように洗脳されているのかもしれない。

 (自分が思想をわかっててこういうことを書いてると言える自信はなくても) 




 だから、このまま天災・人災が続くなら、時代の注目は経済問題を離れて心にしばらく向かうかも。(皮肉な想像だな) 




 では、みなさん、
ゴ~ン、ゴ~ン、ゴ~ン、・・







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最終更新日  2005年03月10日 23時17分32秒
コメント(12) | コメントを書く
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Re:今年の結論――やっぱり「思想」(小改)(12/30)  
ローズ2004  さん
ニート問題...やはり家族内の問題が「大」かなと思っております。
自立・生きる事への、強さ&厳しさの不足と曖昧さ。
宮崎駿:ジブリ映画は、これからの子供や大人にも必見!
「心」、やっぱり「思想」('∀`*)   (2005年01月01日 21時16分40秒)

Re:「心」、やっぱり「思想」('∀`*)  
素ー  さん
 他人からなにかを得る以前に、家庭内で得ておいた方がいいでしょうね。
 でも、それが他人の中に通せるか、通してもいいと思うか、・・などなど、究極のところをどう考えることにするかを自分で決めるのが思想てことなのでは、などとも思います。

 ・・・ちょっとズレ出しているような。

(2005年01月01日 23時10分35秒)

トラバを貼りましたが...  
ローズ2004  さん
>態度が大きいわりに自信がない、そういう小学生世代を励ますために、宮崎駿は「千と千尋」を作ったが。

無関係そうなら、消して下さいませ。
(2005年01月02日 05時37分41秒)

happy new year  
k-nana  さん
あけましておめでとうございます

新年早々、失敗した家庭の人間は
どうやっていけばいいんだろうかと考えてしまいました。

や、普通なら失敗してないはずなんだけど。うん。

新年早々ダーティでスミマセン^^; (2005年01月02日 10時49分58秒)

happy new year  
素ー  さん
k-nanaさん
あけましておめでとうございます

 よそんちのことでも自分ちのことでも、失敗なのかどうなのかはわかりませんね。^^:)
 疲れた時に失敗、休んで回復できるときが定期的にあったら多少は成功、などと思うのかも。

 しかし、このページのテーマで書くと、
 心の強さが家庭から手に入らないときに、それを長じて自分で作ったり他人から知るときに、思想と言われるのではないか、と思いますね。
 現代では、鍛える、励ます、好きになる、以外の言葉ははねられている気がしますが。

 こっちでもちょっと書いとくと、

 現代では、オーナー的な責任の負い方をする後継者は、その家庭の都合で出にくくなっているそうだし、他の家庭の人たちと考え方にどっかずれが出て、それをなんとなく気にして育つなんてことあるのかな、などと思います。

 経営者とその家庭受難の時代でしょうか。
 いつの時代でも侍は少数派ですしね。

 子供達のしてやれることは、自分がなにかをもっていること、なにを大事にしているかということ、を明確にすることなんじゃないでしょうか。結局、親を裸にしてしまえば、そんな単純なことが足場だったりするかも。

(2005年01月02日 13時32分07秒)

文芸アニメ  
素ー  さん
 トラックバックの【ハウルの動く城】は、関係あるのかどうかわからないけど、宮崎氏のことだからあるかもな、という気でいます。

 さらに蛇足として、思想というのは、けっこう物語だったりもします。
 「物語の欠乏」という視点で見ると「アリーテ姫」という作品も近いといえば近い。
 原作は、19世紀の世紀末。

(2005年01月02日 13時42分24秒)

鍛えるといえば、  
素ー  さん
 だいたいは、そういう場所は職場ということになっているでしょう。
 家庭・学校はそれをあてにしている。
 しかし職場は鍛えるという部分は引きうけても、多面的だとはあてにならないし・・・

 思想というのは、少面的な狭さに窒息しない足場になるという意味でも使っているんだけど。

(2005年01月02日 14時01分46秒)

新年明けましたね  
Sgn(。Q゚ ); さん

また一年。  
素ー  さん
 21世紀もあと96年を残すのみとなり、22世紀に生き残る人も現在万単位でいると思われます。

 この場合のメッセージ性というやつは、自分で作品や作者の想像力を受け取るよりも、「これだけ唱えれば便利だぞ」というお経みたいなことを批評家たちが記号にしているところはある。トトロにしても日本の記号にしてるみたいで。

 「ハウル・・」がどうなっているかはしらないけど、宮崎作品の意味は、異世界にも人が住めそうな感じと、焼け跡感覚と、なるようになるたくましさ、だと思う。それは焼け跡派である本人の資質から出ているんだと。
 それを設定やデザインで表すのでなく、キャラの気持ちの醸成として出したのが千尋だったと思う。

 「となりの山田君」(’99年)というのも今ごろ少子化をベースに見ると、とにかく案ずるより生きるが易し、ととれるけど、当時はグローバリゼーションへの反論なしの逃避に見えたのか、大ゴケした。

(2005年01月04日 22時14分12秒)

敵・愛・友情・立場  
素ー  さん
 実質、つごうのいいシステムを共有するか破壊し合うかが敵味方のちがいではありますね。
 愛や友情は、自由な人間にとっては次の始まりになるからでしょう。

 ただ、なにを愛とか友情とかに相当するものとするのか、敵と共有できない世界とは何か、それは自分にとってなぜか、どこまでの深さでそれを思うのか、という多面的な自己確認ができることがいろんな覚悟に通じると思うし、それがつまり思想だと思う。

 ハイリスク・ハイリターンというけども、失敗確実覚悟の上のハイリスクを行なえるのは、それを思想といえるものがあるからだと呼んでいいと思う。

(2005年01月04日 22時49分10秒)

ちょっと宮崎さんについて  
牟田口連夜  さん
「~理論武装をして、ヒューマニズムとか、ジュネーブ協定を結んで捕虜は人道的に扱うとかって、ちゃんと逃げ道をこさえたうえで若者を死地に送り込むってことについは、ヨーロッパのほうが遙かに残酷ですね。~そういうことを研究しているとですね、悪魔の研究をしているって言われるんです。でも、軍事とか暴力というものも人間の業のひとつだから、きちんと勉強する必要があると思います。本当にリアリズムを持っている人がいないと、先行きを間違えると思うんですよ。」

「~戦争っていう「お化け」を、僕らが自分流に極めたいと思って触っていっても、巨大な象を手探りしているようなもんでね・・・本当にわからない。 戦車戦にしても、戦車対戦車で撃ち合っているなんてのは、全体からすればほんの一瞬のことで、実はその背後には、車内で小便をして空薬莢に入れて外に捨ててるとか、乾パンにマーガリン塗って喰って、来る日も来る日もエアフィルターを外して洗ってるとか、戦争や戦車に乗っていることにつきまとう鬱陶しい事とや、煩わしいことだらけの膨大な時間がずっと続いてるんだよね。そういう、勇ましくもなく、思わず「嗚呼」と詠嘆しちゃうような悲壮感もなく、そして面白くもないことを全部ひっくるめて書かないと、戦争の実像っていうのは見えて来ないんです~」

 ベルリン1945 梅本弘著 解説より (2005年01月06日 20時30分08秒)

実像が見えない   
素ー  さん
のは戦争に限らずでしょう。
 特定の枠が固定されず、何の保証もないものは常に何とでも言えるし何とも言えない。

 そういうところで賢明であろうとしてもものを決められず、消費者のように「いい考えを受けとって使えばいい」と思っていても、そのいいものを自分自身で本気に深くは思えなさそうだし。

 どんな思いの全体であれば、自分が盲目なりにでもやってけそうなのか、てことではないかと。

(2005年01月06日 21時27分03秒)

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