戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年01月17日
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カテゴリ: 城(中国)
尼子経久に鏡山城を奪われたことで、

経久が伯耆の平定に集中していた大永4年(1524)5月、
ついに大内義興さんが安芸の奪還に乗り出した。


大内軍は総勢25,000もの大軍。
その中には、嫡子・義隆の姿もあった。
義隆にはこれが初陣で、この年18歳。

主戦場は安芸西部。
これは別のシリーズで書く予定ですので、ここではカットします。


大内軍は退却するハメになりました。

元就の武将としての才覚を再認識した大内家では、元就に帰参を打診。
毛利側でもこれを承諾し、有利な条件で大内氏に帰属を果たす。
とは言っても、その場で尼子と明確に手を切った訳ではなく、
あいまいな態度をしばらく取り続けたらしい。



元就の帰参に元気の出た義興さんは、翌5年(1525)、
武勇の誉れ高く右腕とも頼む陶興房(すえ・おきふさ)を安芸へ出陣させた。

ここで興房は、元就と共に安芸での大内方の勢力の回復に努め、
鏡山城もこのあたりで奪還した。

奪い奪われ~の歴史を繰り返してきた鏡山城だったが、
先年の鏡山城の戦いで防御力に不安を抱いた義興さんは、

新たな城を築き、拠点を移した。

しかし、ちょっと曽場ヶ城山が高すぎたのか
最終的に槌山城(標高489m)を拠点とした。
そして鏡山城は廃城となり、その役目を終えたと推測されている。



鏡山城の廃城から大内氏の滅亡までは、30年ほど。

まあ、そもそも築城年代がはっきりわかってないし、
一時期奪われてた期間もあったけどね。

個人的には、結構初期の段階から鏡山に何らかの拠点は置いてたんじゃないかなって
気がするんだけど。
(何の根拠もありません。そんな気がするだけ)

現在見られる遺構は、大永年間(1521~1527)の改修のものだと
考えられてるらしい。




鏡山の最上部、御殿場にはベンチも設置されてたし、
今日一番の展望を見ながらこれらの壮大な歴史にまったり浸りたかった・・・
がっ!

御殿場には遮るものがないので、冷たい風が容赦なく吹きつける。
今日一番の展望には、これまた今日一番の強い風がもれなくついてきた。
しかも、予報では最高気温1℃という寒さ。
こんなとこに座り込んでたら、あっとゆー間に冷え切っちゃう。

ので、他の郭のように1郭内をウロウロ歩き回って写真を撮った後で、
早々に御殿場から撤収した。

あ~、まったり萌え~したかったな・・・
でもここでの萌えは必然的に鏡山城の戦いになっていくので、
逆に良かったのかも(←恐がり)。



さて・・・充分堪能したし、まだ15:00。
これは、ちょっと遠くて厄介なあの場所へ行かれるな。
今日行っておくと後がラクだから、ちゃっちゃと行っちゃおう。
てんで、早々に下山を開始。


東西条・鏡山城107・下山開始



帰りは、最初に見た堀切を降りていく。
登山道からも竪堀が見える↓。


東西条・鏡山城108・竪堀から見上げる竪堀


同じく登山道から見上げる5郭・下のダバ↓。


東西条・鏡山城109・竪堀から下のダバ


こんな遠くからでも、ホントにすごいわ・・・
下のダバと上の2郭・中のダバの比高は約13mと解説にあったけど、
下のダバの切岸も同じくらいの高さがあるんじゃないかな~。
なんか、ピラミッドみたい・・・



東西条・鏡山城111・下山道



直登ルートだから急なのかと思ってたけど、案外広くていい道。
ここも人の手が入ってるね。


↓また竪堀。


東西条・鏡山城112・下山道から竪堀



ずかずか歩いてたら、こんな立札に出くわした↓。



東西条・鏡山城115・東出丸



出丸?と思って寄ってみたら、細長くてそんなに広くはない区画だった。


東西条・鏡山城116・東出丸



この辺はかなり木が繁ってたし、下山をそれなりに急いでいたので
あまり周りの地形は見てないんだけど、位置的にはいいポイントだと思う。
木のなかった当時は、下までよく見渡せたことだろう。

あれ、まてよ・・・
これって、看板の縄張図でいうとここにあたるのかな(ピンクの丸の部分)。


東西条・鏡山城96・中のダバ-3


この先の道はこんな↓。


東西条・鏡山城117・下山道


直登ルートは、上の縄張図の水色のラインで引いたあたりを
通してるんだと思う。

東出丸は登山道からすぐのところにあったし、
道の脇は土塁っぽいから、この先の道は東出丸から延びる竪堀を
使ってるのかもしれない。



下りはさすがに早かった。
まあ、登りもそんなに大したものではないけどね。
降りてもなお、人の手が入ってるらしい地形がある。
ちょっとこれは遺構かはわからないけど。


東西条・鏡山城120・下山道



鏡山公園まで降りて、ふとあのグリーンの無縫塔のあたりまで行けば
鏡山の全景が写せるかもしれないと思って、池に沿った
ウォーキングルートを少し歩いてみた。
パノラマじゃないので撮りたかったんだもん。


東西条・鏡山城公園27・無縫塔と鏡山城



う~ん、全体を写すにはもっと奥まで行かないとダメだな・・・
と思ってさらに歩いてみたけど、木があったりしてどうもイマイチ。
そんなに時間もかけてられないし、ほどほどのところで入口まで戻った。


東西条・鏡山城公園29・鏡山城-2



うひゃあ・・・
遠目にも、あんなにはっきりと形がわかる。

5郭・下のダバと2郭・中のダバの間はあんなにえぐれてる印象なかったんだけど、
縄張図では5郭と2郭が接する北面はぱっくりと大きな竪堀が
下へと向かってるから、遠くから見るとあんなすごい地形になるのかな。

鏡山城は、南北は竪堀、東西を堀切で防御する構造になっている。
今回は見てないけど、どうも西側の大堀切も見れそうな感じだから、
やはりこれはリベンジか・・・



今回は、東側の尾根から上がって本丸の郭を見ただけだから、
そんなに大きいという感じはなかった。
でも、思ってた以上に遺構は素晴らしかった。
何と言っても、大内氏の山城だし



公園入口にあるトイレに入ってから次へ向かおうとしたら、
手洗い場にはデカいクモがいて驚いた(←クモ嫌い)。


東西条・鏡山城公園30・トイレで



ちょっとお~、今日って相当寒いけど?
西条のクモは寒さに強いらしい。


※「東西条バトル編(5)」へ続きます。

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最終更新日  2013年01月17日 21時21分03秒


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