アダムス家の日常とごはん ~青嵐のブログ

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2009年10月14日
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カテゴリ: 家族のはなし



何をするべきかの優先順位が分からなくなるときがある。

まさにこの週はそんな感じだった。


母の癌の手術が行われたのもこの週だった。


(※以下の文には手術後の様子や

あたしが見聞した癌に関する話などが書かれていますが、

専門家ではないので間違えた記述があるかもしれません。

血や臓器の話が駄目な人、

癌の治療に関して正確な情報を求める方は

参考になさらないでください)


「12時までにご家族の方はいらしてください」

そう言われて1時間以上早く病室に着き、

妹と母と取り留めのない話をした。


そして手術室の前まで見送ったとき、

ぎゅっと母の手を握った。

ビクン、と少し驚いた母の反応のあと、

だいじょーぶ、と少しだけ笑ったような困ったような顔をした母。

そして、扉は閉じられた。


結局、手術が終わったのは5時間後だった。


そのまま先生の話がありますのでこちらへ、と

狭くて片隅に冷蔵庫の置かれている部屋に通された。


机の上にはガーゼのかかった膿盆と

小さな円柱形の透明な入れ物がいくつか置かれていた。


まずはじめに、

「手術をして悪いところはすべて取りました」と言われ、

こわばっていた体が少しだけ弛緩した。

そして、

妹を出産したときは帝王出産だったのだが、

そのときの処置の影響なのか膀胱と子宮の癒着がひどく、

はがして止血するのに思いのほか時間がかかってしまった、

と言われた。


透明な、水で満たされたケースの中の赤い物体は

切除したリンパだった。

そし次に「これ、見れますか?」

と膿盆をさされた。

妹は顔を伏せたが、あたしは「大丈夫です」と答える。

ガーゼの中から出てきたものは、

あたしの握りこぶしよりも少し小さい、母の子宮だった。

その子宮にはY字切開がしてあり、

子宮の内側も見れるようになっていた。

そして、子宮からつながっているのは

まるで、へその緒のようなあたしの指より細い太さの卵管と

その先につながっている、ピンポン玉のような卵巣だった。

まず、子宮の内部を開きながら癌の様子を説明してくれる。

それを見ながら、ああ、あたしはここから生まれたんだ、

この中で待ちわびられて育まれたんだ、と考えると

目が潤んできた。

こんなに小さい器官が、

臨月ではあれほど大きくなるものなのかと驚くのと同時に、

子どもを産むという行為が

どれほど神秘的で驚きに満ちていることなのか

改めて考える結果になった。

そして、次に卵管の説明に入ったのだが、卵巣の根元あたりに

脂肪の塊のような粒粒がシリコンゴムにでも覆われたように

滑らかな状態でいくつもくっついていた。

「これが癌です。」

子宮だけではなく卵管にも癌がついていたことに関しては

聞くのが怖かった。








9月29日

●焼き魚

 いただき物の西京漬け。

 銀だら・キングサーモン・ほたて。

●大根と豚の角煮

0929

●生キャベツ

 宗二が「俺、ダイエットするから

 今度からキャベツ用意しておいてね!」と言われたが、

 この日以外には登場しない…

●らっきょう&枝豆

●水菜とわかめの味噌汁



9月29日

●鶏の照り焼き

●ポテトサラダ&グリーンサラダ

0930

●味噌汁

10月1日は外食でいつもの焼肉やさんへ&画像取り忘れ。

10月2日

●おでん

1002

●センマイ刺し&ナムル&キムチ

 前日の焼肉屋さんでテイクアウトしたもの。



10月3日

この日は運動会だった。

明け方まで雨が残っていたので小学校の体育館で

実施するかと思ったが、昼ごろから快晴の天気予報だったので、

園庭で実施することができた。

毎年、大量のおでんを作って園の先生方に差し入れをする。

それを楽しみにしてくれるのはとても嬉しく、ありがたい。

そんな保育園でのお昼ごはんは

●サンドウィッチ

 ハム&きゅうりと卵サンド。

●おにぎり

 具は昆布とたらこ。

●おでん

1003 運動会

●ウインナー&ささみチーズカツ

●マルチ屋のマグロブツ

●カップサラダ  など。

夜は残り物を片付けた。


10月4日

●すきやき

1004

●甘唐辛子の油いため

●ミョウガの酢の物



10月5日

この日、母の手術があった。


麻酔も醒めきらない朦朧とした母と少し話し、

あたしは心配だから、と病院に泊まる、と言ったが

うつらうつらしているときにあんたがいると気になる、というので

結局この日は実家に泊まり、妹と「帰れま10」を見ながら

たわいのない話をして知らないうちに一緒に寝てしまっていた。




10月6日

翌日も、子どもたちは旦那に任せてあたしと妹は病院へ。

その後、旦那も合流してみんなで病室で母の様子を見守る。

麻酔が醒めたあとも、痛みも比較的楽だったようで

これなら安心できる、と帰宅。

急いで夕食の準備に取り掛かる。

●水餃子

1006
●きゅうりとツナの酢の物








癌の進行度は、3つの要素で決められている。

1、癌がどのくらいの大きさになっているか、

2、周辺のリンパ節にどれほど転移しているか、

3、遠隔臓器への転移はあるか、

これは、TNM分類といい、国際な指標として使われている。


そしてこのTNM分類を基にして

進行度と広がりの双方をあらわすのに使われるのが

いわゆる「ステージ」というものである。

母の手術前の説明で、

あたしが一番初めに先生に聞いたのは

「母のステージは?」ということだった。

だが、子宮体がんの場合は子宮頸がんとは違い、

実際に摘出したものの病理検査の結果に基づいて

決められる、ということだった。


なぜ、ステージにこだわったのか。


5年生存率という統計があるのだが、

これはステージ別の

診断から5年後に生存が確認できた割合のことだ。

実際にはガイドラインがあるわけではないので

データ自体の精度や信頼性の面では

すべて鵜呑みにはできないのだが、

何も分からない状態で、

手探りで不安な日々を過ごしたくないという、

ある意味自分自身の精神的な保身のためもあり

再発の可能性も含めて数字で何かが知りたかった。


癌の多くでは治療により癌が消失してから

5年経過後までに再発がない場合、「治癒」とみなすそうだ。


あたしは母に対して、アンビバレンツな感情を持っている。

母が癌になったとき、

とても心配し、悩み、取り乱しそうになったが、

その対極の感情も持っている。


入院中も時間が空けば母の顔を見に行ったり、

少しでも食べて欲しいと多めに作ったおかずを届けた。

そして病院のまずい食事は食べられない、と

ハンガーストライキをする母をなだめる。



不安なのは分かる。怖いのも分かる。

けど、なんで心配かけないようにと努力しないんだろう?と

責める気持ちが沸き起こり、

母を心配する自分に疑問を持ってしまう自分がいて、

自分がとても嫌いになってしまったり。


だからなのだろう。

笑ってやり過ごせるような

理屈に沿わないことを言われると、あたしの口調も荒くなる。


「病室じゃ寝れないの。」

「だったらまずくてもちゃんとご飯を食べないと。

体力つけないと外泊許可はもらえないよ。」

「でも食べられない」

「じゃ、点滴打ってもらって週末も病室にいれば?

外泊したってそんなんじゃ

○ちゃん(妹)に迷惑かけるだけだから。」


一事が万事、こんな調子だから

あたし自身少し参ってしまった。


みんな、自分の生活の不自由さや不幸に

目をつむったり、

折り合いをつけて生きている。



あたしから言わせれば、

きちんと検診を受けてさえいれば

こんなに大掛かりな病気にはならなかっただろうし、

集団行動大嫌いでおうち大好きな母が

4人部屋で何ヶ月も生活する羽目にはならなかっただろう。


でも、その「たら、れば」はもう存在しない。

癌にかかってしまったのは仕方がない。


集団で暮らすことが嫌でも、食事がまずくても

それをしなければならない、と自分に言い聞かせて

折り合いをつけなければならない。

それを説明しても反発され、

でも心配で顔を見に行く、の繰り返しで少し疲弊して、

こんな汚い話をブログに書くべきか迷っているうちに

更新が滞ってしまった、という長い言い訳を書いてみた。









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最終更新日  2009年11月11日 23時14分14秒
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