2009年06月11日
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テーマ: 徒然日記(25460)
カテゴリ: カテゴリ未分類
皆さんこんにちは~(* ^ー゚)

さてさて今回は、春先に行った名古屋城についてご紹介しようと思います
子供の頃はよく行ったものですが。。。大人になってからは「1●年ぶり位」の訪問でした

まずは 天守閣                  そして 金のしゃちほこ
天守閣金のしゃちほこ

さて、ここからは【名古屋城の簡単な歴史】、【本丸御殿復元工事】、【刻文】の3点について語りたいと思います

【名古屋城の簡単な歴史】

※かつて名古屋城の本丸には、天守閣の南側に本丸御殿がありました。

1612年(慶長17年): 天守閣が完成。
1615年(慶長20年): 本丸御殿が完成。
1930年(昭和5年): 天守閣・本丸御殿ともに、国宝に指定。
1945年(昭和20年)5月: 空襲により天守閣、本丸御殿ともに焼失。
1957年(昭和32年): 天守閣の再建工事が始まる。
1959年(昭和34年)3月: 金鯱(二代目)大阪造幣局を出発する。
9月: 伊勢湾台風襲来。
10月3日: 名古屋城 天守閣 の再建工事が完了し、一般公開される。


【本丸御殿復元工事】
1992年(平成4年)6月: 障壁画の復元模写を始める。
2002年(平成14年)4月: 寄付集めに積立基金を設置。
2006年(平成18年)4月: 基本設計に着手。
2007年(平成19年)11月: 文化庁が復元を許可。
2009年(平成21年)1月: 再建工事が始まる。


さて。。。この【本丸御殿復元工事】についてですが、他の地域ではどの程度ニュースになっているかわかりませんが。。。
東海地方では、この件の是非を問うニュースが毎日のように流れてます


天守閣2

手前に写っているフェンス⇔奥に見える天守閣、の間の空き地ぜ~んぶが本丸御殿復元場所なんです。
丁度真中にポツンと建っているやつは、恐らく玄関部分に当たるのではないかと思います(真偽は知りません)

まぁ、要するに 「この不況の中、総額150億円も投じてまで、今、やる必要があるのか」 と、名古屋市と市民が対立しちゃってるんですね~┐(´д`)┌

んで、今月の14日、河村たかし市長が司会を務める「たかし市長の本丸御殿 本音トーク」というトークバトルを開くとの事。
これには一般市民の中から反対派、賛成派、それぞれ約5名程参加して、徹底的に話し合って結論を出すそうです。

討論者は事前に事業についての小論文を送付している。
河村市長は公平を期すため、氏名を伏せた状態で、小論文をすべて読んで決めた。
河村市長は「やらせは一切ない。(事業の賛否決断は)そう焦って決めるものではなく、虚心坦懐(たんかい)やりたい」と話している。

市によると、応募総数は58人。計画通り続ける19人、修正して継続17人と、賛成が約6割を占めた。
これに対し、反対は、一時中断14人、中止7人。1人の賛否は不明だった。


あ~何か頭が痛くなってきた。。。私は何を伝えたかったんだろう

ん~。。。でもね、この件の事業費150億円近くはもうとっくに集まってるらしいです
なんでも、05年の愛知万博での剰余金10億円が市に配分されたのが大きかったとか。。。

私は「やればいいじゃん」と思いますけどね



【刻文】

刻文とは。。。
名古屋城の石垣には、丸に三角や扇子、軍配などユーモラスなしるしがみられます。
これを『刻文』といい、築城工事を分担した大名と家臣のしるしです。
苦労して運んだ石を他の大名家のものと間違え、無用なトラブルが起きることのないようにつけたものです。

という事で、その一部の写真をご紹介しますので何が書かれているのか探してみてください


石垣

アップで見てみると。。。
刻文1

刻文2

刻文3

刻文4刻文5





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最終更新日  2009年06月12日 06時55分19秒
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