戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年06月11日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
前回の秀郷の話が、「三上山の大百足退治」のあらすじ。



将門討伐の際には、秀郷が将門の左目を射抜いたともいわれる。
これは瀬田橋の龍神の御加護によるものである、というところから
ムカデ退治の伝説が生まれたと考える向きもあるそうな。

ムカデも将門も、同じ左目でしょ?


お話によっては、龍神じゃなくて乙姫様に頼まれた設定になってるので、
そこから龍王宮秀郷社は秀郷と乙姫様を祀る神社ということに
なってるらしい。


あせあせと参拝を済ませて、そのお隣の雲住寺へ(場所は こちら )。
この時、18:00ギリギリだったんです。

お寺って門があって、大抵閉めちゃうでしょ?
18:00くらいが門限かもな~と思ってたので・・・
あと数分(かも)!!


大津・雲住寺2



ちょっとわかりづらいかな・・・
ここの軒丸瓦も、本多立葵だった。

大津・雲住寺3


門構えだけじゃなく、境内も立派。

時の城主によって応永15年(1408)に建てられたお寺なんです。

その城主とは、蒲生高秀。
ええ、のちに賢秀さんとか氏郷さんを出した、あの蒲生さんちです。



秀郷は、もともと下野出身の人。
平将門の乱平定後は下野守に任じられ、武蔵守、鎮守府将軍も兼任したともいわれる。


本拠地・下野を中心に足利氏・結城氏・比企氏・佐野氏・奥州藤原氏などの
関東諸氏の武家の祖となった。

そこまではいいんだけど、大きな戦功をあげた武門の名家として、
西の方にも秀郷を祖とする名乗りの武家が実に多い。

有名どころだけでも、蒲生氏の他、内藤氏(大内氏家臣)・大友氏・少弐氏・
竜造寺氏・立花氏・・・
これ以外にも、もっとあるんだよ。
ちょっとびっくりだよね~

で、蒲生さんが建てたお寺だって事と、あとこれがあるから
ここに来たんだ

大津・雲住寺4

左側に『百足供養堂』って碑が建ってるでしょ?
この六角堂が、その供養堂。

百足はもちろん、秀郷に退治された三上山の大ムカデさんですよ。
平成6年に建立されたんだって。
すごくない、ソレ!!

ぶっちゃけ、秀郷が大津に来たことがあるのかどうかも
わからない。

その上、お話の内容も『このお話はフィクションです』って言葉が
ぴったりなもので、しかも1,000年以上も前の話。
それで、平成6年に供養堂を作っちゃうんだよ?

・・・あ、誤解のないように言っておきますが、
決してバカにしている訳じゃないですよ。

なんか、今さらだけど、歴史ってとぎれることなくつながってるんだな~とか、
人の思いって不思議だな~とか、一種の感慨がぼわ~んと
浮んでくる訳です。

こーゆー伝説とか民話が現代に息づいてるのって、
ここだけじゃないもんね。
「赤間ヶ関編(5)」 のお亀明神だとかもそうだしさ・・・



まあ、お寺そのものは応永年間の創建だけどね。
そして、ここ雲住寺は瀬田の唐橋の守り寺でもあるんだと。

交通の要衝である橋の安定経営のために、
安全祈願とあわせてムカデを討った子孫の城主が鎮魂の寺を建てるというのは、
理に適ってるって言ったらおかしいけど、ここにふさわしい縁起だな~と思う。


現在では10月の第3日曜に秀郷とムカデの供養会が行われているが、
なんでも和太鼓の演奏をすると雨が降るというジンクスがあるんだとか。

龍神様に雨はつきものだから、太鼓の奉納を龍神様が喜ばれての
ことかもしれない。
もしかしたら、太鼓にあわせて龍神様が踊ってるのかも・・・(笑)。



ここのお寺は、龍王宮秀郷社とは別の百足退治の版木だとか、
秀郷ゆかりの武具などを色々所蔵していて、
事前に連絡をしておけば内部の拝観もできるようなんだけど、
私は時間にとらわれる史跡めぐりはしたくないタチなので、
余程のことがない限り、旅先でそういった予約などはしない。

だから今回も、外からちょっと見ただけ。
でもまあ、閉門に間に合ってよかった・・・


それで実は後から知ったことなんですが、
雲住寺と龍王宮秀郷社との間に古い柱が立ってて、
昔の唐橋の橋脚として使われてた柱なんだって。

なんかそんなの見たような気も・・・
でも、解説板とか一切なかったからわかんなかったよ~!!
写真を見ると、注連縄が掛けられてて、龍神の霊として祀られてるんだって~。


唐橋は本格的には大津宮遷都の時に架橋されたと考えられているそうだけど、
その当時はここ龍王宮秀郷社と雲住寺のある辺りを東端としていたらしい。
そんなこんなで、ここは唐橋にまつわる歴史が沢山詰まった場所なのであります。



さて、一旦橋のたもとに戻ろうとしたら、
お地蔵様がいらした。

大津・橋守地蔵

 【橋守地蔵縁起

  御本尊は、昭和51年1月26日に、撤去工事中の唐橋の中央橋脚の基礎の地下から
  出現された石仏でありまして、同時に真鍮製の花筒と御仏飯の器が揃って
  出てきました。

  高さ38糎(センチ)、彫りの深い立派な石仏で、専門家の鑑定によると、室町末期
  (約四百数十年前)の作で、腕のよい石工が彫った珍らしい石仏だそうであります。
  何時、誰が、何のために唐橋の下に安置したのか知る由もないが、400年以上も
  川底で、唐橋を守りつづけて来られた石仏であります。

  唐橋下より何か出現されると予言していた霊能者によると、この石仏は実は
  霊験灼然(あらたか)な薬師如来である、橋守社のところへ唐橋の中央に向け
  小堂を建て、祀ってあげるとよいというので、県当局にその旨を述べ、一般の人々に
  解り易く親しみ易いよう通称を、橋守地蔵としてお祀りすることになりました。

  依って有志相謀りこの地に地蔵堂を建立し、唐橋下より出現の26日を縁日として
  お祀り申し上げ、永く唐橋の安泰と瀬田川並びに唐橋上の交通安全を祈願し、
  茲(ここ)にその縁起を記し揚げる次第であります。】
  (現地解説板より。一部カッコ内は戦国ジジイが追加)

霊能者・・・
まあ、ずっと橋を守ってこられたお地蔵様をこうして見られることは、
ありがたい事じゃ・・・とだけコメントしておこう。

変な事言って、バチが当ったらかなわんからの

※「瀬田城」へと続きます。

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最終更新日  2012年06月11日 21時32分18秒


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