戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年06月06日
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カテゴリ: 城(近畿)
で、墓地へ。


・・・が、案内板などはなく、いくつか玉垣のある立派そうな墓が
それっぽいというのはわかるんだけど、いまひとつ特定できない。
↓こんな感じのがいくつも並んでる。

大津・縁心寺・膳所藩歴代藩主の墓


墓の前に、小さな碑もあるんだけど、磨耗してて読めないし。
あ、でも、戸田君の墓だけは確かわかったような気がする。
写真がないけど


なんでか?

俊次さんは、今井兼平がすごく好きだったみたいでねえ~。
その当時、兼平の墓は墨黒谷という所に粗末な塚があるだけだったのを、
俊次さんが墓石を建立したらしいんだな。

さらにその子の代になって、東海道にほど近い現在地(石山駅の近く)に
墓が移されたんだと。

そんな訳で、俊次さんの墓のかたわらには、
兼平の法号を刻んだ小さな墓があるってことだったので。


俊次さん、どんだけ兼平好きやねん!

って感じだけど、今日のこの調子だと兼平の墓へ行けるかどうかも
危ぶまれたので、せめてここは見ておきたかった・・・
が、残念ながらわからなかった。


暑さでヘロヘロだったし、墓地にはつきもののカラスさんが
近くの塀に留まっててガーガーうるさかったので、
ちょっと長居するのがはばかられたんだよね(笑)。



さて、縁心寺の向かいは県立膳所高校。
上の写真にも奥の方に写ってます。


遵義堂のできる前は、侍屋敷が建ち並んでた。

・・・なんですが、それだけじゃない。


平成14年の夏、高校の改築にともなう膳所の城下町遺跡の発掘調査において、
奈良時代の大型の建物跡が発見された。

そもそもの発掘が遵義堂と周辺の武家屋敷の遺構の確認を主眼に置いていたので、
この新たな発見は調査にあたった担当者をも驚かせたという。  


見つかったのは、奈良時代の掘立柱建物3棟。
8世紀前半のものが1つ、あと2つは8世紀後半のもので
いずれも奈良時代。

このうちいちばん大きな8世紀前半の建物は、
宮殿クラスだという。

で、これが聖武天皇の行幸の際の禾津頓宮(あわづとんぐう)の跡じゃないかと
推測されている。

頓宮とは、仮の宮のこと。

「禾津」は「あわづ」と読むから、現在の大津市粟津じゃないかと
推定されてきたが、具体的な場所についてはわかっていなかった。

しかし、この時の発掘を機に、これが頓宮の正殿じゃなかろーかと
今では考えられているとのこと。


こんな風に、ひとつの場所で複数の歴史を秘めているのが、
滋賀のすごいとこ。

1粒で2度おいしいグリコどころの話じゃない。


この時の発掘と禾津頓宮について知りたい方は、
「現説公開サイト」 様のページへどうぞ(リンクは こちら )。
簡潔に、わかりやすく説明が書いてあります。



縁心寺の正面の道をまっつぐ南下すると、
そこが膳所城中大手門跡(場所は こちら )。

大津・膳所城中大手門跡


この交差点にあるローソンで冷たい飲み物を補充してから、
膳所神社へ。

普段なら経費節約で500mlとかの大きめのペットボトルとかを
買うんだけど、なにより体を冷やすことが大事なので、
冷たさを持続させるために小さめのものを買って、
少し飲んでは脇の下に挟んだり、頸動脈にあてたり・・・。

そういえば、去年の真夏の岐阜でも
小さいのを何本も買っては、同じようなことしてたなあ(笑)。

でも、ここまで来たらせめて膳所城跡までは行きたい。
まあ、今から考えるとムチャしたなあって思うけど


大津・膳所神社2

 【膳所神社

  社伝によると天智天皇が大津の宮に遷都の際、この地を御厨所と定められた。
  天武天皇6年に大和の国から御食津神を奉遷して、大膳職の御厨神とされた。

  慶長年間に至り大政所、豊臣秀頼、徳川家康などが当社を厚く尊信されて
  種々の神器の寄進があり、東山天皇は膳所大明神の宣下をされました。

  また、慶長6年膳所城創始以来、歴代の藩主本多候は崇敬が厚く、社領の寄進や
  社殿の造営が、たびたび行われました。
  現在の当社表門は、旧膳所城の城門で重要文化財に指定されています。】
  (現地解説板より原文のまま、漢数字は戦国ジジイが変換) 

その表門がこちら。

大津・膳所神社4(本丸表門)


これは裏から。

大津・膳所神社7(本丸表門)

 【膳所神社表門 一棟

  この表門は、旧膳所城の二の丸より本丸への入り口にあった城門で、明治3年(1870)
  の膳所城取り壊しの際に移築されました。
  門は、棟筋と扉筋とが同一の垂直面にない薬医門で城門として多く用いられています。

  屋根瓦には旧膳所城主本多氏の立葵紋がみられ、桃山時代の建築として貴重な
  ものです。
  脇には潜り戸を付け、頑丈な造りで、城門としての貫録を持っています。】

この説明だとピンとこないかもしれないけど、
薬医門ってのは大ざっぱにいって、鏡柱(正面側の軸になる太い柱)と
控柱(内側に建てる支えの柱)をごっそりカバーする大きなお屋根の
門だと思ってください。



城郭建築に用いられる門は8種類に分けられ、
そのうち最も格が高いのが櫓門。

厳重で防備にも優れており、また天守に準じる格を持つ櫓門が
城内の主要な門として用いられた。

櫓門は2階建て。
残る7種類はすべて平屋建ての門で、このうち、
最も古い歴史を持ち、かつ最も格式が高かったのが薬医門。

次で出てくる別の移築門と比較してもらうと、
構造の違いがよくわかるかと思います。

派手好きな人にはちょっと地味に見えるかもしれないけど、
やっぱり薬医門は重厚感がある。


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最終更新日  2012年06月07日 14時20分35秒
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