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まるで一瞬、京介が、それも幼くてまだ大輔を信じて甘えていたころの彼が名前を呼んだような気さえした。
ことばが続かなくて凍りついた美並に、明が訝しそうに眉を寄せる。
「姉ちゃん?」
「……真崎、大輔?」
「そう、それ。えーと向田市社会連絡協議会、の青年部部長だっけ? 確かそんな肩書きついてた」
そんなことは、聞いていない。
真崎は一言も話してくれていない。
「結構強引な人らしいです」
七海がそっと呟いた。
「『ニット・キャンパス』に参加したいってお友達が居たんですけど、参加団体が多くなりすぎるって締め切りを早めて締め出されたって、ぼやいてたから」
「でも…」
「でも?」
真崎は、桜木通販が参加できるようになった、と言っていなかったか?
あの大輔がそれほど力を持って『ニット・キャンパス』を動かせるのなら、例外は認めなかっただろう。ましてや、真崎京介がメインで活躍するような場を提供するはずがない。
なのに、真崎は『ニット・キャンパス』への参加を通した。
どうして?
いや、どんな手段を使って、というべきなのか?
ぞくぞくしたものが背筋を這い上がってきて、美並は血の気が引いてくるのを感じる。
「大輔ってのは京介の兄貴なの? じゃあ七海のことも挨拶したほうがいい?」
「兄、なんかじゃないよ。挨拶なんかしなくていい」
思わず唸ってしまった。
「どういうこと?」
「葉延」
尋ねた明の声を遮って、ふいに側を通りかかった二人連れの一人が立ち止まって声をかけてきた。黒い大きな瞳がこぼれ落ちそうな少年、その側に全身黒づくめの男がのそりと立っている。
「……ハル?」
声を聞いてはっとしたように七海が顔を上げる。
「知り合いか、ハル」
「七海、誰?」
重なった声は明と少年の側の男のものだ。
「七海」
「一番初めのコンサートに来てくれた、ほら、渡来、晴くん」
少年と七海がそれぞれ相手に説明する。
「ああ、ハープ奏者の。ホールイベント参加でしたね」
「へえ、思ったより若かったな」
明が立ち上がると同時に男が手を差し出した。
「よろしく。『ニット・キャンパス』企画本部の源内頼起です」
「七海の夫予定の伊吹明です」
「あ、じゃああなたがゲンナイさん?」
「ああ、頼れる明さん、ですか」
二人の男が手を握りあって、微かに火花を散らしたように見えたが、引いたのは源内が先だった。
「ところで、今話題に出ていたのは、真崎大輔?」
「知ってるんですか?」
「ああ、ほら、あそこに居るよ」
源内が片手の親指を立てて振り返らないまま肩越しに指した先、かなり離れたテーブルにスーツの一群、中で朗らかに笑う大輔の顔を見つけて、美並は凍りついた。
こっちに出て来ている。
脳裏に不安定に揺らめく真崎の姿が蘇る。
ぎりぎりに追い詰められてしまっている気配。
真崎京介がそこまで崩れそうになる要因として思いつくもの。
「懇親会とかで数日ホテル住まいだそうだ、うらやましいね」
源内が軽く肩を竦める。
数日の、ホテル住まい。
寒気が消えないままに源内を見上げる。
「『ハイウィンド・リール』……?」
まさか、京介。
『ニット・キャンパス』に参加できた、その手段は。
「その通り、よく御存じで……ところで、この方は?」
源内が美並を見下ろして尋ねた。
「義姉です」
「俺の姉です」
「……桜木通販開発管理課、伊吹美並です」
一斉に応じた三人を一人ずつ見渡して、なるほど、よくわかったよ、と頷いた源内は、ゆっくり美並に向き直り、済まなそうに頭を下げた。
「この度はこちらの不手際で申し訳なかった。真崎さんによろしくお伝え下さい」
「はい?」
「『ニット・キャンパス』への参加、締め切り繰り上げで駄目になったでしょう?」
「え、えっっ」
美並は思わず声を上げた。
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