戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年05月06日
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カテゴリ: 城(中国)
最初の庶家ができた段階から、沼田の惣領家と庶家との間で問題が起きていたことを、
茂平の相論を例に前回紹介しました。

その後の時代でも、時には惣領家に対抗するために
庶家同士で起請文を交わしたり、色々な動きがありました。

が・・・、反発したりしながらも、いちおう惣領には従ったし、
惣領家と庶家で協力する誓約を交わしたり、惣領家のピンチを救ったこともあった。

核家族化した現代ではなかなか理解できない部分もありますが、
これが血のつながり、一族ってものなんでしょうかねえ・・・

まあ、お殿様の子孫とかのいいお家柄だったら、

思いっきりパンピーの私じゃね

今回は、そんな「一族だなあ~」って雑談をちょっとだけ。
と言っても、そんなものものしい話じゃないですが。
ぶっちゃけ、とにかく今回は茂平のことを書きたかったので、
ひとまず自分の中では満足しちゃったんだよね~。(←要するに燃え尽きた)



寛正2年(1461)、大内教弘に対し東西条を安芸分郡守護・武田信賢に渡すよう
幕府から通知が出た際、小早川煕平が使者に立ち、
大内氏の本拠である山口まで出かけていったことを
「鏡山城(8)」 に簡単に書きましたが、その時の旅費を
庶家に割り当てて分担させた書状が残っている。

うおっ、コレ、自腹かよ~!!

って笑ったね


乃美の25貫文を筆頭に、椋梨・小田・梨子羽・生口・土倉が20貫文、
浦・小泉・船木・秋光が15貫文などなど、ほとんどの庶家に細かく割り当てが
書かれている。


庶家のうち、現在の竹原市に近い高崎氏へは「船一艘 七端帆仕立之」とある。

高崎は瀬戸内での重要な港であり、小早川氏の外港として見られている。


とりあえず高崎さんちは船を用意したようで、
「七端帆」の規模がはっきりわからないんだけど、
どうも3~4人載りクラスの船っぽい。

まあ、あくまで幕府の使者としてだしね。
それに、備後の宮さんも別立ての船で同行してくれたかもしれないし。

しかし、このお出かけは海路を取ったのか・・・
高崎さんちに用意させたのなら、高崎から出航したのかもしれないよな。


で、この通達に関連して沼田家の被官である真田さんから書状が出ていて、
それには

もしお手元の苦しい方がいらしたら
ご相談に乗りますから、遠慮なくおっしゃってくだされ~!


ってあるのだ。

ちょっともう・・・こーゆー生活くさい話、大好きなんだけど
てか、よくこんな書状残ってたよな~。
皆様の物持ちの良さに驚かされますわ。




それから、「一族」を感じさせるのは、やっぱり竹原さんちでしょうね。

沼田家と竹原家の確執などについては、過去のシリーズのあちこちで書いてきてますので
ここではあらためて書きませんが、
とにかく竹原さんちは庶家の中でも際立って独立心が強かった。
沼田と竹原で干戈を交えたこともある。

新高山城シリーズで、遠足イベント(毛利元就父子雄高山行向滞留日記)の中の
女性陣へのお礼で 「竹原にし殿様」 を書いた後にふと

竹原の手島屋敷が「西殿屋敷」「西の殿屋敷」と呼ばれていたのは、
東の沼田に対する西の殿様って意味だよな・・・

うおお~ッ、対抗心バリバリじゃん

・・・て思ったんだよね。


それでも惣領家のマジもんの危機を救ったのは、他ならぬ竹原家だった。
それも2度も。
これはちょっと、この厳しい時代にあってはレアなケースだと思う。
(2度のピンチは 「三原編(35)」 と 「三原編(15)」 に簡単に書いてます)

さすがに3度目は竹原家の当主が当事者だったために
竹原と沼田がひとつになることで決着を見るに至ったけど。
3度目を危機と見るかは、見解の分かれるところですが。

まあ今に残る書状を見てると、家とか一族とか、平和な時代に生きる私からすれば
なんにしても大変な時代だったよな~ってしみじみ思いますよ・・・・・・



さてと、歴バナ第一段はここまで。
真ん中らへんあたりの当主たちは、さらに複雑な時代を生き抜いてまして、
庶家の動きもてんでバラバラ(笑)。

後半の当主については結構関係ないようなシリーズでも
ちょいちょい書いてきましたので、小早川氏の概略については一旦終わりとします。





話は変わって。
「東西条バトル編(25)」 で今川了俊の「道ゆきぶり」をご紹介しましたが、
彼が沼田に入ってます。

え~と、旅のスタートは2月20日の早朝。
応安4年(1371)のこととされてます。
朝露に衣を湿らせながらの出立。

ず~っと西へ下ってきて、5月19日に尾道から沼田へ向けて出発します。

海沿いを来たようで、途中くじら島を見ながら糸崎にさしかかり、
干潟の向こうに因島を見ながら芸備国境を越えます。

三原からどのルートを通って沼田へ入ったのかが書いてないんだけど、
この時期、三原はまだ小早川領ではなく、したがって 三原要害 もありません。

現在の三原駅周辺はまだ海の中だった頃だから、
九州攻めに向かう家康と同じように 、桜山の北側を回り込んでいったものと思われます。
その時の桜山には、山名氏の桜山城があったかもしれないけどね。


では、ご本人様に沼田周辺の道ゆきぶりを語っていただきましょう。


備後と安芸の国境を出る。
  横たわっている山中には、茅葺きの堂がある。この山の麓まで海が続いていて、
  このあたりで沼田川と合流している。

  沼田川に舟で出ているうちに夕暮れになり、夕闇の中に見える山の端も
  すっかり夕闇に溶けてしまいそうな頃、蛍がほのかに飛び交い始め、
  なんとはなしに心細い気持ちになっていると、この里へ松明などをともして
  向かってくる火の光が川波にきらきらと映って、鵜飼いを見ているような心地であった。

  この辺りは、寿永の昔までは海の底だったということで、そこらの石の側面などには
  牡蠣という貝の殻がついているそうだ。
  遠くの山々はあちらこちらに樹木がよく茂っていて、大層趣きがある。



小早川領での記述はもう少し続くんだけど、今はこれまで


嘉禎4年(1238)、太政大臣の藤原公経さんから許可をもらって
小早川茂平が始めた沼田川流域の干拓事業は、5代あとの春平が
佛通寺を建立するあたりまで、160年くらい続けられる。

沼田荘全域の労働力を使っていいと公経さんが言ってくれたのに、
しばらく後には新荘家が幕府に相論を持ちこんで手を引いたりした経緯もあった。
後半のあたりでは、商業資本を組み込んで工事が続けられたらしい。

佛通寺の創建が応永4年(1397)だから、
了俊が沼田に来た頃は工事も終盤に差し掛かっていた。

工事は内陸から海へ向かって進められたようなので、
おそらく海岸線は相当東へ後退していて、現在の本郷駅周辺あたりは
ほぼ現在と同じ地形になっていたものと思われる・・・んだけど、
海と沼田川が合流したところに来たって言ってるなあ。

まだ川幅が広かったって意味なのかなあ


この「道ゆきぶり」はジャンルとしては紀行文に分類されて、
上に紹介した箇所では出てこないけど、あちこちで歌なんか詠みこまれてて、
途中目にする光景だとかを格調高くつづったものです。
(いつもみたいに超現代語訳したくてウズウズしたけど、
大変格調高い文体なので、さすがにやめた)

が、この一見優雅な旅のゴールには、南朝勢力の強い九州の鎮圧という
重いミッションが待っている。

して、5月19日に沼田に着いて、西へ向けて出立したのが8月29日。
3ヶ月超もの長逗留。
この間のお宿は書かれていません。

でもね、道すがら周辺国人お誘い合わせのための旅だった訳ですから、
まんずステイ先は高山城、もしくは麓の居館でしょう。
3ヶ月、小早川の城を拠点に周辺の国人衆へ動員をかけた。

九州探題の在任中は安芸・備後・筑前・筑後・豊前・ 肥前・肥後・日向・大隅・薩摩の
守護を兼ねていたので、沼田に陣取りながら安芸と備後国人へのスカウトを中心に
準備を進めていたものと思われる。


なぜ沼田を拠点にしたのか・・・

鎌倉幕府滅亡の際、沼田家は1度目の大ピンチを迎えたが、
その後は室町幕府への接近をはかった。

了俊が沼田に来た時の沼田家当主は8代・貞平、9代・春平のどちらかと思われるが、
例えば春平は将軍奉行衆(将軍の親衛隊)として京に常駐していたので、
幕府内でなかなかの出世をしていたものと思われる。

そういう立場と小早川氏の実力から、ここを選んだのではなかろうか。


沼田を出た後は、前に書いたように高谷から瀬野、海田へ出て
ここで20日ばかり過ごしているので、安芸西部の取りまとめをしたのかな。
しかし、沼田の3ヶ月にはかなわないので、備後と安芸のほとんどを
沼田にいる期間中にまとめたものと思われる。

ちなみに、「道ゆきぶり」の中ではどの国人と交渉して・・・とか、
そんなこと一切書かれてないんですよ。
ひたすら、旅日記の記述に徹してるの。

この徹底ぶりは、ホントにすごいと思うね。
むしろ、一言も書かれてないからこそ、逆に了俊のすごみを感じるというか


沼田のことを書きながらも、この旅の終盤で了俊が大内さんちの義弘さんと出会って、
大内氏がさらに発展してくのか~・・・って大内萌え~に浸るのは、
大内バカのわたくしならではでございましょう。


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最終更新日  2013年05月06日 15時34分59秒


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