戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年09月06日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
墓所を出て、境内へ。



三原・米山寺13


三原・米山寺15


入り口は本瓦葺の鐘楼門。
しおりによると、平成13年の再建。
んで、この門の軒丸瓦とか、大棟にある家紋は・・・


三原・米山寺17



う~~~んっ・・・毛利!?


新築じゃなくて再建だから、隆景100年忌以降に
復興されたものをベースにしてるかとは思うんだけど、
その当時は浅野時代。

いつから米山寺に毛利紋がついてたんだろう?

宗光寺が絡んでるからかなあ・・・
(宗光寺は後で出てきますので、今しばらくお待ちください。)
それとも、平成の再建で毛利氏の尽力があったとか?

小早川惣領家の菩提寺でこの紋とは、ちょっと合点がいかないのは
私だけだろうか・・・


この門の妻飾りはこんなの。


三原・米山寺49・山門



あれも大瓶束(たいへいづか。棟木を支える部材)って言うのかな。


門の真下。
上に鐘があるので、穴があいてる。
まだ真新しくて、キレイ。


三原・米山寺19


門内から見ると、こんな感じ。


三原・米山寺32


この左手の階段を上がると、天井の低い2階があるらしく、
登った人もいるみたいなんだけど、ちょっと一人で登って鐘を撞くのは
勇気がいるな。

門の下にもヒモがぶら下がってたから、
これを引っ張っても鳴らせたかもしれないけど。


この時、庫裏(か住居)は網戸になってて、NHKののど自慢の
音声が結構大きな音で聞こえてきた。

・・・が、私が境内に入ってルートから外れて玉砂利の上を歩いた時に、
その音で初めて私の存在に気付いたのか、TVのボリュームが下がった(笑)。
別に気にならないから、いいんだけどね。



で、こちらが本堂。


三原・米山寺20


三原・米山寺21



ここも、大棟には毛利紋が・・・


三原・米山寺45



本堂の右前には、ソテツ。
うふふ、ソテツ・・・
(ニヤニヤする理由は、 「山口編(17)」 をご参照ください)


三原・米山寺30



あれ?なんかいる・・・


三原・米山寺31



んまあ、このクソ暑いのに、こんなとこで寝こけちゃって(笑)。

本堂の左手前にはこの建物。


三原・米山寺22


   霊堂 小早川家歴代尊霊
   仁王像(伝 運慶作) 閻魔王像

って書いてある。
あれ?仁王様がここにいるなら、これが資料館かな・・・
ちょっとここは後回しにしよう。

この霊堂の蟇股は小早川紋。


三原・米山寺23


ん、やっぱここには、こっちの方がふさわしいよな。 


本堂と霊堂の間を奥に入ると、宝物館。


三原・米山寺29


 【重要文化財 絹本著色小早川隆景像 一幅

  小早川隆景は、天文2年(1533)毛利元就の三男に生まれ、天文13年(1544)
  安芸の豪族竹原小早川家に養子に入った。天文19年(1550)には沼田小早川家をつぎ、
  兄の吉川元春とともに父元就を助けて毛利氏の中国統一を成就させた。

  隆景は、天文21年(1552)に新高山城を修築し、永禄10年(1567)に
  三原城を築城している。

  この隆景像は、隆景が朝鮮半島に出兵して帰還した翌年の文禄3年(1594)、
  京都大徳寺の塔頭、黄梅院の玉仲宗秀が寿像に賛をしたものである。中啓を持ち、
  黒の袍をつけて座した衣冠の像である。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換、玉仲宗秀の「秀」はホントは
   「王」の字の”おうへん”が付く。)


寿像(じゅぞう)とは、本人の存命中に描かれた肖像画。
戦国時代頃は、あまり寿像ってないんだよね。

この肖像画は、隆景像の中で最も有名なものです。
ツイッターで今の私のアイコンになってるのも、
この絵をもとにしたものです(笑)。

前回の記事の、菅茶山の漢詩もこの肖像画を見て作られたもの。


この他にも、貴重な品が収蔵されている。

 【三原市重要文化財

  木造小早川隆景像一体 附厨子・蓮華座

  (前略)慶長元年(1596)に小早川隆景が練供養の装束を米山寺に寄進している。
  このときの目録の中にこの像の記述があり、像底に文禄5年(1596)の墨書銘が
  ある。この像は、一木造りで、像高23.1センチメートルである。


  木造行道(ぎょうどう)面八面 附小道具八点

  この行道面は、米山寺で行われた練供養に用いられた面で鎌倉時代の作である。
  面は、菩薩面が六面、天童面が二面ある。面高は菩薩面が20~21.5センチメートルで
  天童面が19センチメートルである。


  木造狛犬二対

  この狛犬は、米山寺の鎮守社であった王子宮に安置されていたもので、全体的に
  小柄である。二対の像は、一木造り、像高31~21.5センチメートルで、
  鎌倉時代末期の作である。


  米山寺文書七通

  この文書は、米山寺に伝来した文書で、戦国時代から江戸時代にかけてのものである。
  そのほとんどが小早川隆景の時代の文書で、「小早川隆景自筆書状」「警護番帳」
  などである。】


木造小早川隆景像は、しおりに写真が載ってるんだけど、
手のひらサイズで「お手々のシワとシワを合わせて~」のポーズを取った
可愛らしいもの。

文禄5年(1596)の墨書があるそうだけど、
生前に自分の像を納めたってこと?
ホントに?


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最終更新日  2012年09月21日 23時04分00秒
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