戦国ジジイ・りりのブログ

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2012年09月22日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
釜山寺から先の道も、引き続き細い道。


三原・釜山寺への道2


この先を左に入っていくと、万福寺(場所は こちら )。


三原・万福寺



三原・万福寺2



三原・万福寺3



ここのシャチは、金目


三原・万福寺4





三原・万福寺5


 【医王山薬師院万福寺は、市街地においては古い寺で、
  現在の宗光寺の地にあったものを三原城築城時、宗光寺を移すために
  この地に移されました。

  古くは西宮八幡の別当職を兼ねていました。
  境内には、酒の神である松尾明神が祭ってあります。なお、釜山寺より
  さらに高台にあるため、一段とすばらしい景色が眺められます。】
  (三原観光協会「海・山・空 夢ひらくまち」より)


ここもいちおう移転組といっていいかな。
西宮八幡て、三原八幡宮のことかな?

宗光寺はこの後で行きますが、小早川・・・というより


つまりは重要な寺ってことで、わざわざ既存の万福寺を移転させたって事は、
それなりの理由があってのことだと思うので、
宗光寺ではそのあたりも注意して見ようと思ってます。

まあ、移転させられちゃったのはお気の毒様だけど、
ここだっていい加減な位置にある訳じゃない。



で、薄い酒だけど一応毎晩晩酌してる私としては、
境内にあるというお酒の神様にお参りしていきたかったんだけど、
なんか見当たらない。

本堂の前に、ひとつお宮はあるにはあるんだけど、


三原・万福寺8

「四海安寧 福利増進」?

なんか違うっぽいし・・・

だいぶ疲れてきたけど、ベンチなぞはないので、
資料や地図を確認しつつ、本堂の石段に座り込んでちょっと休憩。

多少の遠慮はまだ残ってるけど、もはや恥ずかしいなどという感情は
ほとんどない・・・
それより、体調管理の方が大事だ(←完全な開き直り)。


で、結局松尾明神様はわからないまま、万福寺を後にする。


万福寺から東に行くと、武家屋敷のある通りに出るって
書いてあったんだけど、ちょっとわからなかった

少し南の方へ下ればあったかもしれないけど、
はっきり場所がわからない所を求めてあちこちウロウロするほどの
体力の余裕はないし。

だって、こんな細い道があちこちにある街並みなんだもん。


三原・万福寺からの細い道


これ、今は側溝にふたをして道幅をキープしてるけど、
昔はもっと細かったんじゃないかと思う。

土地勘のない攻め手がわーーーっ!!と押し寄せても、
迷路みたいな道に惑わされるのは必定・・・
そもそも、大人数は通れないし。


で、そのまま次の目的地目指して北へ向かう。


三原・大善寺への道(右が浄念寺)


右は寺、その先にも寺。

右側の浄念寺は、天正年間に別の場所に建てられて
元禄になって現在地へ来たそうだけど、洪水で寺の記録が失われたとのことで、
詳しいことはわからない。

けど、隆景の城下整備の時にはここにはなかった事になるので、
そのまま先へ進む。


浄念寺の先が、正明寺。


三原・正明寺



薬医門の立派な門。
けど、本堂は近代的。

三原・正明寺


こちらは文禄年間に別の場所に建てられた後、
文久に入って現在地に移ってきた。
ので、ここも隆景ちゃんの時代にはいなかった。

けど、こちらの本堂は三原初の近代建築寺院なんだって。


この道の突き当たりが、次のお目当て、大善寺(場所は こちら )。


三原・大善寺


三原・大善寺3



 【増上山広度院大善寺は、沼田の新高山城の麓にあって、小早川隆景室
  (慈光院月渓永知大姉)の菩提所でしたが、三原城築城に伴い天正8年
  (1580年)この地に移されました。】
  (三原観光協会「海・山・空 夢ひらくまち」より)

隆景ちゃんの御正室様は、沼田(ぬた)小早川宗家のお姫様。

ここでは結婚当時のことは書きませんが、
隆景の死後も20年ちょい生きたので、毛利家の防長移封に伴い、
周防の問田へ移り住んだことから「問田の大方(といたのおおかた)」と
呼ばれた。

この辺りのかつての街道とかの詳しいことはちょっとわからないんだけど、
たぶん昔から北部の久井や甲山へ延びる道が通ってたんじゃないかな。

地図にリンクしてもらえばわかるけど、
寺でびっちり固めてるから。


こちらの御本尊様は内仏として庫裏にあるらしいので拝めないけど、
解説がある。

 【広島県重要文化財 木造阿弥陀如来立像 一躯

  像高77.5cm、寄木造り。
  衣を通肩に懸け、袈裟の環は金具で作られている。衣文は流麗ななかにも
  鋭さがみられ、いわゆる安阿弥(あんなみ)流と称せられる容姿を思わせる。

  袈裟には金泥で繊細な卍クズシの紋様と唐草文が施されている。螺髪は
  右旋回に刻まれ、肉髻・白豪はともに水精様を入れもとのまま、目は
  半眼の玉眼である。

  保存は良好で左の足柄に「巧匠□□□」と墨痕を残す。その他は柄が欠失
  しているため作者の比定はできないが、慶派の作であると考えられている。
  京都遣迎院の快慶作とほとんど同様である。】
  (現地解説板より)

断定はできないものの、名のある仏師の作カモ・・って
匂わせてる。

大善寺にはいつからあったのかまでは書いてないけど、
問田の大方様もご覧になられたのであろーか・・・


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最終更新日  2012年09月22日 16時50分44秒
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