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ジャスタウェイ土師

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2006年07月08日
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カテゴリ: Text


将来の夢の欄にはでかでかと「宇宙飛行士」の五文字が輝いていた。
今になって思う。十歳の頃の自分には限界も諦観も何ひとつなく、
きっとその手は伸ばせばすぐにでも宇宙に届きそうだったのだろう。
今の自分の手はごく狭い、本当に小さな世界にしか届かない。
例えば今両手を思いきり伸ばしてみる。

そら見たことか。

右手はデスクの端、飲みかけた烏龍茶のペットボトルを、
左手は本棚の端、水銀燈と雛苺大躍進のローゼンメイデン六巻を、
それぞれなんとかこちらの世界に引き止めている。
実際のところ、自分が一度に掴めるものなどその程度に過ぎないのだ。
十歳のスペースカウボーイ志望少年が今の自分を見たらどう思うだろう。
落胆か。憤怒か。絶望か。少なくとも喜びはしないと思う。
あの頃自分が手にしていたものは、現在、ことごとく粉々に砕け散ってしまっている。
残っているのは絵を描く心と、妹と、あとは自分自身の身体くらいなものだ。
もっとも、逆に言えばそれだけあれば十分なのかも知れないが。
あとは多少変遷しようが風化しようが大して問題はない。かつては弟がいたような気も
しなくはないが、今はもう、お互い顔を合わせてもそれぞれの存在に気づきはしまい。
失ったものと得たものを見比べてみる。……若干だが前者の数の方が多い。

しかし、だ。そこに薄幸や悲哀の色はほとんど見当たらないのだ。

冷静に鑑みて、思う。概ね現在の自分は幸せと言える。
友人は少ないが、その代わり得がたい親友を持つことができた。
家族は減ったが、その代わりお互いの重要性を改めて認識することができた。
かつての夢は潰えたが、その代わり新たな目標を抱くことができた。
大切な記憶は薄れたが、その代わり新たな思い出を作ることができた。
世の中はなんだかんだ言ってもギブアンドテイクで七転び八起きで因果応報だと思う。
失った分の間隙は他のものでいつの間にか埋まっていく。
多少の凸凹はあれど結局は平坦な道筋が背後には横たわっている。
他の人間はどうだか知らないが、少なくとも自分の人生はそうだ。
前の二打席で空振り三振を食らったとしても、次の打席では手堅くセンター返しを
お見舞いしてやる。たまには無気力に過ごしてフォアボールを選んだあと、
「あぁこりゃ棚ぼただなぁ」と意地悪くにやついてみせたりしたりするのである。
そう、三打数一安打くらい(二打数ノーヒット一四球でも)が自分には丁度いい。
三割打者になるのは難しいが二割七分か八分くらいならどうにか辿り着ける。

――――閑話休題。

先述のように概ね自分は幸福だ。
とても嬉しいことや、大きな成功があったわけではない。
それでも今、人生を幸福に感じることができるのは、
ひとえに自分の「都合のいい」思考があったからだと思う。
書いてきた文章を見直してみるとよくわかる。うだうだと暗いことを言っていても、
結局は「まぁ、でもそれなりにいいこともあったし」と開き直ってしまっている。
その「いいこと」の内容など到底思い出せるはずもない。
それでもいいことは確かにあった。と思う。
だって、そうでなければ自分は不幸になってしまうのだから。
おそらくは本能に近いレベルで「自分」は人生を計算し、記憶を改竄し、
あざとく本物の過去を貼りつけながら自らの足跡を取り繕っている。
今憶えている出来事はだいたい当時の実情とそう大差ないと思っているが、
もしかしたらそれはただ自分の都合のいいように解釈しているだけで本当は
もっと異なった事件だった可能性もなくはない。確かめる術がない以上は、
絶対にあるとも絶対にないとも言い切れない。それが過去というものだろう。
終わりよければすべてよし、といつか担任の教師が口にしていたがこれはまさにそれだ。
計算されようが改竄されようが自分の過去はそれしかないのだからそこには嘘も真もない。
ふと、ハッピーエンドの七合目あたりを登る自分を思い出しては、
これはこれで悪くない人生なのだとわかったように頷くのだ。
……ある意味それは酷く滑稽で、歪曲したやり方なのかも知れない。
自らの人生を客観的に見つめるなど意味のないことだと思う。
むしろできないというべきか。いくら客観的に見ようと思ったところで自分は
自分以外の何者にもなれないし、自分はいつまで経っても自分のままだ。
客観的になっている、その自覚こそ主観をもって錯覚したただの幻想に過ぎない。
だから私はこの「都合のいい」頭を悪いものだとは思わない。それどころか感謝すらしている。
無数の不幸の連続へ、巧妙に僅かばかりの幸福を忍び込ませる「自分」。
多少のアップダウンはあれど二割台後半の打率をコンスタントに叩き出す「自分」。
もちろん、自分が優れた人間だなどと吹聴して回る気はさらさらないが、
この性質はきっと尊いものだと思う。ひとつの才能だとも思う。
その性質を、才能をもってはっきりと断言する。

私は幸せだ。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

以前、学校の授業で「自分が幸せか不幸せか」をテーマにした宿題の作文が出されたのです。
今回の日記はそれに提出したものを修正・加筆したもの。
「どう、幸せ?」と問われて「まぁぼちぼちだよ」と答えられるのって実は尊いこと。
いや、本当に。








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Last updated  2006年07月09日 01時03分05秒 コメントを書く
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