戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年09月01日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
大内氏歴代は臨済宗を信奉していたらしいが、
乗福寺は周防で最初の禅宗寺院といわれている。

乗福寺の歴代住職には京都五山の高僧が多く入り、
建武元年(1334)には後醍醐天皇の勅願寺の栄誉を賜る。

さらに寺格は十刹に数えられるほど上がり、
ひろよんの時には趙秩も訪れて「山口十境」の中で「南明の秋興」として
乗福寺を詠むなど、文化・学問の中心地だった。


また、ここ乗福寺では「滴水瓦(てきすいがわら)」という、
水滴が垂れ下がったような逆三角形の瓦が出土している。


滴水瓦の中では最も古い時代に属するものだという。

滴水瓦は朝鮮系の瓦であることから、乗福寺が外交の拠点だった可能性もあり、
あるいは朝鮮半島から技術者を招いて瓦を作らせたのかもしれないとの
推測がなされている。


興隆寺からもそう離れていないこの一帯は、大内氏の元の本拠地なんだけど、
館がどこにあったのかまでは、現在のところ判明していない。
・・・が、乗福寺あたりに館があった可能性もあるとのこと。


なんか、琳聖太子後裔説が単なるハク付けの捏造だったとしても
(とゆーか、たぶんそうだけど)、古くからこの地が大陸色の濃い生活・文化を
築いてたことに間違いはないんだなあ・・・
って考えると、なんだか不思議な気分。



山口市・乗福寺5


現在の本堂は1980年に再建されたものだっていうけど、
ちゃんと大内菱がある

前回掲載した解説に「毛利氏の時代になり、本寺は解かれて博多に移築された」
とあるけど、これについて『栄光と挫折の賦-守護大名大内氏-』(山本一成著)は


  ことごとく博多(福岡市)の黒田氏に贈られ、黒田氏はこれでもって菩提寺の崇福寺を
  建立したといわれる。】

と語る。


ふう・・・
世の習いとはいえ、大内ファンにとっては切ないのう・・・

しかし、そういう事なら、博多へ行ったら是非崇福寺へ行かなくちゃな。
崇福寺には、名島城の遺構と伝えられるものもあるらしいし。
黒田氏の菩提寺で、大内萌えあ~んど隆景萌え・・・
ふふ・・・ふふふ・・・


まあでも、ここも興隆寺と同じく、大内氏にゆかりの深い寺が
残ってるってだけでもいいかな。
大内家当主の菩提寺の中には、もう現存してない寺もあるからね。


境内は無人かってくらい、静か。
見学者は誰も来やしないし。

う~ん、ここに龍馬さんも来たのかあ・・・
密談の相手は誰じゃ?とか幕末に時間軸を合わせようとしたけど、やっぱ無理。
今の私には、大内さんちにかなうものなどありはしない(笑)。
・・・墓行こ、墓・・・


本堂の右手を奥に進むと、それがある。


乗福寺・琳聖太子の墓


ああ、あの上に、ひろよんが・・・!!

上がっていこうとして木段に近寄ったら、途中にロープが張ってあって
近くまで行かれない。

なんでさ~!!

仕方ない、ロープの所から手をあわせて、望遠で写真を撮った。


乗福寺・琳聖太子の墓3


真ん中に高々とそびえるのが、琳聖太子の供養塔。

 【琳聖太子供養塔

  大内氏の始祖琳聖太子は、百済国の王子で推古天皇の19年(611)周防国佐波郡
  多々良の浜(現防府市)に着岸し、摂津国の四天王寺に上って聖徳太子に謁され、
  周防国吉敷郡大内県(山口市大内)を賜い、その地に下向されました。

  その子孫は中世山口を本拠として大いに栄え、西国7か国を領国とし、大内文化と呼ばれ
  京都をしのぐほどの華やかな文化を形成しました。】
  (現地解説板より)


向かって右側が重弘の墓。
・・・土塀に隠れて、ほとんど見えなかったけど。

 【大内重弘公の墓

  重弘公は大内氏22代の当主です。鎌倉時代に元からの来襲「弘安の役」に際し、
  軍を率いて九州に渡り、元軍と戦ったといわれています。重弘公の代になると
  周防国の国司をしのぐ程の勢力をもち、だんだん大内氏の基礎を固めていきました。

  元応2年(1320)3月6日死亡し、乗福寺に葬られました。法名を
  乗福寺殿道山浄恵大禅定門といいます。】
  (現地解説板より)


んで、向かって左側がひろよんの墓。
こちらもろくに見えなかったので、写真は撮らなかった。

 【大内弘世公の墓

  弘世公は大内氏24代の当主で南北朝時代に足利尊氏に従い、南朝の守護として
  周防の統一をなし遂げました。その後北朝方になり周防・長門の守護に
  任じられるとともに石見にも勢力を伸ばし石見守護になりました。

  正平15年(1360)頃 弘世公はそれまでの本拠地大内を離れ、居館を山口に
  移しました。山口はその後200年間大内氏の政治・経済の中心地となり
  大変栄えました。弘世公は天授2年(1380)11月15日に死亡、法名を
  正寿院殿玄峯道階といい、乗福寺の塔頭正寿院に葬られました。】
  (現地解説板より)


おっとお~、11月15日!!
(吉川)元春ちゃんと命日一緒じゃん!

龍馬さんもこの日が命日なんだよね。と同時に、誕生日でもあるけど。

さらに、この日はうちの母親の誕生日でもある。
実に盛り沢山な1日じゃの・・・(笑)。


ただ、わからないのが、ひろよんは本拠を山口に移したのに、
なんで乗福寺に葬られたんだろう?ってこと。

山口を開いたと言われてる年からひろよんが死ぬまで、
大体20年くらいある。

20年あれば、町もかなり整ってたでしょうし、
本拠として定着してたはず。

大内氏の場合、歴代当主の菩提寺みたいのはなくて、
個々に墓が点在してるんだけど、それでも義弘以降はおおむね
山口を中心とした地域に墓がある。

「山口のスーパースター」ひろよんなら、
山口に墓がある方が自然な気がしちゃうのは、私だけ?




静かな境内でしばらくまったりした後、最後に


面白いな」


山口市・乗福寺6

ってしげしげと見つめた後で、乗福寺を後にする。



ああ、何だかもう疲れちゃったな・・・
まだ時間は早いけど、最後にひとつ寄りながら、今日はもう帰ろう・・・


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最終更新日  2012年09月01日 18時13分01秒
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