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怪異以外のネタ・隋書
最後は怪異以外のお話をいくつか。
高祖(p40)開皇二年十月癸寅、上の病が癒えたので、百官を観徳殿にもてなした。銭帛を賜うには、みなが自ら取るに任せ、百官も目一杯取って退出した。
★銭つかみ取り大会?一人一つかみ限りとか、配った袋に入るだけとか前もって決めておいた方がいいような。
★梁士彦たちは罪を犯して資産を没収されたそうです。
現代で言う差押え品の競売みたいなものでしょうが、ゲーム感覚で楽しそう。
矢が当たると壊れる物もありそうなので、丸いボードに品名を書いて回して、ボードを射るなんて趣向もどうでしょう(パジェロはないだろうけど)。
煬帝(p112)大業五年秋七月丁卯、馬の牧場を青海の水辺に作り、龍種を求めたが、成果が無かったので止めた。
★牧場はすぐ廃止されたような書き方ですが、もうちょっと根気よくやってもよかったのでは。
(p113)丁丑、角抵や雑伎を端門街で行い、全国の珍しい技芸や変わった曲芸がすべて集まり、月末まで行われた。帝はしばしばお忍びで見物に出かけた。己丑、倭国が使者を派遣して地方の名物を貢献した。
★倭国の使者は大道芸祭りには間に合ったのでしょうか。
(p113)六年春正月癸亥朔、朝に賊数十人が、みな白絹の冠と絹の衣を着て、香を焚いて花を持ち、弥勒仏と自称して、建国門から宮殿に入って行った。門番は皆額づいて礼拝した。そうして衛兵の武器を奪い、反乱を起こそうとした。
★クーデターの計画だったようです。未遂に終わったようですが、仏を自称するとはけしからん。
宣華夫人陳氏
帝紀ではあっさりした記述ですが、p158に、ほぼ隋唐演義に採用された通りの高祖弑逆(?)のいきさつが書いてあります。しかし楊廣は今まで側室も置かずにイイ子ちゃんしてきたのに、高祖が重体という一番大事な時に、夫人に「押し迫った」りするかね。
もう即位確定と思って気が緩んだんでしょうか。
秦孝王楊俊
(p183)楊俊は工芸を好み、常に自ら刃物を手にして、作り上げる精巧な器物は、珠玉で飾られていた。妃のために七宝で飾られた頭巾を作ったこともあった。また水際の宮殿を造営し、香の粉末を壁に塗り、金の階(きざはし)を玉でつなぎ、梁や柱と楣(まぐさ)や棟の間には明鏡が廻らされ、その間には宝珠がはめられ、装飾の美を極めた。
★楊俊は高祖の三男。器用な人だったようですね。職人の家にでも生まれた方が幸せだったかも・・
(誰かが、生まれ変われるとしても二度と皇族にはなりたくないと言ってたような)。
宮殿は漢代のお屋敷と比べると、よりきらびやかになっていますね。まぶしそう。
劉方(p365)(林邑の)賊軍は巨象に乗って、四方から押し寄せた。劉方が弩で象を射ると、象は矢に当たって傷つき、かえって賊軍の陣を蹂躙した。
★戦象部隊キタ!とわくわくしたらこのオチ。戦象は大抵暴れて自陣に突っ込んでるような・・この後ろに後漢の馬援が建てた銅柱を通過し~とあるので南方の戦いのお話です。
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