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2009年08月29日
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カテゴリ: 家族のはなし


猛暑になるかもしれないと予感させるような暑い日だった。

義母と一緒に畑に出たが、他の畑の雑草が気になるからと

一人でそちらへ向かった。


義父のことを「兄貴」と慕ってくれる

近所に住むTさんが義父のいる畑の前を車で通りかかり、

こんなに暑いんだから帰って休め、と身振りで示すと

義父はお前はあっちに行け、と

笑顔で追い払うしぐさを返した。



「あのときに無理やり帰せばよかった。」

Tさんはそう言ったが、義父の性格を考えると

きっと、誰が何を言っても

気になることを放っておけない義父は帰らなかったと思う。



義父が倒れているのを見つけた人は

最近、実家で同居を始めたばかりの夫婦だった。

うつぶせに倒れている義父を見つけてくれたが、

畑の場所で所有者が誰かなんてわからない人たちだった。

だから義母を呼びにいくこともなく、

自宅へ戻り、救急車を呼んでくれた。



救急車のサイレンを畑で聞いていた義母は

サイレンの鳴る位置を確認しながら

どこの家に行くんだろう、とぼんやり思っていたそうだ。


義父が救急車で運ばれた、という連絡を受けたとき、

あたしは旦那の先輩の誕生日ということで

手土産にアクアパッツアを作っていた。

とにかくどうなるか分からないから、すぐに出かけれるように

身支度を整えておけ、といわれて

保育園と空手の道場へ子供を迎えにいった。

手土産を合流するはずだった後輩に託し、

子供たちにおにぎりを食べさせていると

運ばれた病院へすぐに来るように、といわれた。


救急処置室のベッドの上には

徐々に体温が消えていく義父が横たわっていた。


思いもかけないことだった。


10年ほど前、

心筋梗塞で倒れて一度は心臓が止まったのに息を吹き返し、

心肺蘇生をしている医者に「痛いじゃねえか!」と

つかみかかりながら起き上がった義父。

2年前に倒れたときにも1時間後には意識を取り戻していた。


でも、今回はだめだった。

あれだけ悪運が強いと皆から言われていた義父が亡くなった。


そっと手を握っても握り返してくれることはなかった。

「じいちゃん、顔に土がたくさんついているね。

かわいそうだからとってあげる。」と顔の土を払う宗二。

自分が見ている、今の情景が信じられなかった。

2年前に救急車で運ばれたときのことがダブっているのに、

今回はなぜ、目を開けてくれないんだろう?


死んでしまった、もう、義父と話すことができない、ということが

どうしても信じられなかった。


家族の待合室に行くと、

知らせを聞いて駆けつけてくれた人が何人もいた。

みんな、あたしと同じように

何が起きたのか信じられずに呆然としていた。


実は今回はもう駄目かもしれない、と思うようなことがあった。


あたしが病院に向かうために着替えをしていたとき、

どこからか歌が聞こえた。

どうしてこんなタイミングに、と思ったのだが、

それはこの歌だった。



私のお墓の前で泣かないでください



たまたまだとは思うのだが、

これは義父からあたしたち家族への

最後のメッセージなのかもしれない、と

覚悟を決めたのだ、この瞬間に。

なのに、実際に義父と対面して義父の顔を見ていると

次の瞬間に目を開けて

「おう。心配かけたな。」と言う言葉が出るような気がする。

そのくらい、穏やかでリラックスしているような顔だった。


警察が来て検視が始まった。

それからきれいに清めてもらい、自宅に帰ると言うので

子供を連れて義実家へ向かった。


途中、コンビニで子供たちのお弁当を買い

義実家へ向かったのだが、今考えるとなぜあんな道順で

向かったのか理解できないような帰り方をした。

帰るまで普段の倍近くかかってしまった。

普通に振舞っていてもかなり動揺していたんだな、と思う。


義実家にはすでにご近所の奥様たちが待機していた。

あたしは義実家の方のお葬式を体験したことがない。

嫁であるあたしはとにかく教えてもらったとおりにするだけだ。

組長の奥さんとTさんの奥さんに

「何も分からないので足を引っ張ってしまうかもしれませんが

色々と教えてください」と頭を下げてお願いするが、

「こういうことは私たち近所がやるから

子供たちを見て少し休んで。」と声をかけていただき、

義父が戻ってきて祭壇を設置したあと帰宅した。

遅い時間だというのに「おくりびとジョジョ」が

車を用意してすべての支度を整えてくれた。


ここまでは

もう記憶がおぼろげになってしまうくらい忙しかった

ほんの序章だった。


翌朝、旦那は早朝からお葬式の打ち合わせで出かけた。

結局次男の旦那が喪主を務めることになったのだ。


あたしは喪服の支度や現金を用意してから義実家へ向かう。

すでに何人もの弔問客が来ていて

とにかくお茶を出して、下げて、洗う。

それのみだった。

こんなに何度も正座をして、お辞儀をして、立ち上がって

という動作をしたことがなかったので

ひざは擦れてガサガサになってしまった。


夜までには義兄・義姉家族とそのほかの親族もやってきた。

ホールの都合でお通夜は翌日になったので

ある意味慌しさも穏やかなものになった。


義父の祭壇を見ながら皆でいろいろな話をする。

まだ誰も義父が死んでしまったと信じる人はいなかった。


確かに、みんな油断していた。

以前倒れてから2年も経っていたので

なんとなく健康な体に戻ったと油断していた。

義母は「私が少し疲れて調子が悪いと言ったから

お父さんは無理してあっちの畑の草を刈りに行ったんだ。

せめてあの時一緒にあっちの畑に行っていれば

倒れてもすぐに心臓マッサージができたのに。

そうすればこの前の時みたいに助かったかもしれない。」

そう言ってみんながみんな、自分を責める。

そして悔やんだ。


あたしは義父が亡くなる数日前に義実家を訪れていた。

帰り間際、義父に声をかけて帰ろうと思ったが

疲れていたのか横になっていたので

そのまま黙って帰宅した。

亡くなった次の週、

子供たち3人が義実家にお泊りすることになっていた。

ま、今度のお泊りのときにお礼を言えばいいや、と

言葉を交わすこともなく帰宅してしまったことが

とても悔やまれる。

長患いもせずに逝ってしまったことは家族にも負担をかけず、

とてもありがたいことなのかもしれないが、

こんなに早く、さよならも言えずに会えなくなってしまって

とても、さみしい。


あたしたちも迷惑もかけたんだから

少しくらい、面倒を見させてもらいたかった。



みんな、ひそかに自分を責めながら飲んだんだと思う。

心の中で義父に語りかけていたんだと思う。

あたしは今度飲もうね、と残しておいた

「百年の孤独」の残りの一本を開け、コップに注ぎ、

死に水のために使う箸のガーゼの先に含ませて

義父の唇を湿らせた。

何回も、何回も。

なぜか、そうすれば目を開けてくれるんじゃないかと思った。



そして、そのままあたしたち家族も居間で雑魚寝してしまった。

代行を呼んで自宅に帰る前に力尽きてしまったのと

義父と一緒にいたい気持ちがあったのと両方だった。








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最終更新日  2009年09月07日 18時18分32秒
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